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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ひさしぶりのウィスパーIIに大満足

2011-11-29 22:10:17 | 馬が好き

天気予報がいいほうに変わって、50%だった降水確率は30%に、午前中はどうやら降らないってことなんで、乗馬に行くことにする。
きょうの乗り馬は、ウィスパーII。

いい馬だよぉ こないだも「どれ、おとなしい?」って訊かれたときに、私は即座に、彼を推奨した。
おとなしいって、馬房んなかでネコみたいにしてるって意味ぢゃなくて、何事にも動じないって感じ。
その点について、私は彼に絶大なる信頼をおいている。彼とだったら何処いっても大丈夫だと思う。ウィスパーIIに乗って、公道歩いて、コンビニ行ったっていいよ。(道でボロしちゃったら拾う人いないから実行しないけど、ホントやってみてもいいくらい自信あるよ。)
私の勝手な自信はウィスパーIIの知ったことぢゃないんで、馬のほうはいつものようにクールな様子なんだが、とりあえず馬装。
あれ?なんかシンプルな一式だな。むながいとか前つけてなかったっけ? それに、そろそろ寒くなってきたから、もしかしたら腰のほうにラグかけてやんなきゃいけないのかと思ったけど、なんも無し。簡単でいいけどね。

そしたら、馬場に行って、常歩。
どっしりとしてるよなぁ。北海道んとき使われてた「大地のような背中」ってフレーズを思い出す。
(そういえば、あの馬も俺を本馬場まで連れてってくれたっけ。同じように、どこ行っても大丈夫そうな馬だったなぁ。)
なにがあってもビビんない背中は頼もしいが、常歩でハミうけさぐるけど、なんか言うこときいてくんないよ 今日は苦労しそうだなあ。

そしたら、速歩。ああ?ちょっとヘンな歩様、少なくとも大地のような、とは言えないよ。ま、気にしない、気にしない
最初、手綱を伸ばして、軽速歩、大きくまわる。ウォーミングアップは必要だよね、ウィスパーII?
ちょっと馬のクビが右向いてるような感じ、左右の回転を丁寧にやる。
さあ、そろそろ詰めてっていいですか。広いとこでやってると、ウィスパーIIに力負けしそうなので、輪乗り。
主に内がわの脚でドンと押す、ときどきグヒッと声が出て、鼻からフンッと息を吐く、怒っちゃやーよ、ウィスパーII?

ぜーんぜん、馬の口がこっちこないよ。こーゆーときって、前に進んではいるけど、実はそれほど馬が前に出てなかったりするんで、さらに推進かけてみる。そして手綱短く持って、ウリャ!って力入れるけど、効いてない。
地上横木つかってみる。横木通過してるうちに、前に出てきて、そこを捕まえらんないかなと期待して。
いい勢いで、上手に通過していくけど、私の思ったような効果はえられない。通過したら入ってきたのとは逆にターン、左右交互に繰り返す。わりとタイトな回転にしてみて、そこでどうにかしようと思うけど、これまたうまくいかない。
休憩をはさむ。休憩だって、必要だよな、ウィスパーII?

また輪乗り。常歩から、もういちど。
発進、停止、後退。歩度を伸ばせるか、やってみる。なんか心もとないなー、相手にしてくれてないよ、ウィスパーII。
常歩で、脚と拳への反応を確かめようと、あれこれやってみてから、ぢゃあ、駈歩。
うん、いいねえ、この馬の駈歩。うまく言えないけど、サラブレッドとは、やっぱ何かが違う。乗りやすい。
乗りやすいよ、ウィスパーII なぜか分かんないけど、いつもよりアブミが踏める。どうして?自分でも不思議なくらい、カカトを踏み下げて行ける。
駈歩を契機に、すこーし馬とのコンタクトがとれ始める。
また常歩。あ、きた、ちょっと来た 輪乗りしながら、ハミうけたら、しばらくして手綱伸ばして、また詰めての繰り返し。
また軽速歩。さっきまでとは違ってきた。前に出す、受ける、そのままもう少しだけ踏み込んでもらう、手綱伸ばすと馬のアタマが下がっていく。
最初のコットンコットンした感じはどこへやら、すごく気持ちいい歩き方になっている。
楽しくて、何度も何度も、3,4周ごとに手前を替えながら、詰めたり伸ばしたりする。
そんなことやってたら、「引っ張りっぱなしで力勝負しない!」って言われて、内側の手の使い方を変える。
ギュウっと握って、少し弱めて、そんなことの繰り返し。その間、外の手綱はピンと張って支えてる。
馬のアタマが下がって、耳の動きの反応を見て、内の拳はラクにする。うまくできると、これ、内の手綱放しても、外の手綱だけで回ってられるよ、たぶん。
でも、拳に力入れるとき、一緒に足に力が入って、カカトが上がることに、自分で気づく。
何やってんのぉ、手と足が同時に動いちゃダメぢゃない、身体のあちこちが独立してなきゃ。座りが大事なのは、拳を自由に使うため。気づいて意識すると、脚の位置というかカカトの踏み下げが少しだけ改善されてく。

ほーんと、不思議なんだけど、今日のウィスパーIIに乗ってると、なんか今までのどの馬に乗ったときよりも、脚の位置が安定しているよ、俺。すっごい乗りやすい。
軽速歩でも完全に言うこときいてくれるようになったよ、ウィスパーII。
すごい楽しい。ずーっとやっていたくなる。
あのでっかい重々しい馬が、軽く感じる。それでいて、ゴーサインを出したらすぐ動いてくれそうなパワーが充ちてるのがわかる。
なんだろう、野球で言ったら、打席でボールがよく見えてて、カーブが来たとき、からだ開かずに、近くまで引きつけて待てることができて、「いただき!」って打ちにいこうとする、その瞬間、って感じ?(分からんだろうな、この言い方…)
めったにない、フンワリした絶好の手応えのなかで、試しに駈歩に移行してみれば、かるーく出るよ。
ああ、いつも、駈歩の前の予令の「歩度をつめー」って言われたときに、これができたらイイのに。
駈歩は、半周ごとに、スピードアップ、バランスバックって感じの繰り返し。最初に比べたら、だいぶ戻るよ。
これなら障害、経路向かっても善戦できるかも、って思ったんだけど、いいところで本日の練習、おしまい。いーんだ、べつに、これだけフラットワークで出来れば、障害飛ぶまでもない。
やー、楽しかった。きょうは、乗馬したぁ、って感じだねえ
乗りはじめは鼻水でてきちゃう寒さだったけど(でもシャツの腕まくりして乗ってんだ)、乗ってるあいだは汗かくくらい暑かった。終わって手入れのときは、11月末にしては暖かだと思ったけど、洗ったら馬は寒いわな、そりゃあ。温風あてて乾かす。
手入れ終わりに近づくと、腹減ったのか、そわそわマエガキなんかもする。リンゴやったらパクっと食べて、またマエガキ。

こういうときは、おとなしくないんだよね、ウィスパーII。強烈にアピールしてくる。あっというまに丸々1個食べて、もっとくれーって言ってるとこを、馬房んなか帰してやって、おしまい。

※余談
こないだ、とあることで「活動量計」ってのを、もらった。
こういうグッズに基本的に興味ないんだけど私。ポケット入れとくと、歩いた歩数と消費カロリーがわかるんだと。
せっかくなんで、最近、試しに持ち歩いている。
で、乗馬したら、どーなんだ?って疑問がわいてきたんで、乗ってるあいだもポケットに入れといてみた。
きのう、9時に出かけるときから12時半に帰ってくるまでの、歩数が12,225歩、距離にして8.5㎞と出た。
これには、行き帰りの自転車の行程(片道1.5キロ)も含まれてるし、馬装だ手入れだって、けっこうウロウロするんで、乗馬でホントに馬の上にいるとき、どのくらい動いたことになったのかは、わかんない。
今日は、9時に出かけるときから12時半に帰ってくるまで、11,612歩。
きょうは、けっこう熱心に乗ったんだけど。
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チョコレート(って名前の馬)に乗る

2011-11-28 21:24:36 | 馬が好き
あした火曜日は雨の確率がちょっとあるので、今日のうちに乗馬に行く。
日中は17度って予報なんで薄いウインドブレーカーで行くけど、9時前に自転車にまたがったら、息がまだ少しだけ白いよ。けっこう寒いかも。
(でも、やっぱ馬乗るときは、Tシャツの上に長袖シャツ着ただけの格好。)

きょうの馬は、チョコレート。…そういう名前なんです、チョコレートって。

2002年生まれ11歳のセン馬。品種はITALIAN。そう、イタリア生まれ。
イタリアンなんて馬の品種、きいたことないけど、もう驚かないぞ アイルランドならIRISH、オランダならDUTCH、生まれたとこの名前呼んでるだけだろ、どうせ。
ぢゃあ、日本にはJAPANESEとかいないのかねって思うんだが、前に「日本スポーツホース種」ってのを見たことあるよ。白くて、ちょっと小型の馬だったけど。
「何なんですか?」ってきいたら、コソッと「雑種ですよ」って教えてくれたけど
さて、ぢゃあチョコレートも、どーせよくある血統不詳ってやつなんだろうって思ったら、父AHORN Z・母NINFA DI LURIANOって父母名がはっきりしてるよ。由緒正しいかどうかは知らないけどね。
前から興味あったんだよね。初対面のその日から、人懐っこいっていうか、人見知りしない感じで、かわいい。

こーんな顔して、「なんか美味しいものでも持ってませんか?」って寄ってくる。「俺が誰だか知ってんのかよ」って言っても、「知らないけど、ここのひとでしょ、なんか頂戴よ」となついてくる。
イタリア産チョコレート…。フェレロ・ロシェか、おまえは?とか言いつつブラシかける。
(↑ウソです。いま検索かけました。ほんとは「なんとかマルコリーニって、イタリアだっけ?」とか言って(…正解はベルギー)ブラシかけてた。)

鹿毛なんだけど、もうチョコレート色にしか見えない。
そういえば、東京競馬場に「チョコマーブル」って馬いたなあ。あれは試乗会とかに使うポニーで、名前どおり白地にチョコ色のブチだった。
ところで、うちのチョコレートは、カワイイ名前のイメージとは違って、とある「学校」から先月移管されてきた、教育用のお馬サマなのである。
いつも上手な少年たちが乗ってるんで、いいのかなあ、私なんかが乗ってみちゃって。(と言いつつ遠慮なんかしないんだけど。)

さてさて、そんなわけで心して跨る。(乗ったことない馬に乗れるとはしゃぐ
どーでもいーけど、私は飛び乗りができないので、乗るための台のとこまで馬つれてきて乗る。それは反則ぢゃないんだけど、私は、ただ、ジャンプしたりアブミに足かけたりがメンドクサイだけで、台の周辺で馬が動いてても、乗れれば勢いで乗っちゃうんだが、ホントは馬を静止させなきゃいけないらしい。
私はいいけど、ぢゃあフラフラしててもいいってクセを馬につけちゃったら、体験乗馬とかで乗るひと、困るよねぇ、たしかに。馬のしつけって難しいよ
さて、そうは言いつつも、とりあえず何でもいいから、乗ってみると、力強い常歩だ、大きく揺られるよ。(楽しい。)
腹帯とアブミをたしかめたら、さっそくハミを受けてくださいって、やってみる。
んんん、出来てるような気もするんだが、なんか遅くなっただけかもしんない。きょうは、たまたま、拳つかったときの、馬の脚音のリズムの違いが気になって、あれ?踏み込んでなくてブレーキかけてるだけぢゃね?って気づいた。やれやれ。
そういえば、こないだ、少年団の練習を見てた父兄が、「小指に体重かけなさい」ってコーチしてたのを、ふと思い出して、それ意識してみたりする。

んぢゃ、馬場に行って、やりますか。と言っても、いつもどおり、小さい区画のなかで、様子みる。
どんなイイ馬でも、用心してかかる私。だって、アクセルとかクラッチがイタリアン・スーパーカー仕様(こっちが意図しなくてもビュンといく)かもしれないじゃん?(初めて乗る馬の鞍にサドルホルダー(吊り革)ないと、やっぱちょっとだけ不安な私
常歩で蹄跡を歩く。斜めに手前を替えて、斜線上歩度をのばす(つもり)。力、つよいなあ。ときどき拳で引きよせてみるが、負けそう。
んぢゃ、軽速歩。おお、サクサク。どんどん進んでっちゃうよ、エネルギー有り余ってる感じ? ほっぽっとくと速くなっちゃうんで、ときどき引っ張ることになる。基本的に反撞は乗りやすいから、いいんだけど。
何度も手前替えてクルクルと。うわー、歩度を伸ばすどころぢゃないな、まず詰めないと。隅角の手前で、内側から脚で圧し(てるつもり)つつ、手綱少しずつ短くして抑えようとしてみる。
なんか右回りのコーナーのときのほうが、ちょっと馬の後躯が外へ流れる感じがするよ。(人間が押しすぎてる可能性もあり。)
うーん、強いなー、よく子どもたちコレ乗ってるなーと思いつつ、ある程度速歩したとこで、一旦常歩。馬装をチェック。
一度、停める。あれれ?停めたつもりが、途端に二歩くらい下がる。強いのは馬の口ぢゃなくて、おまえの手だよ、ってチョコレートは振り返りもしないけど、馬の背中が語ってる
んぢゃ、速歩発進、ちょっと輪乗りで落ち着くまでやるか、って思ってると、突如駈歩になっちゃう。ホー、まだです、速歩で詰め伸ばしできてからにさせてください。んー、やっぱ元気有り余ってんのかなー、昨日も休みぢゃなかったのに。
速歩で輪乗り。馬の元気は申し分ないから、脚をジタバタ余計なことする必要ない、外の手綱で回るつもりってのに集中する。
歩度詰めて折り合いついたかなって思ったら、すこーし手綱伸ばして、また詰めるのやり直し。(最初思いっきり伸ばしたら、手綱もってかれちゃったから、権威のなくならないようにコンタクトを保つ、つもり。)
うん、どうにかいうこときいてくれる感じになったから、さあ、お待ちかねの駈歩しよかぁ。
もう一度、常歩でストップ&ゴーを確かめてから、輪乗りで駈歩。駈歩の準備ぃ(外の脚ちょっと引いて)ってしただけで、ありゃ、ポンと駈歩はじめちゃった。念じただけで出るとは、いいのかわるいのか。
うん、いいねえ。乗りやすいよ、この駈歩。待ってましたとばかりに走ってくんだけど、決して暴走する感じぢゃないし。むしろ速歩よりコントロールしやすい感じさえする。速くなりかけたとこで、ジワっと拳つかえば、すぐ応えてくれるし。
詰めたり伸ばしたりの繰り返し。どーやらだいじょぶそーだと思ったら、蹄跡に出て歩度伸ばしてみるよ、うん、いいぞいいぞ。
でも、どっちかっていうと、右手前のほうが、ちょっと外にふくらむし、内に傾いてる感じはするかな。(人間がヘンなことしてる可能性もあり。)内に傾いた感じがしても、真ん中にドシッとすわるようにして、馬の耳のあいだから真正面を見てればだいじょうぶ。
駈歩がコントロールできそうなことわかったら、ぢゃあ広いほうへ行ってみるか。

そしたら、また速歩で輪乗りして、あれこれやってみる。ゆずってくれたらラクにー、うん、いいぞいいぞ。
また輪乗りで駈歩してみる。こんどはツーポイントも混ぜて。うん、乗りやすい、乗りやすい。楽しい。
常歩も速歩も駈歩も、フワッフワッて、クッションがきいてて気持ちいい、この馬。
シートして、ジワっとおさえて、詰めてみる。グッと力強く前進してるのを、ジーっと受けてる感触、カンペキにできてないかも知んないけど、私としては、もう絶品!このチョコ!と言いたくなる。
関係ないけど、歩度詰めてグッと力のたまってるのに乗ってる感じって、鉄棒の蹴上がりとかのイメージを思い出しちゃうんだよね、なぜか。ホント関連性ないけど、私の体育にまつわる記憶。
ところで、チョコレート、なぜか「ホー」って掛け声への反応が、いいよ 手綱で止めようとするより、声掛けたほうが一発で止まる・スローダウンする、駈歩でも速歩でも。
そんなこんなで、何度か、いろいろとやりとりして、本日の練習、終了。
障害は、置いてあんの勝手に飛んでみようかとも思ったんだけど、飛んだら、止められなくなるかもしんないんで、やめとく

手入れし終わったら、リンゴ。よろこんでバクバク食う。イタリアより、日本のリンゴ、うまいだろ?



※おまけ

↑「写真撮んないでください、熊みたいですから! 毛ぇ刈ってからでお願いします」
と言われてた、昨日のミニコマ。
(だからぁ、誰も野生の熊なんて見たことないのに、なぜいつも熊が引き合いに出されるかな?)

↑刈られちゃった、きょうのミニコマ。
“クマ”みたいだよ? 
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碁娘伝

2011-11-27 19:30:43 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2001年 潮出版社
きのうから、碁つながり。
諸星大二郎のマンガのなかでも、好きな一編。
唐の時代を舞台に、「碁を打つ美貌の女殺し屋」が主人公という、異色の活劇。
「絶世の美女で碁が強く 剣も使う だが 何のために碁にかこつけて 人を殺すのか …謎の女だ」ってことで。
画といい、ストーリーといい、諸星らしいドロドロしたとこがなくて、痛快活劇にできあがってるのが、それはそれでまたよろしい。
第1話「碁娘伝」では、城外の荒れ屋敷に出る、碁を打つ女の妖怪として登場。
第2話「碁娘後伝」では、廓の遊女に扮して、少尹の李平羅や、知府の劉栄興と対決する。
第3話「碁娘翅鳥剣」では、「一目差の李棗中」こと李核と碁で対決、ごろつきたちを退治する。
第4話「棋盤山」では、第2話・第3話に出てきた呉徹壮令と剣で勝負する。
どうでもいいけど、第1話が1985年、第2話が8年後の1993年、第3話が7年後の2000年、第4話が2001年と、諸星にしてはありがちなことかもしれないけど、間が空いている。
続編を望みたいんだけど、ムリかなぁ。
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戦いはこれからだ

2011-11-26 18:35:16 | 読んだ本
藤沢秀行・米長邦雄 平成11年 祥伝社文庫版
前回のつづき。
というのは、先崎八段のエッセイのなかで、藤沢名誉棋聖の訃報について書かれてる一節(平成9年5月)があったんで、何かなかったかなと本棚から探し出したもの。
この文庫は、藤沢秀行名誉棋聖(囲碁)と米長邦雄永世棋聖(将棋)の対談。まえがきによれば、二日二晩にわたって語り合ったもの。副題は「人間的魅力の研究」。
(もとの単行本は平成9年3月「勝負の極北」として出版された。)
同じまえがきで、米長は「私は読者の代表としてさまざまな質問を発してみました。神さまが、藤沢秀行の何をよしとしているのか、少しでも引き出すことに成功していれば幸いです。」
神さまが云々というのは、藤沢秀行の周囲には人が集まってくるんだけど、聖人君子かというと違う、「飲んでは禁句を連呼し、博打を打っては大借金を作る。そのうえ、幾人もの女性と親しく付き合って、子どもが七人。一般的な常識からみれば、やりたい放題の人生です。それでいて、碁石を持てば天下一品、六〇を超えてタイトルを手にし、二度のガンにも負けない」ということから、「これはもう『神さまに好かれている』としか思えません」と米長が評していることから始まっている。
ちなみに、先ちゃんのほうは、「藤沢名誉棋聖というのは、私より上の世代の棋士―すべての碁打ちと将棋指し―にとってカリスマ的存在だった。無頼な私生活があまりにも有名で、棋士として異形であったかのように錯覚されがちだが、その実、棋士としては完璧な存在だった。求道者と勝負師、棋士という人種があわせ持つややもすれば矛盾するこのふたつの要素を、最高に表現しつくした人生だったと思う。それにしても、寒空の競輪場で、いつもトボトボ歩いていたオジサンが、実は世界中の囲碁関係者から最大級にリスペクトされていた人だなんて、なんと素敵なことだろう。碁打ちは、よい先輩を持って仕合わせである。」と讃えている。
本書では、5歳のときから72歳までずっと碁を打ってきて、いまだに碁がわからない、とか言うとこがカッコいい。「碁の神さまがわかっているのが一〇〇だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい五か六か、あるいはもっと下です」とか。
でも、そのいっぽうで、四文字ことば(オの字ともいう)が連発されてたりするんで、ちょっと簡単に引用はできないですね(困) 読めばわかりやすいんだけど。
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棋士・先崎学の青春ギャンブル回想録

2011-11-24 22:46:42 | 読んだ本
先崎学 2011年11月 白夜書房
こないだの『今宵、あの頃のバーで』に引き続いて、先ちゃんのエッセイ集みたいなもの。
同時期に二冊出るのは珍しいような気がする。
ただ、この本はタイトルのとおり、ギャンブル関係のみがテーマとなっている。
三部構成で、第1章「青春ギャンブル体験記」、第2章「先崎学×中田功 あやしい対談」、第3章「酒とサイコロの休日」。
第1章は、『月刊パチスロ必勝ガイドNEO』に連載していたのを編集したもの。
主に、十代半ばからプロ棋士になるまで、打ち続けたパチスロの話。私はパチスロまったく知らないので、いまひとつ興奮が伝わってはこないんだけど。
第2章は、先ちゃんにそのパチスロを教えた、ギャンブルに関しては師匠ともいえる、コーヤンこと中田功七段との対談。
仲間内ではやったゲームをきかれて、名前が出ただけで突如盛り上がったのが、「たぬき」。
二人が口をそろえて、「知らないほうがいい、知らないほうがいいです」「あれが一番あぶないんですよ」「あれは凄い」「あれが一番授業料払った」とか、危険視するサイコロゲーム。
「たぬき」のルールについては、先ちゃんの名著『小博打のススメ』に詳しい。
簡単にいうと、サイコロ2個を同時に親が振って、子は1から6のどの目が出るか、賭ける。べつに2点張ってもかまわない。
2個のサイコロのうち、どっちかでも目が出れば、当たり。たとえば、1に賭けて、1と2が出ても、1と6が出ても、1は当たり。その場合の配当は、3倍(10円賭けたら、20円をもらえて、元とあわせて30円になるの意)。ちなみに、ゾロ目がでたら、6倍。
ただし、親には「総取り」の目というのがあって、それは親が自分で指定する。「1・5」とか「2・3」とか何でもいい。総取りが出る確率は、36分の2だから、18分の1。
18回に1回は親がかっぱげるという利権があることで、バクチとしての押し引きが出てくるわけで。
ちなみに、サイコロを3個でやるのが「きつね」、1個でやるのが「ちょぼいち」。
で、これらのサイコロゲームは、帯や目次で「オカルトの怖さ」と紹介されている。
なにがオカルトかっていうと、目の出る確率は本来いつだって6分の1なんだけど、やっぱ実際にやってみると、よく出る目、ほとんど出ない目というのは存在するもんである。そうなると、子は、理屈では6分の1と知ってはいても、出続ける目に賭けるとか、ずっと出てない目に賭けるとか、そういう狙いをもつことになる。いっぽうで、親は、自分の総取りの目を出すべく、確率なんか相手にしないで、「念を入れ」て振る、当然。当人たちの気合いとサイコロは無関係なはずだけど、それでも意志が通じるような気がするとこが、楽しさであり、ちょっとオカルト。
さて、第3章は、まいどおなじみ文春連載のエッセイ『浮いたり沈んだり』の2007年以降のなかから、主にギャンブル関係を題材にしている23編を収録したもの。
あいかわらず、ここで紹介される、棋士の変人ぶりがおもしろい。
たとえば、確率に関する問題を前に複雑な理論を議論していると、そこへ前述のコーヤンこと中田功七段が言うには、
「もー分んなあい。なんでふたりともそう、理屈をこねるの。サイコロなんて、気合何だよ。気合。(略)
念じて振るのと、そうでないのでは、出目に違いがあるんだよ。ちゃんと、研究の結果も出ている。だいたい、小学校の教科書に載っていたもん。(略)
信用してないな。それなら、今からサイコロで勝負だ。俺は念じて振るから、ふたりはそっぽ向いて振る。それでいいんでしょ。そういうことだよね」

だそうです。勝負師だなあ。
それとか、ジャンケン。
若い頃から、食事したときとか割り勘を嫌って、ジャンケンをしたそうだが(私の周辺も結構そういう場合ジャンケンする)、強かったのはM九段だそうで。(森内?)
このヒトは勝負事には何でも一家言あるタイプで、ジャンケンに対する造詣も深かった。「大金がかかると人間はグーを出しにくい」「あいこの後にその人の実力が出る」などというM語録は我々をしてふーむと唸らせるものだった。ちなみに前者の根拠は、グーを出してパーでつつみ込まれる感じが、プレッシャーのかかった人間には圧迫感を与えるため、なんだそうである。
ちなみに、この話のマクラになっているのが、先ちゃんが新聞で読んだ「ジャンケンで勝つ方法」という記事。
大学教授が学生に一万回以上ジャンケンをさせて統計を取った結果の分析。
一番多いのはグー、ついでパー、チョキの順。だから、ジャンケンはパーを出すべし。
続きがあって、あいこの場合どうするか。あいこの後で同じ手を出した回数は22.8%にとどまって、これは単純平均の33.3%を大きく下回るので、人間は前回とは違う手を出すという傾向がある。だから、あいこの後は、さっきの手に負けるもの(グーであいこだったらチョキ=相手がパーなら勝ち・チョキならあいこ)を出すべし。
しかし、先ちゃんは、「最初はグー」というジャンケンの仕方が対象になっていないことに不満をもつ。
「最初はグー」で始めたら、次に違う手を出したがるのが人間のクセならば、初手はグーが一番多いという統計は役立たないので、「パー必勝法」は成り立たなくなる。ひょっとして「最初はグー」というのは、ジャンケンを公平にするために、いいルールではないかと考察している。うーん。
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