many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

幽霊

2015-02-26 22:33:27 | 読んだ本
北杜夫 昭和40年 新潮文庫版
前回から、ゴーストつながり。(冗談)
少しずつ読み返すことにした、北杜夫の、小説。持ってるのは昭和56年の29刷。
サブタイトルは、「―或る幼年と青春の物語―」で、高校生(旧制)になった青年が、幼年期や少年期をふりかえった態。
とくに何かすごいストーリーというわけでもないが。
医者の家の大家族の生活とか。
ちょっとドジなヘンな叔父さんとか。
昆虫、特に蝶に惹かれて、追いかけた少年期とか。
生のとなりにすぐある死に気づかさせれるとか。
ときどき自分の身体や思考が自分のものか信じられなくなるような感覚とか。
なんか、そういうのがいっぱいで、北杜夫の小説にその後も出てくるようなものがギュッとつまってるような感じがした、実にひさしぶりに読み返してみて。
で、昔読んだときは、きっと意識してなかったと思うんだけど、なんか淡々とした周囲の風景の描写みたいなものが、とてもいいなあと今回思った。
>実際、滝壺のあたりはこまかい飛沫がたちこめて白く霞み、風にのってつめたい微粒子が僕たちの立っている箇所へ吹きつけられてくるのだった。足元の岩からにぶい地ひびきが伝わってきた。あたりの植物はすっかり濡れしょぼれ、こまかい葉をぶるぶるとそよがせた。すると、その濡れた緑がそこから溶けだして、白く霞んでいる滝壺のほうへ流れだしてゆくように見えた。
とか、
>あたりには落葉松の幹がすなおにのび、あたらしく伐採された切株から木屑の匂いがながれてきた。こまかい針葉のあいだをくぐりぬけてきた青みがかった光のなかを、ちらちらと忙しくセセリチョウのたぐいが飛んでいた。あたかもその微細な濃褐色の翅はその濾された陽光をうけるために存在し、また陽光もこの地味な鱗粉にたわむれるためにふりそそいでいるように思われた。
とか、
>ちょうど梅雨の季節であった。たれさがった灰色の空の一隅がちょっぴり切れて、さわやかな水色がのぞきさえすればもう初夏がくるのに、それでもどうしても雲がひらかないという、あの抑制されたおもくるしい季節のひと日であった。
なんていう、そういうの。
リズムもよくて、うまいなあと思う。



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攻殻機動隊ARISE

2015-02-24 21:43:41 | マンガ
サブタイトルは「~眠らない眼の男 Sleepless Eye~」 脚本・藤咲淳一 漫画・大山タクミ 2013年講談社・ヤンマガKCDX
ついこないだ買って、ごく最近、っていうかホントのこというと今日、読んだマンガ。
まったく、いいトシして通勤電車のなかでマンガ読むこたぁないだろと思うんだが、そのくらいのときしか本読む時間がとれないんだから仕方ない。
で、だ、んーと、攻殻機動隊については、「GHOST IN THE SHELL」のDVDと、コミックを一冊持ってて、テレビアニメシリーズをふたつ(26話ずつ。某CSでやってたのを録画して)観たんだけど。
特に、まあ、好きになったわけぢゃないけど、なんか気になる、って感じの作品である。
んで、去年の秋ごろだったかな、某CSで、この攻殻機動隊ARISEってやつの、3作を一挙にやってたんで、録画して。
この正月ころだったかな、その4作目ってのをやってたのを、また録画して。
その4作、border:1からborder:4までを、最近になって、あまり間を空けずに、通して観たのさ。
でも、全然わかんなくて。
“公安9課”が、できる前の話なんだよな、続編ぢゃなくて、時間的にはさかのぼってることになる、そこからして意外。
こりゃマンガ読むしかないな、という結論に達して、これを読むことにしたんだけど。
読んでみたら、観たそのアニメと、また違ってて、余計わけわかんなくなっちゃった。
しかたないんで、今日の帰りに、第2巻を買う破目になってしまった。んー、なんだか、嫌な予感がするぞ。(その続編もあるらしく、ハマってく感がしないでもない。)
サブタイトルにある“眠らない眼の男”ってのは、たぶん、バトーのことを指してるんだと思う。本編の主人公はバトーだな、たぶん。
(ちなみに、草薙素子“少佐”は、ルックス(“ギタイ”ってやつ?)が以前観たアニメシリーズと異なってて、それにまた戸惑いを感じさせられた。困ったもんである。)
このバトーってキャラが、非常に特異なカッコをしてて(眼が変わってんだ)、これはマンガ史上に残る異彩だと思うんだけど、そこがまあ私の気になる部分のひとつであるので、ついつい読んでみたくなっちゃってる要因ではある。
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後に控えてる人がいる場合は、ちょっとだけ丁寧に乗る

2015-02-23 19:54:05 | 馬が好き
乗馬にいく。
気温が上がるという予報をみて、ここんとこずっと履いてたコーデュロイぢゃなくて、ふつうのキュロットにする。
たしかに、馬装しはじめたときには、十分あったかかったので、シャツの袖まくって乗る。もう、春だねえ。
(昼のラジオで、横浜、小田原は20度って言ってた。)
きょうの馬は、マイネルミレニアム。

なんかむずかしい印象がある。むずかしいことするのはよして、サラサラと乗ろう。
でも、乗るときに、前に見せたことのある、妙にヘソ曲げるような態度がなかったんで、安心する。
馬場に入ったら、ウォーミングアップ。
前に出ること確かめたら、あとは頭頚の伸展のマネゴトにいそしむ。
なんか妙にガツガツガツンと口が反抗するときあるんで、それをこの時点でとっておきたい。
拳つかってコンタクト求める、馬がこっちにきたら、手綱をゆるめる。馬のクビが前のほうに下がってく。
このとき、馬の歩様がノッシノッシと伸びてけば正解なんだろうけど、なかなか完璧にはできない。
口の抵抗を感じるときは、最近ついぞ使わない、指先ウニウニ動かすことも、今日はやっちゃう。
そうして、こっちにこさせたら、とにかく、ゆずったらかえす、ゆずったらかえすを心掛ける。
いうこときいたらラクにしてやる、力入れずにコンタクトを保てたらホメる、いまのうちに約束事をつくっておきたい。
ハミうけを求めて、応じるような姿勢をみせてくれたら、それでもう今日の練習は(始まる前に)たいがい終わりである。
それぢゃ、部班やりますか。6頭の先頭に立たされる。
軽速歩中心で蹄跡をグルグル。前に出ることを妨げないようにする。前に出たらホメる。隅角では少し奥まで押し込んでみる、キッチリ回れたらホメる。とにかく序盤戦のうちに、ホメる。
斜めに手前を替えて、斜線上歩度を伸ばす。直前の短蹄跡で少し詰めたようにして、踏み込んでるのをウケてるイメージをつくってから、斜線に入ったらたまってた力をリリースするような感じで。
正反撞での歩度の詰め伸ばしもする。けっこう反撞が大きくて、たいへんなんだあ、この馬。
だいぶ反応がいい。伸ばすときもスッと前に出るし、詰めようとしたときにもバトルになる感じはない。
「雰囲気はいいので、もうちょっとだけ馬を丸くするように。手綱がまだ長い。」と言われる。うーん、短く持ってギュッギュッとやるとあやしくなると思ってユルユルとやってたんだけどなあ。
輪乗り。内方姿勢に気をつける。そういえば最近、以前読んでたテキストをまた読み返している。馬の肩と人の肩、馬の腰と人の腰が平行になるように。って、自分の身体ながら、どこがどっち向いてるのか、ようわからん。
駈歩発進、かるーく出る。歩度を伸ばすと、とてもいい駈歩をする、踏み込んでる感があっていい。でもスピードあげたときに、ただ手を放してっちゃうだけだと、馬が伸びちゃうので気をつける。
だいたい、マイネルミレニアムは、いつも思うんだけど、速歩より駈歩のほうが乗りやすい。このくらい前に出てくれたほうがハミうけがしやすいなんて思うんだが、実際は乗り手の人間のほうの安定性の問題なんだろう。
そしたら、輪乗りを詰める。歩度を詰めるけど、ただ遅くならないように、上に弾んでくるようなイメージを目指して、脚使って走らせる。
だいぶ半径小さくなったけど、「もっと詰められる」と言われて、ひえー、前の馬の内に入ったら蹴られそうでやだなー、とか思って、やっぱ遠慮しちゃう。
輪乗りを開くときは、すこし歩度を伸ばしてくんだが、反応がいまいちのときに、自分の身体をゆすりそうになって反省する。ジーッと座って、脚。
左右の手前で輪乗りを繰り返したら、しばらく蹄跡上を駈歩、歩度を詰め伸ばしして。速歩にして、速歩から停止。停止から常歩、常歩から駈歩。いかなるギアチェンジにも反応すること確かめたとこで、練習おしまい。

きょうは人数が多くて、次に乗る人もいるんで、交代。このくらい動く状態なら、ひとにわたすとしても、まずまず上出来なのではと自分では思う。
ほかのひとが乗ってるのを見るのも、けっこう参考になる。
マイネルミレニアムは、こんどは列の最後方。しばらくは、淡々と周回してたんだけど、そのうちときどきアタマをブンブン振ったりしてる。ああなってしまうと、ちょっと乗りにくい。
同じく下で見てる人から、さっきまで、私が乗ってたときは、あれやってなかったでしょ、と言われる。
「いや、やってましたよ」と、シレッと答えるが、内心は得意満面である。あそこまではいかないけど小さな抵抗は常にあったのを、なんとか見えないように関係性をつくってたつもりなんで。
練習おわったら、気温も高かったせいか、馬もけっこう汗かいてたんで、洗う。
手入れのあとにリンゴやったら、なんか疑わしそうにちょっとずつ齧りながら食う。ニンジンのほうが好きらしい。
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ペンギン村に陽は落ちて

2015-02-20 20:57:10 | 読んだ本
高橋源一郎 1989年 集英社
高橋源一郎のつづき。
帯には長編小説ってあるけど、連作というか、短編がつらなっているような形をしているもの。
ひさしぶりに読み返してみたけど、はじめて読んだときと同様(正確にはそのとき感じたことは忘れてるんだけど)、ようわからん。
序に一日中テレビをみてた父子の話があって、あとは、ニコチャン大王とか則巻千兵衛博士とか、サザエさんとか、ウルトラ一族のみなさんとかゼットンとか、キン肉マンとかキン肉大王とか、のび太とかドラえもんが出てきて、バタバタしてるだけ。
その登場キャラのどれもが、ちょっと壊れている状態なのが、怖いといえば怖いけど。
なんだかなー、『優雅で感傷的な日本野球』くらいのときは、わかったような気になってたんだけど、これはわからない。
ポップって言っちゃえば勝ち、みたいな評価はあまり正しい態度とはいえないと思うし。
でも、なかでは「いつか同時代カンガルーになる日まで」は面白いと思う。
「ガラスの仮面」のスタイルを借りて、月影先生が北島マヤにむちゃくちゃを命ずるんだけど。
たとえば、人物ぢゃなくて、マッチ(マッチの軸とかマッチの炎)の役を演じろと言い、
>「マヤ。それではガスの炎です」
とか
>「マヤ。まだ駄目ですね。わたしには百円ライターの炎にしか見えませんよ」
とかって厳しく指導するんだが、そういうところがおもしろい。
で、ある日、カンガルーの役を命ずるんだけど、これがむずかしいんだという。
コンテンツは以下のとおり。
「序文」
「ペンギン村に陽は落ちて―前編」
「愛と悲しみのサザエさん」
「いつか同時代カンガルーになる日まで」
「キン肉マン対ケンシロウ」
「連続テレビ小説ドラえもん」
「ペンギン村に陽は落ちて―後編」
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競馬探偵の憂鬱な月曜日

2015-02-18 20:41:10 | 読んだ本
橋源一郎 1991年 ミデアム出版社
こないだの競馬のはなしのつづき。
作家・高橋源一郎氏が、サンケイスポーツの土日の競馬欄に連載してる(たぶん今もある)コラム『こんなにはずれちゃダメかしら』の単行本。
収録されてるのは、1988年11月19日(土)から1990年末までの、2カ年とちょっとぶん。
当時の私はリアルタイムで読んでたと思うし、けっこう好きだったんで、書籍化されると聞いて即買ったんぢゃないかと思う。
競馬の予想コラムのなにがおもしろいかって言われても困るんだが、本書のなかにおいても著者自身が、
>(略)なぜわざわざ他人の予想なんかを読むんだろう。そんなもの読まずに、さっさと馬券を買えばいいじゃないか。
>もちろん、馬券を買う参考にする時もあるだろう。だが、それだけではあるまい。競馬について、こいつはどんな考えを持ってるのか。顔さえ見たことのないファン同士が、新聞の予想を通じて競馬のおしゃべりをする。それが競馬の予想だと思う。
と書いている一節があり、まあ、そういうことなんである。
このテの本において、私にとっていちばん面白かったのは、大橋巨泉氏の『競馬解体新書』なんだけど、巨泉氏は評論家的スタンスが多かったのに比べて、本書はファン的要素が多くて、そういう色合いのなかで面白いことにかけては白眉だと思う。
(※どうでもいいけど、急に思い出したこと。競馬評論活動から退いた大橋巨泉氏が、ミホノブルボンのダービーだか菊花賞だかのときに、フジテレビの競馬中継に一日だけ復帰した。
そのときに、テレビ局側が、ミホノブルボンの生産牧場はそれほど大きくなくて、種付料の高いのは避けて、ダンディルートの代わりに同系のシャレーで繁殖牝馬をつくり、そこにミルジョージの代わりに同系のマグニテュードをつけて作ったのが、ミホノブルボンだと、理論の正しさと情熱と手段の賢明さをアピールするかのように紹介したんだけど、巨泉氏はひとこと「偶然でしょう」と言い切った。
あれはかっこよかった。)
こういうのを書かせると、世の中には、たいがい、寺山修二のマネというか亜流にすぎないのが多いんだけど、これはかなり独自のおもしろさだと私は思う。
>哲学的な顔つきをしている「マウント」ニゾンの単。(略)相手は、何を考えているかさっぱりわからないメグロアサヒと、考える方はすっかり岡部にまかせているスルーオダイナ。(略)
なんて文章を読むと、いまだに吹き出してしまいそうになる。(最後の部分が特におかしい。)
競馬ファンの視点による、独自の競馬観と言っていい、いろんな理論は実に楽しい。
>あと一歩でオープンという連中である。オープンと準オープンの壁は高く厚い。(略)
>オープンへいくかと思われたダイワゲーブルもどうやらこの「準オープン友の会」入りしたらしい。「友の会」の特徴は毎回勝ち馬が変わる点である。となれば「友の会」会長候補ハーディゴッドの勝つ番か。(略)
なんて書いて(注:現在の勝ったら原則必ず昇級する競走条件制度のなかでは、このような現象は無くなってしまった。)おいて、翌週のコラムで、なぜハーディゴッドの勝つ番なのかという質問に、
>オープンへあと一歩足りない準オープン馬たちは勝ったり負けたりを繰り返しながら、トータルではプラスマイナス0になってしまう。これをぼくは「準オープン馬の成績のエントロピー的死滅理論」と呼んでいるのだが、べつに難しいことはなんにもなくて、前走の「裏切り指数」が大きい馬が今度は走るという単純な理屈なんです。ちなみに「裏切り指数」というのは着順から人気を引いたものです。
だなんて明かしている。秀逸な理論だ。
全編、いま読んでも、とてもおもしろい。
これは、もしかしたら、競馬自体が当時のほうがおもしろかったのかもしれない、という危険な結論もはらんでると推測してしまう。
だって、1989年1月20日のニューイヤーステークスの予想で、「だいたい、この辺の連中は、頼りになりそうでならないやつばっかりだからなあ。」なんて書いてるんだけど、その出馬表が、
1 ダイナフランカー53蛯名正
2 ダイナアルテミス54安田富
3 リンドホシ55的場
4 アドバンスモア54増沢
5 シノクロス54郷原
6 オンワードミズーリ54蛯沢
7 ケープポイント53柏崎
8 オラクルアスカ55岡部
9 アイビートウコウ55中舘
と来たもんだ。そうそう!あるある!って言いたくなっちゃうメンバー構成だ。
アドバンスモアとケープポイントとアイビートウコウあたりが一緒に出てると、今回はどれが一番前に来るんだ、って迷っちゃうし、考えてもわからない。
いまこういうの少ないような気がする。
それはそうと、当時の連載時点からそうだったんだけど、著者の予想より、「ワイフ」の予想のほうが脚光を浴びてたのも、このコラムの大きな一つの特徴だった。
ホクトヘリオスが死ぬほど好きで、競馬場に行くときは枠の色の服でビシッと決めて、「アイノマーチの場合、パドックで目がクリッとしてる時は走る」だなんて独特の相馬眼をしている、「ワイフ」の説はいつもいろんな人に支持されてたと思う。
まあ、いろいろ笑える話がいっぱいではありますが、1990年の有馬記念当日に書かれた、
>わたしは、武豊がおそらく三コーナーで一度は彼を先頭に立たせるのではないかと予想しております。その後は馬群に沈むにせよ、その瞬間は『オグリ!』と叫びたいと思っています。
という、ちょっと哀愁すらただよう、せつなげな一節は、競馬について書かれたあらゆる文章のなかで、私のもっとも好きなもののひとつではあります。
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