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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

カラダ動くんぢゃなくて動かされるように、カカト下げるんぢゃなくて下がるように

2015-11-30 19:20:26 | 馬が好き
乗馬にいく。
先週札幌ではすごい雪降ったらしいね。今日のこっちは、まあ平年並みといったところか、いつもどおりのカッコで乗るけど、手入れのとき用に薄いウインドブレーカー持ってく。

きょうの馬は、天蓬。
馬房に近づくなり、フンフンと人の身体検査をしてくるよ、乗らないとカワイイねえ。

ひところ痩せたときよりはパンとしてるけど、冬毛は刈られててスッキリして見える。
早くなりすぎないようにのんびり馬装してから馬場へ行ったんだけど、もう既にほかの3頭は常歩してる。
ほかに動きそうな馬がいるのを見て、馬装整備するふりしての巻乗りなんかして、4頭立ての3番目につける。

んぢゃ、部班スタートだけど、まずは常歩を元気よく。
脚をギュウって使わない、ポンと使って反応させる、馬動いたらいつまでも脚使い続けない。
人間が座布団の上に座ってるような状態ではいけない、動いてないといけない、でも自分でグリグリと動くんぢゃなくて、馬が活発に動いていることによって自然と動かされるように。
それでもギッタンバッコンやってると、もっと肩や腕のあいだから自分の胸やおへそが前に出ていくように、と指摘される。
腕と胴体が一緒になって固まってる、肩はやわらかく、肩や肩甲骨まわりと背骨とが別々に動かせるように。
自分からゴリゴリ動かすんぢゃなくて、馬の動きによって自分の固いところがなくなるように動かしてもらう、それで身体の芯だけしっかりとして。これ、今日、言われ続ける。
軽速歩が始まっても一緒。
上下に軽速歩とるんぢゃなく、前に動く馬について前に動いていったとこで坐る、馬のリズムを大事に。
両手の間隔が狭すぎて肩から腕が固まってるから、もうすこし広くしていい、それで胸とおへそが前に。
正反撞してるときも言われる。
フニャフニャしろというわけではない、芯をしっかりして、あと身体の各部は馬の動きによって動かされるように。
脚の力を抜いて、力入れてカカトを下げるんぢゃなく、力ぬいて脚の重みでアブミを踏む。
やがて輪乗りで駈歩へ。
ああ、ダメだ、なかば号令で発進してくれたからラクでいいけど、全然踏み込んでない。天蓬みたいにでっかい馬で、なんちゃって駈歩だと乗ってて逆につらい。
脚ドンと入れるけどイマイチ動かない。ムチ持ってるけど使わない、ムチ使うとパッツン跳ねるときがあるので、きょうは後ろの馬が近くに感じるし、使わない。
っていうか、天蓬ハネるときは、うまく乗れてないとき、人が安定してなくて、前に出ようとする馬をジャマしてると、オラぁ!って怒った感じでハネるんで、ジッと座って脚がドンと入れば反応して前に出てくれるはずなので、いたずらにムチ入れたり揺すったりしないで、それ目指す。
ああ、ダメだ、最初の右手前はまあまあだったんだけど、左手前になったら、明らかに内に倒れてくる感じ。手でガチャガチャ直そうとするのはほどほどにして、とにかく前に強く出すほうを優先に考える、前に出してから内は開き手綱で外の壁にぶつけるように。
しばらくして、おしまい。
あーあ、うまく乗れなかったな。2年くらい前は、もっと気持ちよくダイナミックな駈歩できたんだけどな。

二人目のひとに乗り替わるときには、ちょっと馬が強くなってきたとこあるんで、ブレーキは手綱引っ張りっぱなしにしないで断続的に、って声かける、引っ張ってるとバトルになる。
二鞍目を見てると、勉強になる、ふーん、そうかあ、って。
終わったら、もう一度乗り替わって、帰る。帰り道で、どうかすると、バタバタってするらしいから。
こんなとこで暴れたり走り出したりしたらヤだな、なんて思うと人の緊張を察知して、かえってヤバいことになるから、リラックスしてヘラヘラ笑って話しながら帰る。後ろで何か音がしたときだけ、馬がちょっと驚いたけど、平気だよって声かけてやりすごす。
ちゃっちゃと手入れしたら、リンゴやる。喜んで食うから、好きさ天蓬。
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万引女の靴

2015-11-26 21:07:27 | 読んだ本
E・S・ガードナー/加藤衛訳 1956年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
前回から推理小説つながりで、ぽつぽつ読みかえしてるペリイ・メイスン・シリーズのひとつ。
原題「THE CASE OF THE SHOPLIFTER'S SHOE」で、そのまんま、万引きをはたらいた女の靴に、そのあと血が付いてたっていう意味のタイトル。
それが、殺人事件の現場にいたんだろって、状況証拠のひとつになるわけだが。
もともとは、デパートの食堂で食事をとろうとしていた老婦人が、尾行してた店側のひとに商品を隠し持ってるのを指摘され、万引きの容疑で捕まろうかというところから始まる。
突然の雨を避けるために、秘書のデラとそのデパートに飛び込んで、ついでに食事をしようとしてその場にいたメイスンは、品物を店外に持ち出してないかぎりは犯罪は成立していないと、婦人とその姪に助け舟をだす。
ちなみに、老婦人サラは、万引きしたなんて自覚がない、トボケてんのか病気なのか、よくわかんない。
そんな出来事のあと、その姪のヴァージニアはメイスンの事務所に相談にくる。
サラの弟であるジョージ叔父は宝石を取り扱う仕事をしているが、周期的に大酒を飲み賭博に手を出して何日も帰ってこないようなおかしな癖がある。その叔父の留守のあいだに、サラ伯母のほうが盗癖によってダイヤを盗んだりしてないか心配だという。
宝石の出どことかをめぐって、すでに少々ややこしい話なのだが、サラが道路に飛び出して自動車にひかれて意識不明という事態が起きて、さらにややこしくなる。
事故現場の近くの、くだんの宝石に関わる人物をメイスンと探偵ドレイクが訪ねていくと、そこでは殺人が行われていた。
状況証拠いっぱいで、容疑はサラにかけられるが、意識は回復したもののサラはメイスンにデパートで会ったところまでは憶えているが、その後の記憶はなんにもないという。
でも、凶器らしき拳銃を所持していただろと問われたときとかには、「それだからって、その手提げ袋が私のものだとはいえませんわ。私はあの時、意識不明でしたもの。袋が私の傍で発見された事で責任負わされるなんて、心外です」なんて、弁護士顔負けのしっかりしたこと言う。
調べるほど事件はややこしく、ドレイクいわく「まるで蠅取紙の上の猫のようにこんがらかってるよ。つまり動き廻れば廻る程、益々状態は悪化するばかりなんだな」という状況。
どうでもいいけど、そんなドレイクのことを、ドレイクの前でメイスンの質問に答えていいものか「あの方は、どういう方?」と問われたとき、メイスンは、「貯金箱みたいな男ですよ。物事は簡単に運ぶが、いったんそれを出すとなると、ぶちこわさなくちゃなりませんね」なんて評する。
さらにどうでもいいけど、上機嫌で事務所に帰ってきたメイスンの顔をみて、秘書のデラが「先生、カナリヤを丸呑みにした猫みたいな得意な顔をなさってるの、なぜ?」なんて言う、おもしろい言いようだ。
ま、そんな変わった表現ばっかに気を取られてもいられない、事件の捜査のほうは、最初メイスンは警察のホルコム巡査部長に「協力」すると言って、そのことにドレイクは驚いたりするんだけど、メイスンは「協力という言葉は大変弾力性のある言葉なんでね。人によって、その意味はまちまちなのさ」なんて煙に巻いてたりする。
だが、途中から、ホルコムのやりかたに激怒して、俄然対決姿勢を明らかにする。
これまで読みかえしてきたメイスンものは、裁判の結末までいくものがなかったような気がするけど、本作では陪審員による評決まで持ち込まれる。
もちろん、圧倒的に不利だと思われていたものの、メイスンは検察側の証拠をぜんぶひっくり返して、被告の無罪を勝ち取る。
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メソポタミア殺人事件

2015-11-25 21:19:51 | 読んだ本
クリスティ/蕗沢忠枝訳 昭和61年 新潮文庫版
あるだけ読み返してるクリスティの推理小説。
原題「MURDER IN MESOPOTAMIA」、そのまんまメソポタミアで遺跡を発掘してる調査団のなかで起きた殺人事件。
で、たまたまその地域にいたポワロが呼ばれてって、事件の解決にあたる。
そのへんにポワロがいたってことは、もしかしたら「オリエント急行」あたりとつながりがあるのかもしれないけど、私はポワロもののマニア・研究者でないので、時系列とかはよくわからない。
(べつに、同時期にポワロが南アメリカ大陸にいた、って話が存在してたとしても、そんな矛盾だとか気にしないし。)
物語の語り手は、たまたま調査団の団長に雇われることになった、看護婦さんという、わりと珍しい設定。
看護婦による世話を必要とするのは、団長の夫人で、だぐいまれなる美貌の持ち主、そのやることなすことは現地では何事につけて「采配をふるっている」と評されるような女性。
私は推理小説に鈍いので、最初は誰が殺されるんだか全然見当つかなかったんだけど、そのうち脅迫状の話とか出てきて、そんな流れで殺人が起きる。
ポワロは、例によって、些細な物的証拠なんか探そうとしないで、思索によって解決しようとする。いわく、
>ごく当初から、わたしは、この事件を解明するには、外的な痕跡や手掛りを求めるのでなしに、人間の個性と個性の衝突や、心の秘密に、より真実な手掛りを求めるべきだと感じていました。
だそうで、被害者がどんな人となりであったかとか、誰にどんな動機がありえるだろうかとかってあたりを、関係者ひとりひとりと会見していくなかで探ってく。
それで、最後には、証拠はないけど、こういうふうに考えざるをえない、って感じで推論を披露して終わる。
ちなみに、途中で、
>(略)何かがあると、わたしの職業的勘が言っています。(略)殺人は癖になる…」
だなんて余計なこと言うから、もう一件殺人が起きてしまうんだが。
まあ、結末なんかより、事件に携わった最初に関係者一同を集めて、いろいろとしゃべったり質問したりするんだが、そのことについて、
>イギリスでは、競馬のレースの前に、馬のパレードがありますな? 出走馬が、しずしずと、正面観覧席の前を、行進します。つまり全観衆が、じっくり馬を見て、判断をくだす便宜のためですね。これと同じ目的で、わたしは、あの小さい集会を開きました。つまり競馬用語を使えば、出走馬の品定めをしたわけですな
なんて例えを使うとこが妙におもしろくて印象に残ってしまった。
あと、かなりどうでもいいけど、登場人物の男性のひとりが、調査団長の夫人に関して、「雪の女王と少年カイについての北欧の童話の女王に似てる」って言い方をしたときに、ポワロは「あの物語には、少女も登場していましたね。小ちゃいゲルダって名でしたか?」なんて不思議な知識を披露する。そういうの妙に気になるんだよな、読んだことないけど。
さてさて、ディテールはともかくとしてもだ、本筋についてはすっかり内容を忘れてるのを、すごいひさしぶりに今回読み返したわけだが、特におもしろいとは思わなかった。
初めて読んだ当時の私も同じ意見だったらしく、持ってるポワロものは、ここまででおしまい、これよりほかには読み進んでない。
持ってる数冊の、読んだ正確な順番なんかはおぼえてないけど、本書あたりで、私にとってはポワロは趣味ぢゃない・どうでもいい、ってとどめを刺したんぢゃないかなって気がする。
ただ、それでも、ここんとこ、むかし一部は読んだけど、あとは読むのヤメちゃったシリーズものを、もうすこしだけ読んでみるか、ってのを読んでは並べてみたりする流れになってて、ポワロについては、あとひとつだけ、すごい有名だけど読んでないやつが、とても気にかかり出したので、それだけは読んでみる気になっている。

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七瀬ふたたび

2015-11-24 19:59:59 | 読んだ本
筒井康隆 昭和53年発行・平成14年改版 新潮文庫版
前回からは、むかし一度は読んだけど、続編読まずにヤメちゃってたものの、続きを読んでみようと思って、読んでみた、っていうつながり。
こないだ『家族八景』を実にひさしぶりに読み返したんだが。テレパスの七瀬さんが主人公の話ですね。
それが仕舞い込まれてた同じ場所に、『エディプスの恋人』があったのは、すぐ発見できたわけで。同じ七瀬シリーズの最後にあたるものですね。
七瀬シリーズってやつは、全部で三巻、真ん中にあたる本書が、私の本棚には見当たらない。よーく思い起こしてみると、読んだ記憶もない。
シリーズの1と3は、そんなに時期空けずに読んだとは思うんだが、2は読んでない。
不思議ーというか不自然ー。当時の私が、どうしてそういう行動をとったんだか、いま考えても何故だかわかんない。
で、今んなって、やっぱ気になるような気もしてきたんで、ついこないだ文庫を買って、さっそく読んでみた。
他人の心のなかが読めてしまうテレパス(精神感応能力者)である七瀬さんは、母の実家に帰る列車の旅のなかで、自分と同じ能力を持つ人物と出会ってしまう。
それどころか。
違う種類だけど、れっきとした超能力のひとつである、予知能力をもつ人物とも出会う。
それだけにとどまらず。
夜のお店で働いてるうちに、透視(クレア・ヴオヤンス)の能力者とも遭遇するし。
念動力(テレキネシス)の持ち主とも知り合う。(この念動力者は自分の意志でその力を使えず、上位自我の存在から命令されたことしかできないってとこがちょっと変わってる。)
「最終的な超能力者」と評価されている、時間旅行者(タイム・トラベラー)とも出会うことになる。
で、ふつうの人間には正体を知られないように気をつけているが、一部の超能力者同士では助け合っていこうとするんだけど。
超能力者を抹殺しようとする組織に狙われて、戦わざるをえない状況に追い込まれてく。
第一作では、人間心理のドロドロみたいなのを描いてるのが、それなりに興味もって読めたんだけど、この続編は、読み進むにつれて派手なドンパチのSFっていうイメージのほうが強くなってきちゃう。
超能力つかって何でもアリ、ってことになると、私にはちょっと荒唐無稽な感じがしてきちゃって、あまり入り込めない。なんだかなー、って思っちゃうんだよね、どうしても。
もしかすると、むかし読まなかったのも、文庫の巻末の広告の紹介に「(略)暗黒組織と血みどろの死闘を展開する!」とか書いてあんのを見て、いいや、そんな戦いモノなら読まなくても、と思ったのかもしれない。基本的に、あんまり好きぢゃないんだ、そういうの。
章立ては以下のとおり。
「邂逅」(「七瀬ふたたび」改題)
「邪悪の視線」
「七瀬 時をのぼる」
「ヘニーデ姫」
「七瀬 森を走る」
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青狼の拳

2015-11-19 21:00:44 | 読んだ本
夢枕獏 1989年 双葉文庫版
サブタイトルに「餓狼伝・秘篇」となっているように、餓狼伝シリーズの外伝。
もともとは昭和62年に出版されたものらしいが、私はことし9月ころに文庫買って初めて読んだ。
餓狼伝を読みかえしてて、―いや、寝る前に読もうとしたりすると、何故かすぐ眠れるんだよね、このシリーズは。ちっとも前に進まないで、寝ちゃう―、なんかとても気になったので。
シリーズの途中で、梅川丈次って、ブラジリアン柔術をマスターした格闘家と、土方元って、日本刀の危ない使い手が、あたりまえのように出てくるんだけど、それは本書で登場した人物で、本書読んでないと話がすんなりと見えない。
(昔のジャンプなんかでもあった気がしてきた、月刊の連載のキャラが週刊のほうに出てきちゃう展開。『キャプテン』を読んでないと『プレイボール』にいきなり来られてもイメージわかないとか。)
餓狼伝の冒頭には、主人公・丹波文七の描写として、「背の傷は 右肩から左脇へ向けて 斜め一文字に走っていた」ってとこ(このテキストは谷口ジロー版のマンガのもの)があるんだけど、この傷がどうしてできたのかは、本書に書いてある。
時系列的には、丹波文七がプロレスの道場破りに行って梶原に負けたあとのこと、リベンジ期すために、サンボなんかを学ぼうとしているという設定。
餓狼伝の始まりは、そうやって関節技とかを身につけた後に、竹宮流の泉宗一郎に挑むとこだから、物語の流れとしては意外と行きつ戻りつしてるってことになる。
読んでみたら、丹波と梅川の関係はよくわかったけど、おもしろいかというと、まあ寝る前に読むのにちょうどいいという感じではある。
きのうのスペンサーシリーズからは、以前読んだものの補完を始めたというつながりなんだが、こっちは本編がいつ完結すんのかねえ、そのほうが気がかりだったりする。
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