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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

漢字語源の筋ちがい

2024-10-30 19:08:37 | 読んだ本
高島俊男 2006年 文春文庫
これはことし6月ころに買い求めた古本の文庫、「お言葉ですが…(7)」ということで、前に読んだ『イチレツランパン破裂して』につづくもの、「週刊文春」で2001年から2002年ころが初出だそうで。
こないだ読んだ『日米開戦・破局への道』のなかで、牧野伸顕の話題になったとき「お互い忙しい時には一々伸顕(のぶあき)なんて言いません。「しんけん」で通ります。逆にそういうふうに通るということは大物になったということです。」なんて言ってるとこあったんだけど。
本書には、そういう名前のことを5回連続でとりあげたシリーズがある、徳川慶喜のなまえは「ケイキ」と呼んで間違いではないってとこから始まる。
>つまり「徳川慶喜(けいき)」というのは、この人のことを言う時の最も一般的な呼称なのだ。それに「徳川ヨシノブ」とむきつけに名を言うより、「徳川慶喜(けいき)」と音で呼ぶほうが、敬意をこめた呼びかたである。
>森銑三先生が若いころ、山田孝雄博士から、「人の名前を音読するのは、寧ろ敬意を表することになるので、定家をテイカと音読するのはいい。定家自身は、私はサダイヘです、といふのが当然で、私はテイカですとはいはない」と教えられたことを書きとめていらっしゃる(略)(p.229)
ということで、大物になると音読されるのはあたりまえってことらしい。
>日本人の名前は種々ある。うち慶喜、あるいは家康、吉宗のようなのを「実名(じつみょう)」と言い、また「名乗(なのり)」とも言う(略)
>実名は、公家、武家の男子が元服する時につける名である。嘉祥の文字二字より成る。(略)そしてそれを訓でよむ。(略)
>この「訓でよむ」というのが大事な原則である。そして、そのよみかたはどうであってもよい。(略)リクツはどうともつくから、実際のところ、一つの字をいろんなふうによむ。(p.230-231)
っていうことで、慶喜と書いて、ヨシノブと読もうがノブヨシと読もうがかまわないらしい。
>人が生前に、他人から実名で呼ばれることはまずない。というのは、実名というのは非常にだいじなものであるから、人はそれを尊重して、めったに口にせぬようにしなければならぬのである(略)
>誰も呼ばないのなら実名というのはいつ誰が使うのかというと、当人が公文書に署名する際にもちいるのである。つまり実名というのは、事実上、書くための名前である。だから、文字は絶対にまちがいは許されない。(略)そのかわり、それをどうよむのかは当人と親族くらいしか知らないということがしばしばある。(p.231-232)
ということらしい、実名の読み方ってのはわからないことが多いし、わかってても気安く呼んぢゃったりすんのは失礼なことだと。
音読みするのは、そのひとのこと直接さしてるんぢゃなくて、名前の文字をさして言ってる、間接的にいってるとこに敬意があるってことなんだろう。
さてさて、タイトルの「漢字語源の筋ちがい」ってのは何のことかっていうと、ある言葉について民間でいわれる語源ってのはあてずっぽうなものがあって、日本ではそれが漢字がらみでそうなることが多いって話。
たとえば、十二月のことを師走っていうのは、師である先生とか僧侶とかが忙しくて走る・馳せるって説明をつけることが多いんだけど、これって平安時代の書物にもあって千年くらい前から言われてるらしいが、ぢゃあ一年のおわりの月を「しはす」と呼ぶのはいつからかというと、それより何百年も前からのことで、なんでそう言うのかは古すぎてホントのことはわからないんだという。
おなじように十月のことを「神無月」というのは、神さまが出雲に集合しちゃっていなくなるからだっていうけど、「かみな月」の意味がわからなくなって「神無」って字をあとからあてたんだってことらしい、とかく漢字つかってあると字面に引っ張られて適当な解釈しちゃうのはアヤシイもんだと。
コンテンツは以下のとおり。
ウマイとオイシイ
 メル友、買春、茶髪
 ウマイとオイシイ
 女の涙
 鳥たち虫たち
 黒き葡萄に雨ふりそそぐ
 人はいつから人になるか
 孔子さまの引越
漢字語源の筋ちがい
 洗濯談義
 潔癖談
 吾妹子歌人
 ますらたけをの笠ふきはなつ
 漢字語源の筋ちがい
 看護婦さんが消える
 若鷲の謎
ドンマ乗りとカンカンけり
 紙芝居とアイスキャンデー
 だれが小学校へ行ったのか
 むかしの日本の暦
 ドンマ乗りとカンカンけり
 母の家計簿
 「スッキリ県」と「チグハグ県」
 片頬三年
訳がワケとはワケがわからぬ
 ミー・ティエン・コンの問題
 香港はホンコンか
 むくの人々?
 訳がワケとはワケがわからぬ
 連絡待ってますよ
 王様の家来
お客さまは神さまです
 前に聳え後に支ふ
 どうした金田一老人
 お客さまは神さまです
 だいぶまちがいがありました
 勉強しまっせ
 忠と孝とをその門で
ヒロシとは俺のことかと菊池寛
 慶喜(けいき)と慶喜(よしのぶ)
 ジュードーでごわす
 ヒロシとは俺のことかと菊池寛
 カメは萬年、ウエダも萬年
 おーい、源蔵さん
 主税がなんでチカラなんだ
 マルちゃんレーちゃん
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 臼挽歌
 アサガヤアタリデ大ザケノンダ
 人が生きてりゃ
 「イェイゴ」の話
 「円」はなぜ YEN なのか
 開元通宝と開通元宝
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日米開戦・破局への道

2024-10-23 19:19:49 | 読んだ本
黒羽清隆著・池ヶ谷真仁編 2002年 明石書店
タイトルはほんとはあたまに「黒羽清隆 日本史料購読」とついて、うしろにサブタイトル「『木戸幸一日記』(一九四〇年秋)を読む」とつく。
これ、たしか去年の10月ころに買い求めた古本で、ありがちなんだけど手に入れて安心して放っておいた、読んだの最近。
もとはといえば、丸谷才一さんが何かでほめてて、それで読んでみたくて探してたんだけど、例によってというか。
いまあらためて引き合いだすと、『絵具屋の女房』のなかの「先生の話術」という一篇のなかで、
>ところがこの人の講義がすばらしい。このあひだ、静岡大学での講義の録音を起した本(『日米開戦・破局への道』明石書店)が出て、何となく手に取つたら、じつにおもしろくて、やめられない。眠気が覚めること請合ひの語り口で、なるほど、この先生は人気があつたらうなと思ひました。(『絵具屋の女房』p.184)
と紹介して、多く引用して解説してる。しかし、私がそこんとこ読んで書名メモしといたの2018年で、いまごろやっと読んだんだから気が長いというか、意欲旺盛ではないというか。
なかみは、1982年度の静岡大学の二年生対象の日本史史料購読という講義(二単位)の記録で、日本史ってむずかしそうだし特に近現代史っておもしろくなさそうだしってのが私が読むの後回しにしてた理由なんだけど。
本文読んでみたら、ほんと講義のしゃべりそのままなんで、とてもおもしろくスラスラ読み進めた、テープで録音したのを忠実に再現してあるんで、場合によっては繰り返しのとことかもっと短く編集してくれてもいいのにって思うくらい、講師が語る調子そのものである。(だから丸谷さんがそう言ってたのに、私はそんなこと忘れて書名だけ憶えてた。)
ただ単に史料をダラダラ読んでくだけぢゃないからね、ひとつのことから、関連する人物とか経緯とかどんどん話がひろがっていく、話跳んださきからまた話飛んだりして本線帰ってくるまで時間かかったりして、だから一回100分の授業で日記1日分しか解説できなかったりする、おもしろいからいいんだけど。
たとえば元老・山県有朋について、東京に椿山荘っていうすごい料亭があってこれが山県有朋のお屋敷だって話をした次には、
>それから大正の末に、これも九十代まで異例のスタミナで生きた、山県有朋は長州出身で木戸幸一と同郷ですが、薩摩出身で日本銀行の生みの親で、今日の大蔵省を作り出した松方正義。この人は精力抜群でして、だいたいそんな九十いくつまで生きたということからも精力抜群ですが、あっちこっちにこの人の子供がいる。バカ話みたいですが、だいたい現代史というのはこういうバカ話を知らないと政治の話はできない。私の情報の入手源はものすごく多種多様です。(p.41)
なんて言ったりする。バカ話が重要なんだよって、私の高校の日本史の授業でも教えてくれればよかったのにな。
そして、これ脱線したのの言い訳で言ってるわけぢゃなく、確信をもってやっているのがほかのところでもわかる。
教材の史料に「牧野伯爵」って文字が出てくると、これは重要人物ですといって説明をはじめる、大久保利通の次男で外交官になって文部大臣になって、内大臣を10年の長きにわたって務めた、ってのはわりとふつうの解説だと思うんだけど。
牧野伸顕は「君側の奸(くんそくのかん)」として二・二六事件で襲撃目標に挙げられた、河野陸軍航空大尉が伊藤屋旅館襲撃の隊長だったが、居合わせた警官の対応により牧野伸顕は逃げることができた、河野大尉は負傷して憲兵隊に捕らわれていたが兄の差し入れに隠されていた果物ナイフで自殺したが、そのほかの反乱を起こした青年将校たちは死刑になった、とかなんとか言ってるうちに、
>(略)渋谷公会堂とNHK放送センターの間に一本道がある。この辺が昔陸軍の代々木宇田川町陸軍衛戍刑務所という、(略)そこの刑務所の、中庭の演習所みたいな所で青年将校を銃殺した。(略)だから一時NHKのスタジオの中に幽霊が出るという話を、私がNHKに出ていた頃聞いたことがあります。(略)その死刑場の跡へ、まさか道の真ん中に立てるわけにいかないから、ちょうど渋谷公会堂に沿った所に、かなり大きな見上げるような観音様を立てました。(略)毎年二月二六日には、この観音様の周りにはものすごい花束が、その観音様を取り囲みます。(略)
>この観音様でおもしろいのは、二月二六日に花束が集まるのは当たり前ですが、もう一つこの頃、この観音様に変な日に花束が集まる。それは三島由紀夫さんが自殺した日です。(略)その憂国忌の日にもここに花束が集まる。日本の奇妙な思想状況がこの観音様に反映されています。
>随分話が広がりましたね。これくらい話というのは広がっていく。それが歴史なのです。(p.130-132)

という話になるんだが、最後の「それが歴史なのです」ってのに、揺るぎない確信を感じるなあ。
歴史っつーのはどういうもんかってのは、同じ回の講義ですぐあとにも示されている。
木戸幸一日記には、ゴルフをしたって記載がでてくることがあって、以前はそんなゴルフの記事は飛ばして読んでたんだけど、政治家が誰とゴルフに行くかというのは重要だとして、
>中世から近世にかけて、茶の湯があんなに大名たちではやったのは、みんなお茶が好きだった、みんな利休の侘び茶の理想を理解していたというのは、少しあまちゃんな理解で、そういう人は文化史は文化史、政治史は政治史、別々に考える、存在するのは歴史です。現実に存在するのは歴史だけです。あの茶室という環境は、秘密の話をするには実に都合がいい。だから、堺から茶の師匠が多く出た。ああいうお師匠さんと織田信長、豊臣秀吉が茶室の中で会いますね。茶の話だけなどということは絶対に考えられません。(略)だからお茶を飲みながら秀吉は、今度、来年ちょっとでかい仕事をするので、種ヶ島式の小銃何千丁と、火薬の硝石や何かをこれだけ、何貫目、何日までに届けてくれということを茶室でやっている。(略)茶の湯は文化史で、長篠の合戦は政治史だなどという歴史の理解の仕方は実情に合っていない。(P.134-135)
というように、歴史とはなにかってことを説明している。
ところで、ぢゃあ、そうやってわずか数行の記事を何十分もかけて読み込んでいって、なにをわかろうとしているのかっていうと、どうして日本はアメリカとの戦争へ突入してしまったんだろうかってこと。
それは昭和15年・1940年9月27日に日独伊三国同盟を結んぢゃったからだ、ってことらしい。
それでその前日の9月26日の木戸幸一内大臣の日記を読むと、午前10時から午後10時20分まで途中休憩をはさみながら枢密院が延々と会議をしていることが記録されている。
>この一二時間続いた老人たちの会議は、それを避けうるほとんどラスト・チャンスだった。この深夜まで続いた会議が終わって、疲れきった老人たちがそれぞれ車で宮城を出た時、もうこの世界にこの危険な条約を引き返させることのできる人間は誰一人いなかった。もしいたとすれば天皇自身ですが、天皇は、枢密院本会議が全員一致で決めたことに対して拒否権を発動することは、立憲君主としての自分の立場に合わないというマキシム(規範)を二〇年間保ち続けていた。(p.102)
と講義では説明されている、こっからはもう戻れなくなったと。
ちなみに天皇については、
>昭和天皇というのは、相模湾でヒトデだけ専門の、政治のことは何も分からないただの生物学者だなどという見方が巷に、国民の意識の中にあります。これは大間違いです。ものすごい鋭い政治的センスと情報網を持って、ピシッピシッと質問します。(p.44)
というふうに言ってます。そのちょっと後のとこでは、大日本帝国が長い間やらないでいた、朝鮮に徴兵令を適用することを決めたって陸軍大臣が上奏しにきたときに、天皇は即座に、徴兵制を施いたら選挙権を与えなければならないがよいのかと言った、って話が出てくる、優秀な君主なんですと。
でも、天皇は、枢密院が可決・否決したことを、自分ひとりでひっくりかえすことはしちゃいけないって立場を忠実に守ってるんで、三国同盟は決まっちゃったと。
で、翌9月27日の木戸日記によると、午後4時20分から6時の間に近衛文麿首相が天皇に会いにきた、このとき何が話されたのかは木戸日記ではわからないが、
>この点については、近衛さんが敗戦後に、自殺する直前に書いた二つの回想録、メモアール、その他によって、天皇が近衛首相に次のようなことを話したことが明らかです。
>それは、この日独伊三国同盟は、まかり間違うと日本、大日本帝国の滅亡につながる。そういう危険性を持つ条約だと私は思う。日本の滅亡の可能性を、一九四〇年九月二七日は開く。(略)日本が滅びなければならなくなった時、(略)おまえだけは朕と運命を共にしてくれるだろうな。そういうことを言っています。(略)
>このエピソードから、われわれが何を受け取るべきかと言うと、天皇が、この前ご紹介した山本五十六連合艦隊司令長官と同質の危機感を、この三国同盟について持っていたということです。(p.170-171)

というような説明をしてくれます。
そこで山本五十六長官が出てくるんだけど、本書全般をとおしてわかるのは、当時の日本では海軍は戦いたくなかった、っていうか戦うのムリって考えっていうべきか、すでに中国大陸へ入り込んぢゃってる陸軍のほうはやるべきだってスタンスだったってこと。
山本五十六の危機感ってのは、1940年10月14日に東京新橋で西園寺公望の私設秘書的役割の原田熊雄男爵と会食したときに、次のような見通しを語ったって『西園寺公と政局』って本に書いてあると。
>「実に言語道断だ。」と山本さんはまず言う。近衛内閣が日独伊三国同盟を結んだことについて、連合艦隊司令長官が「実に言語同断だ。」(略)
>第一。対米戦争は対世界戦争に転化する危険がある。
>第二。ソ連は外交上信頼できない国家である。
>第三。連合艦隊司令長官としての山本五十六は、戦艦長門の甲板上で討ち死にする。
>第四。東京は三度丸焼けにされるだろう。非常な惨めな目に遭うだろう。
>第五。そしてそういう事態をもたらした近衛公爵は、国民の恨みを買って八つ裂きにされるだろう。(略)(p.99-101)

開戦一年前にこの見通しできてる、どうして、わかってるのに、止められないんだろう、って気がする、ほんとに。
当時の海軍省のトップは、米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長のトリオで、
>このトリオがやったことの中で一番大きな意味をもつのが、当時陸軍を中心に推進されていた日独伊三国同盟を阻止することでして、三国同盟反対論の砦がこの海軍省の三人のトップだったわけです。(略)
>(略)三国同盟が日本を誤るものだという結論については、三人の間では一度も話をしたことがないそうです。それはもう自明であって、議論の余地のないこと。(略)つまり日米戦争の危険を加速するだけの国策であるという点で、議論が無かったそうです。(略)山本さんはこういうことを次官の時に言っていたそうです。三国同盟というのは、ドイツだけが得をする同盟である。バカを見るのは日本だけで、イタリアは必ず途中で抜けるだろう。これはその通りになりました。(略)
>ヒトラーが三国同盟を非常に焦って、急いだ理由の一つに、三国同盟を結ばせた後、日本陸軍にシンガポールを攻撃してもらいたかったということが、今日ナチス関係の文献によって明らかになっています。(略)そういうドイツにとって利益のある三国同盟の使い方を考えていた。その点からも、この時の米内・山本・井上グループの判断が、認識としては正しかったことが言えるわけです。(p.320-322)

っていう説明を聞かされているうちは、まだいいんだけど、続いて、
>これに対して、表面では右翼が猛烈な反対運動を行います。三人、特に山本次官が元凶であると見なされていた。記者会見などはほとんど山本さんがやりますから、右翼が毎日のように海軍省を訪ねて来て、(略)山本次官の前で警告書とか建白書を読み上げて、(略)おまえは海軍次官を辞職すべきであるということを言ったそうです。これも戦後になって明らかになったことですが、こういう右翼の山本次官排斥運動の背後には、実は表立っては出て来ませんが、陸軍当局、陸軍の首脳部がありまして、この陸軍の方から右翼のいろいろな団体や個人に資金が流れた。
>この頃の軍隊にはたいへん膨大な機密費という、何にいくら使ったかということを議会などに報告しなくていい、極端なものになると領収書も要らないような金がある。これは内務省とか厚生省とか、いろいろな省にもありますが、特に陸海軍の機密費はすごい。(p.322)

という話を聞かされちゃうと、なんだか暗澹たる気分になるね、よくないよ機密費、現在の官房も何に使ってんだか、いったい。
で、三国同盟は結んぢゃったけど、海軍にこれだけの人たちがいれば、アメリカとは開戦しないだろうにと思うんだが、最終的には1941年11月30日に海軍が「イエス」「ゴー」を言っちゃう。
木戸日記には「六時三十五分、御召により拝謁、海軍大臣、総長に先程の件を尋ねたるに、何れも相当の確信を以て奉答せる故、予定の通り進むる様首相に伝へよとの御下命あり」と記述されている。
海軍代表として天皇に呼び出されたのは、永野修身軍令部総長、嶋田繁太郎海軍大臣、どうでもいいけど嶋田大将のあだ名が「副官」、東条陸軍大臣の副官みたいだから、ってダメだ、こりゃ。
>だからこの一一月三〇日というのが本当に最後の最後の日本の関所だ。
>つまり何を言いたいかというと、(略)この時に「だめです。」と言えばよかった。(略)海軍のトップ二人が、「だめです。」と言えば、その二人に補佐される大元帥としての自分は、明日の御前会議はもう開かせない。開けば原案は開戦の原案ですから、われわれの会議と違って御前会議で潰すことはできない。潰すということは御前会議の役割ではない。(略)だからその前に停めなければいけない。そうすると最後のチャンス、ラスト・チャンスは一一月三〇日。特に天皇と永野総長と嶋田大将との会談です。
>ではこの二人は、本当に自信があったのかと言うと、自信はなかった。山本長官がかねがね言っていた通り、一年か二年まではやれるけれども三年目からはやれない。勝ち目がない。そういう判断、山本長官の判断と同じ判断を持っていた。と言うよりも、その山本長官の判断を、何度も山本長官からしつっこいほど、この二人は言われているわけです。当の指揮官から。それなのになぜ、山本長官の進言と反対のことをこの二人は天皇に言ったかと言うと、それはそうだが、明治以来、日本海軍は毎年毎年膨大な予算をいただいて、膨大な艦隊を陛下のお力で育てていただいた。その陛下から、いよいよ海軍が主役の戦争が始まるがどうかと言われて、今更「できません」という答えは、恥ずかしくてできなかった。だから「できる」と言った。この論理構造です。意識構造です。(略)
>しかし、責任というのはそうではないでしょう。(p.309-310)

ということだそうで、国を滅ぼしちゃうような危険のあることはできません、って言うのが責任でしょと。
この論理構造、現在の日本でもいろんなとこにはびこってるような気がしてしょうがない。
本書の章立ては以下のとおり。
I 『木戸幸一日記』とは何か
II 政治的回帰不能地点としての三国同盟
III 日本近代史における牧野伸顕
IV 三国同盟調印までの抗争
V 木戸幸一の公私の人脈
VI 日中戦争の泥沼化と対中工作
VII 日本海軍と山本五十六 1
VIII 日本海軍と山本五十六 2
IX 松岡外交の目論みの破綻
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ポーの話

2024-10-16 18:39:46 | 読んだ本
いしいしんじ 平成二十年 新潮文庫版
これは、こないだ読んだ『プラネタリウムのふたご』といっしょに今年5月の古本まつりで買った文庫。
あいかわらず予備知識なしで、試してみるか的に買ったんだけど、文庫の裏表紙には「驚愕と感動に胸をゆすぶられる最高傑作」ってうたい文句があるから、なんとなく期待させられるんだが、結論としては私はあまり気に入らなかったなあ。
タイトルのポーってのは何のことかというと、主人公の名前です、ちょっと変わった男の子、っていうか途中から、これ人間ぢゃないでしょこの子、と思ってしまって、どうも人ぢゃないものの話はあんまりおもしろく感じないことが多い私は、それで困惑したってとこもある。
生まれたのは幅広い泥の川で、母は「うなぎ女」、うなぎ女ってなんだといわれても、よくわからない、泥の川でうなぎを捕るのが仕事のひとたち。
そういう生まれ育ちなので、ポーは水のなかが得意、たぶん肺呼吸はしてるんだろうが、いつまでも潜っていられる、泥の川のなかで目は見えんのかわからんがいろんなもの拾えたりする。
ときどき、この川については、人が落ちると溺死体はうなぎのえさになる、みたいな挿話があって、なんかちょっと禍々しいものあるなあって感じもするし。
ポーが出会って、陸上で仕事はたらくきっかけになった男も、見た目とちがってけっこう悪いやつだったりするし。
この作者のものは数えるほどしか読んだことないんだけど、きっとカタストロフくるんだろうなって予感はするんだが、やっぱりそれは来る。
驚いたのはそれで終わりぢゃなくて、第二部ってのが始まる、橋が多くかかった川の町の第一部から離れたとこで、廃棄物処理で穴のなかで働かされることになるポーだが、そこの経営者の女はレース鳩の飼育に熱心だったりする。
黙って物語を読んできゃいいんだろうが、これはいったい何の暗喩なんだろうか、何を意味しているんだろうかみたいに考えちゃう、考えてもわかんないんだけどね。
これもなんか悲劇的な結末くるんだろうなって予感は当然するんだけど、期待にたがわずひどいことになる。
それでもそれで終わりぢゃなくて、第三部ってのが始まる、こんどは川ぢゃなくて海まで行く、かつては魚貝がいっぱい獲れたのに、いつしか、っていうかある事故をきっかけになんだけど、水揚げがまったく減ってしまった町にポーが流れ着いて、そこに居ついての話。
町の人たちは親切でいいんだけど、ポーが海のなかで関わり合いになるのは、やっぱり人ぢゃないものみたいなんで、いったいこれは何の話なんだろうと思っちゃう。
それでも最終章は、もう出てこないだろうなと思ってた登場人物たちも律儀に顔見せしてくれて、そういう閉じ方はわるくないなあと思う、んー、ちょっと救いがある感じというか。
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ヤマトの火

2024-10-09 19:12:42 | マンガ
星野之宣 1984年 集英社ジャンプ・コミックスデラックス
これは、ついこないだ9月の古本まつりで見つけて、ちと迷ったけど買ってみたマンガ。
特に、絶対集めるとか、読んだことないものは読むとか、決めてるわけぢゃないんだけど、私にとっての星野之宣、なんか古いもの見つけると気になって買っちゃう。
お話のなかみは、父親が独自に研究してた「火の民族仮説」ってのを、運命に導かれるまま引き継ぐというか確かめようとしていく、北海道出身の青年が主人公で。
縄文時代から日本列島に住みついた、火山を信仰する民族ってのがいて、活動中の火山を求めて列島のなかを北へ南へ移動してたとしたもんだが。
その痕跡としての火焔土器は、関東から北陸にかけての中部火山帯のまっただ中でしか発見されていない、とか言って、縄文・火の民族の最古の遺物だったのではって力説する、いいですね、炎のごとく激しい情念の造形。
沖縄で火の女神を祭るのを見に行ったら、大昔からその信仰をつづけてる巫女たちってのは、もともと古代に日本本土から来たはずだってことになって。
九州の阿蘇へ行くと、折しも大噴火が始まるんだが、古代にも阿蘇の大噴火があって、このあたりに火山を信仰する火の民族が存在したのだ、って遺跡をめぐったりして。
そんで、古代阿蘇の大噴火に、このへんにあった邪馬台国と卑弥呼のほんとうの秘密が隠されてるんだ、って仮説はどんどんエスカレートしていく、楽しい。
物語のなかで、銅鐸が出てくるんだけど、実際のところ銅鐸ってのはモノは出土してるけど何に使ったかわかんないはずなんだが、火の民族が火山信仰の祭祀に使ったんだってことにして、こともあろうに、古代には高さ10メートルくらいの超巨大銅鐸が作られていたはずだ、みたいな展開になってく。
いいですねえ、神話とか伝説とか宗教とか民俗とか全部ぶちこんでつくりあげる、壮大なウソ、好きです、そういうの。
それはそうと、おはなし盛り上がってきたなあと思ってたところ、途中で終わっちゃってます、最後のページには「第1部―火の民族仮説/完」ってあるんだけど、この単行本は第1巻とかって表記されてるわけでもなし、おいおい続きはどこ行くのと思うんだが。
困ってしまって、しかたないんで頼れる資料の『総特集星野之宣』で調べてみると、年譜の1983年のところに、
>「週刊ヤングジャンプ」9月8日号より『ヤマトの火』の連載を開始するも、緻密な作画が週刊ペースにおいつけず14回で中断となる。
って、ある。なんだあ、そりゃ。
で、作者へのロングインタビューの記事のなかを探してみると、
>本来は卑弥呼を主人公にして『妖女伝説』のひとつとして描くつもりだったんです。ただ、『妖女伝説』というシリーズの中で描くにしてはテーマが大きすぎる。
と、きっかけにふれたあとで、中断については、
>『ヤマトの火』を描くまでに2年ぐらいかかってるんですよね。その間、ほとんど仕事しないで準備してたんですよ。ただ、結果的にちょっと力が入りすぎちゃって。「ヤングジャンプ」という週刊誌に連載したんですけど、最初から14回ぐらいで終わるつもりというか、そこまでしか下描きの原稿がなかったので、それをペン入れしながら連載するという状況で。それすらも最後はペン入れが追いつかなくて途中で終わっちゃってるんですけど。
と語っている。
うーん、とくにジャンプ系は壮大なもの描くのにいい環境ぢゃないかもしれないしなあ、そもそも私が星野之宣に興味もった最初の『ブルーシティー』も、時間に追われたのか途中で終わっちゃったしねえ。
で、本作のつづきを知りたかったら、1986年から1991年までかかって月刊誌に連載して、コミックス全6巻になった『ヤマタイカ』を読めということらしい。
どうすっかなあ、わざわざ探しまわるってほど入れ込んでる感じでもないし、揃いの古本でもたまたま見つけたら買っちゃうのかもしれない。
本書「第一部―火の民族仮説」の目次は以下のとおり、各話のタイトルみると、なんか雰囲気あっていいでしょ。
序章 北海道
第1章 沖縄
 仮説(1) ニライカナイ・祭(マテイ)
 仮説(2) 女神再臨
 仮説(3) 古代巫女団
 仮説(4) 火・焔・銅・鐸
 仮説(5) 阿蘇火山
第2章 火の国
 仮説(6) 超古代銅鐸・オモイカネ
 仮説(7) 邪馬台国
 仮説(8) 火山列島
 仮説(9) 起源・火の国
 仮説(10) 卑弥呼=アマミキヨ!?
 仮説(11) 火の巫女王(シャーマンキング)
 仮説(12) 阿蘇大噴火
 仮説(13) 邪馬台国滅亡
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国立博物館に特別展示を見に行った

2024-10-01 18:55:00 | Weblog
先週のある日のことなんだけど、東京国立博物館で『JRA70周年特別展示「世界一までの蹄跡」』っつー催しをやってると聞いて、出かけてった。

最初、報道をみたとき、てっきり競馬博物館(東京競馬場)だと思ったんだけど、なんか様子が変わってる気がして確かめたら国立博物館(上野)だった。
それなら、せっかくだから一度見てみようかって気になった、しかも調べたらわずか1か月間しかやってないらしいんでね、グズグズしてらんない。

なに展示してるんだろうってのには興味あったんだが、まあだいたい予想された範囲かって感じ。
パネルにいろいろ説明してあるのは、あんまり読んだりする気にならない、モノいろいろ並べられてるのを見て歩くと、ときどき「複製」ってあるんだが、複製ぢゃ意味ないじゃんねえと思う。
日本ダービー勝った馬の蹄鉄があって、これ本物ってことはレースの後のしかるべきとき外したのをもらうんだろうが、こないだドジャース大谷翔平選手が「50-50」達成したときに、スパイクとかレガースとか関係者に回収されたとかやってたのを思い出してしまった。

それはそうと、当然のことながらというか、多くのものは「競馬博物館所蔵」ってものなんで、まあそっち普段から行っとけば見られるのかもって気はした。
でも、最近の海外の競走の優勝カップとかは、オーナーの所有なんで、こういうときぢゃないと見られないんだろうと思った。
しかし、なんだね、大きなレースっていうととかく賞金額のこと話題になったりするけど、こういう豪勢なカップを受け取る喜びっての理解しないで、カネのことばっか言ってるのは野次馬なんだろうなって気がしてきた。

↑ 文献好きな私としては、こういうのが気になる、いつどこの競馬場でどういうレースをやるか公示する競馬番組、重要な競馬文化だと思う。

期待したほど興味あるものなかったんで、短い時間でサラーっと見終えちゃった。
時間に余裕はあったんで、通常の展示も見て回った。(どうでもいいけど、外国からの観光客らしい人がとても多くて驚いた。)
今回いちばん気に入ったのは、火焔型土器だな。

縄文時代でしょ、四千年前か五千年前かしらんけど。
器つくる技術だけでもすごい、適した土こねて、焼くんだよね、私にはできない。
さらに、この形、なにに使うかわからんけど、実用だけだったら、このデザインは要らないよね、何考えてこういうの作ったのか、不思議だ、人間って。
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