many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

大ぼら一代

2020-06-28 18:55:41 | マンガ

本宮ひろ志 昭和52年 集英社漫画文庫版・全11冊
こないだ『光る風』ってマンガと『人気マンガ・アニメのトラウマ最終回』って本を読んだときに、このマンガのことを思い出したんだが。
このブログにはとっくに並べといたつもりになってたんだけど、書いたのが見つからなくて、記事どっか削除しちゃったのかと自分を疑ったりして。
マンガ自体は本棚の奥にもうずっと仕舞われていて、書いてないわけないと思い込んでたが。
調べると、これ揃いの古本買ったのが、ブログ始めるより前の2008年4月のことで、そのとき別の場所に何かメモっといたままと思われる。
文庫版11巻セットで安く売ってたのを衝動買いしたらしい、ちなみにカバーにある昭和52年当時の1冊単価は240円、安かったね、少年マンガの単行本って370円くらいだったかなあ。 
「少年ジャンプ」に連載してたのは、それより前ってことになるけど、私はリアルタイムで読んでた、はず。 
はず、というのは、最初のほうのエピソード(海にある千の目の渦を越えてくとこ)と、衝撃のラストしか、記憶がなくて、正確なストーリーをほとんど覚えてないから。 
記憶ないのは、読んでたけど、それほどフェイバリットでもなかったってことなのかもしれない。
だから、何のどんな話だったか気にかかって、揃いであったらまとめてイッキ読みしてみたくなったんだろうと。 
あらためて読んでみれば、なんかハードな内容だったんだなーと思わされることになった、70年代の少年誌って、けっこう濃かったんだというか。
主人公は登場当初は小学六年生の山岡太郎字、でも実の父親は岡山の財閥の丹波家の当主で、本家のほかの子どもらからは女中腹とかさげすまれてたりして。
最初のうちは地元の中学生とか高校生とケンカにあけくれたりしてて、ガキ大将の番長ものマンガなんだが。
総資産二十兆円の丹波家の宿願ってのが総理大臣をだして、しかも政治形態変えて独裁で日本を治める、とかなんとか言い出し始めると、話はどんどんスケールアップして止まんなくなってくわけで。
ところが、主人公がサクセスストーリー歩むんぢゃなくて、ライバル人物・鳥取の島村万次郎のほうが日本のトップにのしあがり、警察権力で独裁の恐怖政治を敷くという展開になるのはちょっと意外、主人公はゲリラ勢力という立場。
国内は内戦状態みたいになるんだけど、もうなんか収拾つかないなと思っていると、刺し違えてでもやってやるみたいな感じで、突然に終末を迎えちゃう。
しかし、なんだね、大地震で首都が崩壊しちゃうとか、最終決戦のあと日が昇っておしまいとか、『光る風』とか『デビルマン』とかの世界と共通するものあるような気がしてくる。
あと、どうでもいいけど、なにかっていうとヒトラーを引き合いに出してくるとこあたりも、70年代っぽいかなって気がする。
島村万次郎がヒトラーのフィルムに魅入ってて、側近が「しかしヒトラーの最大の武器は天才的な演説です」とか言うシーンなんか、たぶん現代では出版社が「止しましょうよ、問題になります」って自主規制すると思う。
あのころはそういう認識緩かったからなあ、まあ、そういうムチャクチャさが作品の力になってた時代だったのかもしれないけど。

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フリージアの雨

2020-06-27 18:52:59 | 荻野目ちゃん

荻野目洋子 2nd 1985年 ビクター
これは、すこし前に、持ってないことに気づいて買い求めた中古CD、荻野目ちゃんのセカンドアルバム。
「ティーンズ・ロマンス」のあと、「貝殻テラス」の前、もちろん「ダンシング・ヒーロー」より前。
「フリージアの雨」「雨とジャスミン」「雨のメモリー」と、雨、雨、雨なので梅雨時に聴く、というわけではないが。
まあ、昭和アイドル歌謡においては、雨は涙の記号みたいなとこあるような気もするが。
この時代の曲を聴いてると、そんなスリリングなコード進行とかつかわないせいか、ドキッとするとこなく、そういう意味ではリラックスしていられる。意外とBGMとしておくにはいいのかも。
音の小節の切れ目と、ことばのフレーズの意味の切れ目が、たいがい一致してるからね古い音楽は、何言ってるか考えなくても済むし。
とかなんとか言ってるうちに、なんか「真夜中のストレンジャー」が聴きたくなってきてしまって、つづいて「ラズベリーの風」を出す準備をはじめるのであった。
1.入江に帰るヨットのように
2.フリージアの雨
3.無国籍ロマンス
4.想い出のジューク・ボックス
5.マイ キャサリン
6.Bの噂
7.彼と彼女とひこうき雲
8.ポインセチアの想い
9.雨とジャスミン
10.雨のメモリー

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歓談そして空論

2020-06-21 18:48:39 | 丸谷才一

丸谷才一対談集 一九九一年 立風書房
これは2018年の秋の古本まつりでいくつかまとめて丸谷才一を買ったときの一冊、最近になってやっと読んだ。
対談集なんだけど、いままで読んだ文学全集に入れる作品を選ぼうとか源氏物語を研究しようとかってのと違って、もとが週刊誌掲載だからか、極めてざっくばらんな感じ。
文藝評論ぢゃなくて随筆みたいな感じだから、まあ難しいこと考えずにおもしろい話。
相手は、丸谷さんとの共著もあるようなおなじみのひともいれば、不勉強な私は存じ上げないひともいるが、それぞれの専門分野についてわりとわかりやすい話が展開される。
以下、いくつか、さらっと一読したなかで私が気になった箇所など。
山崎正和さんが太平記と能の話から、
>特に高僧でもない、これといった能力もないつまらない坊さんなのですが、これがやって来ると、その前に恨みを込めた亡霊が現れて、一部始終をきいて貰う。これが能の構造そのものなんです。(略)
>現代においても、日本人は自分の苦労を他人に聞いてもらうと、それが結果的に何の助けにならなくても、得心してしまうことがあるでしょう。(p.32)
なんて日本人の気質について言うと、丸谷さんは「そうだねえ。だからNTTが繁盛する。」なんて答えるんだけど、こういうのって現代ではパーソナルな通話ぢゃなくてSNSに移行してるけど、基本的には変わってないんぢゃないかという気がする。
田中優子さんは明治政府による近代化によって天皇の恋歌を切り捨てたことに比べ、江戸時代は正統ではないものでも切り捨てなかったことについて、
>それもあいまいな融通無碍ではなくて、正当なものはまず認めるわけですね。またどんなものも次第に正統なものになってしまう。芭蕉も、俳諧だから本来は正統ではないんだけれども、権威が出てきて表向きのものになる。するとそれに対して反が出てきます。そういうふうに日本の文化には必ず正と反とがある。(略)正反両方を抱え込まないと秩序がうまくいかないとか、宇宙が完結しないという宇宙観が、どこかにあったんじゃないかと思うんですね。(p.55)
という辺境も抱え込むという江戸の文明を解説してくれてるのがおもしろい。
池内紀さんと丸谷さんの対談では、ラブレターがテーマなんだけど、作家の書簡集なんかが残されてたとしても、
>池内 (略)ただ、仮にラブレターを通して、ある作家の人間性が見えてくる、その手掛かりにはなるにしても、ラブレターを読まなければ見えてこないってことは絶対にない。
>丸谷 そういうものを介して人間性を見ようとするのは、そもそも文学研究の邪道だね(笑)。ぼくは、そんなものはどうだっていいんで、某作家の靴のサイズを研究したところで、某作家の人間性は分かりっこないわけで。(p.70)
なんてやりとりをして、そんなものは基本的に読むもんぢゃないって言ってるのはいい意見だ。
平安の王朝貴族の恋文ってのは一つも残っていない、光源氏のようにみんな焼いて処分したんだろうと言い、それに比べて最近の日本人の恋文が残るってのはよくないねって話にもなる。
平安朝の恋文といったら、やっぱ歌を送るってとこがポイントとしてあるんだけど、丸谷さんは「楽しかった」って歌よりも「あなたは私に冷たかった」という歌のほうが多いんだという。
>王朝和歌は、「私は悲しい」ということを歌う形式のものなんですね。「私は幸せだ」なんて歌ったらダメなんですよ。なぜかといえば、王朝和歌は神々の加護を得るために歌うものだからなんです。つまり、相手に訴えかけるのではなく、神々に訴えかけるものだから、「私は幸せです」と歌ったんじゃ、神々は助けてくれないからね。(p.77)
って解説は、目からウロコ、学校ではそういうことを教えてくれよって感じがする、ただペシミスティックなんぢゃないんだ、神々の加護が欲しいんだ。
このラブレターの話はけっこうおもしろくて、「恋文は恋の儀式」ってタイトルにあるとおり、恋文には作法があると。
丸谷さんの言葉によれば、「いままでの型に則って書くというもので、奔放に個性の赴くままに書くようなものではなかった(p.63)」という性質のものだと、恋愛は儀式なんだという。
1880年代のパリにはラブレターの見本帳が本として出てたけど、日本古来の勅撰和歌集の恋の部ってのは「恋歌の手本集」なんだってのもいい解釈だ。
文学を離れたとこでも丸谷さんがビシビシいうことは面白かったりする。
>たとえばね、「JR」。あんなふうに簡単に変えられては困るんだ。そして「JR」なんてみっともないと書いた新聞は、あの名称は使わず、たとえば「旧国鉄」とかで押し通すべきなんだ。そうすれば、むこうだって反省する。悪趣味な名称は徹底して批判する……。そういう姿勢がジャーナリズムにはまったくない。(p.143)
とか、
>僕はかねがねこう思っているんですよ。日本人がテレビを見るのは、出演する人の悪口を言うためなんじゃないか。(略)ほんらい日本人は非常に礼儀正しい国民でしょ。(略)心では思っていても、口にはださない。ところがテレビの前では、平気で悪口を言う。(p.181)
とかって調子。
あと、イギリス出身のデニス・キーンさんが、イギリスでも体罰があるけど、日本の軍隊は個人が力を持ってるのに対してイギリス軍は組織に力があるとして、
>日本人は、自分より上の人を個人として信じてる。西洋人は学校という組織を信じているんです。(略)個人が権力を行使すれば、それに反発してよろしいということなんです。殴ってしまったら、上官の負けなんです。先生が殴れば生徒は反発していい。軍隊時代、われわれ下の者は、いまかいまかと待ってましたよ、上官が暴力をふるうのを。(p.189)
なんて言うところは興味をもった、儀式としての体罰が日本では単なる暴力になったんだと。
私の感覚だと、組織の力を自分個人の力と勘違いしてるやつってのはたくさん見たような気がするが。
コンテンツは以下のとおり。

お定さんとサザエさん 野坂昭如
『太平記』と日本史 山崎正和
江戸人と日本の古典 田中優子
恋文は恋の儀式 池内紀
II
天皇のダボシャツの話 遠藤周作
昔の日本人の字の話 小松茂美
女性管理職が二割を超えたら世の中危ないの話 木村尚三郎
二日酔いにも精力減退にも効く秘薬の話 井上光晴
12球団ファンの質にも洗練の差ありの話 山藤章二
今の日本語はめちゃめちゃの話 百目鬼恭三郎
「絵を買う」とは何であるかの話 山崎正和
日の丸の赤と日本人の色彩感覚の話 和田誠
「朝まで生テレビ」の出演者は視線中毒の話 野坂昭如
日本を理解しようとしてアンパンと苦闘の話 デニス・キーン
なぜ、天皇の恋歌が出てこないのかの話 岡野弘彦
銀座のバーの今昔の話 吉行淳之介
III
なぜ東京が好きなのか 粕谷一希

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わが酒の讃歌

2020-06-20 18:24:30 | 読んだ本

コリン・ウィルソン/田村隆一訳 昭和五十年 徳間書店
タイトルの讃歌には「うた」ってルビふってあります。
副題は「文学・音楽・そしてワインの旅」。
原題「A BOOK OF BOOZE」は1974年の出版。boozeって単語は知らなかったな、酒、動詞だと大酒を飲む。
この本の存在を知ったのは、丸谷才一の『低空飛行』を読んでたら、訳者の田村隆一が紹介していたからで。
本書のエピローグのとこに、著者によるその仮説の披露がある。
>生物学者は、なぜ人間の進化が他のどの生物よりも非常に早くなされたかについては、満足できるまでには説明していない。人間は、馬の千三百万年、あるいは、サメの一億五千万年に比べ、一万三千年のあいだにより大きく変化してきた。
>しかしもっとも著しい変化は過去一万年のあいだ――進化の期間としては、わずかまばたきの一瞬にすぎない――に起こっている。この期間に人間は、頭のいいチンパンジー同然の生物から、ロダンの「考える人」にまで変化した。
>この変化が起こったのは人間がアルコールの発酵法を発見した約BC八千年以後のことであるというのは、まったくの偶然の一致だろうか?(略)
>どのようにして人間が槍やすきや、ひきうすの石を発達させてきたかを理解するのはやさしい。しかしどのようにして、詩や哲学や数学といった日々の生活にかかわりのないものを創り出したかを理解するのはむずかしい。
>私は厳粛にその答をいおう。それは精神を解放する不思議な力を持ったあのアルコールがあったからである、と。(略)
>もし、私の推論が正しいとするならば、人間の科学的な定義に、重要な脚注がつけ加えられるべきである。
>人間はホモ・サピエンスであり、ホモ・ファーベル、つまり社会的動物、道具を作る動物であるばかりではない。人間は根本的に、ホモ・ビネンス――ワインを造る動物であると。(p.321-324)
ってのが、それ。かっこいいぢゃないですか、中沢新一の「詩を作れるヒト」以来の衝撃です、「酒を造るヒト」。
で、読んでみると、もうちょっと酒に関連するエピソードがあればいいのに、ってちょっと思うくらい、酒そのものについての話が多かった。
それもワイン、フランスの地方の名前を順にあげてって、どういうワインができているとかってのは、私はあんまり興味ないんで、読んでておぼえる気にならないものを読むのはつまんない、っていうか、飲んでみてーって気になんないんだよね。
でも、最初のワインの歴史ってのは、おもしろかった。
約五十億年前に地球ができて、ゆっくりと冷えていき、海が形成されて、二十億年以上前に、最初のちっぽけな生物があらわれた、なんて導入は『サピエンス全史』みたいにスケールを大きく見せていい。
そこで「これら最初の有機体が、ワインを造り出す酵母に非常によく似ているということである」なんて、さっそくアルコールの話になるのがいいぢゃないですか。
それから、
>もしアレキサンダーが長生きして、彼の帝国を統治したら、ギリシャ文化――それを彼は恩師アリストテレスから学んだ――は、古代世界に広く、アレキサンドリアからサマルカンド、そしてカラチへも浸透していったかもしれない。異文明間相互を豊かにする可能性は膨大なものであったろう。
>だが、アレキサンダーは死に、その帝国は崩壊した。
>私たちの観点からいえば、長生きしたアレキサンダーという想念の主な興味は、ワイン帝国が、エジプトからインド、南ロシアにまで広がったかもしれない可能性である。(p.62-63)
とか、
>ある意味で、ローマ人はギリシャ人より優れていた。
>彼らはもっとまじめで分別があり、決断力があった。ギリシャ人が仲間うちのつまらない喧嘩で多くの時間を浪費するのを軽蔑していた。それでも、ギリシャ文化を吸収するほどの良いセンスを持っていた――それは、ギリシャの神々と同じように、ワイン造りのギリシャ的方法を引き継ぐことを意味していた。
>かくて、ブドウの樹は、後にローマ帝国の一部になった未開の地方にも、はかりしれないほどの文明的影響が及んだことを実証した。
>彼らはブドウの樹を、スペインに、ドイツに、カリアに(マルセーユ地方にはギリシャ人がすでに植えていたが)、植えた。(p.66)
とかって、ワインでしか文明を考えようとしない観点は素敵だ、ここまで徹底してると。
あと、近代の歴史の重要事態として、1860年代にアメリカのブドウの樹が一本、ロンドンの国立キュー植物園に送られてきたが、それが新大陸からヨーロッパにブドウ線虫って寄生虫をもらたらすことになった、って話は聞いたことなかったが、実に興味深い。
>ヨーロッパのブドウの樹には抵抗力がなかったので、ブドウ線虫は、さながらペストのごとくひろがった。(略)やがてある人が、アメリカのブドウの樹には、自然の抵抗力があることを思い出した。それらがフランスに運ばれて、フランスの樹につぎ樹された。効果てきめん。ふたたびフランスのブドウ園は栄えるようになった。
>しかしそこには、ある種の不利益も生まれた。注意深いつぎ樹で、いやな味が取り除かれたのはたしかである。しかしアメリカのワインは、ヨーロッパのワインの生命が五十年はあるのに比べ、約二十五年という短命であった。(略)
>一八七〇年以後、ワインの生命は短くなり、ワインの鑑定家たちはフランスワインの質がとり返しのつかないほど損なわれた、と何年ものあいだ不平を言った。(p.114)
ってのがヨーロッパのワインが昔と違っちゃった経緯なんだそうである。
ロマネ・コンティのブドウ園とかは、殺虫剤を使ったりして保護されてきたが、第二次世界大戦が勃発して、殺虫剤が入手できず、「千二百年も前に修道僧たちによって植えられたブドウ園は破壊された」ってことになったらしい、すごいねワイン文明論、戦争のおかげで1945年以降のロマネ・コンティは昔の水準には至らないってんだから。
で、そうやって、ワインの話がボリューム的には3分の2以上だろうかという本書だけど、ビールとかウイスキーの話もちょっとはある。
「ウイスキーは基本的には、蒸溜されたビールである(p.271)」ってのは大胆な言い方だが、
>現在でも、なぜスコットランド人とアイルランド人だけが第一級のウイスキーを造れるように見えるのか、優秀な化学者が解明したとしたら、ノーベル賞ものだろう。(p.272)
の続きの、
>蒸溜器自身に何か秘密があるのかもしれない。ウイリアム・マッシーが紹介している話だが、高地にある使い古した古いポット・スティル(ポット型の蒸溜器)がついに役に立たなくなってしまった。そこで持主は、古いくぼみやかき傷まですべて前のとおりに、新しい蒸溜器を組み立てた。結果はまったく同じウイスキーができたという。(同)
って話は好きだな、くぼみや傷も大事、食べ物屋は場所変わったらダメなんだよ。
それにしても、ワインのところでもウイスキーのところでも、酒飲みなんて実は酒の味の違いを言い当てられやしない、みたいなエピソードをこそっと入れてくれてのがおもしろい。
あと、どうでもいいけど、古代スパルタ人の歴史の話のなかで、
>ついに“としになる”、つまり市民としての年齢、三十歳に達すると、やっと市民としての役割を演ずることができる。以来、彼は、怠惰な金持の一人になり、鉄の鍛錬はいまやゆるみ、ウォードハウスの描くバーティ・ウースターのようなプレイボーイになりさがるのだ。(p.49)
という一節があって、P・G・ウッドハウスの「ジーヴズ」ものは一般教養として知ってないといけないんだなと再確認した次第。
序章 ワインの詩
第一章 ワインの歴史について
第二章 フランスのブドウ園
第三章 ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル
第四章 ビールとスピリッツ
第五章 パブ讃歌

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ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻

2020-06-14 18:35:02 | 読んだ本

P・G・ウッドハウス/岩永正勝・小山太一編訳 2011年 文春文庫版
こないだ一冊文庫を読んでみたら、うわさにたがわずおもしろかったので、すぐ二冊目に手を出してみたジーヴズ。
本書巻末の「収録作品解題」によれば、著者は作品に頻繁に手を加えて出しなおしてたり、英米で題名が違っていたりで、このシリーズの短篇というのは何作あるのか集計が正確にはできないものだという。
できたら発表順に、ぜーんぶ読んでみたいのだが、そういう事情で、さらに翻訳出版も時代によっていろいろあるんぢゃしかたない、とりあえず手に入りやすいものからテキトーに読んできゃいいや、ということにした。
執事ジーヴズのご主人バーティは、いつもトラブルに巻き込まれるんだけど、それは、
>言うまでもなく、十分後に僕は説得されていた。いつもこうなんだ。僕を説得するなんて、実に簡単なことだ。(p.137)
とか、
>友が苦境にあるとなると、ウースター一族は自分のことなど考えない。(p.174)
って性格のせいだっていう一面もある。
でも助けを求めるほうの友人ビンゴは、いつも「ジーヴズも連れてこい」って言うんで、ほんとにアテにされてるのは執事のほうなんだけど。
それはそうと、ジーヴズの受け答えはいつも最適で感心させられる。
使い走りの男の子を張り飛ばしてやろうと追いかけることになった次第を主人に問われると、
>「はい。口の悪い子供でございまして、わたくしの容貌について怪しからぬ言辞を弄しましたもので」
>「おまえの容貌について何と言ったんだ?」
>「忘れました」厳粛な顔つきでジーヴズは言った。「しかし、失敬な発言でした。(略)(p.44)
なんてのは素晴らしい、「忘れました」ってのはこうやって使う言葉だ、ひとさまの前でホントのこと言わないとこにマナーとプライドがうかがえる。
コンテンツは以下のとおり。
『トゥイング騒動記』 (The Great Sermon Handicap/The Purity of Turf/The Metropolitan Touch,1922)
 その一 長説教大賞ハンデ戦
 その二 レースは神聖にして
 その三 都会的センス
従弟のユースタスの手紙に誘われて、八月の暑いロンドンを抜け出してバーティは従者ジーヴズとともにグロースターシャー州トゥイングへ出かけてくと、友人のビンゴも住み込み教師として同じ場所で働いている。
従弟たちの講習仲間のステグルズという悪ガキの主催で、日曜日の牧師の説教の時間の長さを競うレースとか、村の小学校の運動会の『お母さんの袋跳び』とか『女子の玉子スプーン競走』とかで、一儲けしようと企み合う。
ウラ情報を仕入れて穴馬で儲けようとするが、それに気づいた胴元は妨害しようとする。
>この世で不断の監視を要する者がいるとしたら、それはステグルズ以外にない。権謀術数のマキャヴェリですら、やつから通信教育で指導を受けたくなるはずだ。(p.76)
って調子のバーティの呪詛はおもしろい。
『クロードとユースタスの出航遅延』 (The Delayed Exit of Claude and Eustace,1922)
バーティより6歳下の双子の従弟クロードとユースタスは、バーティによれば「世間一般にはとんでもない騒がせ者で通っている」、ジーヴズによれば「たいそうご活発なお若いかたでございますね」、なんだが。
とうとう学期の途中でオックスフォードを放校になり、きびしいアガサ叔母の指図で南アフリカへ行かされることになったという。
出発の前日の一晩だけ二人を泊めてあげなさいとアガサ叔母に命令されて、バーティは渋々引き受けるが、夜通し遊び歩いた二人が翌日おとなしく出発するわけもなく、ロンドンに居座る。
『ビンゴと今度の娘』 (Bingo and the Little Woman/All's Well,1922)
 その一 ビンゴと今度の娘
 その二 終わりよければ
友人のビンゴはなにしろ惚れっぽい、ジーヴズにいわせると「ミスター・リトルは、大変お心の暖かい方で」ということになるが。
またもウェイトレスに一目ぼれをするが、いつもフラれる運命なのに、今度はうまくいっているという。
ビンゴは生活費支給を再開してもらうために、バーティに伯父のところへ外交交渉に行ってくれと頼みこむ。
『ジーヴズと白鳥の湖』 (Jeeves and the Impending Doom,1926)
バーティの苦手なアガサ叔母が、ウーラム・チャーシーにある屋敷に三週間泊まりに来いという、「すべての約束を取り消して」来るようにという厳命。
行くと叔母は、客人として来ている大臣のミスター・フィルマーと懇意にしろという、いい印象を与えるために、滞在中は煙草もアルコールもやめて言葉づかいに気をつけろという、理由を問われて叔母は「わたしがそう望むからです」と宣言。
庭園に行くと、ここにいるはずのない友人ビンゴにばったり会って驚き、友人を窮地から救うためにバーティは苦労するが、起こるべくして不幸なアクシデントに直面する。
『ジーヴズと降誕祭気分』 (Jeeves and the Yule-Tide Spirit,1927)
12月16日にレイディ・ウィッカムから招待状をうけとり、クリスマスの予定をモンテ・カルロ行きから変更したバーティとジーヴズ。
滞在先には、ある一件以来嫌われているサー・グロソップと、その甥でバーティが深く恨みをもってるタッピーも来ていたので、何やら不穏。
一方でバーティは招待主の娘であるロバータに恋をする、ところがジーヴズは「あなたさまのような紳士のご伴侶としてふさわしいとは、わたくしには思えません」と意見する。
モンテ・カルロ行きがなくなってから冷淡にみえていたジーヴズだが、最後には雇い主に忠実でバーティを苦境から救い出す。
『ビンゴはすべて事もなし』 (All's Well with Bingo,1937)
結婚したビンゴだったが、妻からモンテ・カルロに自分のかわりに取材に行ってくれと言われる。
賭け事に手を出したら妻に愛想をつかされると警戒していたのだが、我慢できるわけもなく競馬で有り金を失い、妻のブローチを質に入れてルーレットで挽回を目指す。

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