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many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

地上はポケットの中の庭

2017-01-30 19:13:12 | マンガ
田中相 2011年 講談社ITANコミックス
ことしに入って初めて読んだマンガ家さんなんだけど、気になったんで、もうひとつ短編集を読んでみた。
私にとっては読みなれないタイプの画や話って感じはするが、なかなかいい。なにがいいか言語化できないけど。
・5月の庭
週3日コンビニでバイトしてる高校生の山崎くんは、迷い込んだコガネムシなんかがいると外に放してやる。
ある5月の日、人の言葉を放す巨大なコガネムシが御礼に現れて、山崎くんの家の庭で二人お茶を飲む。
・ファトマの第四庭園
ファトマはウスクダルネ王家の宮廷付きの庭師として、目の見えない陛下の第四庭園をまかされている。
だいぶ年をとって弱られた陛下がひさしぶりに庭を訪れた日、ファトマは約束した紅茶の香りのするアザミを採りにいく。
・地上はポケットの中の庭
家の庭に子や孫が大勢集まって誕生パーティーを開いてくれているのに、肝心の主役のじいさんはいつものように不機嫌。
彼はいつも「人は死ぬ 出会えば別れる 始まれば終わる」そういう当然のことが怖くてたまらない。
・ここはぼくの庭
祖母の入院をきっかけに実にひさしぶりに実家に帰ってきた和也は、子どものとき庭がわりによく遊んだ近くの海岸に行くとだいぶ様子が変わっている。
しかし堤防のところへ行くと、思ったとおり、小学6年のときにいっしょに釣りに来て、溺れて意識不明になった友人のことを思い出さざるをえない。
・まばたきはそれから
高校2年生の木本咲は進路希望調査に書くこともなく白紙を出し、担任から留年するぞと言われる。
彼女は自分も他人も嫌いでどうしようもないが、中学の同級生ですでにプロ棋士として活躍してる城間くんを見ると「このひと天才だ、キラキラしてる」と思う。
・城間クンのドキドキ対局日誌 こんにちは宇宙編
目次には挙げられていないが巻末に載ってる、おまけの(?)マンガ。
「まばたきはそれから」に出てくる高校生プロ棋士の城間クンのはなし。
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色っぽい幽霊

2017-01-24 18:44:22 | 読んだ本
E・S・ガードナー/尾坂力訳 1955年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
原題は「THE CASE OF THE GLAMOROUS GHOST」っていうペリイ・メイスンシリーズ、1955年出版らしい、日米で時差なく翻訳出たのかね、私の持ってるポケミスは1990年の7版。
ある日弁護士メイスンは秘書から、色っぽい幽霊事件の新聞記事を見せられる。
夜の公園で「ひらひらする透明な薄物を除いては全裸と見える美しい幽霊」が踊るように跳ね回っていたが、その若い女性を警察が保護したところ、自分の名前も住所もすべて記憶をなくしていたという。
で、その女性は自分の腹違いの妹だと言ってきた女性がメイスンの依頼人で、メイスンにはいっしょに身柄を引き取りに行って、うまく後始末をつけてほしいという。
っていうのは、この依頼人は、妹がいってる記憶喪失はウソに決まってて、前にもそんな手を使ったことがあるが、それをやるからには大きなトラブルを抱えてるからだと御見通しだからで。
かくして、この姉の予想したとおり、面会してみれば妹は急に記憶をとりもどし、こんどは駆け落ち同然に結婚しようとしてた男の車に同乗していたところ、事故にあってそれ以後の記憶がないとか、でまかせっぽいことを語る。
メイスンはとりあえず新聞記者その他から彼女を隠すため懇意の医者に預けて誰にもあわせないようにする。
で、彼女が最近一時的に同居してたべつの女性を探し当て、そこから彼女の荷物一式を受け取るんだが、そのなかに大量の宝石を発見する。
そんなことしてるうちに、彼女が幽霊のように彷徨ってた公園で、拳銃で撃たれた死体が見つかり、すぐさま彼女は逮捕される。
地方検事は重要な証人なり証拠をつかんだらしく、さっさと裁判を始め、こんどこそメイスンを負かそうと意気揚々。
物語の後半多くの部分が法廷シーンに割かれることになるが、メイスンは
>生涯で初めて、被告に全然不利な証拠をつきつけられるにきまっている裁判、被告から事件の真相を聞き出すことの出来ない裁判、全て自分の観察と反対訊問の才能に頼らねばならない裁判、敵側の証人の口から真相を導き出さねばならない裁判に臨むのだ
と覚悟する。なんせ被告は当時記憶喪失だったといってるんで、自分から無罪を主張できない。
数々の不利な証言に対して、検察側の罠をかいくぐって反対訊問を展開するメイスン、相手側の直接尋問の最中には「異議あり。推論的であり、証明されない事実を仮定するものであり、誘導的、暗示的であり、且つ不適当、無関連且つ無益であります」とか言って戦う。
かくして、証人を思わぬ角度から攻撃する巧みな訊問や、翌日までの休廷のあいだに新たな手掛り求めて駆け回る捜査活動の成果によって、いつもどおり最後には劇的な勝利をあげる。
裁判長には「但し私は、あなたが事実を提出する際の芝居がかったやり方は遺憾に思います」とか言われちゃうんだけど、物語はそのほうが確実におもしろい。
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冷たい銃声

2017-01-23 17:20:26 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光訳 2009年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
これはことしどこかで古本買ったやつ、スペンサー・シリーズの32作目、原題は「Cold Service」。
本文の前に「復讐は、冷たく供するのが最良の料理だ」って言葉があって、ん?と思うんだが。
主人公はスペンサーぢゃない、今回スペンサーには依頼人すらいない、これはホークの物語。
ホークが街の賭け屋に護衛を依頼されたが、何者かにライフルで背中を3発撃たれて瀕死の重傷を負う。
かつて自分がそういう目にあったとき(「悪党」)ホークに長期間のリハビリを支えてもらったスペンサーは、当然ホークのために尽力する。
ホークの身体が元の状態になるまで付き添うし、回復したあとは彼の復讐を手伝うことになる。
スペンサーと同様、ホークもそのやりかたにこだわる。自分が自分であるための復讐だから。
当然スペンサーの恋人スーザンは、危ない橋をわたることになるんでスペンサーに加わってもらいたくないんだけど、何を言ってもむだってことはだいたい理解してる。
ホークの恋人セシルは理解できない。こういう危機に直面したことで、そもそも自分がホークってのが何者なのかわかってないことに気づいて悩む。
「彼は、自分の中に籠もって、癪に障るほど充足していて、ただそこにいるだけだわ」と嘆く、スペンサーに対しても「彼に似ている」と言うが、スペンサーにはスーザンがいるし必要な存在、ホークは誰かが必要ってことはない。
スペンサーに説明させると「ホークが現在のホークであるのは、子供の頃から、彼が自分の本質に忠実である方法を見いだしたからだ」ということで、恋人のセシルがいても、彼は変わらないし、恋人の前でのホークの姿ってのは彼のすべてぢゃないって断言する。
ホーク自身に言わせると、「おれは背中を撃たれるようなことがあってはならないんだ」ということになる。誰だって撃たれて死ぬ可能性があると思うんだが、ホークは「ほかの男たちと同じであってはならないんだ」と一歩もひかない。
ところで、今回の敵はウクライナ人のギャング。いやあボストンもたいへんだ、中国人やロシア人も前に攻めてきたけど、こんどはウクライナ。
こいつらが冷酷極まりなくて、関わってる地元の弁護士ですら「彼らはふつうの人間と違うんだ。彼らは石器時代から来たような連中だ」なんて言う、裏切り者はすぐ切り刻んぢゃう、顔色も変えずに。
しかしケガから立ち直ったホークは一層タフになって、愛用の44口径マグナムをひっさげて正々堂々と連中をかたづけてく。
いちどなんかは相手をひっつかまえておきながら「次は殺す、失せろ」って放す、「死ぬことを恐れない人間を殺すのは、さして正義とは言えない」ってのがその理由。やりかたが問題なのだ。
どうでもいいけど、スペンサーのウクライナ勢力の評がおもしろくて、「ただ、そのヨーロッパ移民が大勢いて」「全員がドナルド・トランプのエージェントよりタフなんだ」っていうんだが、ほめてんだかけなしてんだかよくわかんない。
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俳句の海に潜る

2017-01-17 18:16:23 | 中沢新一
中沢新一・小澤實 2016年 角川書店
年末に買って、最近読んだ本。
俳句だけの本だったらそれほど読む気にはなんなかったんだろうけど、中沢新一が何故、って思ったもんだから手にとった。
小澤實は、小林恭二の『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』でだけ知ってたんだけど。
新幹線の車内誌に二ページくらいの俳句に関するはなしを書いてるのは見たことがある。
中沢新一は、その文章を読むのを楽しみにしてたそうで。
いっぽう小澤實も、中沢新一の書いたものを読むのが好きだったらしく。
おたがい相手のファンであった二人が、NHK俳句講座でいっしょになったそうで、それから対談をベースにする本書ができたということらしい。
タイトルも深い意味含んでそう、陸ぢゃなくて海の上をたゆたうようなとこが俳句の本質にあって、しかもそれが立てるとか垂直方向の運動が重要ってことで、潜るってことみたい。難解だあ。
中沢新一の俳句論というか歴史認識というか、そういうのがあちこちにビシバシでてくるのがおもしろくて、けっこう刺激的だった。
>俳句は必ず季語を立てないといけない。(略)それは「人間の目で見るな」ということです。(略)「鷹」を詠む時は鷹の目になる。動植物の目になって世界を認識するということをルールにしているわけです。(p.16)
>和歌・短歌では人間が主体になります。ところが、俳句の場合は間であるモノが主体です。モノと人間の間を自在に行き来する通路をつくるということが、俳句の主題です。
というような俳句の性質は、学校の国語の時間には教えてくれてなかったと思う。
そういうこと言ってくれれば興味もつのにねえ、わかるようなわかんないような鑑賞のしかたするから、国語はフィーリングだ、とか子どもが誤解すんだよね。
これについては、小澤實も、
>短歌は恋をはじめ人間関係をよく詠んでいるような気がします。俳句でも恋などを無理して詠みますが、得意ではない。とにかく石とか木とか動物が好きなんです。そのモノの存在感をことばで捉えたいんです。(p.236)
と賛同している。
国語だけぢゃなくて歴史の授業でも次のようなこと、ちょっとでも言ってくれればよかったのに。
>日本人の場合、自然を制圧したり、やわらげたりする時は言葉にするんです。王権というのは単に武力で制圧していくのではなくて、歌というかたちで自然や服(まつら)わぬものを言葉に組み入れていくということが文明ということの大きい意味でした。歌がなかったら古代権力なんてなかったと思う。(p.23)
天皇が歌を詠むってことの意味って、最近になってようやく私は勉強することができたんで(丸谷才一だっけ?よく憶えてはいないんだけど)、こういう指摘はとても鋭いと思う。
あとねえ、人類学もそう、骨格とかだけぢゃないんだ、ネアンデルタール人と現生人類の違いは。
>しかしただ一点だけ、旧人と新人の間には重要な違いがありました。芸術と宗教、この二つのことを、旧人はおこなわなかったのです。(略)人類学的に見ると、私たち新人は芸術と宗教を持った人類です。(p.104-105)
>ネアンデルタール人は比喩を使っていません。(略)そういう世界では芸術は生まれません。(略)「人類とは何か。」これには様々な規定がありますけれど、詩を詠むことができる、詩を作れる人類ということができます。(p.198-199)
いいねえ、詩を作れるヒト。
経済をするヒトとか、政治をするヒトとか、いろんなホモサピエンスの表現あったと思うけど、詩を作るヒトってのがいちばんかっこいい表現なような気がする、いまの私の感覚では。
コンテンツは以下のとおり。
はじめに[中沢新一]
第一章…自然認識としての俳句
第二章…陸から海へ―深川にて
俳句と仏教[中沢新一]
第三章…定住と漂泊―甲州にて
俳句のアニミズム[中沢新一]
第四章…アヴァンギャルドと神話―諏訪にて
中沢さんと話しながら、俳句について考えたこと[小澤實]
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ことし最初で、最後(?)の乗馬を、雪で流す

2017-01-16 20:53:52 | 馬が好き
ほんとだったら、きょうは乗馬練習に行ってたとこ、なんだけど。
愛知県方面で、日曜日に雪が降った関係で(朝6時の時点で7センチ積雪?)、仕事が順延、行けなくなった。
ことし最初で、でもいまの場所では最後、の乗馬。
ってことは、もしかしたら最後の乗馬、ことしこの場所ってことぢゃなく? 私にとっては、ってことかも?
(来週以降の、馬に乗るとか乗らないとかは、まったくの白紙。)
ま、しょうがないな。なんとなく、そんなこと起きるような感じはしてたんだよねー。
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