どうでもいい話かもしれません。まー適当に書きます。
実は先日、一番下の息子から「アサガオの種」をもらいました。1年生の夏休みいに家でアサガオに水やりをやって一生懸命に育てていました。その結果、多くの花が咲き種ができた。それを小学校に持っていき「封筒」に入れて私にプレゼントしてくれました。せっかくもらったの育ててみるかなという気になっているのですが家で育てると毎日世話をすることができない。ということで「学校で育てるのはどうか」と考えました。もし私がお世話を忘れても優秀な生徒がきちんと水やりをしてくれるはず(笑)。
が、アサガオを育てるというのはたぶん大変です。鉢を準備し、土と肥料が必要になると思います。いきなりそんな大変なことができるのかどうか?不安要素が大きすぎるのでまずは簡単に育てられるであろう植物から挑戦してみるのはどうだろうかと考えました。雑貨屋さんに行くと「栽培キット」を販売しています。それなら誰でも育てられるのではないかという気になりました。アサガオを育てたいとクラスの生徒に話した時に「プチトマトを育ててみんなで食べよう」という話もしていました。アサガオができるならプチトマトも可能なのでは??という安易な考えですが(笑)。ということで「プチトマト」の栽培キットを購入。
1つだけでは寂しいなと思ったので「クローバー」を育ててみることに。四葉のクローバーかどうかわかりませんがなんとなく「ラッキー」という感じがするので(笑)。どちらもペットボトルに水を入れておけば勝手に育つようです。これで植物を育てるという話になるのかどうかは分かりませんが・・・。水やり係を決めてやろうと思っていたのですがこれにより必要なし。日光に当てるために入れ物を移動させる係りくらいは作りましょうか。これが順調にできたら今度はアサガオですね。
こんな「無駄」なことをしていていのか?と言われるかもしれません。職場で遊んでいると感じられるかもしれません。確かに一番楽しんでいるのは私自身かもしれないので何とも言えないのですが。しかし、何かを生徒と一緒にやるということはすごく大事だと思っています。単純に授業に行って勉強を教えることだけが今の仕事でしょうか?「勉強だけすればよい」のであれば塾でひたすらやっておけばいいだけのこと。学校という環境の中で多くのことを経験し、いろいろなものを感じることが必要だと思っています。
こういう「共通項」が生徒との間にあるというのはすごく大切。少しずつ年齢も離れていき「感覚的なもの」にギャップが生まれます。会話する内容も「親子」のレベルで差が出てきますから、今の子供たちの「価値観」と相いれないものが出てくると思っています。しかし、こうやって「誰にでも大切にできる何か」を一緒にやることで「共有する感覚」が生まれると思っています。これはなかなか周りからは分かってもらえない部分かなと感じています。これをやっているからクラス経営が上手くいくというわけではありません。が、他の人よりも生徒と話をする機会は多くなると思っています。
「教育」というのは一義的なものではない。色々な形で生徒と関わることが必要になってくると思っています。20年以上前に小学校で「豚を育てて食べる」という取り組みが紹介されていました。自分たちが1年間かけて豚の飼育をする。最終的にはその豚を自分たちで食べるというもの。最初はそのつもりで飼っていたがいたが次第に愛着がわき結局、他の施設に引き取ってもらう。
「ブタがいた教室」というタイトルで映画にもなっています。概要は・・・
4月、6年2組の新任教師の星はこどもたちに「先生はこのブタを育てて、最後にはみんなで食べようと思います。」と提案。6年2組は騒然となる。ブタにPちゃんと名づけ、校庭に小屋をつくり、交代しながらえさやりから掃除、糞尿の始末まで生まれて初めての作業に戸惑う子どもたちであったが、やがてPちゃんに家畜としてではなくペットとしての愛着を抱くようになっていた。卒業の時は迫り、星はPちゃんをどうするかみんなで話し合って決めてほしいと提案。クラスの意見は「食べる」「食べない」に二分されてしまう。
というもの。何かを育てることで「いのち」について考える。自分たちが当たり前のように食しているものでも実際には「いのち」がある。そのことの意味について考えること。目の前で飼っているブタには愛着がわくので食用にしたくない。その反面、家では豚肉を食べる。目の前にある出来事であれば「かわいそう」と思うが、知らないところで起きているものであれば何も感じない。ある意味当然の出来事かもしれません。しかし、同じ「ブタ」です。ここをどう考えていくかというのは重要かなと。色々な形で「いのち」について考えていく必要はあると思っています。
大きなことを書いていますが、結局は「自分が育ててみたい」だけなのですが(笑)。こういうツールを使って生徒に色々と考えさせる機会を与える。一番楽しんでいるのは私ではないかという話もありますが。成長の過程を少しずつアップできたらいいなと思います。
実は先日、一番下の息子から「アサガオの種」をもらいました。1年生の夏休みいに家でアサガオに水やりをやって一生懸命に育てていました。その結果、多くの花が咲き種ができた。それを小学校に持っていき「封筒」に入れて私にプレゼントしてくれました。せっかくもらったの育ててみるかなという気になっているのですが家で育てると毎日世話をすることができない。ということで「学校で育てるのはどうか」と考えました。もし私がお世話を忘れても優秀な生徒がきちんと水やりをしてくれるはず(笑)。
が、アサガオを育てるというのはたぶん大変です。鉢を準備し、土と肥料が必要になると思います。いきなりそんな大変なことができるのかどうか?不安要素が大きすぎるのでまずは簡単に育てられるであろう植物から挑戦してみるのはどうだろうかと考えました。雑貨屋さんに行くと「栽培キット」を販売しています。それなら誰でも育てられるのではないかという気になりました。アサガオを育てたいとクラスの生徒に話した時に「プチトマトを育ててみんなで食べよう」という話もしていました。アサガオができるならプチトマトも可能なのでは??という安易な考えですが(笑)。ということで「プチトマト」の栽培キットを購入。
1つだけでは寂しいなと思ったので「クローバー」を育ててみることに。四葉のクローバーかどうかわかりませんがなんとなく「ラッキー」という感じがするので(笑)。どちらもペットボトルに水を入れておけば勝手に育つようです。これで植物を育てるという話になるのかどうかは分かりませんが・・・。水やり係を決めてやろうと思っていたのですがこれにより必要なし。日光に当てるために入れ物を移動させる係りくらいは作りましょうか。これが順調にできたら今度はアサガオですね。
こんな「無駄」なことをしていていのか?と言われるかもしれません。職場で遊んでいると感じられるかもしれません。確かに一番楽しんでいるのは私自身かもしれないので何とも言えないのですが。しかし、何かを生徒と一緒にやるということはすごく大事だと思っています。単純に授業に行って勉強を教えることだけが今の仕事でしょうか?「勉強だけすればよい」のであれば塾でひたすらやっておけばいいだけのこと。学校という環境の中で多くのことを経験し、いろいろなものを感じることが必要だと思っています。
こういう「共通項」が生徒との間にあるというのはすごく大切。少しずつ年齢も離れていき「感覚的なもの」にギャップが生まれます。会話する内容も「親子」のレベルで差が出てきますから、今の子供たちの「価値観」と相いれないものが出てくると思っています。しかし、こうやって「誰にでも大切にできる何か」を一緒にやることで「共有する感覚」が生まれると思っています。これはなかなか周りからは分かってもらえない部分かなと感じています。これをやっているからクラス経営が上手くいくというわけではありません。が、他の人よりも生徒と話をする機会は多くなると思っています。
「教育」というのは一義的なものではない。色々な形で生徒と関わることが必要になってくると思っています。20年以上前に小学校で「豚を育てて食べる」という取り組みが紹介されていました。自分たちが1年間かけて豚の飼育をする。最終的にはその豚を自分たちで食べるというもの。最初はそのつもりで飼っていたがいたが次第に愛着がわき結局、他の施設に引き取ってもらう。
「ブタがいた教室」というタイトルで映画にもなっています。概要は・・・
4月、6年2組の新任教師の星はこどもたちに「先生はこのブタを育てて、最後にはみんなで食べようと思います。」と提案。6年2組は騒然となる。ブタにPちゃんと名づけ、校庭に小屋をつくり、交代しながらえさやりから掃除、糞尿の始末まで生まれて初めての作業に戸惑う子どもたちであったが、やがてPちゃんに家畜としてではなくペットとしての愛着を抱くようになっていた。卒業の時は迫り、星はPちゃんをどうするかみんなで話し合って決めてほしいと提案。クラスの意見は「食べる」「食べない」に二分されてしまう。
というもの。何かを育てることで「いのち」について考える。自分たちが当たり前のように食しているものでも実際には「いのち」がある。そのことの意味について考えること。目の前で飼っているブタには愛着がわくので食用にしたくない。その反面、家では豚肉を食べる。目の前にある出来事であれば「かわいそう」と思うが、知らないところで起きているものであれば何も感じない。ある意味当然の出来事かもしれません。しかし、同じ「ブタ」です。ここをどう考えていくかというのは重要かなと。色々な形で「いのち」について考えていく必要はあると思っています。
大きなことを書いていますが、結局は「自分が育ててみたい」だけなのですが(笑)。こういうツールを使って生徒に色々と考えさせる機会を与える。一番楽しんでいるのは私ではないかという話もありますが。成長の過程を少しずつアップできたらいいなと思います。