月曜日、通常は練習を休みにするところです。が、大きなエースのみ練習としました。あれこれ考えている。自信を失っている。様々な要因があって自分の走りができません。アップではかなり走れていてもレースになると途中で投げてしまう。これから先競技をしていくうえでこのままでは戦えません。がむしゃらになって何も考えずに走るという機会を与えたい。「やり過ぎだ」と言われるかもしれません。ここ最近本当にスマートな練習しかしていないうちのチーム状況からすれば「野蛮な練習」といわれる水準の練習をさせようと考えていました。
最初にエアロバイクを全力でこぐ。2年生の2人をサポート役に付けました。チームのエースの復調に協力するのは当然のことだと思います。15秒全力でこいで45秒休憩。これを4本4セット。それほど強い負荷ではありませんが乳酸が蓄積するレベルにはなると思います。とにかく短い時間でもいいので「全力で動かし続ける」ことを求めました。ここでは雑談を交えながら余裕を持ってやっている感じがありました。
その後、折返し走を実施。4往復です。それほど多くない。1セット目は60秒に1本。走る前に話をしました。とにかくがむしゃらに走る。何も考えられないくらい思い切り走る。技術云々ではなくとにかく走る。これでいいと思っていました。1セット目は見ていて余裕。笑顔もありました。これでは「がむしゃら」には程遠い。一人で走っているので「追い込む」という感じにはならないのでしょう。特に気持ちが切れている部分があるのでこの状況で一人で走ることには意味がないかもしれないと感じました。
すると1年生の一人が「私も走りたい」と言い出しました。理由は分かりません。3年生が走っている姿を見て自分も走ると思ったのでしょう。この子は体力的に弱い。スピードというか爆発力はありますがそれが最後まで持続できません。それなのに折返し走をやる。この想いはすごいと思います。2人で走り始めました。1年生、ついていくことができません。当然です。それでもがむしゃらに走る。ただがむしゃらに走る。すごい光景でした。大きなエースについていくことはできないのですがとにかく走る。この姿を見た2年生はどう感じたでしょうか。自分たちに足りないことを1年生が示しているのです。
「女を捨てる」と言っています。これに関しては「問題発言」ととらえる方もいるのかもしれません。が、実際に女子が強くなろうと思えばそれくらいの「覚悟」が必要です。この1年生はそれができます。なりふり構わず走る。本当に「がむしゃら」という感じが強いですね。野性的な走りをするというか、貪欲というか。自分が苦手なことであっても「やってやる」と決めて自分から飛び込む。この感覚は天性のものだと思います。
それがあったので3セット目は他の1年生にも参加させました。最初から参加している1年生は途中泣きながら走っていました。この姿を大きなエースはどう感じたでしょうか?自分のために1年生が「がむしゃら」になる。今の大きなエースに足りないものです。同時に2年生にも足りません。それを1年生が行動で示してくれる。なかなかの出来事です。これを他の者がどう感じるか?特に大きなエースに感じ取ってもらいたい部分です。
走り終わったあと、1年生は倒れこんでいました。歩けないくらい自分で自分を追い込んでいました。とにかく泣きじゃくっている。その中で大きなエースに何か言っています。全く聞き取れません。それでも何かを伝えようとしている。大きなエースは一年生を抱きしめながら「ありがとう」と言い続けていました。間違いなく何を言っているのかは分からないと思いますが何かしら感じる所があるのでしょう。
少し吹っ切れるのではないかと思います。ウジウジ悩んでいても前には進みません。ここまで来たらやるしかないのです。強くなるためにがむしゃらにやるしかない。それを1年生から学ぶというのはどうなのかという話ですが、自分達に足りないものを他者から学ぶというのは本当に大切なことです。自分以外の人からは必ず何か学べます。ここは大切です。
うちのチームはスマートに強くなるチームではないと思います。時には泥臭いことをやったり、根性練習と言われるような「非科学的」な練習をも必要。忘れかけていた部分かもしれません。もう一度原点に帰る必要があります。うちがどうやって強くなって来たのかを1年生が思い出させてくれました。私自身も感謝したいと思います。
がむしゃらに前だけをみる。気がつけば忘れてしまいます。もう一度、しっかりとやって行きます。
最初にエアロバイクを全力でこぐ。2年生の2人をサポート役に付けました。チームのエースの復調に協力するのは当然のことだと思います。15秒全力でこいで45秒休憩。これを4本4セット。それほど強い負荷ではありませんが乳酸が蓄積するレベルにはなると思います。とにかく短い時間でもいいので「全力で動かし続ける」ことを求めました。ここでは雑談を交えながら余裕を持ってやっている感じがありました。
その後、折返し走を実施。4往復です。それほど多くない。1セット目は60秒に1本。走る前に話をしました。とにかくがむしゃらに走る。何も考えられないくらい思い切り走る。技術云々ではなくとにかく走る。これでいいと思っていました。1セット目は見ていて余裕。笑顔もありました。これでは「がむしゃら」には程遠い。一人で走っているので「追い込む」という感じにはならないのでしょう。特に気持ちが切れている部分があるのでこの状況で一人で走ることには意味がないかもしれないと感じました。
すると1年生の一人が「私も走りたい」と言い出しました。理由は分かりません。3年生が走っている姿を見て自分も走ると思ったのでしょう。この子は体力的に弱い。スピードというか爆発力はありますがそれが最後まで持続できません。それなのに折返し走をやる。この想いはすごいと思います。2人で走り始めました。1年生、ついていくことができません。当然です。それでもがむしゃらに走る。ただがむしゃらに走る。すごい光景でした。大きなエースについていくことはできないのですがとにかく走る。この姿を見た2年生はどう感じたでしょうか。自分たちに足りないことを1年生が示しているのです。
「女を捨てる」と言っています。これに関しては「問題発言」ととらえる方もいるのかもしれません。が、実際に女子が強くなろうと思えばそれくらいの「覚悟」が必要です。この1年生はそれができます。なりふり構わず走る。本当に「がむしゃら」という感じが強いですね。野性的な走りをするというか、貪欲というか。自分が苦手なことであっても「やってやる」と決めて自分から飛び込む。この感覚は天性のものだと思います。
それがあったので3セット目は他の1年生にも参加させました。最初から参加している1年生は途中泣きながら走っていました。この姿を大きなエースはどう感じたでしょうか?自分のために1年生が「がむしゃら」になる。今の大きなエースに足りないものです。同時に2年生にも足りません。それを1年生が行動で示してくれる。なかなかの出来事です。これを他の者がどう感じるか?特に大きなエースに感じ取ってもらいたい部分です。
走り終わったあと、1年生は倒れこんでいました。歩けないくらい自分で自分を追い込んでいました。とにかく泣きじゃくっている。その中で大きなエースに何か言っています。全く聞き取れません。それでも何かを伝えようとしている。大きなエースは一年生を抱きしめながら「ありがとう」と言い続けていました。間違いなく何を言っているのかは分からないと思いますが何かしら感じる所があるのでしょう。
少し吹っ切れるのではないかと思います。ウジウジ悩んでいても前には進みません。ここまで来たらやるしかないのです。強くなるためにがむしゃらにやるしかない。それを1年生から学ぶというのはどうなのかという話ですが、自分達に足りないものを他者から学ぶというのは本当に大切なことです。自分以外の人からは必ず何か学べます。ここは大切です。
うちのチームはスマートに強くなるチームではないと思います。時には泥臭いことをやったり、根性練習と言われるような「非科学的」な練習をも必要。忘れかけていた部分かもしれません。もう一度原点に帰る必要があります。うちがどうやって強くなって来たのかを1年生が思い出させてくれました。私自身も感謝したいと思います。
がむしゃらに前だけをみる。気がつけば忘れてしまいます。もう一度、しっかりとやって行きます。