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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「本当にやりたいこと」につなげていく

2016-01-15 | 陸上競技
続き。

ちょっと色々なことが吹っ切れた感じがあって「自分がやるべきことをやる」という部分にエネルギーを注いでいきたいなと思っています。メーターが振り切れるくらいの勢いを持ち続けたい。「クールに」という大きな目標がありましたがやはり無理ですね(笑)。自分にしかできない「生き方」を貫いていきたい。こうやって「想い」を文字にすると安っぽく感じるかもしれませんが「宣言」することで後戻りできなくなる。特段やることを変えるというわけではありません。これまで通り、これまで以上に「やるべきこと」をやる。信じている「道」を進みたいと思っています。

で、木曜日の午後。トレーニングとしました。トレーニングをやる。これは何のためか?やはり「競技力を上げるため」です。「基礎筋力の向上」が最優先だと思っています。が、これも気を付けなければ「筋力を上げる」ことだけに特化してしまう危険性があります。表現が難しいのですが。何度か書いていますが男子はトレーニングをすると「身体付き」が変わってきます。筋肉が発達しやすいので見た目自体が変わってきます。そうなると「大胸筋をもっと大きくしたい」とか「高重量を挙げたい」という感覚になります。しかし、それは「目的が変わっている」のです。本来は「競技力を上げる」ということが狙いだったのに「筋力を上げる」ことにすり替わってしまう。よくあるパターンです。

考えていく中で「トレーニングをいかに競技につなげていくか」という課題が自分の中に出てきました。前日の走りとドリルのつながりの部分です。前任校で急激に競技力が伸びた選手がいます。春には11秒後半だったのに秋には11秒0台まで一気に記録が伸びました。こちらが何か指示をしたわけではないのですが「トレーニング」と「動き」の結びつきを自分自身で作り出していたのです。選手が「その気」になれば行動さえも変わる。劇的な変化でした。それを新しい環境下でやろうとしていました。が、いつの間にかやらなくなっています。ここは問題ですね。

「~をしなさい」という外から与えられた「動機づけ」では長続きしない。「やらされている」からです。一番強いのは「自分のためにやる」という姿勢。それが「自分のために自分にできることをやる」という行動につながっていきます。私が何を言おうと本人が「その気」にならなければ変わらないからです。師匠がよく言っていましたが「のどが渇いていない牛を水飲み場に連れて行っても水は飲まない」という部分です。最後は他の誰でもない。自分自身が何をするかだけなのです。

そういう部分もあって「種目間の時間の使い方」を徹底しました。まだ「やらされている」という部分になるかもしれませんが、次第に「自分からやる」ようになると思っています。これは継続です。やっているうちに本人たちが「やる気」になってくれなければいけません。朝練のペアで課題を共有してその克服のために「有効な練習」を考えさせました。とはいえ、最初からそれは無理だと思うので「課題克服のためのヒント」を示したのですが。あくまでヒント。「答え」を与えると面白くないですから。

時折近づいて声掛けをしました。できている動き、できていない動きをしつこく言い続ける。そのうちに選手たちは少し「工夫」をするようになりました。例えば「膝の引き出しができない」という課題がある。ハードルを使った「移動」を指示していたのですが、待ち時間に壁を使って「引き出し」を始めました。待ち時間を有効に使う。課題となる部分をどうすれば克服できるか考える。良い傾向です。

跳躍系の種目も同様にイメージを始めました。最初は「スイッチング」の課題だけだったのですが「専門種目に活かす」という課題を加えました。そうすると同じ動きだけではなく「踏切局面」や「踏切からの引き上げ」など少しずつ異なることを始めます。「鍛える」という部分だけではなくそれを「やりたいことにつなげていく」という視点をしっかりと持ちたいと思います。様々な補強をひたすらやるというスタイルから「一つ上」の練習をしていく。これまでやったことがない練習ですがかなり面白いと思っています。

一朝一夕でできることではありません。わかっています。今は付きっ切りで指示をしているから「つなげていこう」という意識が持てるのかもしれない。居ない時にどうなるか。あとは「意識レベルを上げていく」しかない。自分が強くなるために自分がやるべきことをやるのです。もちろん、「強くなりたい」という気持ちがなければそれは継続できないですが。

少し異なる取り組みをしていこうと思っています。「常識的な練習」ではないかもしれません。それでも私自身が「意味がある」と信じている内容をやる。ある一定水準以上の「意識レベル」が必要になるのは間違いないと思います。「心」を育てる部分にもつながっていくと思います。

良い練習になったと思っています。まだまだこれから。
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少しずつの工夫

2016-01-15 | 陸上競技
木曜日、朝練でいろいろなことをやってみました。前日に気付いた部分があるのでそこをどう克服するかに課題を置きました。走りに関しては様々なタイプがあります。もちろん、人それぞれ違うのですが比較的似た課題を持っている選手同士をペアにして練習をしました。

バランスディスクを使った練習。バランスディスクは有用だと思っています。その練習が最近減っているなと感じていました。中四国合宿の時も他のパートがやっているのに自分のところができないという状況もありました(笑)。まー効果があると思ってやってもらえているのだから良いかなという気はします。私自身、この練習を継続的に取り入れたいと思っていたのに他にやりたいことが多すぎていつの間にか疎かになってしまっている。これではダメですね(笑)。

バランスディスクを使った練習を他の種目の組み合わせをしました。例えば「膝が引き出せない」選手であればバランスディスクを使った補強をした後に「膝を引き出す」ための練習を入れる。股関節周辺に刺激を与えてからそれをすぐに「動き」につなげていくようにする。「スイッチング」が遅い選手は走り自体がモタモタします。切り替えに意識を置かせたいので刺激を与えた後に「切り替え」を意識した動きを入れる。当たり前のことです。が、気が付けば「鍛える」ことが中心となってしまい「どのように使うか」に課題が置かれなくなってしまいます。

肩甲骨周辺を動かす練習を意図的に導入しました。面白いことに「初めて肩甲骨の辺りが筋肉痛になった」という選手が複数出てきました。特別な練習をしているわけではありません。動かなかったものを動かすようにしただけです。肩甲骨のほうが意識しやすいのかもしれません。股関節に関してもこういう形で「筋肉痛になる」ように動かせないといけないのではないかと感じました。

実際の「股関節の動き」に関しては見ていて不十分です。前後に大きく開きませんし、股関節から動かすということができません。体幹に近い(股関節は既に体幹)部分を動かすほうが難しいのかもしれません。末端の動きを意識するほうが簡単なのだと思います。ハードルの連続抜きなども股関節を動かすのではなく足先で誤魔化しながら越えていく選手も出てきます。ここが「使えるようになる」だけで確実にパフォーマンスが向上すると思います。

実際のところ、「練習メニュー」に関しては全国どこでも大差はないと思っています。強豪校といわれるチームでもサークル的な活動をするところでも「走練習」という意味では走っていると思います。補強に関してもこれだけ情報が広く知れ渡る時代ですから特別な補強というのは存在しないのではないかと思っています。「真似をする」というだけでいえばどこでもできる感じがあります。

自分の中で「オリジナルの練習」を作り出すというのは難しいことかもしれません。うちでやる「走練習」も60mを走ったりタイヤ引きをするくらいのものですから「どこでもやっている」練習です。が、そこに少しずつ自分が考える「工夫」や「ポイント」を取り入れていくことが重要なのではないかと思っています。そこに「独自性」が出てくる。漠然とやるような練習よりも「意図を明確にする」練習が必要なのではないかと感じるようになりました。前からですが(笑)。

で、話が戻ります。バランスディスクを使うと「大きな筋肉」ではなく「小さな筋肉」へ刺激が入ります。不安定な中でバランスを保ちながらやっていくので普段使わないような「関節を保つ」ような筋肉へ負荷がかかります。それをそのまま動きにつなげていけばどうだろうか。これはある程度の「課題意識」を持った選手でなければ効果は出にくいかもしれません。「やれ」といわれて単純にその動きをやるというのでは上手くいかない気がしています。「モチベーション」というか「取り組む意識」というか、こういう部分が「最低限身に付く」ことが必要になると思っています。

少し時間がかかりましたが、今やっとそういう感覚を持とうとしている選手に成長してきたと思います。すぐにできるのであれば手間はかかりません。「全てこちらが準備してあげてからの練習」が通常「当たり前」といわれる状況。サービスを受けるのが「当然」という感覚があると思います。それを「どうすればもっと良くなるか」を自ら考えるようになることで「結果」は大きく変わってくると思っています。「主体性」ですね。

やっていることをしっかりと把握する必要がある。「なぜそのような練習をしているのか」という理解。「こんなことやって本当に意味があるのか?」という懐疑的な言葉を聞くことがあります。チーム内では最近聞きませんが。「意味がない」と自分で思うのであればやはりそこに「意味はない」と思います。それを選手が判断していい結果になるかどうか。上手くいった話はあまり聞きませんね。「意味がある」と思って提供している練習です。工夫次第で、本人の意識次第でどうにでも変わっていくと思っています。

ん?また長くなっています。続きは別の記事で(笑)。
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調子に乗ろう2

2016-01-15 | 陸上競技
前の記事の続き。本を読み終わってからの話。

そのタイミングで親しい指導者から連絡が。「揺らぐ」ことに関して。時々私が揺らいでいるのを感じ取ってくれている。ありがたい。私自身、「評価を気にしない」と言いながら心の何処かで「評価を気にしている」のではないかと思う。そこをズバッと指摘された。ちなみにこの指導者からは「人間として問題児」と「温かく」釘を差されている(笑)。なぜ「揺らぐ」のか。これも難しい話。

ある程度の指導ができるようになってきていると思う。自分としては「まだまだ」だと思うが世間一般的には「かなり」指導できるようになっている。こういう言い方をすれば「調子に乗っている」と言われるのかもしれないが「実際にそうだという自負」はある。だからといって「十分だ」とは思わない。だから「揺らぐ」のだと思う。

もっというと「目標とする人物」がいてその方と「比較」してしまうから「揺らぐ」のだと思う。師匠に多くのことを教わってきた。今の自分が存在するのは師匠からの多くの教えがあったから。わかりきっている。一人の力でここまで来たとは全く思っていない。が、自分の中で「師匠と比較する」部分がある。それは決して届かかないものへの「憧れ」である。比較して足りないから「揺らぐ」のだ。勝てない相手に勝とうとする。それは必要だと思う。が、絶対に勝てない部分がある。そこから目を背けていたらこのまま最後まで揺らぎ続けるのだと思う。

何度も書いているがマイルでインターハイを狙っていた時、師匠からは「冷静さを欠いていないか」と指摘されていた。当時の私は「分かっている」「大丈夫」と思っていた。素直に話を聞いたつもりであったが実際は「図に乗る」状態だったのだと思う。最低だ。ありがたいことに師匠の存在があるからこそ自分自身がいる。言葉では言い表せない。教えてもらうことはまだまだたくさんあると思っている。

勝てない部分にだけ目を向けるのではなく、「自分にしかできないこと」をやっていく。これが「揺らぐ」ことから抜け出す唯一の方法ではないか。「自分が絶対に正しい」とは到底思えない。宗教でない限りそれはできないだろう。が、自分自身もう少し「自信」を持ってもいいんじゃないかと思う。それくらいのことはやってきている。そして成功するために「努力する」ことと「頭をつかう」ことはやっている。決まりきったことをやっているわけではない。

これからどう道を進むか。それは今は分からない。親しい指導者からもらった「指摘」は絶妙のタイミングなんだと思う。人はその時その時に「必要な人と出会う」のだと思う。自分のやることを示してもらう「言葉」をもらうこと。これは「運命」なんだと思う。

「調子に乗る」という部分。実は大切なんじゃないかと思う。ちょっと調子に乗ってみようと思う。それほど若くはないが「今なら」できる気がする。エネルギーがあるうちに勢いづこう。勢いがあるから次から次へとやっていくことができる。「楽しい」からそれができる。苦にならないのである。自分がやっていることが「誰かの指針」になる日が来るかもしれない。その感覚を持ちたい。

自分がこれまでやってきたことを「選手に還元する」ようにしたい。自分のためではなく「誰かのために」やることが今の自分の「支え」になっている。万人の支えにはなれない。何かをやれば何かを失う。誰かに「良い」と思われれば誰かに「悪い」と思われる。そこの評価を気にしていたらやはり前には進めないのではないか。もし本当に「間違った方向」に進んでいるのであれば、本気で気にしてくれる人達がいると信じる。だから調子に乗ってみようと思う。良い意味で。

中途半端にやりたくない。調子の乗ってみよう。勢いでできることをやり続けてみよう。それで自分がどこまでできるのかを試してみよう。本気で思えた。

自己満足のblogです(笑)。キレイ事を書く気は最初からありません。思ったことを素直に書いてみた。捉え方によってはどのようにでも捉えられるでしょうから。

調子に乗ってみよう!!
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調子に乗ろう

2016-01-15 | 陸上競技
久々に本を読んだ。以前読んだ本だがもう一度原点に帰ってみようと思って読んでみた。いや、面白い。

その中で「調子に乗る」という内容があった。「調子に乗る」という表現自体はあまり良い意味で使われない気がする。「あいつ調子に乗ってる」と批判的に捉えれれる部分がある。しかし、その本の中では「調子乗る」ことと「図に乗る」ことは違うのだと書かれていた。同じような意味だと思うが、明確な差があると。

「調子に乗る」というのは「勢いづく」こと。「図に乗る」というのは「いい気になってつけあがる」こと。似ているようですが全く異なる。自分は他の人とは違うんだというのをアピールする。謙虚さを失い他者を大切にしなくなる。これが「図に乗る」ということだと思う。そして応援してくれる人もいなくなってしまう・・・。

世の中には「ツイている」と言われる人がいる。その人は何をやっても上手くいく気持ちになっている。実際にやればやるほどいい結果が出せる。「運がいいから」という表現になるのかもしれないが。この部分を表面的に捉えると面白くない。やる前から結果が決まっていて「運がいい」人だけが成功するという感じに捉えられるからだ。

その本には「批判を恐れずに書く」としてあった(笑)。まー誤解されやすい内容ですからね。実際のビジネス現場で「一生懸命にやっている人はほとんどいない」と。何か目指そうと思っている人はごく一部であり、それ以外の人は「それなり」に毎日を過ごしている。「自分は一生懸命に仕事をしている」と言うだろうが「本気でやっている人」からすればそれは「やっていないに等しい」と表現されていた。

本気でやっている人は「自分がやっていること」に満足しない。どれだけやっても「まだまだ」と思っている。そういう感覚を持てるから努力ができるのだと。「何をやっても上手くいく」と信じている人は、実際に他の人が想像している以上に「エネルギーを使っている」のだ。一生懸命に物事に取り組む事自体が「楽しい」のでそれが更なるエネルギーを生み出し前に進む。だから「普通」の人の2倍3倍の努力を苦にならずできる。「こんなことをやったら面白い」と思って次々にチャレンジするから更に上手くいく。

「成功は難しい」と思うから「本気になる」ことができない。成功することは大して難しくない。「成功しないかもしれない」というマイナスな考え方からスタートするから「本気になれない」のです。必死になってやり続ければある程度の「成功」は手にできる。ほんとうに難しいのは「成功を持続させること」。一時的な「成功」ではなくそれを何年も何年も続けることができる方が何倍も難しくなる。

成功をしないのは「努力をしない」ことと「頭を使わない」から。なるほど。まさにその通り。他者が上手く行ったことを羨んでいたり、目標を達成するために「工夫」ができなければやはり成功はしない。他者をバカにしてやるのではなく「自分の信じる道を進む」ことに「成功」への道があるのではないかと感じた。

長くなるので次の記事へ。
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