思うことを。
前から書いていますが世の中には多くの情報が流れています。情報の取捨選択。やはりこれは大事だと思っています。多くの情報の中から自分自身が何を選ぶか。ここで人生は大きく変わると思っています。
県外の学校に練習に行く。これは本当に貴重な経験だと思っています。その場に行って多くのことを感じ取る。その場で感じ取る部分というのは本当に大きいと思います。こういう時は人間、「真っ直ぐに物事を見る」という姿勢で訪問します。一応私も同様。人によっては「全てを肯定的にとる」人もいると思います。前も書きましたが「強豪校でやっている練習だから良い練習」と判断して導入する。
日本人は「権威主義」が大好きです。過去の実績で評価することが多い。一流選手で現役で活躍していた選手は無条件で「良い指導者」として評価されます。競技力があったのだから競技に対する理解もしっかりとしていていい指導をする。そういう傾向もあるかもしれませんが実際は違ったりします。逆に自分がその競技をしていなくてもきちんとした「モノの見方」をしていれば大きな実績を上げることもあります。以前、県総体で女子10連覇をした学校の指導者は全く別の種目から陸上の指導者になったと聞いています。「思い込み」がない状況からの練習のスタートなので現場で起きていることを受け入れていくスタンスがあるからできることもある。そう思います。
「速い選手だから良い動きをしている」というのはどうなのか。もちろん、効率的な動きをしているから速いのですが。県内のある選手が1年生の時からずっと強かった。が、その選手が1度だけ負けたことがありました。相手は腰が落ちてパワーだけで走る選手でした。。とてもいい動きとは思えません。普段からきちんと走れている選手のほうが間違いなくいい走りをする。が、ある人が「勝った方の選手」の動きを褒めていました。「~だから速いんだ」と。うーん、私は一生分かり合えないと思いましたね。確実に「パワー」で走っている。それが偶然はまって走れたのだと思います。人によっては「勝った選手の動きの評価」にしかならない。それは「モノの見方」だと思います。そうい見方をしていたら絶対に次につながらないと思いますが。
上述のように「権威主義」があります。その内容が分からないにも関わらず「強い選手がいる学校」の練習を最大評価する。速い選手の動きを見て「膝から下が振り出されているから速い」と表面的な話をする。前日本記録保持者の伊東浩司さんが記録を出した時に「やはりマック式の動きは正しい」という人もいました。そこではない部分が非常に大事なのに「膝から下の振り出し」にのみ着目している。目に見える動きのみの評価。
県外に行く。それにより間違いなく「感化」される部分が出てきます。肌で感じて「雰囲気」が良かったから自分もこういう練習をすればいいんだと思う。ある意味正解ですがある意味間違っていると思います。前から書いていますが「なぜその練習をするのか」という意味が分からないままでやっているからです。うちなんて三流ですから見ていても「面白くない」と思います。だって権威はないし伝統もないから。それでも「面白いこと」をやっているとは思うんですけどね。
私は県外に行くときには「若干否定的な視点」をもっていくようにしています。こんなことを書いたら受けれいてもらえなくなるかもしれませんが。「何をやろうとしているのか」を見る。まーお金がかかることですから「訪問先の選択」は「目的」に応じて行っています。選手が雰囲気を感じることであったり私自身が「勉強したい」と思う場面であったり。
昨年、大阪に行きました。何度も書いていますがこれは一番衝撃でした。指導のスタイルであったり練習の内容であったり。そこに「何があるのか」を考えさせられました。特別な選手が集まる学校ではない。それでも「確実に強くなる」のです。その理由を探る。実はすごく楽しい時間でした。mtm先生は「いい迷惑だ」と思っていたかもしれませんが。全てを肯定的な視点で見ていくのではななく「なぜやるのか」をひたすら見る。この中から大きなことを幾つも学びました。若い(私より)指導者でも本当にきちんと指導されている方がいるというのは大きな刺激になりました。やりたいなと思っていた練習がそこにありました。モヤモヤしていた部分がきちんと話をしてスーッとなくなる。また行きたい。
例えば中学生が高校の練習に参加する。なんとなくすごいことをやっている気がする。自分よりも年上の選手がやっているのですから当然そのように感じると思います。が、それはその時に感じたことであって本当かどうかは分かりません。「正しい情報を手に入れる」という部分でも触れましたが。こういう部分は「権威主義」の中では絶対に分からない。本当の意味の評価をしていかないといけないと思います。
私なんてかなりの「アウトロー」だと思います。協調性がないと何度言われてきたことか。が、「意味がないな」と思うことにエネルギーを注ぐ意味が分かりません。世の中を上手くわたっていくためには「嫌でも付き合う」というのが必要になります。社会人として当然です。かなり苦手ですが(笑)。どんな指導をするか、自分にとってプラスになるかというのは判断材料の大きな部分だと思っています。
感化されないようにしたい。それは強く思います。ぬるま湯に浸かってそれなりに生活するよりはもっともっと色々と考えながらやる方が楽しい。人によっては中国大会に行くのが最大の目標だったりします。それでもいいと思う。近畿ではインターハイに行くがそのままインターハイで戦うことに繋がります。だからインターハイに行くことを目指せばそれが全国で戦うことになる。これも「地区大会を勝ち抜く」という感覚の差だと思います。きちんと見極めないといけない。
色々な人と話をしていて「モノの見方」の違いをすごく感じます。どちらが正しいというものではない。師を選ぶ。ここは大切だと思います。我が師匠はそういう意味ではすごい人だと改めて思います。本当に多くのことを学ばせてもらった。なんでみんな学びに行かないのか本当に不思議でした。こんなに近くにいるのだから、お願いして色々と教えてもらえばいいのに、と。が、実際問題そこまでして指導について考えるって少ないんじゃないかという感じがします。我々のような「モノの見方」をする方が少数派なのだと。だから行かない。本当にもったいないんですけどね。
モノの見方。自分なりの視点で見ていきたいと強く思います。
またまとまらない事を書いていますね。
前から書いていますが世の中には多くの情報が流れています。情報の取捨選択。やはりこれは大事だと思っています。多くの情報の中から自分自身が何を選ぶか。ここで人生は大きく変わると思っています。
県外の学校に練習に行く。これは本当に貴重な経験だと思っています。その場に行って多くのことを感じ取る。その場で感じ取る部分というのは本当に大きいと思います。こういう時は人間、「真っ直ぐに物事を見る」という姿勢で訪問します。一応私も同様。人によっては「全てを肯定的にとる」人もいると思います。前も書きましたが「強豪校でやっている練習だから良い練習」と判断して導入する。
日本人は「権威主義」が大好きです。過去の実績で評価することが多い。一流選手で現役で活躍していた選手は無条件で「良い指導者」として評価されます。競技力があったのだから競技に対する理解もしっかりとしていていい指導をする。そういう傾向もあるかもしれませんが実際は違ったりします。逆に自分がその競技をしていなくてもきちんとした「モノの見方」をしていれば大きな実績を上げることもあります。以前、県総体で女子10連覇をした学校の指導者は全く別の種目から陸上の指導者になったと聞いています。「思い込み」がない状況からの練習のスタートなので現場で起きていることを受け入れていくスタンスがあるからできることもある。そう思います。
「速い選手だから良い動きをしている」というのはどうなのか。もちろん、効率的な動きをしているから速いのですが。県内のある選手が1年生の時からずっと強かった。が、その選手が1度だけ負けたことがありました。相手は腰が落ちてパワーだけで走る選手でした。。とてもいい動きとは思えません。普段からきちんと走れている選手のほうが間違いなくいい走りをする。が、ある人が「勝った方の選手」の動きを褒めていました。「~だから速いんだ」と。うーん、私は一生分かり合えないと思いましたね。確実に「パワー」で走っている。それが偶然はまって走れたのだと思います。人によっては「勝った選手の動きの評価」にしかならない。それは「モノの見方」だと思います。そうい見方をしていたら絶対に次につながらないと思いますが。
上述のように「権威主義」があります。その内容が分からないにも関わらず「強い選手がいる学校」の練習を最大評価する。速い選手の動きを見て「膝から下が振り出されているから速い」と表面的な話をする。前日本記録保持者の伊東浩司さんが記録を出した時に「やはりマック式の動きは正しい」という人もいました。そこではない部分が非常に大事なのに「膝から下の振り出し」にのみ着目している。目に見える動きのみの評価。
県外に行く。それにより間違いなく「感化」される部分が出てきます。肌で感じて「雰囲気」が良かったから自分もこういう練習をすればいいんだと思う。ある意味正解ですがある意味間違っていると思います。前から書いていますが「なぜその練習をするのか」という意味が分からないままでやっているからです。うちなんて三流ですから見ていても「面白くない」と思います。だって権威はないし伝統もないから。それでも「面白いこと」をやっているとは思うんですけどね。
私は県外に行くときには「若干否定的な視点」をもっていくようにしています。こんなことを書いたら受けれいてもらえなくなるかもしれませんが。「何をやろうとしているのか」を見る。まーお金がかかることですから「訪問先の選択」は「目的」に応じて行っています。選手が雰囲気を感じることであったり私自身が「勉強したい」と思う場面であったり。
昨年、大阪に行きました。何度も書いていますがこれは一番衝撃でした。指導のスタイルであったり練習の内容であったり。そこに「何があるのか」を考えさせられました。特別な選手が集まる学校ではない。それでも「確実に強くなる」のです。その理由を探る。実はすごく楽しい時間でした。mtm先生は「いい迷惑だ」と思っていたかもしれませんが。全てを肯定的な視点で見ていくのではななく「なぜやるのか」をひたすら見る。この中から大きなことを幾つも学びました。若い(私より)指導者でも本当にきちんと指導されている方がいるというのは大きな刺激になりました。やりたいなと思っていた練習がそこにありました。モヤモヤしていた部分がきちんと話をしてスーッとなくなる。また行きたい。
例えば中学生が高校の練習に参加する。なんとなくすごいことをやっている気がする。自分よりも年上の選手がやっているのですから当然そのように感じると思います。が、それはその時に感じたことであって本当かどうかは分かりません。「正しい情報を手に入れる」という部分でも触れましたが。こういう部分は「権威主義」の中では絶対に分からない。本当の意味の評価をしていかないといけないと思います。
私なんてかなりの「アウトロー」だと思います。協調性がないと何度言われてきたことか。が、「意味がないな」と思うことにエネルギーを注ぐ意味が分かりません。世の中を上手くわたっていくためには「嫌でも付き合う」というのが必要になります。社会人として当然です。かなり苦手ですが(笑)。どんな指導をするか、自分にとってプラスになるかというのは判断材料の大きな部分だと思っています。
感化されないようにしたい。それは強く思います。ぬるま湯に浸かってそれなりに生活するよりはもっともっと色々と考えながらやる方が楽しい。人によっては中国大会に行くのが最大の目標だったりします。それでもいいと思う。近畿ではインターハイに行くがそのままインターハイで戦うことに繋がります。だからインターハイに行くことを目指せばそれが全国で戦うことになる。これも「地区大会を勝ち抜く」という感覚の差だと思います。きちんと見極めないといけない。
色々な人と話をしていて「モノの見方」の違いをすごく感じます。どちらが正しいというものではない。師を選ぶ。ここは大切だと思います。我が師匠はそういう意味ではすごい人だと改めて思います。本当に多くのことを学ばせてもらった。なんでみんな学びに行かないのか本当に不思議でした。こんなに近くにいるのだから、お願いして色々と教えてもらえばいいのに、と。が、実際問題そこまでして指導について考えるって少ないんじゃないかという感じがします。我々のような「モノの見方」をする方が少数派なのだと。だから行かない。本当にもったいないんですけどね。
モノの見方。自分なりの視点で見ていきたいと強く思います。
またまとまらない事を書いていますね。