色々とやりたいのですがなかなか。blogを書こうと思っていても時間を確保できない。書きたい内容があった気がするのですがその直後に書いておかないと忘れてしまう(笑)自分のために書いている内容です。
最近はちょっと競技や動きのことについて触れています。そのタイミングでスマホの中にある写真を見ることがありました。数年前にblogに色々と書き込まれたコトがありました。「自分がすごい指導者と勘違いしている」「周りからの評判が悪いのだから自覚しろ」などなど。もっと辛辣な言葉を並べられていました。多分今でもそう思っている人もいるのでしょう。万人から受け入れられることはない。不特定多数が閲覧できるblogです。面白くないという人も複数いてもおかしくない。
blogなんてわざわざ見なければ良いと思っています。こういうことを書くとテレビ局みたいに炎上するのかもしれませんが。別に見ることを強要されるものでもない。あまり閲覧者が増えるのはそはういう危険性を含んでいます。興味がある人が少し見ればいい。別に芸能人のblogのよくにアフィリエイト広告を載せているわけでもありません。blogにあれこれ書いていることで繋がりも生まれます。そこは大切にしたいなと考えています。
話がズレています(笑)本当は別の事を書きたかったのですが。
先日からあれこれ見直しをしています。その中で感じた事を少し書いておきたいと思います。「練習のパターン化」と「フレキシブルな練習」について。
前任校では練習に関してほぼパターン化していました。冬季練習に関しては特にです。曜日によってやることを決めていてそのメニューを消化していく。もちろん見ていて気づいたことは話します。それでもパターン化した練習が多かったと思います。どちらかというと動きなどを徹底してやるという部分が多かったかなと。もちろん、完全に固定化しているわけではありませんでしたが。その日その日によって「狙い」を明確にしてそこをどう克服するのかという内容が多かったですね。
転勤してから全くといっていいほどスタイルが変わりました。まずは「練習をすること」から。「なんでこんなにやるのか」という感じが強かったので。トレーニングに関しては「30分やってその日は終わり」という感じが強くありました。試合前の土曜日は山での練習が当たり前。「伝統」を崩すというのでかなり大変でした。そのため「練習をする」ことを最優先。「飽きずにやる」とか「楽しく体を動かす」という部分がメインになりました。変革するという部分は大きなエネルギーを要します。そのため「楽しく練習する」という中に「負荷をかける」という部分を入れ込みました。良いか悪いかは別として。
「毎日同じ練習」をするチームがあります。これは「意図」があってなのか、「それしか引き出しがないのか」で違ってくるとは思いますが。「意図」があっての「同じ練習」であればきっと効果があると思います。同じ練習をする中で「変化」を感じ取ることができる。そういう視点の中での練習というのも当然あると思います。それしか「やり方を知らない」という中での「同じ練習」とは根本的に違う気がします。見ていて「変化」があるかどうかに注目するには「同じ練習」の方が良い意味でも悪い意味でも「変化」を把握できる。崩れた場合も改善された場合も「指導者がきちんと見ている」という前提の中では分かりやすいと思います。
今は「フレキシブルな練習」がメインになっています。何人かはかなり「強くなりたい」という気持ちがあるので「同じ練習」であっても問題なくやっていけるという気はしています。「強くなるための手段」として練習があるわけですからそれが「パターン化」しているかどうかは関係ない。が、以前のように「同じ練習」ばかりやっていたら私自身が面白くないなという気がしています。更に「刺激が固定化される」気がしています。色々なことをやりながらバランスよく強化していくことが必要なのかなという気がしています。
どちらが「絶対的に正しい」というものではないと思っています。「意図」があればそれでいいのではないか。以前言っていたことと180度反対のことをいうことだってあると思います。単純にそう思ったというのではない。以前やっていたことにも確実に意味がある。しかし、「もっとこうしたほうが良いんじゃないか」という結論を導き出すことだってある。風見鶏のように日替わりで方向性が変わるのは違うと思いますが。
今は「固定化」「パターン化」しないようにしています。テスト期間中は時間が限られているので仕方ない部分がありますがそうでないときには「日替わり」でやりたい。もちろん、その中には「明確な狙い」を持ちづつけたい。一回の練習で、その日だけの練習で「動きを変える」ことを狙いにするのではなくある程度長いスパンで見ていって「あれ?動き変わったよね?」っていうのが今の理想。動きの自動化という部分につながるかなと。
あー。またよくわからない内容になっています。自己解決。
最近はちょっと競技や動きのことについて触れています。そのタイミングでスマホの中にある写真を見ることがありました。数年前にblogに色々と書き込まれたコトがありました。「自分がすごい指導者と勘違いしている」「周りからの評判が悪いのだから自覚しろ」などなど。もっと辛辣な言葉を並べられていました。多分今でもそう思っている人もいるのでしょう。万人から受け入れられることはない。不特定多数が閲覧できるblogです。面白くないという人も複数いてもおかしくない。
blogなんてわざわざ見なければ良いと思っています。こういうことを書くとテレビ局みたいに炎上するのかもしれませんが。別に見ることを強要されるものでもない。あまり閲覧者が増えるのはそはういう危険性を含んでいます。興味がある人が少し見ればいい。別に芸能人のblogのよくにアフィリエイト広告を載せているわけでもありません。blogにあれこれ書いていることで繋がりも生まれます。そこは大切にしたいなと考えています。
話がズレています(笑)本当は別の事を書きたかったのですが。
先日からあれこれ見直しをしています。その中で感じた事を少し書いておきたいと思います。「練習のパターン化」と「フレキシブルな練習」について。
前任校では練習に関してほぼパターン化していました。冬季練習に関しては特にです。曜日によってやることを決めていてそのメニューを消化していく。もちろん見ていて気づいたことは話します。それでもパターン化した練習が多かったと思います。どちらかというと動きなどを徹底してやるという部分が多かったかなと。もちろん、完全に固定化しているわけではありませんでしたが。その日その日によって「狙い」を明確にしてそこをどう克服するのかという内容が多かったですね。
転勤してから全くといっていいほどスタイルが変わりました。まずは「練習をすること」から。「なんでこんなにやるのか」という感じが強かったので。トレーニングに関しては「30分やってその日は終わり」という感じが強くありました。試合前の土曜日は山での練習が当たり前。「伝統」を崩すというのでかなり大変でした。そのため「練習をする」ことを最優先。「飽きずにやる」とか「楽しく体を動かす」という部分がメインになりました。変革するという部分は大きなエネルギーを要します。そのため「楽しく練習する」という中に「負荷をかける」という部分を入れ込みました。良いか悪いかは別として。
「毎日同じ練習」をするチームがあります。これは「意図」があってなのか、「それしか引き出しがないのか」で違ってくるとは思いますが。「意図」があっての「同じ練習」であればきっと効果があると思います。同じ練習をする中で「変化」を感じ取ることができる。そういう視点の中での練習というのも当然あると思います。それしか「やり方を知らない」という中での「同じ練習」とは根本的に違う気がします。見ていて「変化」があるかどうかに注目するには「同じ練習」の方が良い意味でも悪い意味でも「変化」を把握できる。崩れた場合も改善された場合も「指導者がきちんと見ている」という前提の中では分かりやすいと思います。
今は「フレキシブルな練習」がメインになっています。何人かはかなり「強くなりたい」という気持ちがあるので「同じ練習」であっても問題なくやっていけるという気はしています。「強くなるための手段」として練習があるわけですからそれが「パターン化」しているかどうかは関係ない。が、以前のように「同じ練習」ばかりやっていたら私自身が面白くないなという気がしています。更に「刺激が固定化される」気がしています。色々なことをやりながらバランスよく強化していくことが必要なのかなという気がしています。
どちらが「絶対的に正しい」というものではないと思っています。「意図」があればそれでいいのではないか。以前言っていたことと180度反対のことをいうことだってあると思います。単純にそう思ったというのではない。以前やっていたことにも確実に意味がある。しかし、「もっとこうしたほうが良いんじゃないか」という結論を導き出すことだってある。風見鶏のように日替わりで方向性が変わるのは違うと思いますが。
今は「固定化」「パターン化」しないようにしています。テスト期間中は時間が限られているので仕方ない部分がありますがそうでないときには「日替わり」でやりたい。もちろん、その中には「明確な狙い」を持ちづつけたい。一回の練習で、その日だけの練習で「動きを変える」ことを狙いにするのではなくある程度長いスパンで見ていって「あれ?動き変わったよね?」っていうのが今の理想。動きの自動化という部分につながるかなと。
あー。またよくわからない内容になっています。自己解決。