kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ジプシーのように・・・

2020-03-04 | 陸上競技

引き続き。こういう状況ですから「練習場所の確保」というのが大きな問題になります。身体を動かすためにはある程度の「場所」が必要になります。これを確保するのは本当に難しい。

 

ある者が「身体を動かそうと公園に行ったら子供たちが遊んでいたので使えなかった」との報告をしてくれました。現実問題だと思います。「休業」ということで「不要不急」の場合を除いて外出ができない。身体を動かすために「密閉空間」ではない公園に行く。そこには小学生たちが集まって遊んでいる。小学生が単独で遊ぶことは考えにくい。そうなると・・・。ですね。

 

また、ある者は「前日使えたグランドが使えなくなった」と。「学校が休業になっているので学生には使わせることができない」と断られたそうです。そのため家の近所にある不整地で走ったと。整備されているわけではないデコボコの広場。それでも「身体を動かせる」という意味では「できないよりはまし」という感じになるのかもしれません。

 

「中学校のグランドで高校生が遊んでいる」というのが県内であったそうです。何をしていたのかの詳細は不明ですが本当に遊んでいたのかもしれません。サッカーをしたり野球をしたり。複数人で何かをしているとそこに対して「不謹慎だ」という話になる。この状況からすれば「予想できる範囲」かもしれません。一人二人で練習をしている姿と複数人で何かをやっている姿。外側から見れば「目的をもって練習をしている」ことと「単純に遊んでいること」に「差」はないと思います。

 

「身体を動かす」ことが「悪」としてみられる。その現状は間違いなくあります。室内種目で道具を介する種目と屋外で自分で身体を動かす種目がで感染拡大のリスクは圧倒的に違うと思います。しかし、それは私の意見であって実際は違うのかもしれません。そういう部分をどうとらえるか。自分の視点からだけ物事を見ているといいことはないなと思っています。

 

トレーニングジムで感染拡大したというニュースが出ます。卓球で年配の方が集団感染したという話が出ていました。小中高の学生は「他の人に移す危険性がある」の集まってはいけないと言われる。が、年配の方にはそういう「強制力」は一切存在しません。重篤化するのは一般的に「高齢者」であり、「持病」がある方です。こういう部分に対してどのように考えるのか。集まることが「悪」のようになるのであればこういう部分も制限をする必要が出てくるのかもしれません。

 

高校生が「身体を動かす」という部分。実は集団でなければ「高校」でやるほうが安全なのではないかなという気はします。これは希望的観測なのかもしれませんが。中学生が公園で野球をしているので小学生が危ないという話を聞きました。中学生と小学生が同じ空間にいて何かをすることになればやはり危険が伴います。それぞれに「場所」と「条件」を与えてあげることで色々な部分が変わってくるのではないか。そう感じます。

 

これは私の「一方的な視点」でみている。それは分かっています。とはいえ、色々な立場から問題がをとらえていく必要があると思います。競技場が使えればそこでやるのはいいのか。そうなると多くの人間が一か所に集まるのでリスクが大きくなるのではないか。ある程度のルールを決めて何かをやるほうがいいのではないか。本当に「一切外出を禁止する」ということができるのか。

 

本当にジプシーのような感じですね。どうするのか。

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不透明な日々

2020-03-04 | 陸上競技

全国一斉休業となりました。地区によって多少差はあるようです。山口県は「一律休業」という形になっています。しかし、話を聞いてみると各校によって多少差はあるようです。近隣の学校は卒業式の後に在校生を登校させて指示を出す時間を確保したようです。また、別の学校では一斉に投稿させずに出席番号で区切って分散登校をさせて指示を出す。考え方によっては様々な事ができるなと。

 
こうやってblogを書く。意味があるかどうか分かりません。批判される対象になる可能性はあると自覚しています。それでも書き記しておく意味はあると考えています。同じような状況で活動している人達に対してのメッセージも含んでいます。発信し続ける事で誰かの役に立つかもしれない。その部分を意識的にやっています。
 
単独で練習をする。それはなかなかしんどい部分があると思います。これまで集団でやるという中で成立していた練習が様々な部分で自分でやらなければいけない。ここをどう乗り越えるか。最初は意欲的に取り組んでいたとしても時間の経過によりその「想い」は冷めていきます。怠惰な生活に慣れていけばそれはあっという間だと思っています。
 
今回に関しては「練習計画」を自分で立てるというようにしています。ここに対してこちらが修正をして返す。スマホのメモなどで作成すると詳細が決められないので全て「Word」で文書化します。それを「OneDrive」を使って「共有」という形で示す。スマホ、PC、ネットを使いながら練習計画の共有をする。
 
ここに関しては約束事があります。練習計画のベースは必ず自分で作る事です。これまでは私が必要だと考えていることを毎日提供する形で行っていました。全員が同じ練習をするという形態をとっているので「自由度」が低い。ある選手にとっては必要でもある選手ににとっては別のメニューの方が良かったりする。これはタイミングの問題というのもありますが。
 
今回は全体で練習ができなくなる。基本一緒に練習するのは禁止としています。逆にいうと「自分に必要なこと」をする事ができる。練習の徹底ができます。この意味では大きなチャンスなのではないかなと考えています。
 
事前に計画を立てる。ここは重要だと思っています。単純に身体を動かせば良いとは思っていません。ここで大切になるのが「自分で考える」「きちんと計画する事」です。今の自分にとって「何をするべきか」を考える。それを具体性を持ってメニュー化する。練習というのは「速く走るための準備」だと思います。「やれば良い」とは思っていません。そのことに関してはかなりしつこく言い続けています。
 
練習には「明確な目的」が必要になります。曖昧な練習をしていてもある程度の効果はあると思いますが最大限の成果を引き出す事が出来ません。また、詳細設定をしていなければ練習をしていてキツいからメニューを変更するということも出てきます。アバウトな練習計画は「無意味」だと考えています。本当に必要なことを自分でどのように考えるか。
 
練習計画を立てるというのは「自分自身の理解」に繋がります。その時その時に自分にとって必要なものが見えてくるからです。思いつきで練習をするのではなく「必要だからやる」という部分を重視する。かなり手間がかかると思います。それでも普段とは異なる環境で自分に必要なことをやるという環境。それがどのような意味を持つか。「自分のための練習」を「自分のために作る」という感覚です。それが持てない選手はこれからどんなことをやっても変化は生まれないのかなと。
 
もちろん、「自分で考えろ」と丸投げするつもりはありません。必要な「材料」は渡しています。その資料をどのように利用するか。「補強」「加速段階」「中間」と色々な資料を渡しています。ここ最近やっていない練習もあるはずです。それを見ながら「これをやってみよう」というチャレンジができる。そういう貴重な時間だと思います。「与えられる」ことに慣れている。だから自分から作り出そうとしない。「資料」を読み解いていって自分に必要なことを見つけ出す。そういう「力」を身につける機会にもなると思っています。
 
変化を生み出す。それが全員にできるのが理想。現実はそんなに簡単なものではない。「思い付き」でやってしまうことが多い。将来に対する計画が立てられないので「なんとなくやる」ことが増える。「練習計画」を立てることを通じて「自分が何をするべきか」「何が足りないのか」を考えることができる。
 
また書きます。先が見えません。難しいですね。
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