思うことを。
数日前、親しい指導者と一緒に食事へ。このご時世に「外食」をするというだけでバッシングを受けそうですが。いつものお店であれば大丈夫かなと。12月は私たちだけで開店から閉店まで過ごしましたから。今回も行ってみると閉まっていました。最初からお店を開けないようです。これはここだけではなく色々なところであることなのかなと。
ここ最近蓄積している鬱憤を晴らす感じでしょうか。早い時間から始めていつもより早く終わろうという話にしていました。健康に気を使って。
いつもの通りの雑談のような話でした。「陸上競技」に関しての話は少なった気がします。それ以外の話が多かったかなと。ここ最近の過ごし方を互いに。「kanekoは7部活をやっている」という噂が流れているようですが「100%やっていない」と断言できます。メニューのやり取りはしますがそれ以上はない。練習場所でずっと見て指導をするということは皆無。清掃活動中に山で出会ったり公園の前を通ったりはしましたが「指導」に関しては一切しない。
何をしていたか。ひたすら「清掃活動」と「奉仕作業」です。誰かと何かをやってもよかったのですが「一人で何かをやる時間」というのが欲しかったというのもあります。毎日の生活のリズムを変えたくない。人間は「慣れ」がでます。仕事の効率も悪くなる。そうであれば限られた時間を有効に使いながら「普段できないこと」をやろうと。
限られた時間をどのように使うか。「清掃活動」をする。ということはその時間、色々な仕事が滞ることになる。だから空き時間に必ず先に「仕事をする」ようにしていました。普段は朝練が始まる前にやってしまうのですが今はその時間は「清掃活動」に充てている。人前で仕事をしなければいけないというのも面白くないのですが仕方ない。
時間に余裕があれば「まだ大丈夫」という気持ちになります。「やりたいこと」があるから「限られた時間を有効に使う」のだと思います。期限が決まらず「慌てなくてもいい」という状況になると人はその時間に合わせてしまう。だから今まで通りやってしまうようにする。
「練習」の時間を確保するためにそれ以外の時間を使う。「陸上ばっかり」といわれるのかもしれません。が、やるべきことをすべてやっています。だから「時間」が作れる。集中してやれば大抵のことは終わらせることができます。「仕事ができる」「仕事ができない」という話ではなく「きちんとやれば終わる」と考えています。だからだらだらやらない。
更に「清掃活動」をしながら「考える」という時間を作りました。本来であれば読書などをして見聞を広めるという時間なのかもしれません。しかし、そうではなく「今しかできないことはなにか」を考えて「ひたすら一人で行動する」時間を作りました。普段気が付かないことに気づく。見えないものを見る。そこで何を感じるか。
前の記事にも書きましたが「自己中心的な考え方」で行動する人が多い。私は場面場面での発言が「自分のことばかり」と思われがちです。そうなのかもしれません。が、実際は「どうすればうまく回るか」に関して考えていっています。「イライラ」する部分はあるので「誤解されやすい言葉」を使うかもしれませんが。それがどのような形で伝わっているかも本当は考えないといけないのかもしれません。
「良い人ですね」といわれるために何かをする気は全くありません。結局は「他者の評価」でしかない。もちろん認められることは必要だと思いますし、気分が悪いわけではない。しかし、「他者からの評価のため」に行動を起こすというのは自分の中では耐えられない。「生徒のために」というきれいごとを言いながら実際は「自分のため」にやるというのも嫌。表面的な話ではないからです。
そういう部分をここ1か月感じながらやってきました。貴重な時間だったと思っています。何事もなければもっと狭い視野で目の前のことしか考えなかったのではないかと思っています。目の前の選手のためにという部分が大きくなりすぎて肩の力が入りすぎる。そうではなく「俯瞰」することも必要になる。距離感を置きながら見ていく。周りの様子も「どうかな」と思ってみていく。ちょっとおおらかな気持ちになっていました。
競技に対する「気持ち」はまた別に書きます。「おおらかな気持ち」になったと言いながらまた「激情」することが。上述のように「自分のことだけ」ではなく色々と感がるからのことです。また書きます。