更新できていませんでした。若干体調を崩していました。新型コロナではないと思います。単純に風邪を引いただけかなと。
日曜日、思うことがあって職場の周りの清掃活動を。ここ最近は毎日のように清掃活動をしています。2時間程度でしょうか。職場の周りだけではなくかなり離れたところまで行っています。
とりあえず毎日1万歩くらいは歩いているかなと。普通の散歩であればもっと歩くのだと思いますが清掃活動をしながら歩いているのでそこまで歩数は増えません。一箇所に留まって吸殻を拾うこともあるので。動き続けているのは間違いないのですが。
日曜日は更にグランドの周りの除草作業。ネットの外側にかなり草が生えているのでそれを2時間以上かけてきれいにしていきました。これは思った以上にダメージがありました。不安定な場所での除草。それも全て手作業です。抜いては一輪車に運ぶという流れを繰り返していたので思った以上に歩いていました。
普段やらないことをやる。それによりダメージが蓄積していたようです。辛い。
ある朝、清掃活動中に小銭入れを払いました。これまで朝練をしていた時間帯にも清掃活動をしています。私自身の生活リズムを変えたくないので。これまで通りに出勤してこれまで通りに活動する。そこを変えてしまうと結局ダラけてしまうのではないかなという気がしています。まー目の前に生徒がいないので我々がやるべき事はなくなっています。
先行き不透明な日々が続いています。色々な所で話をすると「土日が完全に休みだからこれに慣れてしまう」という内容になります。当然だと思います。生徒も同様。選手も同様。これが「働き方改革」と言われたらそうなのかもしれません。ひょっとするとこれを機に「高校スポーツ」はアウトソーシングするようになるのかもしれません。教員ではない他の誰かが指導するようになる。それならそれで良いのかもしれないなと感じてはいます。
「外部指導員」の導入。ここも以前から言われています。「専門性の高い人の指導を受ける」という表現をして「教員よりも専門的な指導を受けられる」みたいな感じで持ち上げられました。まーそれならそれで良いんじゃないかなという気はします。
頭を使って考えてもらいたい。自分が選手としてやっていたから指導ができる。そんな勘違いをしている人がこの世の中にどれだけいるのか。自分がやることとコーチングは全くの別物です。あえて書いていますが。
ある程度勉強しなければ現場での指導は不可能だと思っています。私自身、現役の頃にやっていた事はすでに陳腐化しています。恥ずかしくて今はできない。無駄に量を追ってやっていました。技術的なことも自分がやっていた時とは全く違います。そこの路線変更ができるかどうかは指導する中で大きな「分岐点」だと思っています。
世の中は「全国大会に出た」という肩書に弱い。そういう指導者がいたら間違いなく「すごい人だ」と思う。私がこれまで接してきて「素晴らしい方だな」という人達は実績云々ではなく「指導する視点」が優れている。そこが大事ではないか?「過去」に頼りながら生きていく生き方はしたくない。指導は「選手のため」でなければいけない。
まー、そんなことを考えながらやっています。歩きながら清掃活動をすると思っている以上に自分自身で考える時間が生まれます。向き合うというか。こうなったらお寺で坐禅を組むのもありなんじゃないかなと考えています。
アウトソーシングする。そこに負けないだけの自信はあります。「勉強している」という部分ではしっかりとやってきてます。経験論で物事を語るのだけは絶対にやりたくないなと。あとは過去の栄光をあれこれ主張するのも絶対嫌。そこだけは譲れないなと。
あー。まとまらず。訳の分からない内容ですね。
徒然なるままに...。