何をもって「活動」という表現をするか。ここは非常に難しいですね。
練習に関しては繰り返しになりますが「自主的活動」という感じにしています。選手によっては競技場に行って練習をするということもあるようです。ここも私が「行くように」といっているわけではありません。自分たちで判断して行動する。「やらない」という選手も間違いなくいます。そういう場合は「今後もやらないほうがいい」と思っています。この時期の練習がどのような意味を持つか。ここが考えられない者はこれから先に「競技」をやっても「結果」にはつながらないでしょうから。
「所属する」ということに意味があるのか。なぜ部活に所属しているのかという質問をしたときに「せっかく入ったのだから続けるほうがいいかな」という返答を受けたことがあります。それは「自分中心」の考え方だと思います。その集団の活動方針があってそれに合うか合わないかは「選択する材料」としては大きな部分があります。「自分は所属したいのだから」という考えで続ける意味がどれだけあるのか。
これも何度か書いています。「甲子園を目指す」という強豪校がある。そこに「時々打ちたい」といって入ってくる選手がいるのかどうか。「参加したいときに参加する」という形だったり「きついことはやりたくないのでそこは見学にする」という考え方が通るのかどうか。練習に参加して「メニューを消化する」という部分があっても「本気でやる」という形ではなく「適度にやる」という参加の仕方になる。
これが「活動」という部分になるのかどうか。分かりません。自分で目的をもって取り組む。「身体を動かす」というだけでいいのかどうか。競技をするという意味があるのかどうか。この時期になって改めて考えさせられます。「本気でないならサークルで活動するほうがいい」と真剣に思っています。
月曜日。時間があったので朝から学校周辺の清掃活動をしました。別に誰かから強制さえるわけではない。生徒がいない今だから「自分にできることは何か」を考えてみたところ「地域に出てみる」という「自分なりの答え」が出ました。土曜日は学校周辺の草抜きと伐採。時間があるときにはできるだけ外で何かしたいなと。
ピンクのベストを着て2時間半。普段歩かない場所をゆっくり歩く。大きなごみは落ちていません。落ちているのは「たばこの吸い殻」と「たばこの空き箱」が多い。それ以外のものも多少落ちていますが。飲食街も歩きました。店の周りにたばこの吸い殻が落ちているところもある。これをみると「うーん」と感じますね。
別に誰かから「やれ」といわれているから「清掃活動」をしようと思ったわけではありません。その時の自分に「必要」だと感じたからやっているのです。誰かから強制される行動は自分にとってプラスにはならない。自分の足で職場の周辺を歩くことで普段見えない景色が見える。現状が見える。「今だからできること」だと思って行動をする。「自主的活動」です。
練習も同じだろうなと思っています。「やりたくない」者に強制する必要性はない。が、先を見たときに「今のままでいいのか」を考える能力が磨ける。その必要性が分からない者には今後の競技をどのように取り組むかの「答え」がそこに出ているのではないかなと。
自分の行動を他者に置き換えながら考える。そこに自分なりの「意味」を見出したいと思います。私が生きていて、その時に何をするのか。「自分らしさ」という話ではなく「その時に何ができるか」です。意味がある行動になっているか。自分のやっていることがどこかで誰かの役に立っているか。それは分かりません。それでもやり続けてみようかなと考えています。
グランドに立っていなくてもできることはある。そう考えています。