kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

休業中の練習は・・・

2020-03-22 | 陸上競技

全く陸上競技について触れていません。これはどうかなという話ですが。練習で指導をすることができない。いろいろな場所で選手は練習をしています。

 

何度も書いていますが練習計画を個別に立てています。最初はこちらが修正を加えていましたが今は基本的には自分たちで計画したものをそのままメニュー表にしています。今までは「word」で提供してましたがこれはデザインが崩れるというのがわかったので「PDF」にして提供。これはなかなか。今までとは違うことをすることで私自身も勉強になります。貴重な経験。

 

練習に対して「どうですか」と聞いてくることが多くなりました。動画に対して「自分的には〇〇がよかったと思う」「△△ができなかった」ということを報告してきて「克服するためにはどうすればいいか」を聞いてくる。こちらが与えることだけではなく選手自身が求めてくるようになった。これは大きいかなと思っています。

 

一律の練習計画ではできないことがある。それを自分たちで対応する。もちろん「自分たちで作ったメニュー」をどれだけ消化しているのかは分かりません。普段よりも時間がかかってしまうこともあるでしょう。それをもっと効率的にやっていく。自分がそれを変えていく努力をする。その「工夫の余地」もこの期間だからできるのかもしれません。

 

選手は「不安」になる部分もあるでしょう。これは「本気でやっている」という前提がありますが。「なんとなくやっている」選手にとっては「体は動かしているから大丈夫」という感覚にしかならない。これまでは「メニュー」があってそれを消化していれば良かった。そこまで本気ではない選手のとってそれが一番楽でした。が、今は「自分のために考える」という感覚が生まれてきています。何人かは・・・です。それでいいと思っています。

 

ある男子がずいぶん走れるようになってきているようです。これは何となく感じています。中学時代のタイムからは今シーズン中に1秒は上がると思います。まー以前の記録がかなり遅いというのもあるのですが。私からすれば「不十分」だと思う部分はありますが「身体つき」自体が変わってきています。もちろん変わらない者もいます。あきらかに「差」はつきます。この「休業中」にその「差」はさらに大きくなると思っています。

 

「本気になれば強い」という選手はいると思います。が、結局「本気になれない」のでそのまま終わってしまうことが多い。「やればできる」と言う選手に関しては全く期待しないようにしています。絶対にやらないので。結局自分が気付いて変化しない限り我々にできることはないのだと思っています。もちろんそのための「きっかけ」は与えていきますがやるかどうかは別問題。「冷たい」と言われるのかもしれませんがお互いに不幸になるので。

 

女子は総じて前向きです。まだまだルーズになり気味な者もいますが、動き自体はかなり良くなってきています。このままシーズンに入れたら結構なレベルまで行くのではないかなと思っています。県総体が実施されれば今シーズンの春先の目標が達成できるかもしれません。3連休に関しては「かなりハードな練習」を課しました。もちろん本人たちが作ってきたメニューです。全く走りを見ていないのでどうなっているのかは分かりませんが。3時間メニューですからかなりの負荷になると思います。

 

「できない」ではなく「やろうとするかどうか」というのは大きいなと思います。本当に強くなろうと思えば「自分がどうするか」です。動きを他者に見てもらってアドバイスをもらう。それを生かして練習計画を立てる。目的がある練習をする。「なぜその練習をしているのか」を自分の中で理解してそれを行動に変えていく。「こういう走りがしたい」という大きな目標があるから「そのためにどうするか」を考えるようになる。

 

話は前の記事に戻ります。私は「規則正しい生活をする」というテーマがあります。だから7時には職場に行く。朝練がないのでその時間を有効に使う。ダラダラしてネットサーフィンをしていたら意味がないので「歩く」ことにしている。単純に歩くだけでは面白くないので「清掃活動」をする。行動には意味があります。だから「清掃活動」をしていることを「立派ですね」と言われてもピンとこない。自分の中では「清掃活動」は「おまけ」なのだから。

 

「こういう走りがしたい」という大きな目標があるかないか。あるならその中で「加速段階をこう走りたい」「中間ではこんな動きを」という細かい部分を考えていく。パズルを組み合わせていくイメージです。大きな目標や目的があるから「人は行動する」と思っています。ないなら「やるだけ」にしかならない。「規則正しい生活をする」とだけ掲げてネットサーフィンをしていたら家で生活することを何ら変化はない。

 

まとまりませんが。ちょっと時間があるときに「競技」について考えていきたいなと思っています。真面目にblogに記しておこうかなと。好き勝手に書いています。blogなので。

 

また書きます。

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徒然なるままに・・・4

2020-03-22 | 陸上競技

徒然なるままに。生活リズムを変えないように毎日同じリズムで。そう考えながらやっています。

とりあえず1万歩はあるこうという目標を掲げて。毎朝1時間は職場の周りを清掃活動。これはここ最近書いていますが「普段と異なる景色」を見ることができます。金曜日、清掃活動をしていると交差点で年配の方に「関心ですね」と言われる。私的にはこういうのは非常に苦手。試合前に「頑張ってくださいね」と言われたときに内心「走るのは選手なので」と思ってしまう。人としてどうなのか・・・という話かもしれませんが。その声を選手に一言かけてほしいなと思ってしまう。

 

清掃活動をしているのは「自分のため」という部分があります。街をきれいにしようという気持ちがないわけではありません。が、「目的のない散歩」は苦手。ゴミ拾いをしながら歩くという「小さな目的」を持つことで「散歩」ができるという部分があります。人として器が小さいのでそこまで「全体のこと」を考えて行動はしていません。外から見たときに「街をきれいに」と見えるのであればそれはそれでいいのかもしれませんが。

 

さらに歩いていると街中に座って休憩されている年配の方に話しかけられた。「仕事がないですね・・・」と。私の職種を把握されて言われているのか実際問題の「仕事がない」という形でみられているのかはわかりません。傍目に自分の行動がどのように映るのか。ここは自分自身ではわからない部分です。「仕事がない」というのは事実です。そこを見透かされて話されたのか。こうやって「人と人の関わり」は職場の中ではなかなかありません。限られた「人間関係」しかないので。そこから出てみてどのように感じ取るか。

 

3連休の間、思うことがあって職場へ。午前中を使って「溝掃除」をしました。写真を撮るまではしませんでしたが。初日は部室までの溝を掃除。少しの溝ですが側溝蓋をすべて取り去ってスコップで砂を取り除く。グランドの傾斜の関係で部室のほうに雨が降った後は水が流れ込んできます。それが気になっていました。2時間くらいやったでしょうか。一輪車にスコップで入れていく。20回くらいは運んだでしょうか。1トンとは言わないくらいの砂があったでしょうか。これはかなりの量。

 

さらに次の2日間は部室と反対側の「溝」の掃除。先週、2時間かけてネットの外側の草を伐採したと書いたと思います。その時に溝に砂がたまっているなと感じていました。それも半端ない量。グランドから流れ出る砂が側溝を埋め尽くしている部分があります。全部で60m近くあるかなという感じがしますがその中の20mは溝を覆いつくすくらいの砂が流出しています。これはよくないなと。他の方も気づいていたので少しずつやろうという話をしていました。時間があるので私がしっかりとやっておこうと。

 

1日目に「砂山」の前まで。これで2時間。この際、近隣の方から話しかけられました。隣の人が砂が欲しいと言っているのでここからもらって良いか?という内容。その日にやていたのは砂の手前までなのでどうかな?と思いながらも。そして日曜日に砂山にチャレンジ。朝なので表面の砂を取り除いていく。スコップで4回くらいバケツに入れるといっぱいになる。そこから20m程度歩いて砂を一輪車に運ぶ。これもバケツ4杯くらいでいっぱいになるので砂をためている場所に運ぶ。溝の中をバケツをもってひたすら歩くので結構の疲労度。

 

かなりの時間やって1トン以上は運んだでしょうか。もう無理だと思って半分であきらめる。これはかなりのダメージ。別に「誰か」のためにやっているわけではありません。こういう地味なことをやりながら感じることはたくさんあります。この時間が今の自分にとって貴重な時間なのではないかと思っています。

 

砂がこれだけ蓄積する。部室自体は私が赴任する前にできたと思います。5~6年かけて溝に砂が蓄積している。反対側も同様。長い時間誰も気づかずに少しずつ蓄積してい行ったのだと思います。こういう部分にはなかなか気づきません。「結果」として信じられないくらいの蓄積量になる。

 

疲労度なども同じかなと。毎日は気づかないかもしれない。それがいつか「大きなダメージ」となってケガにつながる。その時その時は気づかない。だから大きなことになる前に自分でこまめにケアしていく必要性がある。逆に「毎日100回」の腹筋をし続けていけば気が付けばほかの人とは大きな差になる。ここも気づかなければいけないことなのかなと。その時には結果は出ません。が、しばらく続けていると全く別物になっていく。そういう感覚が「全く別のこと」をやりながら見えてくる。重要なことなのかなと。

 

自分自身と向き合う時間として「清掃活動」や「溝掃除」をしています。単純作業かもしれませんがそいいう行動の中で「気づき」が生まれる。自分の中の「嫌な部分」とも向き合える。それが成長につながるのかなと。私は何度も書いていますが聖人君子ではありません。だからこそこうやって「自分を向き合う」という時間を強制的に作ることで見えてくるのかなと。

 

しばらくは続けたいと思います。他県では練習を再開したという話も聞いています。我が県はまだ兆しはありません。どうなるのか分かりませんが。やるべきことを積み重ねていくしかない。そう感じています。

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