kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ブラック部活とは

2020-03-24 | 陸上競技

思うことを。

 

ネットニュースを見ていたら「ブラック部活」について書いてあった。「学校休業」になったことで「部活動をやりたい」と思っている教員のイライラがたまっている。部活動指導に「執着する」教員がいるのだという話が取り上げられていた。「公園や広場に集まって自主練習をするように仕向ける」というような表現も。まーどうなんでしょうね。

 

せっかくなのでウィキペディアで調べてみた。「日本の教育において、生徒と保護者の同意を得ずに部活動に入部を強制させたり、生徒の人格を否定するような暴言や、体調を崩すほどのサービス残業(長時間拘束する部活動)」と書いてある。

 

なるほど。生徒側にとっても教員側にとっても「不利益」が生じるのがブラック部活なのだろなと思う。根本的に「部活動への入部」は「自由選択」でなければいけない。これは間違いない事実だと思う。強制されてはいるのは違うだろうなと。「入りたくない」と思っている活動に無理やり入れられて嫌々練習をすることは誰も幸せではない。

 

「活動の選択の自由」というのはあると思う。ある学校にはいわゆる「専門的な指導をする教員」がいる。ある学校には「引率のためにつけられている教員」がいる。自分が学びたいと思う学校にその種目の専門の指導者がいないことだってある。これを「不平等」だといえばそうなのかもしれない。教員側にとっても「よくわからないが顧問を持たされる」という感覚が残るだろう。

 

生徒は「やりたくない」と思えばそれを「やらない」という選択ができる。「走るのは好きだけどそんなに一生懸命に練習をしたくはない」という生徒もいる。が、その学校の「部活動」では「一生懸命に練習をする」ことを求められる。ここに「不一致」が生まれている。逆もしかり。「一生懸命に練習をしたい」と思う生徒がいる学校に「専門的な指導ができない教員」が顧問として担当している場合もある。

 

この「不一致」を解消するためには「クラブチーム」や「社会体育」が適しているのだと思う。それぞれの「ニーズ」にあった活動をする。「不一致」があるならそれを解消するための取り組みが必要になる。「やりたい」のに「できない」 のであれば部活動に所属しておきながら「自分でやる」「普段はクラブチームに所属する」という形があってもいいと思う。「インターハイ」という大きな高校生の大会がある。そこに出場するためには「高校の部活動に所属しておく」必要性がある。個人種目であればそれができるのかなと。もちろん「顧問と話し合い」は必要になると思うが。

 

部活動に所属しておかなければ試合に出れないというデメリットがあるが「共通理解」があればその部分は打破できるのかなと。陸上競技に関していえば「部活動に所属していなくても記録会や県選手権、県体に出ることはできる。「走ることが好きだから」という理由であれば「部活動」に所属する必要性はほぼ皆無だと思っている。

 

顧問の立場からすれば「専門的な指導ができない」というのは非常に苦しいと思う。「土日も部活動の指導をしろ」と保護者から求められることもあると聞いている。「前の顧問は熱心にやってくれたのに今の顧問はやってくれない」という部分。これは「公立高校」では当然起きる問題。転勤があるので「前の顧問がよかった」といっても難しい。

 

こういう場合はやはり「クラブチーム」や「社会体育」がいいのだと思う。まー「ボランティア」の部分を「教員」がやるのか「一般」の方がやるのかの違いだけだが。クラブチームでは「月謝」を払う。指導することに対する「対価」を払っている。「対価」を支払わない「部活動」に対して「なんでやってくれないのか」と批判するのは若干違うと思う。

 

顧問が「土日は練習をやらない」という権利があってもいいと思う。平日の勤務時間内は「けがの予防」という意味で監督をする。試合の引率もやる。もちろん代休はもらう。それを「権利」として言える雰囲気がないのかもしれない。「土日は部活をやってくれないのか」という保護者がいるとしたら「対価」を払うか「別の人に頼んで土日だけ見てもらう」というのが必要ではないか。

 

「塾」に行けば「月謝」を払う。週2回行けばかなりの額になると思う。「部活動」にはその「対価」は払われない。そこに明らかな矛盾がある。「保護者が望んでいるからその形に活動を合わせる」というのが当然なのかもしれない。実は「保護者にも選択する権利がある」と思っている。学校の顧問が嫌なら「別の形で活動する」という選択ができる。

 

「楽しくやりたい」「そこまで必死にやらなくてもいい」と思えば「一生懸命にやる部活動」に所属しなければいいだけ。逆に「もっとやりたいのに」と望むのであれば「月謝」を払って別の形でやればいい。「競技」とはそういうもの。もちろん、「部活動」は「競技」だけを求めているわけではない。「教育の一環」という前提がある。これも一般の人のはわかってもらえない。

 

生徒にも教員にも「権利」がある。それを無理やりやらせるのは互いに違う。顧問を引き受ける条件として「一生懸命にやる」とか「土日はやらない」という「大前提」を宣言してその活動をすればいいだけではないか。「一生懸命にやる」という部活動に「楽しくやりたい」という生徒が入ってくるのは「ミスマッチ」でしかない。だから「自分で別の形で活動すればいい」と思う。

 

集団競技でも「楽しくやる集団」と「一生懸命にやる集団」ではずいぶん違ってくる。大学でいう「サークル」と「体育会系」の活動では全く違う。「一生懸命にやりたい」という大学生は少なくなってきているので「好きな時に参加する」というような「サークル」が好まれる。それはそれでいいと思う。お互いに批判するものではない。もともとの「求めるもの」が違うのだから同じ尺度でものごとを見るほうが間違っている。

 

この部分の話にも「正解」はない。私は「競技」を求める。そうであれば「クラブチーム」で「競技志向で活動をします」と掲げるほうがベストなのかもしれない。ここに関して今後考えていこうと思っている。結構真剣に。

 

まとまらない。長くなるので。また別に書きます。たぶん。

コメント (4)
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