日曜日、修学旅行3日目でした。この日の午前中は「平和学習」ということでひめゆりの塔に行くことになっていました。情けないことですが私自身、ある程度の知識しか持っておらず行きのガイドさんの話をひたすら聞いていました。高校生にとってこの「平和学習」とはどのような意味を持つのか?「悲惨さ」だけが伝わるのではダメだと思います。その背景にあるもの、その後の苦しみなどもしっかりと把握できるかどうかというのがこの部分の狙いになってくるはずです。沖縄への修学旅行、通常の観光中心の修学旅行とは趣が異なります。それを私自身ももっと理解しておかなければいけなかったと思います。本当に情けない話です。
ひめゆりの塔では語り部さんの話を聞くことになっていました。それまでに資料館を見て回ったのですがかなりの衝撃でした。事実は知っていました。しかし、「知っている」というだけでそのことについて真剣に考えていない自分がいた。このひめゆりの塔に来ることの意味をもっともっと感じ取らないといけなかったと思います。私が担任をしているクラスは9割が女子です。この子たちと同年代の「ひめゆり学徒隊」に起きた出来事、もっともっと事前学習をさせておかなければいけなかったと思います。資料を見て「悲惨だ」と思うだけでは本当の意味はありません。自分たちと同じ年代の女学生がどのような想いで何を感じながら3か月を過ごしたのか?ここは言葉では言い表せられない部分です。語り部さんの話を聞きながら「教育」というものの「大切さ」と「怖さ」を痛感させられました。子供たちの大事な時間を預かる我々の仕事は「授業内容を教える」だけでは意味がない。検定に受かろうが大学に受かろうが「本当に大切なもの」を教えることができないのであれば今の仕事には就いてはいけないのではないかと強く感じました。
今の子供たちに「戦争時の苦しみを味わえ」と言っているわけではありません。当時の人は今では考えられないような感情を抱えて生きていた、亡くなっていった。だからみんなも我慢しないといけないといったところで子供たちには何も伝わりません。自分の生活とは直結しないからです。過去にあった事実を知ること。自分の考えで軽はずみな発言をすることで、様々な人が傷つくということを知らないといけないと思います。「自分」が思ったから素直に言えばいいというのは間違いです。小さい子であれば「あれは何?」と聞くことがあるかもしれません。相手のことを思いやる気持ち、相手の立場を考える心というのを持たなければいけません。過去は変わりません。同じ苦しみを味わうことで何かを生み出すことはないのです。しかし、過去にあった事実を踏まえ自分たちの行動を見直すことはできるはずです。
クラスの生徒の何人かは「語り部さんの話を聞いていて涙が出た」と言っていました。あまりにも淡々と話をされるので、逆にその悲惨さがすごいことだったというのが「心」に響きました。一生忘れられないことだと思います。我々の仕事はこのことを「一時的なもの」で終わらせるのではなく、これをきっかけにして「心」を動かしていくことが大事だと強く感じました。
上手く言葉にできません。前回のインターハイでの沖縄とは全く違うものでした。前回は競技場と宿所の往復だけでした。レースに出るために行っているのですからそれはそれで良いことだと思います。しかし、あの時に感じた「違和感」というのをきちんと考えておかないといけませんでした。多くのことを感じました。クラスの子供たちが何を感じてくれたでしょうか?ひめゆりの塔に行く前には「自分で感じ取ってほしい」とだけ話しました。それ以後は詳しく聞いていません。10人いれば10人が「何か」を感じてくれればいい。それが大事なことだと思います。
本当に考えさせられる時間でした。私の人生にとっても大きな影響を与える可能性がある出来事だったと感じています。上手く言葉にできないもどかしさがあります。きっといつかまとめます。お許しを。
ひめゆりの塔では語り部さんの話を聞くことになっていました。それまでに資料館を見て回ったのですがかなりの衝撃でした。事実は知っていました。しかし、「知っている」というだけでそのことについて真剣に考えていない自分がいた。このひめゆりの塔に来ることの意味をもっともっと感じ取らないといけなかったと思います。私が担任をしているクラスは9割が女子です。この子たちと同年代の「ひめゆり学徒隊」に起きた出来事、もっともっと事前学習をさせておかなければいけなかったと思います。資料を見て「悲惨だ」と思うだけでは本当の意味はありません。自分たちと同じ年代の女学生がどのような想いで何を感じながら3か月を過ごしたのか?ここは言葉では言い表せられない部分です。語り部さんの話を聞きながら「教育」というものの「大切さ」と「怖さ」を痛感させられました。子供たちの大事な時間を預かる我々の仕事は「授業内容を教える」だけでは意味がない。検定に受かろうが大学に受かろうが「本当に大切なもの」を教えることができないのであれば今の仕事には就いてはいけないのではないかと強く感じました。
今の子供たちに「戦争時の苦しみを味わえ」と言っているわけではありません。当時の人は今では考えられないような感情を抱えて生きていた、亡くなっていった。だからみんなも我慢しないといけないといったところで子供たちには何も伝わりません。自分の生活とは直結しないからです。過去にあった事実を知ること。自分の考えで軽はずみな発言をすることで、様々な人が傷つくということを知らないといけないと思います。「自分」が思ったから素直に言えばいいというのは間違いです。小さい子であれば「あれは何?」と聞くことがあるかもしれません。相手のことを思いやる気持ち、相手の立場を考える心というのを持たなければいけません。過去は変わりません。同じ苦しみを味わうことで何かを生み出すことはないのです。しかし、過去にあった事実を踏まえ自分たちの行動を見直すことはできるはずです。
クラスの生徒の何人かは「語り部さんの話を聞いていて涙が出た」と言っていました。あまりにも淡々と話をされるので、逆にその悲惨さがすごいことだったというのが「心」に響きました。一生忘れられないことだと思います。我々の仕事はこのことを「一時的なもの」で終わらせるのではなく、これをきっかけにして「心」を動かしていくことが大事だと強く感じました。
上手く言葉にできません。前回のインターハイでの沖縄とは全く違うものでした。前回は競技場と宿所の往復だけでした。レースに出るために行っているのですからそれはそれで良いことだと思います。しかし、あの時に感じた「違和感」というのをきちんと考えておかないといけませんでした。多くのことを感じました。クラスの子供たちが何を感じてくれたでしょうか?ひめゆりの塔に行く前には「自分で感じ取ってほしい」とだけ話しました。それ以後は詳しく聞いていません。10人いれば10人が「何か」を感じてくれればいい。それが大事なことだと思います。
本当に考えさせられる時間でした。私の人生にとっても大きな影響を与える可能性がある出来事だったと感じています。上手く言葉にできないもどかしさがあります。きっといつかまとめます。お許しを。