木曜日、2学期の終業式でした。この2学期はとにかくばたばたしたのであという間に時間が過ぎていってしまった感じがあります。
LHRがあったのでクラスの生徒に話をしました。何を話そうかなと思っていたのですが、ここ最近色々とあったので私の思うことを含めたメッセージが送れればと。2学期はクラス単位で取り組む行事が多くありました。その中で生徒たちが感じたようなことを話せたらと思いました。LHRで通知表だけ配って終わりというのでは「クラス」という組織の中身が充実していかないと思います。こういう機会を利用しながら子供たちに考えさせるというのは大事なことだと。
この日は「栗城史多」さんの「NO LIMIT」の一部を使って話をしました。たまたま本屋で見かけたので購入したのですが、言葉に重みがあります。大学時代から山登りを始め、卒業後も定職に就かずにいた。自分に何かできることはないかと考えて登山の様子をインターネットの動画配信をしようと決意。周りの人に「そんなこと無理だ」「止めておけ」と言われながらもチャレンジをする。最初はネット上の書き込みに「どうせできるわけない」と書き込まれていたが、チャレンジする姿を見て「勇気をもらった」「ありがとう」と書き込まれるようになった。命を懸けたチャレンジをする中で自分自身の中にある「何か」が変わってきた。その中で感じたことが簡潔に書いてあります。かなり割愛しているので興味にある人は関連書籍を読んでみてください。
今回は「一人じゃない」という文章を使いました。
(前略)
いつも頂上につく瞬間に思えることだ。
登る前に自信があっても、その自身は本物じゃないことを知っている。
山は自分から傲慢を取り除いてくれる。
僕は最後に岩に両手をつけて、深く頭を下げた。
岩は温かく、岩の隙間から今まで登ってきた自分の足跡が見えた。
もうこれ以上登るところはない。
「ありがとう」
それ以上もそれ以下の言葉も出なかった。
(中略)
これは自分だけの登頂ではない。
この場所と、世界とがつながっていることを感じてもらうために、
登山中継を支えてくれた仲間たちと成し遂げた登頂だ。
一緒に感動できる仲間がいるから、登頂の喜びが大きい。
山と人という無機質な関係に絆を作るのは、いつだって人だ。
感動にひたるのは一瞬。
この感動を生きてベースキャンプに戻してこそ、本物だ。
結果だけの成功に価値はない。
仲間とともに作ってきた過程にこそ価値がある。
登頂しても、そのときはおめでとうって言ってもらえるかもしれないが、
少し時が経てば、過去の話。
上には上がいる。
到達してみても、たいしたことはない。
数々の山に登頂したが、いつも同じことの繰り返し。
そのときは感動しても、
少し時間がたてばもう次のことを考えている。
次へ次へって。
その気持ちはたぶん、なくならないと思う。
「しあわせの青い鳥」みたいだが、欲しいものはすでに今ここにある。
僕が山に登っているのは、その喜びを再確認するためかもしれない。
失敗も成功もない
チャレンジし、そして
それを支え合う仲間がいる。
下山するたびにそう思う。
それだけで幸せだ。
<NO LIMIT 発行・発売/サンクチュアリ出版>
文化祭やクラスマッチでは本当に盛り上がりました。文化祭では「良いものを作ろう」という目標のもと協力をして取り組み、展示の部の最優秀賞をもらいました。もちろん、簡単にいくわけではなく40人いれば考え方も取り組み方も違う。そこで不協和音も生じます。それは仕方がないこと。全員が同じ情熱をもって一つのことができるというのは不可能ですから。温度差があるし、考え方も違う。その中でできる限りの協力をして1つのことを成し遂げるということが大事なのだと思います。喜びは一瞬ですが、そこまでに取り組んできた時間というのが大切になります。
クラスマッチ、バレーボールの試合がありました。15点マッチでジュースなし。2セット、15点取ったほうが勝ち。14対14で迎えた3セット目、うちが得点を決めました。その時に相手チームの選手が「アウトだ」と主張して、結局ノーカウントになりました。100%入っていましたし、相手チームの選手も入っていたのは認めています。結果的に最後のうちのアタックがネットに引っかかり得点できずに敗退。遺恨が残るような負け方でした。しかし、生徒には「面白かったやろ?」と尋ねました。生徒は「楽しかった」と答えてくれたのでそれで良いと思いました。最大限に努力をしても相手がいることです。勝てるかどうかは分かりません。しかし、その試合の途中にクラスの全員が来て応援をしてくれた。本当に盛り上がりました。同じ時間と空間を全員で共有できたということが大事だと思います。中途半端な形で「勝利」しても何も残りません。もちろん、適当にやって負けるというのは面白くありません。全力で取り組んだことに意味があるのです。全員で1つのことをやろうとする姿勢が「何か」を学ぶことにつながるのです。
勝てばいいわけではない。「結果」だけを求めてやっていくのは面白くありません。文化祭も「結果」としては最優秀賞でしたが、あれだけやって負けていたとしても生徒は納得できたはずです。それだけのことをやってきましたから。そういう感覚を持ってほしいと思っています。基本的には負けたくはありません。負けず嫌いですから(笑)。しかし、一生懸命にやっての結果であればそれは受け入れるしかない。だからこそ、正々堂々とやっていきたいと思っています。クラス単位でどこまで生徒の気持ちを一つにできるのかは分かりません。でも、応援を全員でできる姿は本当に大きいと思います。
女子が多いクラスです。結構大変なことがあります。人間関係でもめることもしばしば。いつも話をしているわけではない。でもこうやって協力しないといけないことがわかれば自然と雰囲気は良くなっていきます。それが大事だと思っています。「感動」は一瞬で過ぎていく。しかし、その取り組みの中で得た「何か」は一生残ると思います。それを経験させていくことが我々の仕事。そう思います。
暑苦しい担任です(笑)。20分くらいでしたがいろいろと話をしました。これにより他のことをする時間が著しく足りなくなったのは言うまでもありません(笑)。何かが伝わればと思いますね。
LHRがあったのでクラスの生徒に話をしました。何を話そうかなと思っていたのですが、ここ最近色々とあったので私の思うことを含めたメッセージが送れればと。2学期はクラス単位で取り組む行事が多くありました。その中で生徒たちが感じたようなことを話せたらと思いました。LHRで通知表だけ配って終わりというのでは「クラス」という組織の中身が充実していかないと思います。こういう機会を利用しながら子供たちに考えさせるというのは大事なことだと。
この日は「栗城史多」さんの「NO LIMIT」の一部を使って話をしました。たまたま本屋で見かけたので購入したのですが、言葉に重みがあります。大学時代から山登りを始め、卒業後も定職に就かずにいた。自分に何かできることはないかと考えて登山の様子をインターネットの動画配信をしようと決意。周りの人に「そんなこと無理だ」「止めておけ」と言われながらもチャレンジをする。最初はネット上の書き込みに「どうせできるわけない」と書き込まれていたが、チャレンジする姿を見て「勇気をもらった」「ありがとう」と書き込まれるようになった。命を懸けたチャレンジをする中で自分自身の中にある「何か」が変わってきた。その中で感じたことが簡潔に書いてあります。かなり割愛しているので興味にある人は関連書籍を読んでみてください。
今回は「一人じゃない」という文章を使いました。
(前略)
いつも頂上につく瞬間に思えることだ。
登る前に自信があっても、その自身は本物じゃないことを知っている。
山は自分から傲慢を取り除いてくれる。
僕は最後に岩に両手をつけて、深く頭を下げた。
岩は温かく、岩の隙間から今まで登ってきた自分の足跡が見えた。
もうこれ以上登るところはない。
「ありがとう」
それ以上もそれ以下の言葉も出なかった。
(中略)
これは自分だけの登頂ではない。
この場所と、世界とがつながっていることを感じてもらうために、
登山中継を支えてくれた仲間たちと成し遂げた登頂だ。
一緒に感動できる仲間がいるから、登頂の喜びが大きい。
山と人という無機質な関係に絆を作るのは、いつだって人だ。
感動にひたるのは一瞬。
この感動を生きてベースキャンプに戻してこそ、本物だ。
結果だけの成功に価値はない。
仲間とともに作ってきた過程にこそ価値がある。
登頂しても、そのときはおめでとうって言ってもらえるかもしれないが、
少し時が経てば、過去の話。
上には上がいる。
到達してみても、たいしたことはない。
数々の山に登頂したが、いつも同じことの繰り返し。
そのときは感動しても、
少し時間がたてばもう次のことを考えている。
次へ次へって。
その気持ちはたぶん、なくならないと思う。
「しあわせの青い鳥」みたいだが、欲しいものはすでに今ここにある。
僕が山に登っているのは、その喜びを再確認するためかもしれない。
失敗も成功もない
チャレンジし、そして
それを支え合う仲間がいる。
下山するたびにそう思う。
それだけで幸せだ。
<NO LIMIT 発行・発売/サンクチュアリ出版>
文化祭やクラスマッチでは本当に盛り上がりました。文化祭では「良いものを作ろう」という目標のもと協力をして取り組み、展示の部の最優秀賞をもらいました。もちろん、簡単にいくわけではなく40人いれば考え方も取り組み方も違う。そこで不協和音も生じます。それは仕方がないこと。全員が同じ情熱をもって一つのことができるというのは不可能ですから。温度差があるし、考え方も違う。その中でできる限りの協力をして1つのことを成し遂げるということが大事なのだと思います。喜びは一瞬ですが、そこまでに取り組んできた時間というのが大切になります。
クラスマッチ、バレーボールの試合がありました。15点マッチでジュースなし。2セット、15点取ったほうが勝ち。14対14で迎えた3セット目、うちが得点を決めました。その時に相手チームの選手が「アウトだ」と主張して、結局ノーカウントになりました。100%入っていましたし、相手チームの選手も入っていたのは認めています。結果的に最後のうちのアタックがネットに引っかかり得点できずに敗退。遺恨が残るような負け方でした。しかし、生徒には「面白かったやろ?」と尋ねました。生徒は「楽しかった」と答えてくれたのでそれで良いと思いました。最大限に努力をしても相手がいることです。勝てるかどうかは分かりません。しかし、その試合の途中にクラスの全員が来て応援をしてくれた。本当に盛り上がりました。同じ時間と空間を全員で共有できたということが大事だと思います。中途半端な形で「勝利」しても何も残りません。もちろん、適当にやって負けるというのは面白くありません。全力で取り組んだことに意味があるのです。全員で1つのことをやろうとする姿勢が「何か」を学ぶことにつながるのです。
勝てばいいわけではない。「結果」だけを求めてやっていくのは面白くありません。文化祭も「結果」としては最優秀賞でしたが、あれだけやって負けていたとしても生徒は納得できたはずです。それだけのことをやってきましたから。そういう感覚を持ってほしいと思っています。基本的には負けたくはありません。負けず嫌いですから(笑)。しかし、一生懸命にやっての結果であればそれは受け入れるしかない。だからこそ、正々堂々とやっていきたいと思っています。クラス単位でどこまで生徒の気持ちを一つにできるのかは分かりません。でも、応援を全員でできる姿は本当に大きいと思います。
女子が多いクラスです。結構大変なことがあります。人間関係でもめることもしばしば。いつも話をしているわけではない。でもこうやって協力しないといけないことがわかれば自然と雰囲気は良くなっていきます。それが大事だと思っています。「感動」は一瞬で過ぎていく。しかし、その取り組みの中で得た「何か」は一生残ると思います。それを経験させていくことが我々の仕事。そう思います。
暑苦しい担任です(笑)。20分くらいでしたがいろいろと話をしました。これにより他のことをする時間が著しく足りなくなったのは言うまでもありません(笑)。何かが伝わればと思いますね。