何となく書いてみます。陸上に関わることではないのかもしれませんが自分の心の整理をしていきたいと思っています。そんなもの公に書くなという話ですが、もともとこのblogは「私の頭の整理」のために書き始めました。書くことでなんとなく頭の中がまとまっていき少し次にやることが見えてくるという部分があります。面白くない内容になるかもしれないので読み飛ばしてもらっても構いません。というか、このblogを読んでくれる人たちがこのblogに求めるモノは何か分からないのでいつも自分の思う事しか書いていない気もしますが・・・。
先日、ある人と話をする機会がありました。色々なタイミングが合わず「え?本当に?」と思うことが3月にありました。なかなか会う機会がないのですが偶然会えたので話をしました。その時に「あー」と思うことが多くありました。思っていても口にできないことがたくさんあってその場を離れて初めて口にできる。その話を聞くと自分の中にある「何か」が大きく触発されるのが分かりました。今の自分に何ができるのか?何をしなければいけないのか?そう考えるともっともっと可能性が広がるのではないかという部分があります。
頭の中を様々な情報が行ったり来たりしています。自分自身でそれが整理できない。ゆっくりと何もしないで考える時間があれば全く違ってくると思うのですが、日々目の前のことに忙殺されてしまう。自分自身のことについて考える時間が無くなる。結局はなんとなく毎日を送ることになる。そして何も変わらないで終わってしまう。本当は自分自身で行動を起こさなければいけないのでしょうがそれすらできない。
今の選手がどう感じているのか?今の生徒がどのように感じているのか?これは分からない。選手は少しは分かってくれるかもしれませんが、生徒は難しいと思いますね。それでも言い続けていくことしか「現状を変える」ことはできない。それが分かりきっているからこそ今の現状について考えなければいけないと思います。
選手は選手なりに、生徒は生徒なりに「一生懸命」な部分があるというのは間違いないと思います。しかし、それが「本当に必要な一生懸命」なのか?ここは分かりません。もっとできる部分を残したまま「今までよりは一生懸命にやっている」という感覚で終わっているのではないか?ここを考えるとしんどいですね・・・。
生徒指導、部活の指導で「無力感」を感じることがあります。同じことを何度も何度も言わなければいけない。言ったとしてもその場はなんとなく収まるのですが結局また同じことで注意をしなければいけない。これはどこでもどんな場面でも起こりうることだと考えています。それの繰り返しの度合いがどれくらいなのか?「前も言ったよね?」という感情と「何とかしないといけない」という感情が入り混じる。そこを耐えていくというのはなかなかしんどいことです。私が我慢すればそれで終わりなのか?こう考えると自分自身が本当にやらなければいけないことが何かを見失ってしまう気がしています。
陸上の指導をしっかりとやりたいと思う気持ちがある反面、距離を置きたいと思う気持ちがある。「疲れたな」と思うことが多くなっているのが事実です。決して指導が嫌になったという訳ではありませんが、エネルギーが切れるというかしんどいというか・・・。
繰り返し書いていますが2か月前、本当に指導するのを辞めたいと思いました。同じことの繰り返しをこれ以上やるのは私も周囲もしんどいというのがあったからです。その後、競技的にはすごくスムーズに行き今シーズン最高の成績を残すことができた。だからやる気になるというのはでないと思っています。「強いから指導し甲斐がある」というのは事実だと思いますが、そこだけを求めて指導をするのかどうか・・・。基本的な部分の変化があるのかどうかを確認できていないまま練習をしている気がしています。選手は「前向き」になっているのかもしれません。それに水を差すようですが私自身の「心の整理」ができていないという現状がある。
注目を集めるチームになればなるほど行動面や取り組む姿勢の部分で批判されます。以前も書きましたが9人が良くやっていると言われても1人が「本当にダメだ」と言えばその声が大きく響く。プラスのイメージよりもマイナスイメージの方が浸透しやすいのです。今はそれなりにきちんとできている気はしています。が、本当に目指す部分とはまだ差がある気がしている。本当の意味での「覚悟」はないと思います。その「覚悟」を求めるというのは良いことなのか?そこが不十分なままであれば必ずまた同じことを繰り返す。本当は今の現状に満足していて「県で勝てたから良かった」という部分で十分なのではないか。それ以上のことを求めるのは「温度差」が大きくなるだけなのではないかという気もしています。
マイナスのことを書いているのかもしれません。しかし、これから先私自身のエネルギーの使い方を考えるとこの辺りのことはすごく大切になるのではないかと思っています。私一人が舵取りをしてとにかく「前へ前へ」と選手を進める。「やらされている」という感覚が残ったまま前へと進むと結局は「誰のためにもならない」のではないか。私が見ていないところで結局は「少しくらいいいか」という雰囲気があるのであれば取り組みに意味がなくなる。誰からも応援してもらえないようなチームになるのであれば強くなることに価値は見いだせない。これは私の主観であり周りから見たり保護者からすれば「強ければいい」と思われるのかもしれません。しかし、そのような状況であれば何一つ魅力を感じないと思う自分自身がいます。
相変わらずまとまりがないですね・・・。整理がつかないまま時間だけが過ぎています。どうなんでしょうね・・・。
先日、ある人と話をする機会がありました。色々なタイミングが合わず「え?本当に?」と思うことが3月にありました。なかなか会う機会がないのですが偶然会えたので話をしました。その時に「あー」と思うことが多くありました。思っていても口にできないことがたくさんあってその場を離れて初めて口にできる。その話を聞くと自分の中にある「何か」が大きく触発されるのが分かりました。今の自分に何ができるのか?何をしなければいけないのか?そう考えるともっともっと可能性が広がるのではないかという部分があります。
頭の中を様々な情報が行ったり来たりしています。自分自身でそれが整理できない。ゆっくりと何もしないで考える時間があれば全く違ってくると思うのですが、日々目の前のことに忙殺されてしまう。自分自身のことについて考える時間が無くなる。結局はなんとなく毎日を送ることになる。そして何も変わらないで終わってしまう。本当は自分自身で行動を起こさなければいけないのでしょうがそれすらできない。
今の選手がどう感じているのか?今の生徒がどのように感じているのか?これは分からない。選手は少しは分かってくれるかもしれませんが、生徒は難しいと思いますね。それでも言い続けていくことしか「現状を変える」ことはできない。それが分かりきっているからこそ今の現状について考えなければいけないと思います。
選手は選手なりに、生徒は生徒なりに「一生懸命」な部分があるというのは間違いないと思います。しかし、それが「本当に必要な一生懸命」なのか?ここは分かりません。もっとできる部分を残したまま「今までよりは一生懸命にやっている」という感覚で終わっているのではないか?ここを考えるとしんどいですね・・・。
生徒指導、部活の指導で「無力感」を感じることがあります。同じことを何度も何度も言わなければいけない。言ったとしてもその場はなんとなく収まるのですが結局また同じことで注意をしなければいけない。これはどこでもどんな場面でも起こりうることだと考えています。それの繰り返しの度合いがどれくらいなのか?「前も言ったよね?」という感情と「何とかしないといけない」という感情が入り混じる。そこを耐えていくというのはなかなかしんどいことです。私が我慢すればそれで終わりなのか?こう考えると自分自身が本当にやらなければいけないことが何かを見失ってしまう気がしています。
陸上の指導をしっかりとやりたいと思う気持ちがある反面、距離を置きたいと思う気持ちがある。「疲れたな」と思うことが多くなっているのが事実です。決して指導が嫌になったという訳ではありませんが、エネルギーが切れるというかしんどいというか・・・。
繰り返し書いていますが2か月前、本当に指導するのを辞めたいと思いました。同じことの繰り返しをこれ以上やるのは私も周囲もしんどいというのがあったからです。その後、競技的にはすごくスムーズに行き今シーズン最高の成績を残すことができた。だからやる気になるというのはでないと思っています。「強いから指導し甲斐がある」というのは事実だと思いますが、そこだけを求めて指導をするのかどうか・・・。基本的な部分の変化があるのかどうかを確認できていないまま練習をしている気がしています。選手は「前向き」になっているのかもしれません。それに水を差すようですが私自身の「心の整理」ができていないという現状がある。
注目を集めるチームになればなるほど行動面や取り組む姿勢の部分で批判されます。以前も書きましたが9人が良くやっていると言われても1人が「本当にダメだ」と言えばその声が大きく響く。プラスのイメージよりもマイナスイメージの方が浸透しやすいのです。今はそれなりにきちんとできている気はしています。が、本当に目指す部分とはまだ差がある気がしている。本当の意味での「覚悟」はないと思います。その「覚悟」を求めるというのは良いことなのか?そこが不十分なままであれば必ずまた同じことを繰り返す。本当は今の現状に満足していて「県で勝てたから良かった」という部分で十分なのではないか。それ以上のことを求めるのは「温度差」が大きくなるだけなのではないかという気もしています。
マイナスのことを書いているのかもしれません。しかし、これから先私自身のエネルギーの使い方を考えるとこの辺りのことはすごく大切になるのではないかと思っています。私一人が舵取りをしてとにかく「前へ前へ」と選手を進める。「やらされている」という感覚が残ったまま前へと進むと結局は「誰のためにもならない」のではないか。私が見ていないところで結局は「少しくらいいいか」という雰囲気があるのであれば取り組みに意味がなくなる。誰からも応援してもらえないようなチームになるのであれば強くなることに価値は見いだせない。これは私の主観であり周りから見たり保護者からすれば「強ければいい」と思われるのかもしれません。しかし、そのような状況であれば何一つ魅力を感じないと思う自分自身がいます。
相変わらずまとまりがないですね・・・。整理がつかないまま時間だけが過ぎています。どうなんでしょうね・・・。