kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

グランドに立つ限り

2017-02-23 | 陸上競技
火曜日。色々と思うことがありました。

指導すること。これはかなりのエネルギーを使います。当然なのですが。グランドに立ち、様々な事を伝えます。それがうまく伝わるかどうかは別問題。伝わらないことの方が多いように感じます。だからといって「見ているだけ」というのは性に合わない。

グランドに立つ。選手であれば「強くなりたい」と思う者が立つべきだと思っています。もちろん、強くなりたいけど頑張りきれないという選手がいてもいい。最初から覚悟を決めて練習に取り組める選手なんているはずがないのだがら。力があってもその覚悟が持てない選手だっている。だからこそ「それではダメだ」という言葉をかけ続ける。

自信を持たせたい。それは常に思う。が、厳しく指導するとなかなか自信を持つことができない。だからといって褒め続けることもできない。「褒めて伸ばす」という方法もあると思うのですがそれだけでは「厳しい現実」の中では戦っていけない。様々な要素を鍛え続けていくことが強くなるための要素になる。

キャプテンと話をした。性格的にキャプテン向きではないのかもしれない。「俺についてこい」という感じではない。それでも誰かが先頭に立って引っ張っていかなければいけない。かなりのプレッシャーがある。更には矢面に立って怒られることもある。自信を失うこともあるだろう。

怒られるからダメなんだと思っていたら先には進めない。注意を受けた点を素直に受け入れ、その部分の修正をする。それだけでいいと思う。人格を否定しているわけではない。何かあった時にそれをひたすら引きずるのはアスリートには向いていない。

まー、私は納得できないことがあればかなり根に持ちますが(笑)。理不尽な扱いを受けた際には「絶対に許さない」という思いを持ちます。矛盾しているかもしれませんが(笑)

グランドに立つ。その時に「なんでこんな事をやらなければいけないのか?」と思うような者はグランドに立つ意味がない。そこに対して「練習をするのは楽しい事だ」という伝え方をしても意味がないから。もちろん、その「楽しさ」を伝えられないのは私自身の責任なのだと思う。偉そうな事を言いながらも最も基本的なことができていないのだから。

興味関心があるかどうか。ここは大きいと思う。他校の選手の事を知っていたり、強い選手の事を知っている。高校時代、私は指導を受ける環境がなかった。陸上専門誌を買いあさり、トレーニングの本や栄養学の本を読みまくった。それしか強くなる方法はなかったから。何をすれば強くなるのか。そこに関心があった。

「楽しくない」「意味がない」と言われたらそこまで。根本的な感情を大きく動かすのは難しい。「陸上競技が好き」「走るのが好き」というのが原動力であればなんでもできる。「なんとなく入った」というのであっても興味関心が持てればグランドに立って色々と考えることができる。

グランドに立つ。立つだけなら誰にでもできる。ある一定方向に進むために立つ。今しかできない事をやる。そのために立つ。ここの感覚は絶対に忘れたくない。「楽しい」と思わせることができないのは全て指導者の責任だと感じる。私自身のしっかりと考えなければいけない。

自分にできることは何か。そこだけをしっかりと考えていきたい。人を育てるという立場の中で何をするか。そこが大切。力不足はあるがそれでもやり続けるしかない。

真面目にそう思う。
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求めること

2017-02-22 | 陸上競技
思うことを。

先週かなり厳しく指導しました。それにより競技から気持ちが離れる者もいるかもしれません。これまでもそういう経験はありました。かなりキツい練習をする部分もあります。そこに付いていけないという選手が出て来ることは当然あり得る話だと思っています。

「陸上くらいならできるだろう」と軽い気持ちで入ったら実はめちゃめちゃ厳しかった。練習に関しても指導に関しても。「話と違うじゃないか」と。最初の段階から「厳しい」という話はしています。

先週の話に関しては「なんでこんなにやっているのに怒られなければいけないのか」と感じる部分があると思います。前日と比べて大きく劣っている部分はなかった。それなのに何で怒られるのか?納得できない。

確かに。全く出来ていないなら怒られても仕方ないかもしれない。ある程度のレベルで練習はできていた。前の日と比べて「声が出ていなかった」「動きが甘かった」といってもめちゃめちゃ大きな差があるわけではない。それなのになぜ怒られるのか??

間違いなく怒った日の練習、4月当初と比べると随分違っています。4月にその練習をしていたら確実に褒められているレベル。が、怒られた。

そこについて少しだけ触れました。最初の段階は「チームを作る」というところからスタートでした。赴任当初は「練習に来る」事から始め、3時間練習をするという本当にベーシックな部分から開始。これまでより長いという不平不満はかなりあったと思います。そんな時に「声を出せ」「しっかりと負荷をかけろ」と口にしてもほぼ無意味。まずは「部活動に来る」というところからやらないといけないからです。

それが2年近く経過し「競技をする集団」になりかけています。この成長は著しいものがあります。全くの別チームといって良いほど。まー選手自体もほぼ入れ替わっていますから別チームなのですが。昨年私にチマチマしたことを言われながらそれでも競技をしてくれた選手たちがいたからこそ今のチーム状況があると思っています。

赴任当初であれば問題はない。が、これから更に上の練習をしていこうという時期。練習強度を上げようというのではなく「物事に取り組む姿勢」を変えていこうとしているのです。そんな時だからこそ「前日より劣る」部分があるというのは許してはいけないと思いました。なかなか分かってもらえないかもしれないのですが。

前任校では「当たり前」のことであっても場所が変われば「受け入れられない」ということは数え切れないくらいにあります。中学から高校に上がって来た時にそれまで「当たり前」だったことが「認められない」というのは当然起きうる話です。前任校でやっていたことが全て今できるとは思いません。しかし、目指すのはそこ。前任校のレベルを大幅に越えなければ競技力は上がりません。そのために時折厳しく指導することがあるのです。24時間怒っているわけではありません。

求めること。その要求レベルは間違いなく上がっていきます。いつも同じレベルではないのです。他のチームであれば「十分」と言われることであっても「目指すチーム像」が異なればそれは許されなくなる。それはこちらの考え方だと思っています。

以前ほど練習強度は高くなくなった気がます。150mを5本3セット走ったりすることは今ではありません。まー場所的な問題も大きく影響するのですが。練習メニュー自体はあれこれ推移するとしても「選手に求めること」は変わりません。導入段階や成長段階でその「精度」は違うかもしれませんが最終的に目指す場所に変わりはありません。その場にいる選手にはその流れはわからないかもしれない。

ずっと同じ水準を求めていて良いのかどうか。これは絶対に違うと思います。ある一定の「壁」を越えたのであれば次の「壁」を越えるために進んでいかなければいけないと思っています。理解してもらえるかどうかは分かりませんが求める水準を上げていくのは当然のことだと思っています。

すごく悪いというわけではない。しかし、すぐに満足してしまう。油断すると元に戻ってしまう。それはどうしても出て来ます。そうならないようにこちらは徹底的に言わなければいけない。まだ高校生です。全てを自分でできるわけではない。だからこそこちらがある程度のイニシアチブを取って引っ張っていかなければいけない。

私が「まーこれで良いや」と思ってしまったらそこで全てが止まってしまう。これまで成長段階だったので「見て見ぬ振り」をしていた部分も数え切れないくらいにあります。それは「まだ未熟な段階」なので、厳しく指摘しても改善されないのが分かっているからです。ある一定の水準を越えてきたら「見て見ぬ振り」は誰のプラスにもならない。だからこそ厳しくやりたいなと思っています。

これまでは許されていたのに。その感覚は誰にでもある。そこを抜け出さなければいけない。もうすでに次のステージに上がろうとしているからです。

同じようなことを書いている気もしますが(笑)。とにかくそんな想いを抱えながらやっています。
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それでも進む

2017-02-22 | 陸上競技
月曜日、2年生は代休。とはいえ、私は色々とやることがあってそちらへの対応。なかなかしんどいなという中でやり続けています。別にこちらが真剣にやらなければそんなに考えたり行動することはないかなと思います。適当なところに落とし所を見つけて「なんとなくやる」という中でやれば良いのかもしれない。それをやるくらいなら部活を指導する気にはなりません。私の価値観ですから。

blogを書く。様々な人の目につきます。そうなると一部分を取り上げて批判されることもある。自分が感じることを書いたとしてもそこに対して揚げ足を取られることもある。プラス面もあればマイナスの面もある。

2年生は15時くらいに登校して補強を。1時間程度補強をしてから1年生と合流。土曜日にやった補強を教えてもらうことにしました。大学生に引っ張ってもらって良い雰囲気の中で練習を進めていたようです。本当はの時に2年生も参加してその雰囲気を肌で感じて欲しかったのですが。

私は別件で1秒も練習を見ることが出来ませんでした。ちょっと考えさせられることがあります。

部活を指導する中で「礼儀」の部分に関してはそれなりに伝えています。一般的な礼儀であったり上下関係であったり。これに関してはこれくらいで。本気で思うことがあります。

色々なことがあります。それでも前に進みたいと思います。それしかないから。この手のことに関して書きたいことは山ほどありますがやめておきます。面白くないから。

また書きます。内容が全くないのですが。練習を見ていないので何もかけない。辛いですわ。
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合同練習 in tabe

2017-02-20 | 陸上競技
土曜日、私は北海道にいましたが学校に残っている1年生はtabe高校で合同練習に参加させてもらうことにしていました。我が師匠と先輩がいる学校です。一緒に練習をさせてもらうことはうちの選手にとって大きな刺激となります。技術的なことや取り組みの姿勢についても多くの事を学ばせてもらえる環境です。

更にこのタイミングで兵庫からso学園が合宿でtabeへ。fu先生が色々な場面で指導してくださるという事でした。教え子のmakiも参加していました。前日に「先生も来ますか?」という連絡を受けていましたがどう考えても無理(笑)。

うちは私が不在のため保護者にお願いをして連れて行ってもらうことにしていました。1日練習になりますから拘束時間も長くなります。それでも快く引き受けてくださいました。

師匠と先輩、さらにはfu先生、保護者。今回の合同練習をするために本当に多くの方々の支えや協力がありました。感謝の言葉しかありません。顧問不在で引き受けて頂けるというのはそれほど多くはありません。

選手には「自分達で多くの事を学ぶ」事を課題としました。私が付いていたらこちらから指示を出します。もっと積極的に動けと言ってしまう。これが自主性を阻害してしまう可能性がある。あえて信頼できる指導者にお預けして見てもらう。これができる環境にあることに感謝しなければいけないと思います。

実際にどのような練習をしたのかは詳しく把握できていません。1年生だけですがしっかりと頑張っていたようです。初めてやる練習を普段と異なる環境で行なう。それだけで大きな刺激となります。また、so学園の選手たちは本当に楽しそうに練習をします。それを経験してもらいたい。やらされている練習ではなく「自分が強くなるための練習」をするのです。

1年生女子には修学旅行に出発する前にかなり話をしていました。昨年の12月の大阪、中四国合宿。1月に新春合宿に合同練習、2月に岡山へ行き今回のtabeでの練習会。これだけの刺激を与える。それぞれの場所で多くの声をかけて頂き、成長するための刺激をもらっています。それをどう生かすか。この子たちが成長するために本当に多くの方の力をお借りしています。

男子も同様。本当は多くの場所に連れて行きたいのですが。連れていけない代わりに社会人選手に来てもらったり自分達よりも力が上の選手と一緒に練習する機会がある。それをどう活かしてくれるか。ここだと思っています。今回の合同練習は女子が多いですが男子も力が上の選手が複数います。そこに食らいつく事で自分の力を上げる事ができる。

さらには今回は保護者が選手を厳しく(?!)指導してくださったとのこと。師匠から報告が(笑)。保護者が今の指導スタイルを理解してくださるというのは本当にありがたい。「そこまでやらなくていいよ」と言われてしまうと身もふたもない話になります。選手の成長を一人でも多くの人に関わってもらいながらやっていけたらと思います。

持っている力を最大限に引き出していく。そのためにできることをしていきたい。

選手には会っていません。それでも何かしら感じ取りながらやってくれていると信じたい。大学生から他校から学ぶことは多い。特に大学生の雰囲気。好きでやっているという感覚。自分達よりも強くて意識が高い選手との練習の中で「足りない」と感じる部分がある。そこを補うための練習をしっかりとやっていきたい。

多くのことに感謝したいも思います。今の私がいるのは師匠や先輩のおかげ。更には県内外の素晴らしい指導者と関わる事が出来ている部分。本当に一生懸命に選手との向き合っている指導者と関わる事で自分自身も成長できます。

少しずつ少しずつ。そして確実に。後ろに下がることもあるかもしれませんが進んでいきたいと思っています。長い目で見たときに「こんなに成長したんだ」と言い切れる所まで進んでおきたい。心からそう思います。
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自分達でやる

2017-02-20 | 陸上競技
修学旅行中、1年生は全て自分達で練習するをさせました。色々とあって大変でしたが。

火曜日、かなり激怒したまま修学旅行に行きました。何人かは個別に話をしています。ここの中でどう感じてくれるか。感じ取れないようならそれ以上の事は求められないかなという気持ちもありました。

これまでは「練習する環境を与えられる」のが当たり前という感覚があったのではないかと思っています。待っていれば自然に練習メニューが出てくる。それなりに誰かがやってくれる。そこの部分を抜け出さなければいけない。そう思っていました。

一応メニュー表は作っていました。すぐにできるものではありませんから出発までにかなりの時間をかけて検討。不在時は目の前に選手がいるわけではありませんから変更が難しくなります。状況に応じて変更できるのが理想なのですが。

不在2日目は走る練習を中心。報告によると「良く声が出ていた」「集中して出来た」という内容でした。「前半は声が出ていたが疲れて来てから少し声が小さくなった」という者も。ここですね。厳しい事を言うようですが「自分達で雰囲気をつくる」というのができるかどうか。元気な時に声が出るのは当然。疲れて来た時にどうするのかが重要だと思っています。バタバタしていましたが個別に返信をしておきました。かなりの労力ですが「成長していく」ためには今できる事をやらなければいけない。その後サポートができるかどうかです。

同じく不在3日目も走るメニューを多めに。テスト週間にはいる前ですから最後の追い込みとなります。人数が少ない中で更に一人インフルエンザで出席停止の者もいる。なかなか全員が練習できない中でどうしていくのか。6人しかいない中での練習。かなり難しいと思います。

それでも意識して良い練習が出来たという事でした。客観的な視点で自分達の行動を見る事が出来ているかどうかは分かりません。それでも「良い練習をしよう」と心掛けられるようになって来たのかなと。

声を出せば良いというわけではない。最大限の練習をするために必要だからやるのです。1年生がこの感覚を持ってくれれば大きく変わると思います。そのために多くの刺激を与えて来ました。それが実際の行動に繋がってくるまでには時間がかかります。だからこちらも「待つ」事が必要。まーこれまでもかなり待っていました。幼さが残る部分ですがそこを乗り越えていかなければいけない。

普通なら今くらいの取り組みで注意を受けることはないかもしれません。「普通のレベル」を目指すのであれば十分。指導する事もありません。しかし、目指すのは「持っている力を全て出し切る」というレベルです。そうであればやはり「普通」で満足する話にはなりません。厳しい?そう言われるかもしれませんがこちらも妥協することはできません。勿体無いですから。

かなり肉体的には追い込んだ状態で翌日は合同練習をさせてもらうことにしていました。疲労感があっても他校と一緒に練習させてもらうことで乗り切れる部分もある。特に私がいない中で自分達だけで他校と一緒にやる。さらに今回は大学生も一緒にやることになっていますから普段とは異なる刺激を受ける事が出来ると思います。

このことに関してはまた別に。ひとまず不在時の練習について触れておきます。中身はほぼないですが、
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修学旅行

2017-02-19 | 陸上競技
水曜日から土曜日まで3泊4日の日程で北海道に修学旅行に行ってきました。この時期なのでインフルエンザなどがかなり心配でしたが。

今回は初日小樽。そのまま札幌に宿泊して2日目と3日目の午前は「ばんけいスキー場」でのスキー実習。3日目の午後は札幌班別研修。最後は羊ヶ丘に行って山口に戻るという日程。

私はスキーが出来ない生徒の引率になっていました。そのためメインの団体とは別行動。2日目は旭山動物園に行き、3日目の午前は新千歳空港へ。インフルエンザの影響で初日からの参加が難しかった者が「少しだけでも参加したい」という事だったので迎えに行くことに。一生に一回の高校時代の修学旅行。思うことがあったのでしょう。

当初別行動班の3日目の午前中は「円山動物園」となっていました。出発の2日前に送られて来たのですが。いやいや、動物園巡りはないだろうという話になって別案を希望。今度は札幌ドームに行くというプランが提案。こちらで調べてみるとその日は展望台へ入ることもできず外観だけを見るとのこと(笑)。いやいや。ということでお土産が買える様に新千歳空港に変えてもらいました。

基本生徒と関わりながら生きたいと思っています。特に学校行事などは積極的に関わりたい。単純に話しをするわけではなく常識の範囲内でやれる事は全て一緒にやりたい。

途中途中で生徒と全力雪合戦(笑)。2日目の夜にはジンギスカンを食べた後に雪合戦。複数に雪を投げられたのでお気に入りパーカーのポケットの中にまで雪が入り込みました(笑)やり過ぎやろ。おかげで携帯の調子が悪くなってしまいました。どうなんだ(笑)

最終日は羊ヶ丘で写真を撮って生徒と一緒に記念に雪に顔を突っ込む。アホすぎる。まー、担任が少しくらいアホじゃないと(笑)



立体的に見えますが実際は凹んでます(笑)。ついでに「先生、雪に飛び込んで!!」という無茶振りをされたので後ろに倒れこむ形でやりました。



思ったよりも硬い(笑)めちゃめちゃ痛い。それでも生徒が爆笑してくれていたのでそれはそれで良かったのかなーと。

クラス全員で修学旅行に参加できました。それだけでも貴重。多少のトラブルはありましたがそれでも楽しく過ごせました。

千歳空港に向かうバスの中でガイドさんが「家に帰ったら保護者にありがとうと伝えて欲しい」と言われていました。自分のお金で修学旅行に参加したわけではありませんから。私も「楽しかった」と伝えて欲しいと話をしました。それだけで十分かなと思います。

良い子ばかりのクラスです。こちらが「ダメだ」と一度伝えるとそれなりに感じ取ってくれます。私自身楽しく過ごせました。本当に感謝したいと思います。この子達のおかげで意味のある修学旅行になりました。

残念ながらこのクラスで活動できるのはあと数週間。実際は火曜日から金曜日の平常授業のみかもしれません。かなり雰囲気が良くなっていますから本当はもっと長い時間を共有させてあげたいのですが。こればっかりは仕方ない。一緒に過ごせる時間を大切にしてもらいたいですね。

3泊4日。長いようであっという間でした。普段見たことのない雪の中での生活の中。多くのことを感じられたのではないかと思います。

生徒に感謝したいと思います。ありがとう。貴重な時間を過ごせました。
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昨日より今日、今日より明日

2017-02-16 | 陸上競技
練習について。

私は不在のため1年生のみの練習としていました。前日に激怒していました。本来であれば怒る必要はないのかもしれません。それでも余りにも不甲斐ない部分があったので。

めちゃめちゃ頭に来ていたので本当に放置しようかと考えていました。一生懸命にやろうとする選手もいます。総じて改善はされて来ている。それでも「前日より悪い」というのはありえないかなと。全ての予定をキャンセルして相手をするのはこれっきりにしたいという思いもありました。あまりにもストレスすぎて。

自分の時間を使ってグランドに行くのにストレスが溜まる。自分で自分の人生を面白くなくする。それってどうなのか??そう考える部分もありました。1月初めに車からポールが落ちてしまいその後も許せないと思うことが繰り返される。こんなバカみたいなことに時間を費やすのはどうなのか。感覚的に分かってもらえないとは思いますが。

火曜日の練習が終わって何人かとは話しました。涙を浮かべながら話す者もいました。いや、前もこのパターンだったのでどうなのか?!という気待ちは強くありました。それでも「信じる」という部分があります。何度裏切られても信じるしかない。自分で自分を苦しめている感じですが(笑)

「強くなりたい」という言葉。嘘ではないと思います。しかし、どのレベルで強くなろうと言っているのか。今よりもほんの少し強くなれば良いのか。高いレベルで戦うために強くなるのか。ここの部分です。泣く。こちらの言っている事に反発して泣くのか。それとも「変わろう」として変わりきれないで泣くのか。分かりません。

周りは「上手くいっているね」とか「良い選手が来てるのだから」と表面的な一部分を切り取って話をします。これまでの指導に関しても決して「勝手に選手が強くなった」とは思えません。かなりの事をやって来ています。普通なら既に諦めているかもしれない。その前にそこまで真剣に「なんとかしよう」と思わないかもしれない。それでもやる。まー陸上競技というツールを使って選手を成長させなければいけない。ある意味使命感でしょうか。←カッコつけすぎですかね。

一応練習が終わってから数人から報告がありました。これは「礼儀」として当然の事だと思っていますが。自主的に報告をして来たのかそれとも誰かから指示を受けたのかは分かりません。それでも「最低限のこと」が出来たというのは評価しないといけない。少し前なら絶対にそんなことはなかったでしょうから。

「昨日より良い練習が出来た」とのこと。私は不在ですが。実はこんなことは特別blogに書くことではなく「当たり前」なのです。これを「すごい」と評価している間は決して前には進まない。

が、「まだ101%の練習だったとは言えない」と送って来た者もいました。そうであればそこはアウトです。その時に出来ると最大限の練習にプラス1%。ほんの少しでも良い練習をしていかなければいけない。昨日よりも今日の方が少しだけ良い練習になる。今日よりも明日の方が少しだけ良い練習になる。そういうプラスの練習をしていかなければいけない。

ある者は「最初から最後まで良い雰囲気でできた」と。きちんと声が出て練習できた。これは最低限の話です。練習の目的は「声を出す」ことではない。きちんとした動きを身につける。トレーニングをして身体づくりをする。「声を出す」「全員で準備をする」というのは「良い練習をする」ための条件なのです。声を出して良い雰囲気でやるからこそしんどくても前向きな練習ができる。そこの部分だと思います。

そうなれば選手は勝手に強くなります。意識が変わるから。私は足りない部分をきちんと話をして改善するようにしていくだけ。取り組みの姿勢も技術的な事も全ては「自分では気づかない」事が出てくる。出来ていると思ってやっていても実はできていない。客観的に見る事で足りない部分を変えていける。変わるためにやるのです。それが「昨日より今日、今日より明日」の考え方の基礎です。

幼い。止まる事もある。それを理解しつつも進めていかなければいかない。だからといって「まあまあで良いや」という気持ちにはならない、やるべき事をきちんと伝えた続けることは大きな意味を持つから。

2年生が不在。これは本当に大きな意味を持つ。2年生に頼らない。その中でどこまで出来るか。出来ないのならこれから先はない。まー2年生が戻ったからといって練習に参加するかどうかは分かりませんが。きちんと話をしなければ参加しなくても良いと思っています。私のやり方でやってきてその中でまだ伝わらないのであればそれも1つの選択肢だと思っています。

blogにあれこれ書く。長いので読む気にはならないと思います。それでも私が何を考え何を感じてやっているのかは示していきたい。

色々と考えながらもやっていきたいと思います。私はいませんからやるかどうかは選手次第ですが。
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相変わらず

2017-02-16 | 陸上競技
面白くない話ばかりなので少し違う話を。

修学旅行で北海道に。で、色々あって夜に病院に行くことに。本当に大した事はないのですが地元を離れていますから万が一のことを考えて。

ホテルに相談して対応してくれる病院を探してもらう。養護教員が夜間救急の電話番号を調べてくれたのですが全く違う病院を勧められる。一応電話して「大丈夫」と言われたらしくタクシーで移動。

病院の入り口がクルクル回る自動ドアでした。ちょっと盛り上がる(笑)

受付で「先程連絡した者ですが」と伝えると「え?」という反応。ホテルから電話してもらったのですが、と伝えると「いや、聞いてないですね」という事。受診できるか確認してみますと言われしばらく待つ。

「あー、うちでは無理ですね。電話して受け入れ先を探してください」とのこと。まー仕方ない。電話番号を教えてもらい連絡。受診できる病院を紹介してもらう。病院内で電話はできませんから一人寒空の中、屋外で電話。

紹介してもらった病院に電話。受診できるとのこと。良かった。「今どこにいるんですか??」と尋ねられたので「○○病院です」と伝えると「あーすぐ側ですねー」と言われる。「どれくらいですか??」と聞くと「400mくらいですね」との返答。めちゃめちゃ近い(笑)「分からないだろうからタクシーで来た方が早いですよ」と言われるがその距離をタクシーで行くのは気が引けます。「いや、歩いて行きますよ!」ということで電話終了。

早速スマホのナビで調べてみると「目的地まで800m」と出る(笑)。おいおい、倍かよ(笑)。だからといって今さらタクシー呼ぶ気にもならず。生徒と私と添乗員さんの3人で雪道を歩く。これはこれでめちゃめちゃ盛り上がる(笑)

ナビ通り進んで行ったのですが「残り40m」の所で周りを見渡すも全く病院らしき建物が存在しない。看板もありません。おいおい、このナビどうなってるんだ?!と数分間ウロウロ。諦めコンビニで聞いてみる。が、はっきりとわからない。え?この近くにあると思うんですが。

「ひょっとしたら保健センターの中ですかね?」と言われのでとりあえず歩いて行ってみる。すると入口の所に小さな看板が。夜間救急センターと書いてある。さっき残り40mと出た時はその建物の道路向かいでした。病院と思って探すから見つからず。なんなんだ(笑)

夜間ですがかなりしっかりと見てもらうことができました。良かった。安心です。お礼を言って立ち去ろうとした時に「どこから来たの?」とドクターに聞かれたので「山口県です」と答える。するとめちゃめちゃ喜ばれる。ドクター、山口県が大好きらしく年に3回は来るとのこと。知り合いを訪ねてという部分もあるようですが山口を大絶賛されていました。

更には明治維新の話になり、「今の日本があるのは山口のおかげだ!」と段々と話が大きくなる。看護師さんに「山口は道路が良い。歴代総理大臣が・・・」と詳しく説明し始める。「あなたも一回山口に行くべきだ。住むなら山口が良い。私は生まれ変わったら山口に住みたい。」と(笑)。何の話なんだ?!(笑)まーすごく良い方でした。

そこからタクシーで帰る。添乗員さんがホテルの名前を伝えてくれたのでそのまま移動。ホテルに着いて玄関先で「さっきと雰囲気違うなー」と感じながらも中に入ってみる。さっき入った入口は裏口だったのかな??と。かなり雰囲気が違うのですがまータクシーが連れていってくれた場所なので一切疑わず。

ロビーの雰囲気も違う。うーん。エレベーターに乗って部屋の所に行けば問題ないかなと思ってエレベーター前へ。生徒が「さっき25階まであったのにここ10階までしかないですよ?!(汗)」と。なんと全然違うホテルで降ろされたのです。おいおい、ここまで来てこのパターンか?!(笑)

ホテルの前に止まっていたタクシーに乗って「行き先を間違えられたんです。○○というホテルにお願いします(涙)」と伝えると「え?そのホテル交差点の向こう側ですよ(笑)」との返答。何だそれは(笑)。不幸中の幸いとはこのことか?!間違えられたホテル、偶然宿泊していたホテルのすぐ側でした。確かに外を見てみるとさっき見かけたビールの看板がある。

歩いて移動することに。添乗員さんのナビに従いながら歩く。「あーあのホテルです。あそこでバス降りましたよね!」と言われてる。ん?今回の行程表とは異なるホテルの名前が書いてある気がするんだが。ひょっとして行程表ができた直後に名前が変わったのか?!建物の上を見てみるとこれも10階くらいしかない。いやいや、このホテルも違うぞ(笑)

ふと振り返ると後ろ側に高い建物が。おーここじゃん(笑)暗いのもありますが単純に「言われたことを信じる」所があるので(笑)。すぐに信じてしまうというのは大きな危険性があります。これは全てに通じますね。練習でも信じすぎてしまう(笑)

まー、修学旅行なんですがどこにいっても「相変わらず」の出来事しかありません。我ながら天才的です。一種の才能だと思いますね。

そんなこんなで北海道で生きてます。少しはblog楽しんでもらえるかな(笑)
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現実を受け止める

2017-02-15 | 陸上競技
思うことを。

blogに何か書く。出来る限り「良い事」を書き続けたいとは思っています。が、世の中の大半はそうではない。前もミスチル「羊、吠える」の歌詞の一部「良い事49、嫌な事51の比率」に触れた事がある。実際の世の中はそうではないかもしれない。良い事よりも悪い事の方が印象深いのでそちらの比率の方が大きく感じる。

今回、「かなり良いな」と思う事があった。その翌日に「どうなんだ」と思う事があった。普段の生活の中では50を基準として感情が揺れ動く。が、「かなり良いな」と思った時には振れ幅が大きくなっていて80位に上がっていたかもしれない。逆に「どうなんだ?」と思う時には60位だったのではないか。

普通の状態で60であれば全く問題ないと思います。逆に良かったと評価を受けるかもしれない。しかし、80を経験した時にはこれまでより高い数値だとしても「比率」としては大きな差を感じる。選手としては「普段より良い雰囲気」だと思っているかもしれない。常に最高の練習をしたい。今の80が感覚的に50の「当たり前」と言われる数値になる必要がある。ここは表現が難しい。

前任校の話をしても意味はない。たが、どうしても過去の「良い練習をする」という感覚と比べてしまう。私が前任校で「楽しい」と思えた2年間。これはチームとしてかなり成熟していた時。少し前の記事にも書いたが初めてインターハイに進んだriが2年生の時と3年生の時。この2年間は本当に楽しかった。

こちらもまだ若かった。まだインターハイに進んだ事がなく、何とかしてインターハイに行きたいと模索していた時期。この時kc高校と一緒に練習をして刺激を受けた。そこからは本当に選手が必死になった。私の目標と選手の目標が一致して「何が何でも行くんだ」という気持ちで練習をしていました。倒れるまで走り続ける。リレーメンバーに入るために必死に練習をする。これが当たり前でした。

もちろん上手くいかないこともたくさんあった。それでもこちらが話している内容を理解して「次は必ずやり遂げる」という気持ちで練習をしていた。だから本当に楽しかった。打てば響く。卒業した後に「あの時に先生に厳しく言われていて良かった」という話をしてくれる事もあった。

インターハイを逃した時に「先生に申し訳ない」という話をしてた。私のためにやっていたとは思わない。が、こちらが真剣に向き合っていることに応えようとする姿が常にあった。感情移入している部分もあったかもしれないが今まで指導してきた中で最高に楽しい時間だった。

その後、リレーでインターハイに進んだ。この時の選手は誰もいない。それでもある程度の土台があった。一定水準以上の中でやる事ができた。が、実質はこちらが伝えていることはほぼ伝わらず。何度も遅刻をしたりする。インターハイを決めた次の日でさえ寝坊して遅刻する。そんな中で我慢してやっていた。強かったとは思うが楽しかったかというとそれは違う。

現実はどうか。これを受け入れていかなければいけない。久々に楽しいと思えた。が、それはまだ本物ではない。こちらが敷いたレールの上に乗って「良い雰囲気」になっただけ。それは「自分達が求めて進んで来た結果」ではない。だからこちらの想いも感情も上手く伝わらない。甘いというよりも「感じ取ろう」と思わないのかもしれない。

良い練習をしたい。それはいつの日にか叶うのだろうか。10年後になれば叶う?それでは間に合わない。今目の前にいる者達は「上手くいかなかった」で終わることになる。それはそれで「歴史」の中で必要なことなのかもしれない。

現実は甘くない。そのことを私自身が受け入れなければいけない。簡単に変わると思っていた部分がそうではない。こちらの「想い」を感じ取れるかどうか。それを感じた者が他の者にきちんと伝えられるかどうか。過去のチーム、こちらの想いを選手が理解して感じ取れない者に伝えてくれるようになっていた。そのような者がチーム内に出てくる日がくれば変わるのかもしれない。

諦めるのは簡単。が、諦めたくはない。しかし、同じエネルギーがあるのかどうか。自分自身の中で考えさせられる。

上手くまとまらない。愚痴のようになるが自分の中で現実を受け止めながら考えていきたい。
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感覚の差

2017-02-15 | 陸上競技
思う事を。

練習を客観的に見ていて「何だろう」と思う。まーべつにどうでも良いと思えばそれで良い。が、本当に目指す場所に向けて進むのであれば「やるべき事」は明確だと思う。ある程度チームが成熟してくれば「きちんとやろう」という話をする必要はない。この「きちんとやる」という部分に関しては間違いなく「感覚の差」がある。どのレベルを基準にしてどのレベルを目指すのかによって全く異なる。そこに対して一切の疑問も持たずにグランドに立っていればそれで良いというのであれば私は指導するのを辞めたい。面白くないから。

練習を見て楽しくないと感じた。多分やっている選手も楽しくないだろう。声かけをする気にもならない。そんな中でお互いに嫌な思いをしながらグランドに立っているのは誰にもプラスにはならない。

アップメニューを見てから「面白ないな」と感じた。少しグランドを離れた。戻ってきてやっぱり「面白くないな」と感じた。メニューの指示は出さずにその場を離れた。無責任かもしれない。全員に書類を渡すことにした。全員が進退をもう一度考えるべきではないかと思ったから。周りからすれば「お前の感覚で物事をやるな」と言われるのかもしれない。では誰の感覚でやるのか?ここはグランドで見ている指導者の感覚だと思う。何も感じずに見ているのではないから。

私は昨日のアップメニューの時と比べて声が出ていないと感じた。更には負荷のかけ方が甘いと感じた。その事を問うと「昨日と同じでできている」と複数の者が答える。これも「感覚の差」だと感じる。確かに昨日と同じくらいやっている者もいる。しかし、そうでない者もいる。自分の事で一生懸命だとしてもそれを感じ取れるようにならないといけない。

無言で立ち続けている。こちらが投げかけても返答さえない。どう答えて良いのか分からないのかもしれない。

かなりの時間を無駄にした。この日は大切な日だと感じていた。前日の流れの中でどうするかも大切。修学旅行前でしっかりと追い込むという意味でも大切。が、どうでも良い練習を積み重ねてもそれは「練習をやった」という事実しか残らない。そこには「価値」や「効果」はほぼ存在しない。怒られたから怒られないようにやる。単純な話。でもそれは「強くなるための練習」ではない。基準が異なる。

この日は一切の練習指導をしなかった。無責任。まさにそうですね。選手が「頑張りたい」と思ってやっている。「精一杯」やっている。それなのに「本当に全力か?」と問う。妥協して練習すれば良いじゃないかと思われるかもしれない。が、それは私の中では違うと思う。妥協し続ければ練習は積める。しかし、そこに意味があるのか。

私が全く見ていない間、声を出していた。それなりに意識して練習をしていたのだろう。逆にいうと最初からそれをしなかったのは何故なのか?厳しく言われたからできる。それは何?自分のためにやるべき練習が「怒られるから声を出す」という話しにすり替わっている。声を出して一生懸命やれば怒られない。本当にそれが必要なのか?

あまりにも練習ができていないので最後に「60mを○本走れよ」と投げかけた。反応はない。ウダウダしている間に時間だけが過ぎていく。こちらも「やります」と言わない者にそれ以上求める必要はないと判断。

もう一度「昨日と今日のアップメニューは同じくらい出来ていたのか?」と問う。「前半はあまり声が出ていなかったけど途中からは声が出るようになって昨日と同じに出来た」と答える。ここに大きな課題がある。実際問題「途中から」しか声が出ていない。それも私がしつこく言い続けたから声が出るようになった。これで「前日と同じ」と言えるのか。繰り返しになるがここに「感覚の差」がある。

怒られるから「昨日と同じに出来た」と答えるのかもしれない。いや、そんなことは大きな視点で見たときにどうでも良い話。本当にやるべきなのは「最高の練習をすること」ではないか。最初から最後まで「良い練習をしよう」と心掛けなければ先には進めないのではないか。この感覚が間違っているのかもしれない。きちんと話を聞くと「途中から」なのだから昨日と同じではない。

アップメニューの事だけを考えたら「同じ」なのかもしれない。が、練習全体を通して良い練習が出来た前日と比べると明らかに見劣りする。単純に「アップメニューのみの比較」ではない。そこの意味が分からなかったのかもしれない。

多くの刺激を与える事でそれなりに変化をする。実はそれは当たり前のこと。大切なのは一時的な変化ではなく「本質的な変化」だと考える。自分達はやっている。もちろん、かなり変わってきているし練習の質も高くなってきている。それは「数ヶ月前」と比べてでしかない。

言い方は悪いかもしれないが100点満点の20点の練習をしていた者が60点の練習が積めるようになってきたらそれは「すごくやっている」ことになる。が、本当は100点を目指さないといけない。それなのに60点で満足するのか。「最大限の努力」とは60点ではない。私は100点を目指したい。そこまでやらないと勝ち上がることはできないから。60点で満足するような話ならわざわざグランドで指導をする必要性はないと感じた。全く楽しくない。

これ以上どれだけの刺激を与えることが出来るだろうか。ちょっと想像ができない。

週末にtb高校に練習参加をお願いしてる。県外から大学生が練習をしに来るという事でそのタイミングで1年生だけ参加させてもらおうと思っていた。更に来月は練習会を実施したいと考えている。3月末には宮崎の合宿に参加しようかなとも。が、そこに意味があるのか?全員を連れて行けるは訳ではないが全体にある程度の刺激を与えることはできる。

こんな言い方をしたらおこがましいが「私だから」という部分がある。大阪も岡山も宮崎も「私だから」連れて行くことができている。新春合宿も練習会や合同練習も私が指導していなければその機会は与えられないと思う。こちらも「想い」があってやっている。恩着せがましいかもしれない。勝手にやっているんだろうと言われるかも。

それでも構わない。が、変わる気がないならそのような経験は時間と労力、お金の無駄にしかならない。まー私が勝手にやっているのだから選手には関係ないかもしれないが。週末の練習会、保護者にお願いして連れて行ってもらおうと思っている。練習会や合宿などには多くのお金がかかる。もちろん私もそれなりの負担をしている。別に私はそれが惜しいとは思わない。保護者も「本人のためになるのであれば」という理解の中で支援してくださっている。

それなのに「変わりきれないのはなぜか」という話にならないか。それなりの所で満足するなら他校と関わりを持たず「自己満足」の練習をすればいい。別に専門的な指導を受けることなく「思いつくまま」に過ごせばいい。その考え方は間違っているだろうか?

「全力でやり切れない」のであればあれこれ指導されるのは苦痛だと思う。そこまでしてやりたくないのだから。楽しくやれればいい。放課後の余暇を過ごすだけで良い。そうではなくても「普通にやればそれなりに結果が出る」という感覚があるのかもしれない。こちらが求めるレベルを「高すぎる」と思うのであればやはり妥協点を見つけていくしかない。

今、「楽しく中国大会を目指しましょう」という気分にはなれない。現場に即していないと言われればそれまでだが。力がある選手は複数いる。が、あまりにも幼い。どれだけ話をして刺激を与えても「自分たちはやっている」という感覚が強くある。繰り返しになるが良くやっているとは思う。が、それは60点の中で良くやっているというだけ。100点換算ではない。

愚痴にしかならない。目の前で起きている出来事に対して。「感覚の差」を埋めていくための作業が出来るだろうか。そして私の中にそれだけのエネルギーが存在するだろうか。かなりのエネルギーを注いで「成長」を促してきている。それでもなかなか伝わらない。求めることが悪いのか。瞬間的に一生懸命やれば良いのか?

最後の最後で無駄な時間を過ごしていることを後悔すれば良い。そう思って放置するのも1つの手なのかもしれない。もちろんお互いに言い分はあると思っている。こちらが考えている事が全て正しいと思うつもりもない。

半端ない無力感がある。どれだけ真剣に話してもどれだけ刺激を与えても「元に戻る」のか。その日の気分でやるのか。「全力でやっている」と思っている者と「足りないのではないか」と思う者の「感覚の差」はどうすれば埋まるのか。価値観が違う部分を詰めていく作業。これまでもかなりやってきている。一人でひたすらやり続けている。それでも伝わらない。

面白くない事しかかけないならblogを書く必要性もない気がする。光が見えない。
コメント
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