全体で集まって練習ができなくなって1週間が経過しました。ここに関しては私だけではなく多くの人が様々な感情を持ちながら過ごしていると思います。選手も同様でしょう。競技だけが全てではない。当然の話です。しかし、それだけではなく「人生で一回しかない高校生活」です。本気でやりたいと思う者にとってはこの時期は試練ですね。
前から書いていますがこの期間は本当に自分達の想いが試される時期だと思っています。人によっては全くやらない者もいると思います。色々と話を聞くと「やっていない」のに「やった」という者も出てくるようです。私の価値観からすればこのことに何の意味があるのか理解できません。やりたくないならやらなければいい。やりたいならやればいい。それだけの話だと思っています。
社会人選手を例に挙げると分かりやすいと思います。社会人選手は「誰かからやらされている」訳ではありません。本当に「好き」だからやっているのです。やってもやらなくても他者からあれこれ言われる話ではありません。集団に属しているわけでもありませんし、ある意味「自由意志」だと思います。練習をして試合に出る。そこに意味がある。仕事が忙しくてもその合間を見て身体を動かす。それが「楽しい」のだと思います。
社会人選手がやっていることに比べると部活動は「やらされている」感じが出てきます。まー社会人選手も学生時代は「やらされる」部分からスタートしているとは思いますが。ある程度の段階から「自分が好きでやる」という感覚になっているから「自分のためにやる」という行動ができる。
うちは「陸上競技」をする。そのための集団です。学校によっては「身体を動かす」事を目的にやるところもあると思います。それはそれでありなのかなという気はしています。そこを否定する必要はない。「楽しい」には差があります。何をもって「楽しい」と思うのか。自分が速くなっていくのが「楽しい」と感じる選手もいればみんなで集まって何かをする事が「楽しい」と感じる者もいる。どちらが正解でどちらが間違いだとは一概には言えないと思っています。
が、うちは「陸上競技」をする。これは短距離も長距離も同じです。この期間に全く身体を動かさなかったり、「やったふり」をすることに何も意味がない。先日話をした内容をもう一度書いておきたいなと思います。
「やることをやったかのように見せかけて手を抜いたことはありませんか?見せかけだけの努力が本当の成功につながるのでしょうか?成功におよばないのがわかっていて、なぜそんな見せかけだけの苦労をするのでしょうか?見せかけなど関係ないのです。一生懸命できることをするしかないのです。成功に近道などありません。忍耐力と目的に向かう集中力がなにより必要です。格好をつけるだけでなく、自分らしさの勝利に向かうことが大事なのです。見せかけはただ単に成功の幻覚をつくりだすだけなのですから…」。
この文章は「真理」を突いていると思っています。誰のためにもならないのに周りに対して「自分はやっている」ということで立場を守ろうとしているのかもしれません。そこに意味があるのか。色々な話を聞く中で「ほぼないやっていない」という者がいるんだろうなと感じています。集団として崩れる危険性が高いのは間違いない。幸い他の者がそれに影響されないというのは救いではあるのですが。
これも何度も書いています。「やっている」「やっていない」を1か0で表せば大半の者は「1」だと思っています。全くやっていない者はほとんどいないだろうから。しかし、同じモノを「100」か「0」かで示した時に明らかに差が出る。その事が理解できない者が「競技」ができるのか。常に自分は「やっている」と思うのだから。
練習を3時間近くやった時の話。「用事がある」と帰る。家でやるという話でした。後日聞いてみると「30分くらいやった」という返答。ここはなかなかです。その前段階でもほとんど練習をしていないのに。「これからはきちんとやります」という形あるので「無理ではないか?」と何度も何度も確認しました。「何となくやるという者がいてもいいではないか」という意見もあると思います。それも価値観だとは思いますが。
私自身は「競技力」という部分だけではないと思っています。「取り組む姿勢」です。少しでも力を上げようと思えば身体を動かす必要があります。それも適度にではなく計画的にです。だからしつこく話をしてきました。が、「別にそこまでしてやらなくてもいい」というのであればうちの活動方針とは全く違います。「選択する権利」はあると思います。それはお互いにです。きちんとやることができないのであれば、それが許される活動をすればいい。
このことはこれまでも何度も経験してきました。経験上、こういう選手はほぼ変わらないと言えます。何かあれば「やらなくて良い言い訳」を探すからです。「このタイミングで病院に行くの?」ということが多々あります。それも改善される感じがない。いつまで病院に行くの?という部分。他に空いている時間には行かずに狙ったかのようにその時間に行く。まーこの部分は「言っても仕方ない」とは思っているのですが。それなら書くなという話なのですが...。
私自身は「競技をやりたい」と強く望んで競技生活をしていました。指導の最初の頃は「やったふり」をしている選手に対して意味がないので「集団に所属させながらきちんとやらせる」と考えていました。今は「やったふり」をするなら「他のことをやったほうが良い」と強く感じています。お互いに不幸。
保護者が「続けるように」と求めるのかもしれませんがこれは最大の不幸。本人は「やりたくない」と思っていて周りも「きちんとやってくれないと雰囲気が...」と感じる。指導する側も全体のことを考えたらプラスにならないと感じる。それでも「続ける事に意味がある」という話になる。いや、このご時世でそこに「意味」はないと思います。やりたくないことをダラダラやって周りが「何でやっているんだろう」と感じる雰囲気は誰にとってプラスになるのか。
この感覚は分かってもらえないかもしれません。それほど難しい話を書いているつもりはありません。私の考え方が絶対的だとは思いません。それでも時間を有効に使うという意味では本当に考えなければいけないことなのかなと。
まー全く明るい話ではないですね。こういう時だから「差」が生まれるのは確かです。そこをどうするか。ここだけではない。また別の視点からの話を書いておきたいと思います。