kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なんとなく・・・

2020-03-10 | 陸上競技

若干疲労気味。なんなんでしょうか。

 

土曜日、なんとなく職場へ。近隣を散歩。そこで近所の方が草抜きをしているので手伝う(笑)。世間話をしながらという感じでしょうか。30分くらいしてから「終わろう」という流れになったので終了。

 

非常に分かりにくいのですがうちの学校は「ネット」で境界線が作られています。隣の学校との境目も「ネット」です。私が学生のころは土のグランドですが400mトラックがありました。ボールの合間を縫って走るという感じでした。グランドの真ん中でなんとなく「境界線」がありました。

 

私が卒業した後にボールがあったって怪我をしたとことで色々と制約が生まれたようです。気が付けば高いネットが。それだけではなく数年前にはさらにそのネットが高くなる。安全面なのかもしれませんが。

 

で、学校のグランドの周りをネットで囲んでいます。今回話になったのが実はネットの外側のスペースのこと。ここはどうもうちの「敷地」のようです。この微妙なスペースに大量の雑草が生える。これを気が付いたときに掃除をしてもらっていたようです。これは申し訳ない。「暖かくなったら除草剤を撒いておいたらいいと思う」と建設的な意見を頂きました。

 

普段、近隣の方との会話はなかなかありません。「コミュニティスクール」といいながらも実際にこういう部分の接点がありません。こうやって時間があるときに色々と話をするというのは必要なことなのかもしれません。近くにアパートが建ちました。言われてみてみると雑草というか大きな「枝」が生えている。木とまではいきませんが、結構生い茂っています。そのことに気づいたの一人で伐採作業をしようということに。

 

雑草と同じように「抜く」という感覚でやろうと思ったら根が張りすぎていて抜けない。あきらめて「折る」ということにしました。バキバキ音を立てながらやるしかないかなと。草ではないのでかさばります。折っては重ね折っては重ねの繰り返し。運ぶのに大変だったので一輪車を持ってきて処理する。結構な時間をかけました。

 

こういう時間というのは自分にとって必要なのかもしれません。普段はこういう時間をとれません。そういう部分が自分の中で不足しているなという感じがありました。ずっと「走る続けている」という感覚があります。ゆっくり足元を見ることがない。そうであればこの「休業」という期間は必要不可欠な時間なのかもしれません。

 

まとまりません。いつも「勢い」だけで生きている部分があります。それとは違う生活をする。「生き方」について考える時間になるのかなと思っています。

 

まとまりませんが。なんとなく記録しておきます。

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各自でやり続ける2

2020-03-08 | 陸上競技
少し?書きます。

前の記事とは真逆の話になるのかもしれません。この休業期間に「差」が出る。ここは間違いないと思います。そこに対するアプローチや考え方は人それぞれなのかなと。

今回の休業期間は「自分で練習を組み立てる」という形にしています。「部活動禁止」ですからその場に行って私が指示を出すのは違うのかなと。それぞれが場所の確保などをしながらやっていくのは大変だと思います。家の近くに走る場所や身体を動かすスペースがないというのもあるでしょう。その中で何をするのか。それぞれの対応力が求められるのかなと。

練習に関しては「自分で組み立てる」ことがベース。それに対して私が少し修正をして送り返す。OneDriveを利用してWordで作り直したメニューを「共有」する形にしています。あくまでベースは「自分で組み立てる」という部分。一から私がサポートはしません。単純に一昨日やったから同じメニューをというのではない。やってみて課題を見つけてそれを修正する。その繰り返しなのかなと。

ある選手。練習について真剣に考えています。なかなかです。元来の性格もあると思いますが。練習中に必ず動画を撮っています。練習が終わったという報告をくれるのですが、そこに動画があります。「今日は〜をやったのだが、◯◯が上手くできた」「中間での切り替えが遅れたので明日はそこを中心にやりたい」ときちんと組み立てている。動画を撮りながらやることで自分の感覚と客観的な動きの違いを理解する。

こうやって組み立てていくというのは重要だと思っています。いつもは「与えられる」メニューです。練習に関しては「最大公約数」の内容になる。一人一人に全てをマッチングした練習にはなり難いのです。ここを「各自練習」として位置付けてやっているチームもあります。ある程度の「意識レベル」と「課題意識」を持っていなければできないかなと感じています。一律の練習だけではなく自分に合ったモノを個別に取り入れる。こういう部分を育てる事が「選手として自立する」という意味合いでは大きいのかなと。

休業期間。こうやって動画を撮りながら課題意識を持って取り組む。自分自身で振り返りながらやる。それにより「自己理解」が深まっていくのかなと。単純にやっているだけではなく、自分で感じ取りながらやっていくというのは今後の成長を促す事になるのかなという感じを受けています。

また、ある時「坂道でスイッチングをやる」という提案をしてきた選手が。普段の練習ではなかなか坂道走ができません。山まで移動しなければいけないので。今回の時期はある程度自分達で自由が効きます。やりたいなと思っている事ができる。坂道でスイッチングをすると普段よりも前に引き出す意識が必要になる。そうやって普段と同じことを環境を変えることで「感覚を変えていく」というのができる。それは非常に意味がある時間なのではないか。そう感じました。

さらに別の選手が「10m+30m」「10m+50m」「30m+50m」などの「加速走」をやりたいと計画を立てていました。これもそのままやる事に。自分で「やってみたい」「取り入れたい」と考えたモノを大きく否定する必要はないと思っています。今の自分にとってその練習が必要だと感じたからやってみる。逆にその感覚が良いのであれば普段の練習にも取り入れていけばいい。選手から提案されたモノもうちにとってプラスになるかなという気はしています。それを見つけ出す機会になる。私にとっても勉強になります。

「チャンス」だと書いてきたのはこういう部分を期待していたからです。与えられる事に慣れすぎていて「考える」ことから逃げていた部分があったのかなと。私が目の前にいればそれに頼る部分がある。そこから抜け出す「チャンス」なのではないかなと考えていました。前な記事のように「やらない」という「リスク」もあります。しかし、本気で何かをやろうと思えば「やらない」者に合わせる必要性はないかと。

こういう部分も含めて「練習計画」を立てさせています。「練習場所に行って考える」のではなく「あらかじめ考えて取り組む」ことでその日のやる事が明確になります。何人かで集まって「今日は何する?」と考えるというのも一つのパターンなのかもしれませんが、最初から「やるべき事」を考えておく事で練習の質が間違いなくあがります。そういう部分も含めて「チャンス」なのかなと。

まだまだ道半ばです。これまでのことを私自身も振り返りたいなと考えています。私が云々ではなく最後は選手何どうするか、です。少しずつ変わっていっている。人数は少ないですがこうやって取り組んでいるというのを示していきたい。応援されるチームになるというのはまだ遠いかもしれませんが、必死になって取り組んでいる選手がいます。こんな状況だから「成長」へとつながっていく。そう信じています。

また書きます。
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各自でやり続ける

2020-03-08 | 陸上競技
全体で集まって練習ができなくなって1週間が経過しました。ここに関しては私だけではなく多くの人が様々な感情を持ちながら過ごしていると思います。選手も同様でしょう。競技だけが全てではない。当然の話です。しかし、それだけではなく「人生で一回しかない高校生活」です。本気でやりたいと思う者にとってはこの時期は試練ですね。

前から書いていますがこの期間は本当に自分達の想いが試される時期だと思っています。人によっては全くやらない者もいると思います。色々と話を聞くと「やっていない」のに「やった」という者も出てくるようです。私の価値観からすればこのことに何の意味があるのか理解できません。やりたくないならやらなければいい。やりたいならやればいい。それだけの話だと思っています。

社会人選手を例に挙げると分かりやすいと思います。社会人選手は「誰かからやらされている」訳ではありません。本当に「好き」だからやっているのです。やってもやらなくても他者からあれこれ言われる話ではありません。集団に属しているわけでもありませんし、ある意味「自由意志」だと思います。練習をして試合に出る。そこに意味がある。仕事が忙しくてもその合間を見て身体を動かす。それが「楽しい」のだと思います。

社会人選手がやっていることに比べると部活動は「やらされている」感じが出てきます。まー社会人選手も学生時代は「やらされる」部分からスタートしているとは思いますが。ある程度の段階から「自分が好きでやる」という感覚になっているから「自分のためにやる」という行動ができる。

うちは「陸上競技」をする。そのための集団です。学校によっては「身体を動かす」事を目的にやるところもあると思います。それはそれでありなのかなという気はしています。そこを否定する必要はない。「楽しい」には差があります。何をもって「楽しい」と思うのか。自分が速くなっていくのが「楽しい」と感じる選手もいればみんなで集まって何かをする事が「楽しい」と感じる者もいる。どちらが正解でどちらが間違いだとは一概には言えないと思っています。

が、うちは「陸上競技」をする。これは短距離も長距離も同じです。この期間に全く身体を動かさなかったり、「やったふり」をすることに何も意味がない。先日話をした内容をもう一度書いておきたいなと思います。

「やることをやったかのように見せかけて手を抜いたことはありませんか?見せかけだけの努力が本当の成功につながるのでしょうか?成功におよばないのがわかっていて、なぜそんな見せかけだけの苦労をするのでしょうか?見せかけなど関係ないのです。一生懸命できることをするしかないのです。成功に近道などありません。忍耐力と目的に向かう集中力がなにより必要です。格好をつけるだけでなく、自分らしさの勝利に向かうことが大事なのです。見せかけはただ単に成功の幻覚をつくりだすだけなのですから」。

この文章は「真理」を突いていると思っています。誰のためにもならないのに周りに対して「自分はやっている」ということで立場を守ろうとしているのかもしれません。そこに意味があるのか。色々な話を聞く中で「ほぼないやっていない」という者がいるんだろうなと感じています。集団として崩れる危険性が高いのは間違いない。幸い他の者がそれに影響されないというのは救いではあるのですが。

これも何度も書いています。「やっている」「やっていない」を1か0で表せば大半の者は「1」だと思っています。全くやっていない者はほとんどいないだろうから。しかし、同じモノを「100」か「0」かで示した時に明らかに差が出る。その事が理解できない者が「競技」ができるのか。常に自分は「やっている」と思うのだから。

練習を3時間近くやった時の話。「用事がある」と帰る。家でやるという話でした。後日聞いてみると「30分くらいやった」という返答。ここはなかなかです。その前段階でもほとんど練習をしていないのに。「これからはきちんとやります」という形あるので「無理ではないか?」と何度も何度も確認しました。「何となくやるという者がいてもいいではないか」という意見もあると思います。それも価値観だとは思いますが。

私自身は「競技力」という部分だけではないと思っています。「取り組む姿勢」です。少しでも力を上げようと思えば身体を動かす必要があります。それも適度にではなく計画的にです。だからしつこく話をしてきました。が、「別にそこまでしてやらなくてもいい」というのであればうちの活動方針とは全く違います。「選択する権利」はあると思います。それはお互いにです。きちんとやることができないのであれば、それが許される活動をすればいい。

このことはこれまでも何度も経験してきました。経験上、こういう選手はほぼ変わらないと言えます。何かあれば「やらなくて良い言い訳」を探すからです。「このタイミングで病院に行くの?」ということが多々あります。それも改善される感じがない。いつまで病院に行くの?という部分。他に空いている時間には行かずに狙ったかのようにその時間に行く。まーこの部分は「言っても仕方ない」とは思っているのですが。それなら書くなという話なのですが...。

私自身は「競技をやりたい」と強く望んで競技生活をしていました。指導の最初の頃は「やったふり」をしている選手に対して意味がないので「集団に所属させながらきちんとやらせる」と考えていました。今は「やったふり」をするなら「他のことをやったほうが良い」と強く感じています。お互いに不幸。

保護者が「続けるように」と求めるのかもしれませんがこれは最大の不幸。本人は「やりたくない」と思っていて周りも「きちんとやってくれないと雰囲気が...」と感じる。指導する側も全体のことを考えたらプラスにならないと感じる。それでも「続ける事に意味がある」という話になる。いや、このご時世でそこに「意味」はないと思います。やりたくないことをダラダラやって周りが「何でやっているんだろう」と感じる雰囲気は誰にとってプラスになるのか。

この感覚は分かってもらえないかもしれません。それほど難しい話を書いているつもりはありません。私の考え方が絶対的だとは思いません。それでも時間を有効に使うという意味では本当に考えなければいけないことなのかなと。

まー全く明るい話ではないですね。こういう時だから「差」が生まれるのは確かです。そこをどうするか。ここだけではない。また別の視点からの話を書いておきたいと思います。
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練習について

2020-03-07 | 陸上競技

休業に入って1週間近く経過しいます。多くの選手がしんどい思いをしているのかなという気はします。逆に「休めてラッキー」と思っている者も出てくるのかなと。この辺りは人それぞれの感覚なので分かりませんが。

 
前も書きましたがある意味この時期は「チャンス」だと思っています。やる者とやらない者の差が生まれやすい。とはいえ、こういう情勢ですから全体で集まって練習するのは違うかなと。
 
感染条件としては「換気が悪い場所」「人が密に集まる場所」「不特定多数が接触する場所」というのが挙げられています。屋外で風通しの良い場所で少人数であれば感染リスクは著しく低くなります。まー、リスクが0になるとは思いません。この部分も含めて保護者が「一切運動をしてはいけない」と判断をされた場合はそれに従うべきだと考えています。一歩も外に出ない高校生がいるのかというのは非常に微妙な話ですが。
 
強制することはありません。元々スポーツは他者から強制される話ではない。それでも高校生が強い意志を持って毎日継続するのは難しくなるかもしれないので「取り組むための工夫」はしておくべきだと思います。ある程度の事を示しながらそこから本人たちがどう捉えるか。やるのも自由、やらないのも自由ではないか。
 
競技をやる事を考えた「やらない」という選択はなかなかないのかなと。これも価値観や判断基準が曖昧な部分がありますが。blogへコメントがありました。うちの選手の保護者かどうかは分かりません。「身体を動かしに行った際に不要不急の外出はしないように」と言われたと。どのようなかたちでどのように言われたのかは分かりません。が、いきなり大人から言われたら戸惑う部分はあると思います。私学では通常通り練習をしている所もあるようです。この「差」は何か。
 
小中高生には「外出を控えるように」と言いますが、高齢者の会社に関しては一切の制限がありません。いや、どちらがリスクが大きいのか。「学生は使ってはいけない」と指摘されたグランドの中で高齢者が集まってグランドゴルフをしている。この光景の「異様さ」にどれだけ気付けるのか。
 
話が逸れていますが。練習は各自でやっていると思います。ここに強制力はありません。「やっている」と思っているだけかもしれませんが。付いて練習を見ているわけではないのでなんとも言えない部分です。
 
さっきも書きましたが「チャンス」だと思ってはいます。「集まって練習ができない」という部分は「リスク」なのかもしれません。しかし、逆にいうと「自分でやりたい練習をする」という「チャンス」です。練習が偏る可能性はあります。それは仕方ないかなと。自分の中でバランスをとりながら練習について考えていくことができるかどうか。この部分は本当に難しいと思っています。高校生がそこまで練習について理解して行動をとることができるのか。
 
それでもこの機会は最大限に生かしたいと思っています。練習について理解することもこの機会だからできるという部分がある。自分たちがなにをするのか。何を目指すのかを考える機会になる。「身体を動かさない」という選択肢もあると思います。それが数か月後の自分にとってそのような結果になるのか。ここも難しい部分だとは思います。自分が何を目指して何をするのか。そこまで考えることができる選手になってもらいたいなと。
 
これまでは「与えられる」ことが大半でした。言われたことだけをやっていたらなんとなく結果が出るというパターンが多くあります。そうではなく「自分に必要なことは何か」を考える機会になる。そうやって自分自身の競技に対する考え方を深化させてもらいたいなと。それができるかどうかは分かりませんが。
 
またぼちぼち書いていきます。内容がかなり浅くなってはいますが・・・。
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やれることを

2020-03-06 | 陸上競技
blogに競技指導の内容が減っています。当然なのですが(笑)。目の前で選手が練習をしている姿を見ていないので細かいことを書くことができない。仕方ないですね。

何故か競技について書いていないのにアクセス数が増えています。私的にはこのblogを大々的にやるつもりはありません。リンクも貼っていませんし。元々私が書きたいことを勝手に書いているだけなので公にするつもりはさらさらありません。直接的に職場を示してはいません。が、何故か検索すると出てくるという話。一般の人がこのblogを読んで楽しめるのか疑問です。休業になっているので暇潰しにアクセスする学生がいるのかもしれないですね。まーそこに合わせて面白いことを書くつもりもないですが(笑)

色々と話をする中で「仕事が早いね」と言われる。元々短期集中型なのでやると決めた時には一気にやり上げる。新しいシステムが導入されてめちゃくちゃやりにくい事がある。これからの仕事の効率化を図る上で必要な事なのかもしれない。が、誰もやっていないので何が上手くいって何が上手く行かないのかわからない。

ファーストペンギンの話になる(笑)ペンギンは餌を取りに海に飛び込む。その時一番最初に飛び込むペンギンは海が天敵がいるリスクの中で行動をする。そのペンギンが安全を確認することで次に続くペンギン達の行動がスムーズになる。誰かが最初に行動を起こすので次がやりやすくなるという話。今回、誰もやっていないことを率先してやるので「ファーストペンギン」として生きているんだ!と宣言(笑)

まー周りの人が私のことをどう思っているかは分かりません。「他の人のために自らを犠牲にして道筋を示す」という気は全くありません。やり始めたら一気にやってしまいたいので他の人がやるのを待っておく事ができないだけなのです(笑)。よく生徒には「この世で一番嫌いなのは待つこと」と言います。時間を無駄に使うことになるからです。待ち時間があれば他のことができる。待たせるのは他の人の時間を奪うことになる。生きている時間は限られているのだから時間を奪うことはこの上ない罪だと思っています。最も許し難い。

私が「ファーストペンギンだ」と話をしたのは別に他の人のためではないのです。自分がやろうとしている時に止まってしまったら時間が無駄になってしまう。作業が分からずにワタワタする部分はありますが何もしないで誰かがやるのを待っていたら「待ち時間」がもったいない。上手くいかないかもしれないが、待つよりは行動を起こすことの方が生産的だと考えています。

「仕事が早い」と言われましたが、練習をしていないのだから時間は劇的に余ります(笑)朝の時間と午後の時間を他の仕事に回せばどうなるか。考えたら分かることです。練習計画を修正する。これもかなりの時間をかけています。夕方から夜にかけて2時間以上かけてメニュー修正を個別にします。これまで家でゴロゴロしていた時間をこれに充てているのですある意味有効活用なのかもしれません。この辺りはまた書きますが。

こうなると時間に余裕が生まれます。水曜日は時間があったのでピンクのベストを着て一人で「幸せます清掃活動隊」として学校周辺のゴミ拾いを。30分くらいで終わったのでさらに一仕事終えてから近くの山の清掃活動を。生徒が学内にいなければ私の存在価値は学内にはない(笑)そうであれば地域貢献てしてゴミ拾いくらいはした方がいいかなと。

何となくボーッとしておくのはもったいない。普段は生徒がやっている活動であっでも我々にもできる。大阪のymt先生が走りながらゴミ拾いをする「拾活」をされています。私には走りながらというのは不可能なのでできる範囲でやる方が良いのかなと。人として圧倒的に差が付いているので少しでも何かをして背中を追いかけてみよう、と(笑)

練習に関しては計画などを含めてまた書こうと思います。雑談のような話でしたが。


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正しいものの判断

2020-03-05 | 陸上競技

ついに、山口県でも新型コロナウイルス感染者が出ました。1000人目の感染者だとマスコミが取り上げていました。これにより「大変なことだ」という雰囲気になると思います。

 
が、間違いなく潜在的な感染者は何百倍もいると思います。簡単に検査を受ける事ができない状況の中で「感染者の数」を取り上げてもほぼ意味はない。どこかで1人で感染者が分かったと大きなニュースで取り上げる意味があるのか。簡単に検査をするシステムがあれば多くの人が保菌者だと思います。
 
不謹慎かもしれませんが、毎年肺炎が原因で亡くなる方は10万人を超えています。そこに対してきちんとした情報を出しているのか。アメリカのインフルエンザで毎年1万人以上が亡くなる。この事実はどれだけ報道されているのか。もちろん、新型コロナウイルスに対する対応は必要だと思います。が、高齢者が密室で卓球をしたりするという部分をどれだけ抑える事ができるのか。児童学生に負担を強いる。それ以外は?本当に完全休業にする必要性があるのか。
 
こういうご時世ですから何かあれば批判を受けます。状況に応じて対応するというのは絶好の批判の的です。批判しやすい部分に対して徹底的に叩く。屋外で距離を置いて身体を動かすことでの感染拡大のリスクはどれだけのものか。コンビニや飲食店で人と接するほうが距離が近いのではないか。
 
学生が屋外で身体を動かすことは批判されて、学生がアルバイトすることは批判されない。どちらがリスクが大きいですか?そういう視点で物事を捉えているか。「外に出たら感染者が増える」という偏った情報で判断をしているのではないか。
 
トイレットペーパーが店頭から姿を消しました。「コロナの影響で中国からトイレットペーパーが入ってこなくなる」というデマが流れそれに危機感を感じた人たちが躍起になってトイレットペーパーを入手しようとする。それをマスコミが報道する。さらに「危機感」を感じて購入者が殺到する。本当にストックが少なくなって困っている人に届かなくなる。
 
慌てて購入する必要性がない人も「生活用品がなくなったら困る」ということになるので仕方なく?購入することになる。そうなるとやはり殺到する。その情報が正しいかどうかを考えることなく揺動されてしまう人が多すぎる。「お湯を飲むとコロナウイルスが死滅する」というデマもあったようです。36度前後のお湯を飲むことで熱でウイルスが死滅するんだと。いやいや、体温ですよ。その程度の温度で死滅するなら誰も感染しません。「考える」事ができればそんな話にはならない。
 
ひどいのは「花崗岩」がコロナウイルスに効くという情報が流れてネットで「石ころ」が販売されている。もうめちゃくちゃな話です。それでもその情報に乗っかって購入する人が出てくる。こうなったら「コロナ退散」と書いた紙も売れるかもしれません。有名で神通力がある霊媒師が念を込めて書いた「お札」だと謳えば「効果がある」と考えて買うかもしれない。
 
我々が小学生の時に「人面犬がいる」とい噂がありました。顔が人間で体が犬。それを小学生向けの雑誌が取り上げて「人面犬がいる!」といったので子供達は大騒ぎ。自分も見たんだ!という子供も。まー当時は情報を手に入れる手段がほぼなかったので誰もが信じる状況でした。今考えるとなかなか笑える話なのですが。
 
実際今起きている現象は「人面犬がいる」と同じ話ではないか。根拠も何もなく誰かがネット上に流した情報が「真実」のように取り上げられる。何人かが騙されて終わりではなくそれに乗せられて周りが大きく影響を受ける。甚大な被害を受けるのは「陽動される人」ではなくその周辺にいる人になる。
 
ビジネスは「ターゲット」をどこにするかです。陽動されない人を狙うのではなく「すぐに信じ込んでしまう人」を狙うことで大きなビジネスになります。結果、周囲の人も巻き込んでいく。しかし、本来的な話ではない。どうなのか。
 
新型コロナも同様の話だと思います。本当に正しい情報が何か。それを判断できるか。マスコミはそこまで考えているのか。不安を煽るだけではない。真実がどこにあるのか。判断できる能力を身につけてもらいたい。そう思います。まー私がどうこういってもこの情勢は変わらないと思いますが。
 
愚痴のような内容でした…。
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ジプシーのように・・・

2020-03-04 | 陸上競技

引き続き。こういう状況ですから「練習場所の確保」というのが大きな問題になります。身体を動かすためにはある程度の「場所」が必要になります。これを確保するのは本当に難しい。

 

ある者が「身体を動かそうと公園に行ったら子供たちが遊んでいたので使えなかった」との報告をしてくれました。現実問題だと思います。「休業」ということで「不要不急」の場合を除いて外出ができない。身体を動かすために「密閉空間」ではない公園に行く。そこには小学生たちが集まって遊んでいる。小学生が単独で遊ぶことは考えにくい。そうなると・・・。ですね。

 

また、ある者は「前日使えたグランドが使えなくなった」と。「学校が休業になっているので学生には使わせることができない」と断られたそうです。そのため家の近所にある不整地で走ったと。整備されているわけではないデコボコの広場。それでも「身体を動かせる」という意味では「できないよりはまし」という感じになるのかもしれません。

 

「中学校のグランドで高校生が遊んでいる」というのが県内であったそうです。何をしていたのかの詳細は不明ですが本当に遊んでいたのかもしれません。サッカーをしたり野球をしたり。複数人で何かをしているとそこに対して「不謹慎だ」という話になる。この状況からすれば「予想できる範囲」かもしれません。一人二人で練習をしている姿と複数人で何かをやっている姿。外側から見れば「目的をもって練習をしている」ことと「単純に遊んでいること」に「差」はないと思います。

 

「身体を動かす」ことが「悪」としてみられる。その現状は間違いなくあります。室内種目で道具を介する種目と屋外で自分で身体を動かす種目がで感染拡大のリスクは圧倒的に違うと思います。しかし、それは私の意見であって実際は違うのかもしれません。そういう部分をどうとらえるか。自分の視点からだけ物事を見ているといいことはないなと思っています。

 

トレーニングジムで感染拡大したというニュースが出ます。卓球で年配の方が集団感染したという話が出ていました。小中高の学生は「他の人に移す危険性がある」の集まってはいけないと言われる。が、年配の方にはそういう「強制力」は一切存在しません。重篤化するのは一般的に「高齢者」であり、「持病」がある方です。こういう部分に対してどのように考えるのか。集まることが「悪」のようになるのであればこういう部分も制限をする必要が出てくるのかもしれません。

 

高校生が「身体を動かす」という部分。実は集団でなければ「高校」でやるほうが安全なのではないかなという気はします。これは希望的観測なのかもしれませんが。中学生が公園で野球をしているので小学生が危ないという話を聞きました。中学生と小学生が同じ空間にいて何かをすることになればやはり危険が伴います。それぞれに「場所」と「条件」を与えてあげることで色々な部分が変わってくるのではないか。そう感じます。

 

これは私の「一方的な視点」でみている。それは分かっています。とはいえ、色々な立場から問題がをとらえていく必要があると思います。競技場が使えればそこでやるのはいいのか。そうなると多くの人間が一か所に集まるのでリスクが大きくなるのではないか。ある程度のルールを決めて何かをやるほうがいいのではないか。本当に「一切外出を禁止する」ということができるのか。

 

本当にジプシーのような感じですね。どうするのか。

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不透明な日々

2020-03-04 | 陸上競技

全国一斉休業となりました。地区によって多少差はあるようです。山口県は「一律休業」という形になっています。しかし、話を聞いてみると各校によって多少差はあるようです。近隣の学校は卒業式の後に在校生を登校させて指示を出す時間を確保したようです。また、別の学校では一斉に投稿させずに出席番号で区切って分散登校をさせて指示を出す。考え方によっては様々な事ができるなと。

 
こうやってblogを書く。意味があるかどうか分かりません。批判される対象になる可能性はあると自覚しています。それでも書き記しておく意味はあると考えています。同じような状況で活動している人達に対してのメッセージも含んでいます。発信し続ける事で誰かの役に立つかもしれない。その部分を意識的にやっています。
 
単独で練習をする。それはなかなかしんどい部分があると思います。これまで集団でやるという中で成立していた練習が様々な部分で自分でやらなければいけない。ここをどう乗り越えるか。最初は意欲的に取り組んでいたとしても時間の経過によりその「想い」は冷めていきます。怠惰な生活に慣れていけばそれはあっという間だと思っています。
 
今回に関しては「練習計画」を自分で立てるというようにしています。ここに対してこちらが修正をして返す。スマホのメモなどで作成すると詳細が決められないので全て「Word」で文書化します。それを「OneDrive」を使って「共有」という形で示す。スマホ、PC、ネットを使いながら練習計画の共有をする。
 
ここに関しては約束事があります。練習計画のベースは必ず自分で作る事です。これまでは私が必要だと考えていることを毎日提供する形で行っていました。全員が同じ練習をするという形態をとっているので「自由度」が低い。ある選手にとっては必要でもある選手ににとっては別のメニューの方が良かったりする。これはタイミングの問題というのもありますが。
 
今回は全体で練習ができなくなる。基本一緒に練習するのは禁止としています。逆にいうと「自分に必要なこと」をする事ができる。練習の徹底ができます。この意味では大きなチャンスなのではないかなと考えています。
 
事前に計画を立てる。ここは重要だと思っています。単純に身体を動かせば良いとは思っていません。ここで大切になるのが「自分で考える」「きちんと計画する事」です。今の自分にとって「何をするべきか」を考える。それを具体性を持ってメニュー化する。練習というのは「速く走るための準備」だと思います。「やれば良い」とは思っていません。そのことに関してはかなりしつこく言い続けています。
 
練習には「明確な目的」が必要になります。曖昧な練習をしていてもある程度の効果はあると思いますが最大限の成果を引き出す事が出来ません。また、詳細設定をしていなければ練習をしていてキツいからメニューを変更するということも出てきます。アバウトな練習計画は「無意味」だと考えています。本当に必要なことを自分でどのように考えるか。
 
練習計画を立てるというのは「自分自身の理解」に繋がります。その時その時に自分にとって必要なものが見えてくるからです。思いつきで練習をするのではなく「必要だからやる」という部分を重視する。かなり手間がかかると思います。それでも普段とは異なる環境で自分に必要なことをやるという環境。それがどのような意味を持つか。「自分のための練習」を「自分のために作る」という感覚です。それが持てない選手はこれからどんなことをやっても変化は生まれないのかなと。
 
もちろん、「自分で考えろ」と丸投げするつもりはありません。必要な「材料」は渡しています。その資料をどのように利用するか。「補強」「加速段階」「中間」と色々な資料を渡しています。ここ最近やっていない練習もあるはずです。それを見ながら「これをやってみよう」というチャレンジができる。そういう貴重な時間だと思います。「与えられる」ことに慣れている。だから自分から作り出そうとしない。「資料」を読み解いていって自分に必要なことを見つけ出す。そういう「力」を身につける機会にもなると思っています。
 
変化を生み出す。それが全員にできるのが理想。現実はそんなに簡単なものではない。「思い付き」でやってしまうことが多い。将来に対する計画が立てられないので「なんとなくやる」ことが増える。「練習計画」を立てることを通じて「自分が何をするべきか」「何が足りないのか」を考えることができる。
 
また書きます。先が見えません。難しいですね。
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本気度

2020-03-03 | 陸上競技
土曜日のことを。部室で他の選手が待っていたら「ゴロゴロ」という音がするので何かなと思っていたら電車組が「キャリー」を持ってきたようでした。練習の道具を持って帰る。そのためには普通に手で持って帰るのは難しい。そこで二人で示し合わせて手段を考える。それが「キャリー」に荷物を詰めるということだったのだと思います。
 
繰り返しになるかもしれませんが、私はそこまで話をしているわけではありません。「練習するのに必要な道具は持って帰っていい」「早い者勝ちね」とだけ言っていました。それぞれの環境の中で何ができるかわかりません。その中で自分たちがどう判断するか。そこに尽きると思います。
 
どうやって持って帰るのか。何を持って帰るのか。気になったので写真を撮るようにだけ伝えていました。
 
 
 
マークとスティック。その他、もろもろ。

 
これはまだ積み込み途中の気がしますが。メディシングボールを持って帰っているのか?!何ができるかのをしっかりと考えてもらいたい。

 
キャリーに荷物を積んだらこんな感じになるようです。中に入らないのでミニハードルは別に持って帰るようです。すごい風景。

 
キャリーをもって雨の中、駅に向かう。これもシュールな状況ですね。



台を持って帰るのはさすがに大変だったようで「紙袋」持参で。これも自分たちで考えての行動だったようです。
 
これをどう感じるか。自分たちで「必要なことを判断する」という部分。「本気度」が違うのかなと。言われて何かをするのではなく先のことを考えて自分で考える。シャフトを持って帰ったのもですが、「練習をするために何が必要か」という話だと思います。持って帰るために「キャリー」を持ってきて荷物を詰め込む。
 
こういう姿を見ると「我々に何ができるのか」を考えさせられます。「休みになったラッキー」と思っている学生とは色々な意味で違うと思います。これが「強制されている」というのであれば意味はないと思っています。
 
私の顔色を伺って対応しているのかもしれません。しかし、私はそこは一切求めていません。「やりたくなけばやらなければいい」といっています。これからの活動は見守りたいと思います。
 
この子たちの「想い」がこれから先、明るい未来を作ってくれると信じておきたい。
 
 
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誰のためにやるのか

2020-03-03 | 陸上競技
なかなか全てを更新するに至りません。書きたいことが多くて。ネットニュースでは今回のことをひたすら取り上げています。
 
北海道知事の発言や行動が「リーダー」として評価を受けています。後追いで何かをするのではない。その場で状況を判断して最適な行動を取る。周りに忖度したり、何一つ考えず言われるがまま決断を下す。現状をもっと考えて欲しい。訳の分からない「不安」のパンデミックが見られます。行政が過剰反応をするから国民はさらに過剰反応をする。トイレットペーパーがどこでも売り切れ。不安を煽りまくっている結果です。
 
話を自分達のことに。今後の過ごし方を話してからの流れ。面と向かって選手に話をしました。この期間がどれだけ大切なのか。自分達が何をするべきか。そのことを考えさせる。理解させる。そこには時間が必要だと思っています。
 
そこでプラスアルファで話をしておくことに。これも以前から話をしている内容です。心理学者の言葉を引用して話をしました。
 
 

「やることをやったかのように見せかけて手を抜いたことはありませんか?見せかけだけの努力が本当の成功につながるのでしょうか?成功におよばないのがわかっていて、なぜそんな見せかけだけの苦労をするのでしょうか?見せかけなど関係ないのです。一生懸命できることをするしかないのです。成功に近道などありません。忍耐力と目的に向かう集中力がなにより必要です。格好をつけるだけでなく、自分らしさの勝利に向かうことが大事なのです。見せかけはただ単に成功の幻覚をつくりだすだけなのですから」。

 

これはいつも言う話です。「やりたくないならやらなければ良い」という部分。学校で練習する時も基本的に強制はしていません。やりたくなりのであればうちに入って陸上競技をやらなければいい。お互いに不幸だからです。嫌なものを嫌々やるというのは楽しくない。

 
やっていないのかやった振りをする。それは誰のためになるのか。「やっている」と嘘をついても自分自身は誤魔化せません。元々、誤魔化す意味は全く無いのです。やりたくないならやらなければ良いだけの話だから。
 
きちんとやらなならばいけない、という訳ではない。本当に自分が必要だと思えばやればいい。うちは「陸上競技」をしている。趣味で身体を動かしている訳ではない。競技をしようと思えば自分自身に厳しくなる必要がある。できていないことに対して「仕方ない」と思うのではなく「できるようなする」という判断ができるか。
 
この世で一番意味がないことは「やった振りをする」ことです。「やっていない」のに「やった」と言い張っても何の意味もない。本当にシーズン中に結果を出したいと思うのであれば「自分が何をするか」は分かる。分からない者は所属する意味はない。あくまで「競技」をするならという前提ですが。
 
この辺りのことは「言わなくても分かっている」という話だとは思います。それでも人間は「弱い」部分があります。初志貫徹ができない。だから念を押しておきたいなと。
 
更に「チーム」について練習開始時に話した内容をもう一度確認しました。これも以前のblogに書いていた内容を引用しながら。
 
「部全体でどのような方向に進むのか。そこを各自が考える必要がある。何のために陸上競技部に所属するのか。「なんとなく所属する」のであれば、時間がもったいないのでは?「個人種目で好きにできるから」と考えているようでは競技にならない。
「集団スポーツ」では「弱い者」「努力できない者」がどれだけ集まっても勝負にならない。チームスポーツが強くなるためには「個」の力が必要になる。逆に陸上競技で強くなろうと思ったら「集団」の力が必要になる。一人ではできない事でも「集団」ならやり切れる。「チーム」を作ることで初めて「個」が強くなる。だからこそ、「チームのために何ができるか」をきちんと理解する必要がある。そして行動で示す必要がある。」
 
この部分。これも何度も話をしています。本当に戦おうと思えば「個」が強くならなければいけない。前任校で指導を始めた時、人数が足りなくて長距離と幽霊部員だった3年生に練習にこさせて無理やりリレーを組みました。出るだけ。何もないところからのスタートだったので「参加する」ために苦肉の策。
 
そこから2年後にリレーで中国へ。しばらく「中国に行くのは当たり前」という雰囲気がありました。しかし、そのレベルで停滞する。選手が「マイルでインターハイに行く」と本気で言い出した時に「弱い者が集まってもインターハイにはいけない」という話をしました。厳しいかもしれませんが。
 
個人で何とか中国に行けるというメンバーが集まっても絶対に戦えない。「リレー」は集団で戦うという意味合いが強いですが、本当に戦おうと思えば「個」の力がどれだけ高まるかという話になります、周りがどうこうではなく「自分自身」が強くなる必要がある。
 
そして「個」を強くするためには「チーム」の力が必要になる。一人ではどうしても競争が生まれない。自分なりの努力で話が終わってしまうからです。金曜日の練習で「競争」をさせました。今の自分の力を把握するためです。一緒に練習していなくても身近に「ライバル」がいる。お互いに高め合う関係が作れるから強くなれる。一人ではできないことでも「チーム」があればできることがある。
 
だからこそ前の記事に書いた「1人ではない」という感覚を作りたいと考えています。小さい規模だからできることかもしれません。何人かは本当に必死になれます。ここをどう活かしていくか。
 
全国には本気で取り組んでいる選手がたくさんいます。こうやってblogを書くことに意味があるかどうかわかりません。しかし、多くの選手、多くの指導者が「この状況をどのように乗り越えるか」と考えています。私はある意味「チャンス」だととらえています。自分が成長するために与えられた「試練」かもしれません。「自分がどのようにしたいか」をしっかりと考える時間があります。
 
「信じている」という話で締めくくりました。これからは選手の行動です。信じます。
コメント
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