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照る日曇る日第892回
本邦の民草の精神の歴史を、文藝、美術、宗教、文書の断片的解読を通じてあからめようとする著者の冒険的な試みの後半は、「新古今和歌集と愚管抄」からはじまって、「平家物語」「御成敗式目」、「一遍聖絵と蒙古来襲絵詞」「徒然草」、「神皇正統記」「能と狂言」「金閣・銀閣」「那智滝図と雪舟と松林図屏風」「茶の湯」「宗達と光琳」「伊藤仁斎と荻生徂徠」「西鶴・芭蕉・近松」「池大雅と与謝蕪村」「本居宣長」「春信・歌麿・写楽・北斎・広重」と続き、「鶴屋南北の東海道四谷怪談」で悪の魅力を論じて大団円を迎える。
200年前に南北が見詰めていた「悪が悪を呼び、死が死を呼ぶ」という虚無の終末、その忌まわしい流れは、近代を経て平成の現代に生きる私たちが、いままさに直視している現実に他ならない。
封建の世から個我の自由解放、そして今また専制独裁の暗い時代を迎えても、この国の民草の実存のありようはさほど変りがないとも映るが、はてさていかがなものであろう。
各論はいずれも面白くて為になるが、とりわけ北条泰時の「御成敗式目」と北畠親房の「神皇正統記」における武士の理知的でリアルなまなざし、荻生徂徠の剛毅な思想家ぶりが印象に残った。
たった3分で読み終わりたり宇野功芳が書かなくなった「レコード藝術」 蝶人