
照る日曇る日第896回
なぜ不完全全集かといえば、前にも述べたとおり旧全集にはあった「源氏物語」の翻訳を除外し、手抜きの作品解説でお茶を濁しているからだ。赤新聞の読売に買収されてからの中央公論に昔日の文藝旗手の面影は完全に失われたことは、この一事をとっても明らかである。
されど本巻におさめられた「アヴェ・マリア」「肉塊」はことのほか読み応えがあり、前者におけるニーナ、後者におけるグランドレン嬢への、これでもか、これでもかという無条件拝跪こそは世紀のマゾイスト谷崎潤一郎の真骨頂であり、小説に仮託しておのれの性癖をここまで暴かざるを得なかった作家の蕃勇と病根の深さこそ「悪魔主義」と称するに足りるものだろう。
そのほかに作家が傾倒した映画の台本なども収められているが、特にどうということはなく、キネマ初期の習作といえよう。
ずりさがりまたずりさがる高音部を額にシワ寄せ持ち上げている森麻季 蝶人