あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

池澤夏樹編・河出版日本文学全集18「大岡昇平」を読んで

2016-09-09 15:20:54 | Weblog


照る日曇る日第894回

「武蔵野夫人」と「俘虜記」の抜粋、「一寸法師後日譚」その他の短編を収録しているが、代表作の「レイテ戦記」をなんで入れないのか不可解。これこそが「俘虜記」「野火」を凌ぐ本邦戦争文学の最高傑作だと思うのだが。

大岡の文章はそれが「花影」の代わりに収められた花柳小説「黒髪」やカルチャーセンターにおける講演「母と妹と犯し」においても猛烈に切れる知性の光彩陸離そのもの、であって、それが例えば「武蔵野夫人」におけるヒロインの恋と自殺を精巧ではあるが観念的な作りもの、で悪ければ、「「はけ」の精霊の物語」に堕してしまっていると思うのは私だけだろうか。

「文学者であるからには、すべてを文章で完璧に表現しなければならない」と自負するスタンダリアンの文章は、それこそ知に働けば角が立つような典型的な頭の良い人の文章で、それがもちろん彼の第一の長所でもあれば、超一流の作家に一籌を輸する原因でもあった。

彼の文章は、いったい何を言いたいのか何回読んでもよく分からない(例えば小林秀雄や吉田健一や吉本隆明などの)日本語よりも、はるかに知的で洗練されているが、いずれも太陽の光の下で書かれた「晴の日」の文章であり、そこには谷崎潤一郎のような陰影や雨や曇りの日の湿潤が感じられないのが、うらみといえばうらみといえるのであろう。

余談ながら、「「椿姫」ばなし」という雑文では、中原中也がデュマ・フィスのこの小説を「これは真実な物語だ。これは聊かもいわゆるロマンティックではない」と褒めたと証言しているのが印象に残った。


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