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照る日曇る日第898回
戦後日本を代表する歌人が出した15冊の歌集の(短歌の他に長歌、ソネットも含めた)無慮無数の秀作の中から、そのエッセンスをより抜いて夫、息子、娘が解説した、文字通り珠玉の1冊である。
私は河野裕子という人に会ったことはないけれど、さだめし優しくて繊細な、「日本の肝ったま母さん」のような人だったのではないだろうか。
婦といふはよき文字なり帚もち掃き暮らすうち年を取りゆく
この人の歌は、不思議なことに、たとえそれが悲しい歌、寂しい歌でも、勁く明るく元気な歌だなと思う。それはこの人が夏の日向に咲く大輪の向日葵のような向日性のおおきな「愛」の女性であり、古代なら天照大神、近代なら与謝野晶子を思わせる輝かしい生命力と神話的な存在感を天賦されていたからではないだろうか。
菜の花のあかるい真昼 耳の奥の鼓室で誰かが ぽ、ぽんぽん
琵琶湖を昏い水盤に譬えるような宇宙的、巨視的なまなざしは、そこから発しているのではないだろうか。
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
だからというて彼女が大ぶりで大雑把な歌を詠っていたわけではない。
ホタル、オタマジャクシ、朝顔、コスモス、かたばみ、ペンペン草、猫、幼いころから親しんでいた身辺の動植物の断片はまことに生き生きしている。
金魚鉢の中に入れば水ぬるく あ、ぶつかる横あ、ぶつかる後ろ
何でい、へつちゃらでい ガワガワの外皮立てゐるキャベツの畑
そして自他の人事百般に注がれる歌人の視線は、刺すように鋭い。
この医師の人物をはかる目つきして嫌なわたしよ診察室出づ
名前呼ばれ診察室に入るとき嫌だらうなあ医者のこころは
この歌集を読むと、歳をとるごとに作品から修飾の過剰が削ぎ落され、派手な油絵から簡素な水墨画に変遷していくような歩みを観取することができるし、その遥かなる昔より彼女は死を意識し、死の影の下を歩んできたことも分かるのである。
具体とか細部が大事と言ひながら大雑把でよろしと批評を括る
冬枯れの日向道歩み思ふなり歌は文語で八割を締む
2010年8月12日、河野裕子は、正岡子規の有名な遺句に匹敵する絶唱三歌を遺して、この世に別れを告げた。
あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
黙々と凡愚を貫けばそれもまた非凡なる生と呼ばれるべきか 蝶人