あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

音楽之友社刊「レコード芸術」7月最終号を読んで

2023-08-07 11:23:38 | Weblog

 

照る日曇る日 第1935回

 

71年間に亘ってクラシックレコード界を牽引してきた、と自負する「レコード芸術」が、突如休刊したので驚いた。

 

発行元は原材料費の高騰、業界を取り巻く状況の変化等を理由に挙げているが、それは他誌も同じこと。CD売上や広告の減少、権威者に頼らない主体的購買者の増加なども背景にあるだろうが、私はあえて「1500円を払ってでも読みたい筆者の不在」を第一の理由に挙げたい。

 

当たり前のことだが、わたしらは書籍は読むに値する著者を選んで決める。雑誌も同様で、誰が記事を書いているかを調べてから買う。

 

昔私は「レコード芸術」は吉田秀和、三浦淳史、宇野功芳の3選手の原稿が読みたかったので、お金は無かったが毎号購入し、読んでは捨てていた。

 

ところがこの3名が鬼籍に入ると、当たり前のことだが、代が変わってAI並に優秀ではあろうが、「心にしみとおるような日本語を書けない」専門莫迦たちが次々に登場し、彼らにとっては重大な価値があっても、読者の私にとっては唐人の寝言のような駄弁ばかりを弄するようになったので、ただちに購入をやめて図書館から借りるようになった。

 

以来半世紀。いま私の手元に在る終刊号のすべてのページを読み終えたところだが、多少とも心に残ったのは、山崎浩太郎氏がクレンペラーのワグナー「ローエングリーン第1幕前奏曲」についての小記事、寺島靖国氏のジャズ連載の最終回、この2本だけ。余人はいざ知らず、レコ芸と私のつながりはとっくの昔に切れていたのである。

 

どんなに時代が変わろうが、どんな雑誌も、読者が読みたい人の、読みたい記事を載せれば、必ず売れる。

 

具体的に実例を示せば、亡き坂本龍一の遺書を載せた最近の文芸誌「新潮」。これを「レコード芸術」が載せていれば、私はすぐに買っただろう。またレコ芸の編集長は、とっくの昔に、かのムラカミハルキのクラシック連載を企画実行するべきだったのだ。

 

ドラゴンも薬缶も沸騰するこのあしたガビチョウ台湾リス皆みな殺せ 蝶人

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