照る日曇る日 第1975回
自閉症の本は無数にあり、その数だけ自閉症論議がある訳だが、それらの様々な学問的定義やかまびすしい論義やレッテルから遠ざかり、個々の自閉症児を虚心坦懐に見詰めてみると、なにが見えて来るか。
それは極論すると「ちえのおくれ」を持って生まれた自閉的な健常児ではないか、といのが著者の見解ではないだろうか。
著者がいうように、自閉症児のみならず、文明の中では、障碍があろうがなかろうが、私たちは例外なく「おくれる存在」であることに着目すれば、私たちは暮らしのあゆみ中でこの「おくれ」と共にゆったりと過ごすことによってしか、人間らしい人間であることは出来ないだろう。
事実私が自閉症の長男と共にゆったりと暮らしている限り、たとえ全世界が崩壊しようとも、浮世離れしたかけがえのないしあわせを享受することが出来ると思うのである。
ヤングケアラー若き介護者と悟りしがシェアライダー、アーバンベアなんのこっちゃ 蝶人