あまでうす日記

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澤地久枝著「滄海よ眠れ一」を読んで

2023-11-08 11:34:50 | Weblog

 

照る日曇る日 第1976回

 

澤地さんが血と汗と涙で書き綴った渾身の書を、遅まきながら読み始める。「ミッドウェー海戦の生と死」という副題通りの内容である。

 

冒頭にくるのは、海戦の勝敗を決する(実際は友軍機に依頼しての)電報を打った空母「飛龍」艦攻機上の飛行隊長友永丈市大尉である。運命の1942年6月5日午前4時、ミッドウェー島を爆撃したあと、彼は「第2次攻撃隊の要あり」の無線を発した。

 

海軍の公式見解では、この友永の意見具申により敵機動部隊に備えて待機していた艦上機の魚雷をミ島攻撃用の陸用爆弾に変え、この兵装転換中に敵機動部隊出現の報告があり、再度魚雷に変更。やっと雷装を終えて出撃直前のてんやわんやの「運命の5分間」に敵機の急降下爆撃をくらって赤城、加賀、蒼龍の3空母が被爆炎上したといわれている。

 

しかしこれは敗戦のつじつま合わせのための事実と異なる真っ赤なウソ偽りである。実際は「運命の5分間」などは存在せず、被弾直前の各空母の甲板に航空機の影はなく、その大半は格納庫の中で燃料満載状態で待機していたのである。


確かに急降下爆撃自体は電撃的だったろうが、それ以前に「陸を叩くのか、海を叩くのか」最初から最後まで作戦意図が分裂しており、敵空母発見の報が入って5時40分に敵と戦う決心をしてからも、対艦用の半分の飛行機は予め与えらえた仕事をしていなかった。

 

真珠湾の大勝利に酔っていた連合艦隊は、いわば「戦う前に負けていた」ようなお粗末な実態であったことが、戦史とは無縁な素人同然の澤地選手の粘り強い追究によって白日の元に晒されたのであった。

 

    誰がどう言おうがわいらあ大嫌い化粧する男&刺青する女 蝶人

 

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