照る日曇る日 第1978回
私たち夫婦には49歳になる自閉症の長男があり、我が家の「王子様」である彼を基軸として晩年の「一寸先は光」の楽しい生活が展開されているのですが、私はこの自閉症という障害の本質を、紆余曲折を経てようやく学者や研究者の共通理解となった「脳の先天的な器質障害」、あるいは「遺伝子の生物学的な機能障害」と捉え、言葉やコミュニケーション不全、強いこだわり等々の自閉症児の発達の遅れや問題行動のすべてを、ダイレクトにそれと結びつけて、よしとしてきました。
ところが、この年になって初めて佐藤氏の自閉症の本を読んで、大きな衝撃を受けました。氏は21年間に亘る障害児教育の研究と実践を通じて、そうした生物学的な研究をすべて否定するわけではないが、「自閉症=脳損傷論」という因果論的な考えは、彼らの言動を「症状」としてしか見ない、あるいは見えないゆえの誤解と偏見ではないか。もっと彼らの具体的な実像に切り込み、その内面の複雑微妙で多面的な様相をじっくりと観察し研究しなければ、彼らの本質はつかめないのでは、といわれるのです。
確かに「ちえのおくれ」を持つ障害児者はかなり共通した症状を持つと同時に、一人ひとりが異なる症状を持っており、十把一絡げに論じたり接することはできません。そして彼らが示す「問題行動」の一つひとつに必ず「原因」があり、その隠された「原因」を探り出して適切に対応することこそ、一番困難にしてやりがいのあるしごとなのです。
本書の中で佐藤さんは、「障害と健常は連続している」こと、そして「関係の遅れ」や「人や社会とかかわる力の遅れ」、「発達における量的拡大と質的変容」に着目し、とりわけ自閉症児の「私(自己)の育ちそびれ」、「「やり―とり」の弱さ」について言及しています。こうした多彩で複雑な欠陥は相互に密接に連関しており、そのことが彼らの発達の質的変容をさまたげていると説かれるのです。
私は、遅まきながら佐藤さんのこの本をバイブルとして、自閉症の新しい見方を学びとりたいと思っています。
我が知るどの新聞と比べてもレベルが低い朝日歌壇 蝶人