照る日曇る日 第2014回
津久井やまゆり事件の植松死刑囚との往復書簡として神奈川新聞で始まった連載だが、途中で植松からの返信がなくなってしまった。にもかかわらず著者がいわば自問自答する形で、いのちについて、人世を生きる意味について、根源的に問い続けた60通の手紙である。
それは著者によれば「問学」という自己流の試行錯誤なのだが、重度障害を持つ娘、水俣病とのかかわり、東大闘争を闘った助手時代の回想やこの国の過ぎ越し行く末、「個人」という概念がない日本人の特性などを、もはや死刑囚からの返信を期待せず一部に重複もあるが談論風発して物語ったもので、さながら犀のごとく一途に歩む様に共感しないではいられない。
さりながら「世の中は人がどうこうできるものではなく、森羅万象は次々になりゆくものである」、とか、「日本人は戦争に負けたのではなく、戦争が終わったのである」、とかパッタリつまずいてしまうような発言もある。
戦犯の東条が「悪人正機説」に心酔して幸福な無責任死を死んだ、といいのは本当なのだろうか?
なりわいだああなりわいだなりわいだ政治屋2世や3世がなりわい回復を叫ぶ国会 蝶人