あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

性の剥き出し

2018-02-12 10:52:39 | Weblog

音楽千夜一夜 第406回 


この世の中で、セックス、というより、ずばり「性交という行為そのもの」を表現した音楽は、おそらく星の数ほどたくさんあるでしょう。あるはずです。

経験豊富な皆さんと違って、奥手の私が知っているのはたった3つしかありませんが、今宵は恥をしのんで、それらをご紹介しませう。

そのひとつはあまりにも有名なジェーン・バーキンとゲンスブール(ガンスブールと発音すべきだという御仁もいらっしゃいますが)とが、蝶々睦々ちんちんかもかもとからみあう、超悩ましい「je t'aime... moi non plus」(ジュ・テーム・モア・ノンプリュ)という極め付きの1曲です。


#1 バーキン盤 https://www.youtube.com/watch?v=GlpDf6XX_j0


もういい加減にしろと言うても、きっとこの調子で朝までエクスタシーが続くのでしょうね。若さの勝利というも愚かなり。

なおこの空前絶後の「アヘアヘあえぎ」は、ゲンスブールのそれまでの恋人だったブリジット・バルドーと録音されていたのですが、バルドーは当時の夫を忖度して発売を拒否したためにお蔵入り。その代打で急遽登場したバーキン盤が世界中で大ヒット。
それが原因でゲンスブールはバルドーと別れたんだそうですが、なんとも羨ましいような話ですなあ。


#2 参考までにバルドー盤 https://www.youtube.com/watch?v=F2XA5gMPc8Y


お次のセックス音楽は、リヒアルト・シュトラウスの有名な「薔薇の騎士」の冒頭の音楽です。

物語の舞台はマリア・テレジア治下のウイーン。まだ開けられない深紅のカーテンの向こう、夫の不在の寝室のベッドで絡み合っているのは、妖艶な元帥夫人と青年貴族オクタビアンです。

いきなり指揮棒が一旋すると、管楽器の不協和音が鳴らされます。
高鳴るホルンの一撃は余りにも早すぎるペニスの勃起であり、次なる弦楽器の強奏は、成熟した年増女の「警告と教育的指導」です。

しばらく血沸き肉踊る猛烈な揉み合いが続いたあとで、全木管金管楽器がぐるぐり悲鳴を上げて咆哮するフォルテッシモは、17歳の若者のあまりにも性急で早すぎた射精であり、そこにすかさず分厚く覆いかぶさる弦楽器は、やむを得ず自分のエクスタシーを早めようとする元帥夫人の怒りを込めた焦り、なんですね。

やがてゆるやかに奏される序曲の終わりは、すなわちセックスの終わりとそれなりの性的満足の表明、なのでしょう。

R.シュトラウスの「バラの騎士」はカルロス・クライバー指揮のウイーン国立歌劇場またはバイエルン歌劇場による演奏。同じくカラヤン指揮のウイーン国立歌劇場またはフィルハーモニア管演奏のできれば映像付の録音がおすすめです。


#3 https://www.youtube.com/watch?v=bXsTgUMveP0


最後は、旧ソ連を代表する作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が、わずか26歳の若さで完成させた自由奔放なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。

帝政ロシア時代の地方の富裕な商人(50代)の美貌の後妻、カテリーナは、23歳の若さと性欲をもてあましてもんもんと眠れない夜を過ごしていました。

が、その隙をついて忍び込んだイケメンの下男に犯され、よくある話ですが、あのチャタレイ夫人のように初めて性の燃え上がる喜びを感じて、いわゆるひとつの充たされた生活、を満喫するようになります。良かった、良かった。

しかし好事魔多しとはよくいったもので、2人の仲は義父に知られてしまう。
そこで追い詰められたカテリーナは、義父を毒入りキノコで毒殺し、出張から帰ってきた夫も、恋人と共同で殺してしまいます。(レスコフの原作では、もう一人少年も殺害するのですが、オペラではカットされています。)

やがて晴れて結婚した2人でしたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」のたとえ通り、悪事が露見した2人は流刑地に送られ、なおも陰惨な悲劇が続くのですが、それはさておき、ここでの問題は、第1幕第3場における荒々しい性行為の音楽。
すべての弦と管と打楽器が荒れ狂う獣のように咆哮し悲鳴を上げるのです。

私はマリス・ヤンソンス指揮ロイヤルコンセツトヘボウ管による2006年6月、アムステルダムはネーデルランドオペラ公演のライヴDⅤDで視聴しましたが、まさに阿鼻叫喚の激烈な強姦音楽です。(45分~47分あたり)


#4 https://www.youtube.com/watch?v=ldRJQfES8hA


どうしてこのように野蛮な、セックスむきだしの原始的な音楽が、当時のソ連で大好評をかち得たのか? 
おそらくは人間は、昔も今もどんな社会体制にあっても、生きているからにはその性的快楽を全面的に肯定するほかないじゃないか、という原点を、初めて音楽で本気で描いたからではないでしょうか。

しかし残念ながらこの文字通り革命的なオペラも、当時の独裁者スターリンが見物した直後にソ連共産党の機関紙「プラウダ」で「荒唐無稽!」とこてんぱんにやっつけられ、それから20年後にショスタコーヴィチがその行き過ぎた個所をマイルドに削ぎ落とした改訂版を「カテリーナ・イズマイロヴァ」として世に送るまで、音楽史の暗闇に放置されるほかなかったのでした。


    年収2千万交通費月百万国会議員はやめられまへん 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潮日本古典集成新装版奥村恆哉校注「古今和歌集」を読んで

2018-02-11 09:49:59 | Weblog


照る日曇る日 第1036回



続万葉集ともいわれる古今集をつらつら再読しましたが、おおかた雪月花の美についての紋切り型の賛歌とか手垢のついた感情・表現や屁理屈の果てしもない繰り返しで、現代の理性と感性にも叶う新鮮さなどどこにもなく、まことに旗本退屈男。どうも「おお、これは、これは」という感動的な珠玉の名作なぞにはお目にかかれませんでした。

全巻は春夏秋冬歌、賀歌、離別歌、羇旅歌、物名、恋歌、哀傷歌、雑歌、雑体、大歌所御歌・神遊び歌・東歌の20部に編纂されていますが、強いて言えば雑歌がいちばん現代の心にフィットしているやに映ります。

しかし私にとっては、人麿赤人のどのような秀歌を引き合いに出そうと、現代の無名の口語歌人の任意の1作ほどにも心を打たないことは明らかです。もはや万葉、古近、新古今などをあえて参照しなくとも優れた歌は日々量産されているといえるでしょう。

それはさておき、本書の校注者の奥村氏によれば、古今集の代表作は、紀貫之の「むすぶ手の雫ににごる山の井の飽かでも人を別れぬるかな」だそうです。

それは後代の大歌人藤原俊成が「言葉、事のつづき、すがた、心、かぎりなく侍るなるべし。歌の本体は、ただこの歌なるべし」と激賞したからだ、というのですが、そこには「新古今」の作者が大好きな幽玄の美や有情なぞがゾワゾワ蠢き漂っているからでしょうか。オラッチにはさっぱり分からんずら。

確かに紀貫之は古今集の撰者の代表で、有名な「仮名序」を読むと、やまと歌の歴史を大上段に振りかぶって総括し、新時代の和歌の定義を(拙劣なサンプルを出したり引っ込めたりしつつ)試みようとしたり、僭越千万にも近時の歌詠みの勤務評定に挑んだりしています。

在原業平は「その心あまりて、ことば足らず」、文屋康秀は「ことばたくみにて、その身におはず」、喜撰は「ことばかすかにして、初め終りたしかならず」、大伴黒主は「そのさまいやし」と言いたい放題ですが、そういう夫子自身の歌の出来栄えはほとんど凡庸そのもので、彼が批難した歌人の域にすら達していないと私は断じます。

「仮名序」の元になったのは、紀淑望の手になる「真名序」ですが、こちらのほうが貫之バージョンより遥に面白い。古の天子が侍臣に和歌を献じさせたのは、その出来栄えによって「賢愚の性が相分る」からだ、というのです。

なるほど下手な歌詠みは宮廷で立身出世できないからこそ、人々は歌道に必死に精進邁進したんだ。これならよく分かります。おそらくはこの下世話極まる周辺事情こそが、本邦詩歌世界の根本推力源だったのでしょうね。


   さあ急げ!車がトンネル出る前に身の上相談の結論が出る 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村田沙耶香著「コンビニ人間」を読んで

2018-02-10 11:38:54 | Weblog


照る日曇る日 第1035回



大学を卒業しても就職せずにコンビニでアルバイトを続け、30を過ぎても浮いた噂の一つもない女性というのは、あちこちにいそうな気もするでが、そんな「自由で気儘で不安定な生き方」を放置せず、なんとか「治してやろう」とするのが「大人な」私たちの世の中なのである。

主人公自身も、別に自分で望んでそんな生き方を選びとったわけでもないので、家族のアドバイスとか偶然目の前に現れた「はみだし男」の言うがままに、そんな受け身の暮らしから転身しようとするのだが、腰かけ仕事であるはずのコンビニの労働があまりにも彼女の心身に馴染んで、今更どうしようもない。

彼女はコンビニという高度に発達した資本主義の極北を体現した超優良な労働力商品なのであるが、そういう自覚は全くないし、彼女にとって冷徹なメカニズムの部品であることが「疎外された労働」ではなく、むしろ生甲斐であると感じるような物神崇拝的感受性を懐いている点が興味深い。

小説のラストで主人公が久しぶりにおのれの中のコンビニ人間性と再会し、大いなる喜びを実感するシーンは感動的ですらあって、その神神しい姿は現代資本主義のミューズと呼んでもいいかもしれない。


  この国をめちゃくちゃにしたその男今度は9条を壊しにかかる 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若松孝二監督の「実録・連合赤軍」をみて

2018-02-09 16:50:33 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1282



「総括」とは己の所業を振り返って客観的に再評価して次に生かす営為だとす思うが、ここで繰り返される「総括」とは、単なる自己否定、他者への批判のための批判、あるいは他者抹殺の理由づけ、としてのみ発動されている。

連合赤軍のリーダーにのし上がった森は、己の犯した日和見という弱みを自他の眼から隠匿し、相対化するために、他者の弱みを無理やり引き摺り出して摘発することに狂奔したために、組織のエネルギーは限りなく内攻し、いつまでたっても敵権力との対決に向かうことはない。

自己の純化、革命化、共産主義人間化が同志の破壊と自己滅却に向かう道程はこれまでもあったし、これからも繰り返されるに違いないが、人間の弱さや女性性、ふぁっちょんや飲食をはじめとする衣食住遊休知美の無条件の楽しさが、「革命の敵」と捕らえられている限り、人間革命も社会革命も永久に成就しないだろう。さはさりながら、これはいわゆるひとつの全国民必見の映画ずら。

   粛々と帝国暗部を穿ちゆくぶらぶら人のゆらゆら革命 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワード・ホークス2本立て

2018-02-08 11:16:04 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol. 1280、1281



1)ハワード・ホークス監督の「男の好きなスポーツ」

釣りの評論家で本まで出しているというのに、魚が大嫌いで釣ったこともないロック・ハドソンをめぐる女たちとのやっさもっさ、恋のさやあてが延々と続く。1964年製作の軽喜劇だが、映画の中を流れていく時間の楽しいこと。職人ハワードがいかに映画作りを愛していたかが如実にわかる傑作です。ヒロインのポーラ・プレンティスは78歳で健在だとか。

2)ハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」

ホークスが面白いのは映画の中に唄と恋愛を入れ込むこと。本作では忙中閑ありという感じでディーン・マーチンとリッキー・ネルソンが「ライフルと愛馬」を歌うが、これはなくもがなのサービスだろう。
またジョン・ウェインはどういう風の吹きまわしかアンジー・ディキンソンにずるずる深入りしてしまうが、あのラスト間際の黒のセクシーな下着は捨てる必要はなかったのではないだろうか。


  イノッチがガハガハガハと笑うのでまあ頑張るか月耀の朝 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潮日本古典集成新装版「更科日記」を読んで

2018-02-07 10:50:19 | Weblog


照る日曇る日 第1034回



源氏のような大長編に比べるとまことに短い記載ではあるが、そこに綴られているのは、今も昔も変わらぬ「女の一生」の縮図のようにも感じられる。

そこにいるのは、夢見る一人のシャンソン人形、ならぬ文学少女。待望の源氏全巻の通読を果たすと、彼女は、光源氏のような白馬に乗った王子様が、「浮舟」に憧れているおのれを妻問い、夢見るような逢瀬を齎してくれる夜が訪れる日を待ち望む。

しかし、それは来なかった。いやもしかすると長久3(1042)年10月初旬の夜、35歳の彼女が、祐子内親王家でめぐり会った38歳の源資通こそが、夢で憧れたその人であったかもしれない。

しかし翌年の春、彼女はわざわざ訪ねてくれた資通に運悪く逢えず、以後2人は死ぬまでついに再会することはなかった。

幻想的な物語、恋、歌、信仰、そして夢と浪漫に満ち満ちた日々は、うたかたの如く飛び去り、いま目前にいるのはなんの魅力も覚えない夫との砂を噛むような平々凡々たる日々。現実との相克に疲労困憊し、深い孤独と喪失の中で、その夫とも死別した彼女に残されたものは何だったのか。

それこそが「更科日記」という、ある女の生きた証、さながら万華鏡のように転回する光と影のメモワールなのであった。
本書の題名は、古今集の「わが心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見て」に依っているが、彼女の悲傷がいやされる日はついに訪れなかったようである。


  またしても奥歯の歯茎が腫れてきたまだ神経が残っているのか 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由律詩歌 その30

2018-02-06 10:54:44 | Weblog


ある晴れた日に 第496回




すなすなすな

すにすにすに

すぬすぬすぬ

すねすねすね

すのすのすの

すはすはすは

すひすひすひ

すふすふすふ

すへすへすへ

すほすほすほ

すますますま

すみすみすみ

すむすむすむ

すめすめすめ

すもすもすも

すはすはすは

すやすやすや

すゆすゆすゆ

すよすよすよ

すらすらすら

すりすりすり

するするする

すれすれすれ

すろすろすろ

すわすわすわ

すをすをすを

すんすんすん


   結局は地獄の沙汰も金次第基地より大事はお金なのさ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉国宝館で特別展「北斎と肉筆浮世絵」をみて

2018-02-05 11:11:58 | Weblog


蝶人物見遊山記 第271回


「大英博物館を熱狂の渦に巻き込んだ北斎作品が凱旋!」なんてチラシに惹句が刷り込んであるので、思わず笑ってしまった。

この世に美術館、博物館多しといえども、この国宝館ほどマンネリの施設はない。年年歳歳時は移れど、春夏秋冬ほとんど同じ内容の企画をぐるぐる開催しているのが、この名前だけは立派な鎌倉国宝館なのである。

今回の特別展にしても、毎年恒例の「氏家浮世絵コレクション」の相も変らぬ展示なのであるが、たまたま北斎の「酔余美人図」「桜に鷲図」「雪中張飛図」の3幅を大英博物館で公開したら、好評を博したというだけの話で、物見高い英都倫敦市民がどれくらい熱狂したかは現場を見ていないので測りかねるが、それをウリにするところが、肌寒いような、可憐なような、そんなくわんらんであった。

でもに改めて見る葛飾北斎の肉筆の分厚い筆致は、それが晩年の筆致を感じさせない画狂人らしい情熱の産物で、「ああ鎌倉国宝館にこれあるかな!」と、無上の喜びに酔いしれたる天下の逸品ではありましたぞえ。

北斎の他にも、師宣、歌麿、雪鼎、政信などのいつもの肉筆画が並んでおりましたが、浮世絵とは風合いの異なるタッチを披露している歌川広重のそれがちょっと面白かったずら。

なお残念ながらこの展覧会は、すでに昨日2月4日に終了してしまったので、ごらんになりたい方は、来年の今頃鎌倉八幡宮傍をめざして頂ければと存じます。

開口一番悪口も言うたけれど、同じ展覧内容を10年いちじつのごとく毎年村の水車のように飽きずにやっている美術館もいいものですよ。


  藝大の入学式で拾いたるムクロジの実が大樹となるまで 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像その28~これでも詩かよ第230回

2018-02-04 09:44:24 | Weblog


ある晴れた日に 第495回


ハッピーニューイヤーてなに?
新しい年おめでとう、ということよ。

お父さん、すっばいのすは2酸化炭素の酸だよ。
そうだね。よく知ってるね。

お母さん、ちゃんと責任とってってどういうこと?
ちゃんとけじめをつけるってことよ。
セキニン、セキニン。

お父さんさん、ぼく、ゴタゴタいやですお。
お父さんもいやだよ。

遺憾に堪えないってどういうこと?
とっても残念だ、ということよ。

お母さん、交わるってなに?
交際することよ。

お父さん、ぼくさん、信じますよよ。
なにを信じるの。
お父さんとお母さん信じますよ。
そうなんだ。
信じるはにんべんにいうでしょ。
そうだよ。

我が輩ってなに?
私は、っていうことよ。

メールってなに?
パソコンでピッと伝えるものよ。
そ、そうですお。

お母さん、今年「どんと晴れ」見ました。また見ますお。
見てくださいね。

法事って人が死んだとき?
そうだよ。
ホウジ、ホウジ。

お母さん、すこやかってなに?
丈夫で元気なことよ。

お母さん、一晩中ってどういうこと?
夜の間中ずっとのことよ。耕君一晩中痛かったの?
大丈夫ですお。

お父さん、今年で「べっぴんさん」終わるんだね。
残念だね。
残念ですお。

お母さん、ぼく高田馬場好きだお。
そう。じゃあ行きましょう!
タカダノババ、タカダノババ。

世田谷代田、各駅停車だけだよ。
へええ、そうなんだ。

お父さん、ぼく近鉄好きだお。近鉄はバッファローズだよ。
そうだよ。良く知ってるね。

命令って、こうしなさい、のことだお。
そうだね。

ナカノさん、死んじゃったよ。
そうだね、なくなっちゃったね。
ぼく、ナカノさん、好きでしたお。

ぼく、報国寺好きだお。
そうなんだ。報国寺はどこにありますか?
浄明寺だお。
ピンポン。

お父さん、留守の英語は?
アブセントだよ。

お父さん、大好きですお。
お父さんも、耕君が大好きですよ。

まえ桑山君に「おんなじの駄目っ」ていわれたのよ。
「おんなじの」ってなに?
カラオケの。
そうだったんだあ。

泣くなって、泣かないで、のこと?
そうだよ。

「任侠ヘルパー」でメイサ怒ってたよ。
なんで怒ったの?
分からないけども。

お母さん、ぼくはモンゴルマン好きだお。
そうなの。

お父さん、フィフティーンは15だよ。
お、よく知ってるね。じゃあ10は?
テンだお。

「なのに」ってなに?
そうなのにねえ、っていうことよ。


 「国民の公僕」も「社会の木鐸」も死語となりゆく平成末期  蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第54回

2018-02-03 11:07:39 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.283


恒例のウイーンフィルの元旦コンサートをみる。今年はムーテイだったが、あんまり外から手を加えず「無為にして化す」ような演奏で通していた。こういうう音楽には本当は指揮者など要らないと思う。それにしてもウイーンフィルの劣化が甚だしいのに驚く。1/3

謎というのは、ぎりぎりまでパードレたちに好意を示してきた秀吉が、一夜にして彼らに対して激昂し、追放を言い渡した急変ぶりである。むろんいろいろな解釈が行われてきたが、謎は依然として解けない。渡辺京二著「バテレンの世紀」 1/4

ジャーナリストの敵は、社会通念です。byカール・バーンスタイン(元ワシントンポスト記者)。1/5

去年の暮れからベルリン・フィルの「デジタルコンサートホール」を1週間無料サービスで聴いているが、なかなかよろしい。元日に聴いたウイーン・フィルとは、すでに音楽的力量でかなりの差がついているのではないだろうか。1/6

自主運営のベルリン・フィルは、彼ら自身が好きな客演指揮者を招聘するが、その選択肢はかなり偏っている。通算14回のバレンボイムとティーレマン、12回のハイテインク、11回のメータ、9回のヤンソンスなどはまず順当というてもよいだろう。1/7

しかしベルリン・フィルへの客演数が、ソヒエフと小澤の6回はともかく、13回のネルソンス、11回のドダメル、9回のブロムシュテットとなると、いかがなものか。ヤンソンスすら6回、シャイイーは4回、御大ムーティはたった1回だぞ。1/8

ベルリンフィルが、当確間違いなしと思われた競争相手を蹴落として、クラウデイオ・アバドやサイモン・ラトルを選んだ時にも驚いたが、2、3回しか呼ばれたことのない、殆ど無名のキリル・ペトレンコを次期音楽監督に選んだのは、晴天の霹靂だった。1/9

ペトレンコは、ベルリンフィルへのたった3回の登檀でオケ全員に「彼ともっともっと音楽をやりたい」という気持ちにさせてしまった。そのことは2009年に初めて客演した時のエルガーの「交響曲第2番」、2回目の12年のスクリャービンの「法悦の詩」を視聴するとよく分かる。聴衆のみならず、60名の演奏家を震撼させているのである。1/10

2015年6月に次期音楽監督に任命されてから、キリル・ペトレンコが3回目に振ったのはモザールの35番とチャイコフスキーの悲愴。モザールはどこかクライバー、チャイコはどこかムラビンスキーに似ていたが、ともかく全身全霊を込めた凄い名演に圧倒された。1/11

その後ペトレンコは、手兵バイエルン州立歌劇場と来日して聴かせたワーグナーでその真価を見せつけたわけだが、こんなにも、それこそ一期一会の全力投球で音楽を手作りする指揮者は、クライバー以来初めてというても過言ではない。ベルリンフィルの慧眼恐るべし。1/12

「僕にとっては文章がすべてです。結局のところ最後は文章に帰着します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない」。村上春樹1/13

「肥溜めのように汚い国」とは、ハイチなどのアフリカ諸国ではなく、人間として最低の良識や慎みすら弁えることなく破廉恥な人種・国家差別発言を繰り返す大統領が君臨する、猿より愚かな国の謂いである。1/14

ほれみろ。キセノサトまた負けたろう。だから言うたではないか。君にはもう横綱の資格はない、と。1/15

テレビのキャスターときたら、ご苦労なことだ。来る日も来る日も、結局はどうでもいい、あるいはどうしようもない問題について、ああだこうだ、と口角泡を飛ばして、もっともらしく喋りまくっているが、その阿呆らしさと虚しさに気付かないのだろうか。1/16

「広辞苑第7版」が、LGBTのTの説明を抜かしていたので、改訂版にて修正するかも、だって。そりゃそうだろうなあ。全部回収して刷り直したら、弱小資本の岩波なんて即倒産だもんなあ。しかし辞書編集の仕事は恐ろしい。命を縮めるね。1/17

江戸時代の日本は、世界有数の銀を産出していたから、これを原資として、ポルトガル・スペイン、オランダ、イギリス、1639年のポルトガル追放令の後も、オランダ船が中国から齎す生糸・絹製品を、いくらでも買い付けることができた。1/18

家康、秀忠の時代まで、人々は上下の別なく華美な超高級の絹織物を争って買い求め、身につけていたのである。しかし寛永16年1639年、三代将軍家光が発した奢侈禁止令は、国際貿易と国内経済に大打撃を与えた。1/19

「僕は単に賢いだけじゃなくて、精神的に安定している天才なんだ」などと、口角泡を飛ばして語る人物の傍に、よくも居られるもんだ。1/20

うちはとにもかくにもしかたなく長男にかかりきりなのでとり残された次男がどうしようもなくこうのとりたちずづさむことなきように。1/21

西部邁氏自死の衝撃。いまどきおのれの思想が世に容れられない孤絶のために、冬の河に身を投じる人がいるのだろうか。1/22

地震と大雪は、忘れた頃にやってくる。どんどん降り積むしらゆきを見ていると、忘れていた大切なことを思い出しそうになるが、やっぱり思いだせずにどこかへ行ってしまう。1/23

なんとかいう有名な歌手が、不倫して廃業したそうだが、私はその人物の音楽を聞いたことがない。しかし有名無名に限らず、不倫したければどんどんやって、仕合わせになったり、その反対になればいいのだと思う。人世ってそういうもんだ。1/24

思想に命を賭ける人間もいれば、思想なぞ豚にでも喰われろと思っている人間、そしてそのいずれでもない人間がいる。1/25

お先真っ暗な相撲界に、どっこい栃ノ心がいた。これからもこういう力士が次々に土俵に躍り出てくるだろうから、もう駄目横綱やら限界大関などは全滅しても、いっこうに構わないずら。1/26

鼻って、見れば見るほど醜い器官だ。偉そうに顔の中央にそびえて、どんな美人やイケメンの場合にも、著しく顔全体の美観を損なっているが、かといって無いと間が抜ける。じつに不可思議な存在だ。1/27

われわれの眼前から、トランプと安倍蚤糞が消えてなくなれば、この暗鬱な気分も少しは晴れると思うのだが。1/28

伏兵、栃ノ心の奇跡の平幕優勝の感想を聞かれた解説の北の富士が、「こっちまでうれしくなっちまったよ」と言いながらもらい泣きするので、それを聞きながらこっちまでもらい泣きしてしまったよ。1/29

伏兵、栃ノ心の奇跡の平幕優勝で湧きかえる国技館。されど、その大鉄傘に巣食う腐敗と堕落の全容は、安倍蚤糞夫婦のそれと同様、依然として解明されないままだ。1/30

川村みずえさんから「「短くも美しくも燃え」という映画の主題歌のこの曲なに?」と訊かれたとき、すぐに「ああこれはモザールのピアノ協奏曲21番の第2楽章だよ」と答えられなかった悔しさを、半世紀過ぎた今も覚えている。1/31


 ぼろぼろの古家に住んでいるオッサンがリュウとした身なりで毎朝出てくる 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにゆえに第49回~西暦2018年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2018-02-02 11:41:44 | Weblog


ある晴れた日に 第494回



なにゆえに今年の抱負は語らない生きてるだけで精いっぱいゆえ

なにゆえにNHKは民放しか見ない人から受信料を取る

なにゆえに人間関係はもつれるYKKのファスナーがもつれるように

なにゆえにキリスト教が根付かない日本人は思想の絶対性が苦手です

なにゆえにトランプは阿呆な発言を繰り返す史上最悪最低人間なるゆえ

なにゆえにフランス・ギャルは死んでしまった「夢見るシャンソン人形」になったから

なにゆえに紫式部はイソイソ書いた女殺しのやりたい放題

なにゆえに「精神が安定した天才」と自称する阿呆の骨頂ドナルド・トランプ

なにゆえに「原発ゼロ」を退ける安倍蚤糞は小泉細川に学ぶべし

なにゆえに彼は昔の彼ならず人との出会いが人生を変える

なにゆえに「風邪もう治りましたお」などというそれでは風邪をひいていたのか

なにゆえにハイチを「肥溜めのような国」と罵る肥溜め以下の下劣な男が

なにゆえになにゆえの歌が出てこないきのうあんまり眠れなかった

なにゆえにわれら臣民を下に見るなんの因果か雲上人なので

なにゆえにたまにはNHKも役に立つ震災記念日を教えてくれる

なにゆえに白鵬までキセノサトに付き合うこの人意外に心優しい?

なにゆえに喉の痛みを訴えるうちのカミサン大丈夫かよ

なにゆえに半年経つと狐憑きに革マルに入った美しき人

なにゆえに戦争屋の孫がリトアニアに行く杉原選手の手柄を奪いに

なにゆえに大物のスキャンダルは狙わない小物の情事大好き文春砲

なにゆえに雪を見ている雪かきをしたいが腰が痛い

なにゆえに月給が2800円になった君が一生懸命に働いたから

なにゆえに慰安婦問題が終わらない取り決めや金の問題ではないから

なにゆえに愛用の眼鏡を失くしたか久しぶりに都へ上った

なにゆえに左の膝がギシギシ痛む1万2000歩あるいたからか

なにゆえに夢の解像度は物凄い4K8Kいや何十Kだぞ

なにゆえに今日もなんとか生きている誰かがおいらを生かしているから

なにゆえに時間は矢のように突き進む今日で1月も終わってしまった

なにゆえに青くもないのにブルーム-ン血の如く赤きスーパーブルーブラッドムーン


 おばあちゃんちの庭に大蛇の皮ありて凶か吉かで意見分かれる 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2008年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2018-02-01 13:34:46 | Weblog


ある晴れた日に 第493回


初雪は大雪となりて白一色されど隠そうとて隠せぬ殿の大罪

「目上からの年賀状には返事出せ」新年早々息子に説教

仏蘭西の土産にブレンデルのLP買うてきてくれた酒井君どうしているか

どの国のスポークスマンも哀れなりその発言はおのれのものにあらず

村男踊れば股袋ぶうらぶら村の娘はちらちら見てる 

不惑過ぎ無垢なる心なお存す我が子は天の贈り物なり

「しっかり乾燥させなさいよ」と洗濯機に言い聞かせている私の奥さん

神社から自宅までが間に合わずパンツに漏れたぞビチビチウンコ

世の中に女体よりやわらかきものはなしああやわらかいやわらかい

×と大きく書かれた交差点をみな黙々と横断するなり

フマ君に「黙れブス!」と怒鳴られし革マル女が唇を噛む

クオーーーーンノラのあたいを山で拾って育ててくれてありがとう健ちゃんといいてムク息絶えたり

馬鹿と云うてもいろいろあるけどトランプの馬鹿さ加減は世界随一

五反田のカフェ・エクセルシオール美女多く友との話も上の空なり

日々何をしているんだと聞かれれば自宅で静養していると答える

ベルリンフィルは名オケなれど目障りなビオラの猪八戒なんとかしてくれえ

「こはぜ屋」蜻蛉トンボウの足袋靴履いた選手たち箱根の山の登りにかかる

今もなお八幡様をうろついてるか生き放題死に放題の方代さんが

左手と右手が勝手に弾きだすさすがグールド泰然自若

憂鬱の鬱という字を噛みしめながら全国のリーマン職場に戻る

移動するテレビカメラを全員が目で追いかけるAKB48

ゼウスなる全世界創造神の登場に15世紀日本人はアッと驚く

アリストテレスの「ニコマコス倫理学」読みて音楽には中庸が大事と語るキリレンコ

監督も役者もスタッフもことごとくこの世を去りし映画を観たり

楽しみは東京駅に来るたびに迷いて求む名物駅弁

大空の隅から隅まで羊雲今日は死ぬには格別の日だ


またしても予告もなしに歌い出すミュージカルだけは勘弁してね 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする