叔母が、今日やっと退院後11日ぶりにデイへ行けました。
が、食事も2割りしか食べられず…
くたーーーーっとして帰ってきました。
入院中の入浴から、約二週間ぶりの入浴と普段が細切れ睡眠のいつでも好きなときに
入眠しているので、たった9時~14時でさえも起きていられなかったようです。
今、帰るなり、ずーーーーっと寝ています。やれやれ、ですが…
致し方ない状態は、変えようも無く…
考えても自分の努力ではどうしょうもない現実がある、と理解して…
したすら、やるべきことをする、だけです。
明日は、相棒と5ヶ月ぶりの温泉施設へ。行く予定ですが…
果たして行かれるか?
神頼みです。
今日は、暫くぶりに私の愛読誌「高野山教報」からご紹介します。
『悪を知って行わない』
近藤 蕘寛(高野山 櫻池院住職)
悪いと思ったことは絶対にやらないことです。
悪を行えば必ず自分が苦しむことになります。人殺しのような大それたことでなくても、
これは悪いことだなと心の中で思うことはあります。悪とは、どのような性質があるので
しょうか。
悪の性質の第一は、人の目を嫌って包み隠すことです。悪い事は他人に恐れを抱いて
公にすることが出来ません。悪事を働いた後はいつも心が暗いものです。
第二は、日常にないスリルがあることです。悪いことをする時はひやひやします。
このような悪は仲間に伝染したり流行ったりします。
第三は、甘く誘惑してくることです。億万長者も夢ではないといった感覚が湧き上がって
きます。しかし、ことが終わり失敗すれば腑抜けの殻となって虚脱感に支配されます。
第四は、どこにでもあって、いつでもできることです。
ねたみ、そねみ、ひがみ、うらみ、憎しみが積もり積もって罪を作ります。
物事の流れを止めて、伝えることを伝えずに自分の中に溜めて出し渋っているから
罪が積み重ねられます。
第五に、続けていれば慣れてしまいます。
初めは悪いと承知していても次第に平気になり、やがて罪の呵責が薄れ当然の
ことになります。
第六に、一つの悪を行えば、辻褄を合わせるためにまた別の悪に手を染める
ことです。やがて泥沼にはまって抜け出せなくなります。
第七は、他人に指摘されると腹が立つことです。
自分で悪いと承知していても、それを他人に言われるとかえって反発して
開き直ります。
第八は、悪は知るものであって行うものではないということです。
立派な指導者は善悪をよくわきまえています。
その恐さもよく承知しています。もし悪を行えばどんなに自分が苦しみ悩むかも
よく理解しています。
第九は、家族に影響を及ぼします。
子どもの犯罪がどれほど親の心を痛め迷惑をかけているでしょうか。
反対に、親の暴力がいかに子どもを苦しめていることでしょうか。
第十は、悪いことに気がついたら早く謝るべきです。
手遅れになるほど悪の深みにはまっていきます。悪いことは再びしなければ
一度は許してもらえます。悪は心から本当に反省すれば消滅させることができます。
第十一に、悪の性質の結論を申し上げます。
悪は本来、自分のものではなく外から影響を受けて身につくものです。
悪いことをする前には、必ず良心が「それは悪いことだ」と警告を発してくれます。
その信号を無視するのですから、自己矛盾に陥って苦しむのです。
私たちには良心という善なる心がしっかりと根付いています。
たとえ小さな出来心でも、軽く見てはいけません。心の苦しみの原因は、
悪い習慣の繰り返しの結果です。その代償が苦しみです。
私たちは生まれながらに菩提心という仏さまの種を持っています。
だから邪心が起これば、必ず悪いという気持ちが心の中を走ります。
悪いと思ったことはやらないことです。たとえそれがうまくいったとしても、
やがては自分が苦しむ結果になります。
人生は丁寧に、良心に従って悪の誘いに負けずに堂々と歩いていこうではありませんか。
これから、また台風が来るようです。
体に気をつけて、がんばりましょうーーね!!
『変形性股関節症に負けないでね!』