6月の股関節手術の向けて、着々と用事をこなし中
昨日は、3ヶ月中断する『きらら体操教室』の日でした
しばらく休むので、それなりに思い入れがありました
その日の朝、3人の方々から 欠席メールが来ました
やっぱり、朝から ガクッとなります
外は、大雨 たぶんお仲間の参加者は これで ますます
少なくなり 3人くらいかもしれない・・・
自分自身のせいで しばらく休むのだから・・・
元気出して いかなくっちゃ と自分に掛け声をかけて
行きました
シトシト雨ではなく ザーザーの雨
余計にガク
会場に着きました
事務所の方と この会場は14年前から 借りていて仲良く
していただいているので
参加者の方も いつも 10時20分頃にならないと来ないので
事務所の方と 油を売って 遊んでいたら
一番のお姉さんが 受付にいらして 今日は きららお休みか❔
と
あーれー 油売っていた 私 冷や汗
まさか まさか この大雨の中 いらしてくれるとは 1%も
考えていなかったので
嬉しい― の一言
今日は、先生 私のこと が手術の前に絶対にきららへ来て
参加してお会いしないといけないと思って 息子の車で
送ってもらったら 10時に着いて お部屋が真っ暗で
10分以上そのまま 真っ暗な中 待ったけれど・・・
来ないから…心配して… と 言われた
ほんとすみません
その後、ぞくぞくと 予想に反して 6人+2人
皆さん 私を励ますために 大雨の中 参加してくださり
本当にありがとうございました!!!
8人で、無理のない伸び伸び運動と体幹を強くする運動を
しました
壮行会 と書いたので、誤解された方もいらしたと思います
壮行会といっても ランチ会をするのではなく 運動するお部屋で
私のことを励まして 声をかけてもらっただけ です
それぞれのお菓子の持ちより の余ったものを 私 いただいて
帰ってきました→普段 お菓子は あまり食べない チョコレート
といただき物のお菓子は 食べますが ので、
売るほどになりました 嘘です 笑い
そして、もう一つ とってもとっても 感激したことが
ありました
その方は、最後の5分前に 会場に見えました
13年前にきららのお仲間だった 50代の方
昨年 ネットサーフィンをしていて 私のブログで
私が手術したことを知って メールが昨年の6月にありました
私、何事でも ウワキをしないタイプなので
30年以上に渡って、メールアドレスも電話番号も変えていないので
連絡がついたのですが…
これが変えていたら、一生連絡付かなかったと思います
13年前から、続いて温存をしていたのだけど
このところの不具合で 手術のことを考え始めていての
ご相談でした
なんども電話して 何度もメールして
結局、私のことを信じて 急性期の病院の後、リハビリ病院へ
2ヶ月入院 して
手術後のリハビリは、簡単に考えていらしたようで
まさか 2ヶ月リハビリ病院へ入院するなんて まったくの
論外 だったのですが…
両足同時手術で 手術して初めて いろんな壁に当たり
どこをゴールにするのか❔
人生に置いての 足は❔ と悩まれてのリハビリ病院2ヶ月
それでも、2ヶ月後は決して OKではなく
その後も5ヶ月の街の整形外科でリハビリを続けて
一週間前に 終わった と
何が何でも 私に会って お礼と私を励まさないと
と、この大雨の中 挨拶に来てくれました
8年ぶりの〇〇さん お互いにマスク顔ですがすぐわかりました
しかも、杖なしで
しかも 歩き方も 普通に 横揺れなしで
小走りまで してくれました
たった、10分もお話しませんでしたが
私の心がとっても 満たされて 一生懸命ご相談して
彼女からすると言われたくない
嫌なこともオブラートに包まず はっきり言いました
それでも、悩みながら 信じて付いて来てくれた
しかもわざわざ 顔を見せてくれた
病院への電車以外は 初めての電車だったので
ひどく緊張したそうでした コロナ禍だから
きららを長く 続けてきたからこそ の喜びです
休養明けの 9月から また、きららのお仲間へ復帰すると
言って 別れました
手術したからには、痛みが取れただけでは 辛いものがあります
ハコウをなくし 運動をすることによって 身体を整えて
心身を健康にしていくことが 大切と 私は、考えます
彼女の(40年にも渡る歩行困難と痛み
の 股関節患者としての歴史が 痛みなく 足も揃って
普通に歩ける 新しい歴史に なりつつあります)
彼女のこの言葉
『歩くって楽しいんだ!! って初めて知りました』
最高の言葉です💛
ご一緒に人生を楽しみましょうね💛
『変形性股関節症に負けないでね!』