期棋聖戦七番勝負、羽根直樹棋聖(29)と挑戦者、山下敬吾九段(27)の第3局が2月8日午前9時、京都府舞鶴市で始まった。
戦後、大陸からの引き揚げ港となった同市の「引き揚げ60周年」を記念する対局で、地元ファン約20人が見学する中、定刻、立ち会いの坂口隆三九段の合図で先番の山下が右上に第1着を打った。
(読売新聞より抜粋)
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京都府舞鶴市が対局地になるのはめずらしいと思います。
舞鶴市といえば引き揚げの町というのが第一感でしょう。演歌「岸壁の母」でも有名です。
♪ 母は来ました 今日も来た~
この岸壁に 今日も来た~
とどかぬ願いと 知りながら~
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて~ ♪
私自身は戦後世代で、ラジオのニュースから流れる「引き揚げ情報」を聴いたり、映画館で放映される時事ニュースを見て、知っている程度です。
現在の日本は衣食足りて豊かな時代なっていますが、この頃の「苦難の足跡」の延長線に成り立っていることを、忘れてはいけないと思います。
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◆以下、舞鶴市HPより抜粋
「引き揚げと舞鶴港」
第2次世界対戦の終結後、海外諸地域に残された日本人の数は、軍人・軍属が330万人、一般邦人が300万人以上といわれ、これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなりました。これを「引き揚げ」といい、この人たちの速やかな帰国は全国の切なる願いでありました。
この膨大な、海外からの引き揚げは、まさに史上その類例をみない民族の大移動であり、国内から駆けつけた肉親との再開は明暗と哀歓を織りまぜた人生の一大ドラマでした。昭和33年9月の最終船入港までの13年間、数多くの新聞、報道関係の記者、カメラマンの取材によって、内外に報道されました。
特に舞鶴港は昭和25年以降、国内唯一の引揚港として最後まで重要な役割を果たし、「引き揚げの町・舞鶴」の名が全国に広まりました。