人間、いくつまで同時に物事を考えることができるのだろう。
私は、「脳科学者」などという大それた者ではないので、脳の仕組みはほとんど知らない。
Brain cuttingはいまだに神経病理の先生にご指導していただいているし、脳腫瘍の迅速診断も得意ではない。
それでも、無い知恵絞って考えてみると、脳のやっていることがとてつもなく多いことが判る。
教室の先輩で、現在は某大学病理学教室の教授が、病理を始めたばかりの頃の私に、
「病理の診断というのは、一気にはできない、じっくり熟成するもんなんだよ」
と言ってくれたことがある。その時は、『病理の仕事なんてものは、のんびりゆっくりやりゃあいいんだ』というようなことかと思っていたら、そうではなかった。実際、標本が目の前にあっても、難しい症例は何日もかけて考えないと、答えは出ない。もちろん、たくさん調べもする。
病理のことは、それはそれとして置いておく。
今日私が考えているテーマは、あれはあれ、これはこれ。
そうやって、ずっと難しい症例のことをが頭の片隅にあっても、それは別の(比較的診断の容易な)症例の診断をしているときは、それはバックグラウンドモードで考えていることになる。
もちろん、その間、歩きもするし、食事もする。そういったことを考えながら、診断を考える。あれはあれ、これはこれ。そうやって、毎日脳は頑張っている。
聖徳太子になりたければ、訓練すれば10人くらいの人がいっぺんにいうことも聞けそうだ。
だが、身は一つ。やれることは限られている。
だから、脳は優先順位をつけるはず、なのだが、それがなかなかできない。
端的な例は、遊びたいけど遊べない。心は遊びのことばかり考えているのに、現実は仕事の山。妻子ある男性が、浮気をしたりしたときなんて、大変だ。妻子の前でいい夫父を演じつつ、浮気相手のことを考える。あっちとこっちで、食事を一日5食(朝朝、昼,夜夜)食べていたなんて、話を聞いたりすると、どちらがバックグラウンドモードになっているのだろう。
犬はどうだろう。おそらく、エサのことを考えているときは、エサ以外のことは、まず考えてはいないだろう。
でも、上記の浮気紳士などはおそらく家族との食事中、その味など、ほとんどわかっていないような気がする。
こういうことって、大昔からのことなのだろうが、誰も明確には説明できていないであろう。
私は、「脳科学者」などという大それた者ではないので、脳の仕組みはほとんど知らない。
Brain cuttingはいまだに神経病理の先生にご指導していただいているし、脳腫瘍の迅速診断も得意ではない。
それでも、無い知恵絞って考えてみると、脳のやっていることがとてつもなく多いことが判る。
教室の先輩で、現在は某大学病理学教室の教授が、病理を始めたばかりの頃の私に、
「病理の診断というのは、一気にはできない、じっくり熟成するもんなんだよ」
と言ってくれたことがある。その時は、『病理の仕事なんてものは、のんびりゆっくりやりゃあいいんだ』というようなことかと思っていたら、そうではなかった。実際、標本が目の前にあっても、難しい症例は何日もかけて考えないと、答えは出ない。もちろん、たくさん調べもする。
病理のことは、それはそれとして置いておく。
今日私が考えているテーマは、あれはあれ、これはこれ。
そうやって、ずっと難しい症例のことをが頭の片隅にあっても、それは別の(比較的診断の容易な)症例の診断をしているときは、それはバックグラウンドモードで考えていることになる。
もちろん、その間、歩きもするし、食事もする。そういったことを考えながら、診断を考える。あれはあれ、これはこれ。そうやって、毎日脳は頑張っている。
聖徳太子になりたければ、訓練すれば10人くらいの人がいっぺんにいうことも聞けそうだ。
だが、身は一つ。やれることは限られている。
だから、脳は優先順位をつけるはず、なのだが、それがなかなかできない。
端的な例は、遊びたいけど遊べない。心は遊びのことばかり考えているのに、現実は仕事の山。妻子ある男性が、浮気をしたりしたときなんて、大変だ。妻子の前でいい夫父を演じつつ、浮気相手のことを考える。あっちとこっちで、食事を一日5食(朝朝、昼,夜夜)食べていたなんて、話を聞いたりすると、どちらがバックグラウンドモードになっているのだろう。
犬はどうだろう。おそらく、エサのことを考えているときは、エサ以外のことは、まず考えてはいないだろう。
でも、上記の浮気紳士などはおそらく家族との食事中、その味など、ほとんどわかっていないような気がする。
こういうことって、大昔からのことなのだろうが、誰も明確には説明できていないであろう。