こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ちょっと歩きすぎたかな・・・鎌倉平成巡礼道

2012年01月22日 | 犬との暮らし

ナイトという名前のフラットコーテッドレトリバーを飼っている。この犬種、少なくとも1日1時間ほどは歩かせてやらないといけないようだ。
そうはいっても、今日は原稿書きの日と決めてあったのと、鎌倉もあいにくの空模様。
20分ほどで帰って来るつもりで散歩に出かけた。この時、雨はぱらぱら。
ここで折り返そうときめていた平成巡礼道の入り口の四つ角で、先日、鎌倉裏山道歩きといって、巡礼古道のことを記事にしたのを思い出し、この平成巡礼道も入り口だけ写真に撮ってブログに載せようと思いたち、ちょっと奥に入った。


左奥にはやぐらがある



ここで油断したのがいけなかった。
山道に入ろうとするナイトに引っ張られるようにしてハイキングスタート。
ああ、原稿はどうするんだ???と思いながらもひとけのない山道に。
学生時代、試験期間中に、ちょっとだけ、とゴルゴ13を読み始めて、気が付いたら5冊ほど読んでいた、というのと同じだ。
一度山道に入ってしまうと、なかなか戻れない。


衣張山の頂上までほとんどが登り坂。



杉の木がぎしぎしと互いに擦れあって音を立ている。

誰もいない山奥で木が倒れても、その音は音といえるか?ということを何度か考えたことがある。一度は自分の生き方についてもう一度は部屋で一人で仕事をしていた時
今日は、ナイトと一緒にそんな音を聞いた。ナイトも聞き耳を立てている。



やっぱり音はしているのだと考える。それが、たとえ、誰かの鼓膜を震わせなくても。すべての営みはそれぞれに意義があるに違いない。音のすることに意義があるのではなく、”何か”が起こることに意義がある。”音”はその表現型の一つにしか過ぎない。


など、考えつつ、すべりやすいどろどろの道を上る。「お前、いい介助犬になれるな」などとおだてて、ナイトにリードを引っ張らせ、汗だくになりながら衣張山の頂上についた。



稲村ケ崎が祇園山から見るよりもずいぶんと小さく見える。

少し、進むと今度は名越から逗子が見える。



ここまで来れば、あと一息でハイランドだ。
だが、ここまで、誰ともすれ違わない。ちょっと不安にもなる。



コロはお留守番。



左ひざが痛くなって、バスケができなくなってしまったが、これくらいの歩きならまだまだ大丈夫そう。それでも下りの木道、階段は目が悪くなってきているので、慎重にしなくてはならない。
日々いろいろなことに出会う、という意味では年を重ねるのは楽しいことだが、それと引き換えに老いを重ねる。


ハイランド側の入り口。巡礼古道より、わかりにくい。



名越に下って、大町に出るころには、雨も本降り。私もナイトもずいぶん濡れてしまった。家にたどり着く手前で、ボーイスカウトの餅つきの手伝いに行く息子と、バザーの引き継ぎに行く妻とにすれ違った。腰痛持ちの私は、餅つきなどできそうになく、遠慮させてもらった。

というか、早く家に帰ってさっさと原稿を書き始めないと!


ただいま、コロ。



結局2時間。今日は少し歩きすぎたけど、ナイトは満足してくれたようだ。

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