寒い。
朝、あまりにも寒くて、自転車に乗れず(軟弱)、妻に鎌倉駅まで車で送ってもらう。そのとき、自動車の温度計が指している温度は氷点下4度。鎌倉駅でも氷点下2度。
都内に入って、病院の近くまでたどり着く8時でも公園の水たまりのような池の氷は溶けていない。
帰り、病院を出るとすぐに鼻水が出始め、指先が冷たくなる。
歩かなければいい話だが、通勤経路として選んでいることなので仕方ない。
人間は恒温動物であり、寒くなってもこれに対応はできない。ではなぜこんな冬のある日本にいるのか。はたして、これほど寒い日本にいる必要があるか。
もちろん、日本語以外で生活するのが大変、というのが現実ではあるものの、時としてこの冬のために日本に住んでいるような気になる。
去年の今頃の記事だと1月7日に”厳寒”というタイトルで記事を書いていて、大寒まで、まだまだ、などと言っている。今年もこんなに寒いが、明日が小寒、寒の入り、大寒(21日)過ぎまでまだまだ寒い日が続く。
以前、ほんの少し、サンディエゴに留学していたとき、留学したっきり日本に帰る気が失せてしまった日本人のお医者さんが言っていた「ここ(サンディエゴ)って、いっつもこんな感じなんですよね。ずっと暖かくって。季節感が無くて、いつの間にか居着いちゃってます」。
サンディエゴの気温と降水量
たしかに、こういう天国のような土地があるのだな、とそのとき思った。
それにひきくらべ、鎌倉の山の上にしても東京の職場の辺りにしても、あんまり寒いので、新緑の木々や真夏に汗だくで歩いているとかの幻想までみてしまう。
横浜の気温と降水量
いっそのこと、冬など無ければいいのに、とさえ思う。
それでもこんなに寒い冬を毎年毎年やり過ごす。こんな日本が好きなのも、四季に応じての季節の移り変わりが体に染みついてしまっているからなのだろう。
季節の移り変わりを感じることができる民族、それが私たち日本人だ。
もちろん、日本以外にも四季を楽しむことのできる国はいくらでもあるが、日本の四季はそれらのなかでも、素晴らしいものの一つに数えられるだろう。
冬が無い国であったら、日本人の国民性はどんなになっていただろう。などと、ちぎれそうな耳をおさえつつ歩きながら考えてみると、これもまた、おもしろい。
朝、あまりにも寒くて、自転車に乗れず(軟弱)、妻に鎌倉駅まで車で送ってもらう。そのとき、自動車の温度計が指している温度は氷点下4度。鎌倉駅でも氷点下2度。
都内に入って、病院の近くまでたどり着く8時でも公園の水たまりのような池の氷は溶けていない。
帰り、病院を出るとすぐに鼻水が出始め、指先が冷たくなる。
歩かなければいい話だが、通勤経路として選んでいることなので仕方ない。
人間は恒温動物であり、寒くなってもこれに対応はできない。ではなぜこんな冬のある日本にいるのか。はたして、これほど寒い日本にいる必要があるか。
もちろん、日本語以外で生活するのが大変、というのが現実ではあるものの、時としてこの冬のために日本に住んでいるような気になる。
去年の今頃の記事だと1月7日に”厳寒”というタイトルで記事を書いていて、大寒まで、まだまだ、などと言っている。今年もこんなに寒いが、明日が小寒、寒の入り、大寒(21日)過ぎまでまだまだ寒い日が続く。
以前、ほんの少し、サンディエゴに留学していたとき、留学したっきり日本に帰る気が失せてしまった日本人のお医者さんが言っていた「ここ(サンディエゴ)って、いっつもこんな感じなんですよね。ずっと暖かくって。季節感が無くて、いつの間にか居着いちゃってます」。
サンディエゴの気温と降水量
たしかに、こういう天国のような土地があるのだな、とそのとき思った。
それにひきくらべ、鎌倉の山の上にしても東京の職場の辺りにしても、あんまり寒いので、新緑の木々や真夏に汗だくで歩いているとかの幻想までみてしまう。
横浜の気温と降水量
いっそのこと、冬など無ければいいのに、とさえ思う。
それでもこんなに寒い冬を毎年毎年やり過ごす。こんな日本が好きなのも、四季に応じての季節の移り変わりが体に染みついてしまっているからなのだろう。
季節の移り変わりを感じることができる民族、それが私たち日本人だ。
もちろん、日本以外にも四季を楽しむことのできる国はいくらでもあるが、日本の四季はそれらのなかでも、素晴らしいものの一つに数えられるだろう。
冬が無い国であったら、日本人の国民性はどんなになっていただろう。などと、ちぎれそうな耳をおさえつつ歩きながら考えてみると、これもまた、おもしろい。