こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

普遍性と特異性・・・すべての機能的な存在にみられる構造

2012年01月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病院に着く手前にある公園で、まだまだ寒いもの少しだけ温まった体で軽くストレッチをする。
又割で股関節を延ばしたり、アキレス腱や足首を延ばし、肩や体をぐるぐる回す。
そんなことをしながら、目の前のケヤキを体を横にした状態でぼんやりみていたら・・・
 腎臓のイメージが急に目に浮かんだ  



正確に言うと集合管だけであり、後腎組織由来である尿細管・糸球体は見えていないのだが、幹が腎盂、その先に無数に分岐する集合管。流れる方向は逆であるのだが・・・・

 逆に体を傾けてみれば、肺の構造と同じ 



幹は気管、気管支に分岐し、一本一本の枝は終末細気管支。残念ながら、葉っぱがすべて落ちているので、残念ながら肺胞に相当する部分は冬の間は無い。

 又の間から逆さまにみてみれば胎盤  

母なる大地は絨毛膜、幹から末梢へはそのまま幹絨毛から末梢絨毛となる。母体血液のながれる絨毛間腔は広大な空。

肺胞にしても、ネフロンにしても、絨毛にしても、末梢における外部との接触面を極端に増やす構造となっている。
これは、まったく木と一緒の構造。
気管支は゛枝゛と表現し、末梢に向かっては゛枝分かれ゛する。胎盤では、絨毛゛樹゛と表現する。
ごくごく、あたりまえのことなんだけど、自然の造形がいかに合理的にできているかをしみじみと感じた。

腎臓に関しては、機能から考えると川の流れに例えた方が良さそうだが、腎臓だけ仲間はずれではかわいそうなので、上述のままにしておく。

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