こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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デジタル化時代でのヴィンテージとは

2016年05月21日 | 電脳化社会

帰りがけ、ホームから見える風景を撮った。そのまま載せるのも芸がないので、画像処理をしてみた。“ヴィンテージ”というそうだ。印画紙に焼き付けた写真だが、こんな色褪せた写真、わが家にはたくさんある。



家族写真を見ると、ある時期からデジタル化されている。私と妻が付き合っていた頃の写真は今やまるっきりヴィンテージだ。この間、デジタル化しておこうと写真立てに飾ってあったのを取り込んだが遅かった。修正しても今撮ったようにはできなかった。
子供たちの写真のうち小さい頃のはやっぱりヴィンテージだ。一番可愛かった頃の画像が色褪せていってしまうのは切ないが、だからこそヴィンテージということなのだろう。大きくなってからは恥ずかしがってなかなか撮らせてくれなくなった。残念なことだ。
それはさておき、デジタル化が当たり前となり、100年も経ったらこのような画像処理に郷愁を感じることはなくなるだろうし、意義も分からなくなるに違いない。



病理の古い顕微鏡写真は35mmスライドになっていて、古いのは褪色してしまっている。必要に応じて古いパラフィンブロックから標本を作り直したらまた元のに近い標本ができるので、古い症例のデジタル化への以降も可能だ。だが、最近ではスペースの関係で、大昔のブロックの処分が歴史のある施設では問題になってきている。ヴィンテージどころではない。貴重な症例を財産にすることができるのか、未来を見ながらも処分していくのか、難しいものだ。
なお、今はバーチャルスライドシステムというのがあって、スライドガラスをそのまま丸ごと取り込んでデジタル化することができる。

 私もそろそろヴィンテージ

 

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