ここのところ少しスマホ依存というか、電脳化社会に包み込まれつつあると自覚するようになった。これがスマホ中毒ということか。ニュース、ブログ、フェイスブック、インスタ、ツイッター、ゲーム、etc. 何かあるとスマホを開いていじっている。音楽を聴くのもスマホだ。今もそうだし、昨日も明日もそう。少しずつ身体感覚が失われていく様な気がして怖い。どうしたらいいか?ここに挙げたようなことはどれも、生きていく上ではそれほど必要ないことかもしれない。でも、将来やることがなくなったら、やっぱりスマホは必要となるに違いない。中毒というよりは、必要なのだからしょうがない。
私の場合、スマホをいじっているのは往復の通勤時間がほとんどだ。家に帰ったら、妻がいて、犬がいる。たまには息子や娘とも会う。妻と話し、犬の相手をしたらスマホをいじることはない。でも、時々開く。仕事中、スマホをいじることはほとんどないが、仕事上わからないことがあればスマホかPCですぐググる。スマホに限っていえば1日で使っている時間はどれぐらいだろう。往復4時間のうち3時間半以上はスマホをいじっている。ブログを書いたり、人の消息を読んだりする。それな一つ一つのどれが必要なことなのかよくわからない。必要だとしても、どう必要なのかがよくわからない。
では、通勤時間を利用してスマホをいじることが悪いことかというとそれもわからない。通勤時間は暇だ。だから、文庫本ができ、その後ウォークマンが作られて、今ではスマホになった。そして以前は読書(紙)をしたり、音楽を聞いていたりしたが、どうもそれが減っている。まあ、昔も本や音楽に夢中になったわけで、それがスマホになったかどうというわけだが、情報量が桁外れだ。人間の限界に近づいているのではないかと思える。結果として私の頭脳の一部が侵食されているような気さえする。単純な情報だけならいいのだけど、スマホを通じて嫌なニュース、嫌なコメント、他人への妬み、そういった心に害を及ぼしかねない諸々のものが”こちら側にいる”私を苛むことすらある。
スマホ、PCがなくても、生きてはいけるだろうけど、なければないで困る。こんな怪物装置に生まれてからすぐに付き合わされているいまの若者はすごいな、と思う。ただ、だからどうすごいのかはスマホの存在と一緒でよくわからない。まあ、私のような後期中年オヤジが、この先、電脳化から逃れること、すなわち中毒からの離脱が本質的にできないのであれば、それと上手に付き合う方法を見つけていくしかない。
付かず離れず