長く生きていると、多くの人と死別する。50過ぎともなると多くの訃報を聞いてきた、数え切れない。それは親族であったり、先輩であったり、政治家とか芸能人ほかの有名人であったりする。年齢的なことがあるのだろうけど、友人の訃報は幸いまだ少ない。亡くなるのは親の世代だ。私にしても両親の体調がちょっと悪くなったなどという連絡を受けると、その都度心配する。
まだまだ元気だっと思っていた人が鬼籍に入ったことをふとしたタイミングで聞かされると驚く。昨晩、ある方の葬儀があった。ほんの数週間前にお会いした時にはお元気そうにしておられた。突然亡くなられたそうだ。葬儀場で会った誰もが突然のことに言葉を失っていた。”まさか自分は”と思うけれど、”次は自分”という心構えが必要なのだと思い知らされる。
生きるということは、まったく真っ暗なトンネルを歩いているようなもの。突然死ぬなんていうのはトンネルの外からダイダラボッチが突然手を突っ込んできて、トンネルの外に引き出すようなものだ。死ぬ人は、トンネルの外の明るい世界に出してもらうのでいいけど、残された人は不安になる。そうやって、残された人たちは暗闇の中を日々生きていかなくてはいけない。生きていく上で、確たる拠り所なんてないけれど、それでも生きていかなくてはいけない。
人は、いつか必ず死ぬ。でも、それは今でない。
死ぬ時までは、自分は生きているのだという実感を持って生きていかなくてはいけない。
人生は一度しかない