こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

太っている人にそのことを言ってもあまり意味はない

2021年04月07日 | スポーツ・健康・ダイエット
 午前中の仕事に余裕があったので、オフピーク通勤をしてみた。遠距離通勤の私にとってはこれでも随分遅かったのだが、出発の時間はちょうど地元の学生の通学時間と重なり、電車はそれなりに混雑していた。それでも少し寝坊できたのはちょっとした気分転換になった。もちろん、その分帰る時間は遅くなった。

 東京2020の開会式で渡辺直美さんの体型をバカにするような演出案を出したプロデューサーとかいう人が、顰蹙を買って退任した。私もこの問題が出てきたとき、すぐに、「あれ、渡辺直美のことかな?」とは思ったが、案の定そうだった。その後内容が明らかになり、まさかオリンピックの開会式で、彼女を動物に擬するとは、それは失礼でいただけない。ふくよかであることを売りにしているのだからそんなに目くじら立てなくても、という人もいるかもしれないが、ふくよかであることは、”まん丸な赤ちゃん”のような幼児体型の”カワイイ”姿を考える。それが人間を動物に見立てて笑い者にするというのは尊厳の問題に関わる。じゃあコロ健お前は他人のこと豚だ蛇だ猿だと言ったことはないのか、と問われたらそんなことはない、そうやって悪態をついてきたことはいくらでもあるし、自分が猿だゴリラだと言われて嫌な思いをしたこともある。私を含め多くの人にはそのプロデューサー氏を非難する資格は無く、ただその経過についてコメントするしかできない。

 日常生活でも、ふくよかな人、太った人、というのによく会う。現代社会では多かれ少なかれ太っている。さらに、自分がダイエットしてからは余計にそういう人が目につくようになった。そういう人に電車で隣に座られたら正直困るが、すれ違う分には気にならない。だが、コロナ禍でも問題になったが、一定以上の肥満は病的な状態である。どこかの時点でそれ以上の肥満を止めないことにはその人自身の命に関わる。そういう意味で、”痩せた方がいいですよ”とアドバイスしたくなるが、言い方によっては失礼になるので言わない。なぜ失礼かというと、ご本人に太っているという自覚がないことがほとんどだからだ。

 今回、私が自分の肥満に気がついた理由はいくつもあった。腰痛があり、しゃがむのが辛くなり、風呂で自分の三段腹を目の当たりにして肥満を自覚していた。私がどんどん太るのをみて、家族や親戚はそのことを指摘してくれたのに自分では気にしていなかった。そして、いよいよ体重が80キロを超えてからぐんぐん増えて85キロとなり、90キロも目前となった。ぼんやりと、”このままいったら100キロも簡単だな”と思い始めていた。そんなとき、とある飲み会(情報交換の場としての飲み会はとても重要!)で、ダイエットアプリ(あすけん)を教えてもらったのが転機となって危機を脱した。半年前からは妻と一緒に糖質ダイエットもして、結果1年半で12キロ減らした。そうしたら、しゃがむのも階段を上るのも苦にならなくなった。血圧も下がった。まだまだ体脂肪率が高いので、もうしばらく続けなくてはいけないが、それは仕方ない。

 知り合いには痩せたとよく言われるようになった。私としては、1年半前と今とでさして変化は無いように思われ、痩せたと言われてとくに嬉しくもない。結局のところ、体型などというものは本人の考え方次第だ。だから、太っている人に太っていると言っても、あまり意味はない。その人にとって、その状態が心地よければそれでいいのだ。そして、そのことについて他人は肯定も否定もしないのがいいのだろう。タバコもこれに近いものがあるが、これは匂いの問題があるので、それさえクリアしてくれたらこれも肯定も否定もすることはできない。大きなお世話なのだ。
自己責任の範疇

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