数日来の”この時期らしい気温”で、3月の先走った温かさで浮かれていた体が却って少し落ち着いたような気がする。新緑が少しずつその色を濃くしはじめて、遠くの山のパッチワークも楽しげに見える。季節は巡り、全てのものが少しずつ成長し、老い、朽ちていく。
時間というのは一定の速度で進んでいるはずなのに、それに緩急があるように感じる時がある。仕事でも1時間あれば比較的ありふれた症例であれば5、6例片付けられるのに、難しい症例、詳細な記載を求められる症例にぶつかると、気がつくとそれ以上の時間が過ぎている。診断に取りかかると集中して他のことはほとんど気にならなくなる。その間、時間は止まっているようだが、そんなことはない。下手をするとあっという間に昼食の時間となる。
日に1度、院内から外を見ることができるのが昼休み、医局の自分の机での個(孤)食の時間だ。窓越しに外の天気をみながら、3、40分リラックスして弁当を食べるのが最近の私のリズムだ。スマホでお気に入りのブログを読むのもこの時間。いいね、だとか応援とかを押しているうち体も休まり、リセットしたら午後の仕事に移る。午後はルーチンワークのほかに、カンファレンスや打ち合わせがあり、人との接触があり、それなりに楽しく、ストレスもある。
今ではすっかり通勤の往復がブログのエントリーを書く時間となっている。ただ、このところ学会の発表準備があったり、論文の査読があったりしてブログにばかり構っていられない。通勤時間は毎日ほぼきっかり同じなので、長短はないはずだが、時間が足りなかったり、手持ち無沙汰に感じたりと微妙に伸び縮みする。面白いものだ。ちなみに今日のエントリーは都内までのほぼ真ん中あたりで仕上がったので、少し時間が余りそうだが、それは他のことに充てようと思うので結局のところ、比較的短く感じるだろう。今週もはや金曜日、振り返ればあっという間だった。4月ももう3分の1が過ぎるが、この時間はもう戻ってくることはない。時間とは無駄遣いするにはもったいないかけがえのないものだ。
明日を見ながら今日を生きる