こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

アカシア

2010年12月18日 | 日々思うこと、考えること
我が家にはアカシアが二本植わっている。パールアカシアとギンヨウアカシア

このうちのギンヨウアカシアにカイガラムシがついてしまった。
これが、結構気持ち悪い。取っても結構残ってしまうし、なんだかドロドロする。アカシアの樹の幹も黒ずんだりして。
植木屋さんによると、アリがカイガラムシの卵を運ぶそうだ。
となると、アリを駆除しないといけないか。

なんだか、かわいそう。カイガラムシにしても、別の所にいてくれれば駆除の対象にはならないのだが。
アカシアだって、こんなところに来なければカイガラムシになんかつかれなかったのに。
人間というのは、本当に勝手なものだ。

幸い、アカシアは強い植物だそうで、とりあえずはカイガラムシの付いている枝を極力落とし、ダメな所にはマシン油乳剤をかけている。
マシン油乳剤はカイガラムシを窒息させることで効果を発揮するので、考えてみると卵には効果がない。
ということは、しばらくはイタチごっこか?

黄色のキレイな花を待ちながら、辛抱強く手入れしていくしかないようだ。

がんばれ東海道

2010年12月17日 | 通勤・交通・旅行
すでに午前様
東海道の終電車、東京、品川、川崎、横浜、沿線全部の後始末をしながら小田原に向かう。

さすがに、12月、忘年会シーズンで電車は満員。
川崎から東海道に乗る。15分遅れだそうだ。
だが、遅れはあってないようなもの。少しでも多くの酔客を家路につかせなくてはいけない。

戸塚で、横須賀線と待ち合わせ。
・・・戸塚で降りる人、むちゃくちゃ多かったけど、どうやって帰るのかな?


私のほかにもホームの写真を撮っている人がいたりして、笑ってしまった。


そうこうするうちに、横須賀線が入線、ほっと一安心。


一路鎌倉、とおもったら、湘南新宿ラインの待ち合わせで、大船で10分。

鎌倉に着いたのは、1時半。
寒い中、段葛を歩く。

こんなに寒いのに、工事なんて。ご苦労様です。


なにも語ることのできない大人

2010年12月16日 | 電脳化社会
ニッポンを俯瞰する基軸~“思考停止”のあなたへ~ 私たちはいつから“バカ”になったのか? 「思考停止」状態から逃げよう(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

学歴社会の徹底化が招いたものは、人間の輪切り化。
同じような人間が、同じレベルの学校に属することになる。

学校にもいろいろあるが、在学中にのびのびいろいろなことができる学校もあれば、受験一色で、やりたいことが何ひとつできない学校もある。問題なのは、後者で、受験勉強はできるけど、その他の知識が乏しいひとが増えている。

その他の知識、というのは、自分の思考から出てくる。
いろいろなことを考えていると、いろいろな疑問がわき、好奇心から、いろいろなことを調べる。
だが、忙しすぎて、考える時間が無いと、思考が止まる。
思考が止まると、結果として知識は増えない。

偏差値65以上の一流大学に入った人の多くは、自分に知識が多いから、受験勉強に勝ったと思ってしまう。
だが、世の中は偏差値65未満の人の方が多いので、そういった人と一緒に社会を構成していくのは大変だ。

必要なのは、いろんなことを考えて、いろんな世界の人とつき合える能力を養うことなのだが、それができる大人が減っているように思う。いや、減っているというよりは、時間が無くて考えることができないのだろう。

結果、人に対して、なにも語るものを持たない大人が増えてしまう、それが今の世の中だ。
そういった意味で、日本の危機だ。


あいかわらずの議論

2010年12月15日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
禁煙殺到 薬が年内品切れ たばこを取り巻く状況の変化(産経新聞) - goo ニュース
あいかわらず、喫煙に関わる議論がかまびすしい。

忘年会となると、さすがに煙草の煙からは逃げられなくなる。
特に二次会のカラオケ。
みんな目がしょぼしょぼしてきても、吸い続ける。
ニコチン中毒の人(喫煙者)はここぞとばかりに、周りの人に勧めたりする。 これは最悪。

自分だけで吸ってくれていれば、私は何も文句は言わない。
なんで、まわりを巻き込むのだろう。

煙草の値上げで、わかばとかエコーとかの安い煙草を買う人が増えているそうだ。
ニコチンの補給が目的だから、シケモクでも同じなのだが、やっぱりまずい。
やっぱりやめたら?と思うが、半々くらいで買えばいいのかもしれない。
発ガン率がどうなるかも楽しみだ。

ところで、そうやって周りの人に煙草を勧めるような人に引っかかる人は、吸ったことがあまり無い人もしくはやめてからあまり年月が経っていない人。
吸ったことがあまり無い人で、吸わされた人の場合、三分の一くらいは喫煙者に転落しちゃうんじゃないかな。
やめてからあまり年月が経っていない人の場合、元の木阿弥が半分。残りは1、2箱吸って、また禁煙生活に戻るのだろうか。一から出直しだ。

嬉しいこととしては、私。
煙草が要らなくなってから、二年くらいは酒席とかで「もらい煙草」をしていたが、今年の忘年会、なんと一度ももらっていない。煙草を吸う人には近寄らないでいたのだが、目の前で二,三人が吸っていても、ちっとも欲しくならない。一本勧められそうになったが、さすがにそこからは逃げ出した。


紅葉

2010年12月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
もみじがいつの間にやら真っ赤になった。

つい、この前まではこんなふうにオレンジ色だったのに。
葉っぱもだいぶ落ちているが・・・



すべてが一緒に移り変わっているのが、この世の中ならば、私にしても、あなたにしても変わっていく。
植物にしても、動物にしても、山にしても、海にしても、すべてが互いに影響を与えながら変わっていく。

これが無常というものかと、ふと思うことが多くなった。

生活の質、医療の質の向上が私たちの命を延ばしてしまった現代では、人生の午後にさしかかっても、なおどう生きて行くべきかを考えなくてはいけない。

それぞれのひとが、ふと立ち止まって、それぞれの人生を見直すのだろう。
1週間前までのもみじと、今日のもみじが全く別のものであっても、幹は変わらない。

人生にしても同じだ。
私という人間も、変わるところがある一方で、変わらないこともある。
それが、夫であり、父親であること。そして、変わらないでいたい一つのことに病理医であることもあって欲しいと思う。

ただ、病理医としてどう生きて行くべきかをいつまで考えるといいのだろうかと思う。
気力、体力そして知力。
ある時期に来たら次世代に引き継いでいかなくてはいけない。
だが、今日はまだ、よりよい医療を行うことを考えていたい。


なんですぐ怒っちゃうんだろう?

2010年12月13日 | 日々思うこと、考えること
「なんですぐ怒っちゃうんだろう?」


仕事帰りの、夜道でふと、こんな言葉が口をついて出た。
よく言う、『キレる』というのなんだろうけど、この年になって、キレるなど自分で自分が嫌になる。
何かあると、すぐ腹が立ってしまう。ひどいと、にらんだり、悪態をついてしまうこともある。

いつも、穏やかで、優しい気持ちでいたいのに。

怒りたくなる対象はマナー違反(電車内での携帯電話の通話や大声での会話、歩道をふさいで歩くグループ etc)、ルール違反(喫煙禁止区域内での歩行喫煙、駅やホテルなどのトイレ内での喫煙 etc)、交通違反(とくに歩行者をないがしろにする運転)なのだが、いちいち目くじらを立てていては体がもたない。
だが、やっぱり、怒りたくなることが多い。むかつくことが本当に多い。

ときどき、駅や電車内でけんかしている人がいる。
最近は、”ガンつけた”とか、そんなことで喧嘩になることはさすがにないと思うので、原因は携帯電話とかヘッドフォンステレオとかだろう。このような場合、言われた方(悪いことをした方)が100%悪いのだが・・・逆切れする、そして、けんかになってしまう。
この前など、総武線で携帯電話が原因でけんかがあり、遅延で7万人が迷惑したとか。ほとほと、レベルが低くて、悲しくなる。
一人の傍若無人な行為が、どれだけの社会的損失を招いたのだろう。

社会の一員としての自覚のない人が、多すぎる。
私も、すぐ怒ったりしないようになりたい。

ジューンベリー

2010年12月12日 | 家族のこと

家の前、最後まで残っていた懸案のフラワーポットに植える木が見つかった。
樹形のよい、ジューンベリー(写真右というか真ん中)。

ジューンベリーは暴れる木で、なかなかいいのが無かったのだが、釜利谷のグリーンファームにいた。
ほかに一緒においてあったジューンベリーの3倍くらいの値段だったが、仕方ない。庭師のおじさんも「この子は手塩にかけて育ててきたんだ」と、名残惜しそうだった。
今度は、私たちが大事に育てていきますね。
これで、外構はほぼ完成。

これまで、植えていたハイビスカスは、これからの季節、家の中で育てることになった。

病理学会関東支部 学術集会

2010年12月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
所属している某研究会の打ち合わせのため、千駄木の医科大学へ。

赤門前の駅で降りると、銀杏並木が綺麗に色づいていた。
結構、葉っぱが残っていてびっくりした。
向こうが赤門

坂を降りて根津神社に着いて、ちょっとお参り。
ここも紅葉が綺麗だった。
鳥居が並ぶ乙女稲荷

少し遅刻してしまったが、有意義な打ち合わせになった。
打ち合わせと言っても、来年開かれる臨床系の学会での、病理サイドからの症例解説のためのもので、応募された症例から、どの症例を選ぼうか、というものなので、こちらも結構頭をつかう。少し、自分にも仕事を分けてもらって、勉強することにした。   注;病理の仕事=勉強

ちょうど、同じキャンパスの少し離れた建物で、関東支部の学術集会をやっていたので、昼食もとらずに流れ参加。
ガラスに映っているのは私

医療訴訟と病理、というテーマで、ずいぶん為になる話を拝聴することができた。
演者の一人は弁護士さん。
いい加減なことは、してはいかん。ということと、病理の先生、もっと勉強してくださいね。ということ。

昨晩と、今日と、連チャンで研究会に参加した。やっぱり刺激になる。

さあ、今日はもう寝て、あしたから、頑張ろう。

ある意味、えらい

2010年12月10日 | 日々思うこと、考えること
「でき婚」率、沖縄1位 全国平均25% 10代は8割超(産経新聞) - goo ニュース


こどもができる、ということは、おめでたいことで、男女が神様から授かった命を、預かり育てることだ。こどもをつくるには、避妊をしないわけで、逆に言うと避妊をしないということは、子供をつくる、ということである。だから、妊娠を望んでいないのに、避妊しない、というのは理由がよくわからない。もちろん、犯罪は別だ。
それでも、望んでいなかった妊娠の場合多くは、妊娠中絶を行うことになる。わが国では年間年間30万件ちかくの命が、妊娠中に無理やり殺されている。このうち、児に異常があってやむを得ず中絶することになった子はどれほどなのだろうか。不幸にして死産となってしまった子について、死産の原因を調べるために解剖を行うことがあるが、胎児は立派な人間に見える。18歳、19歳での中絶というのも多い。男女の間にはそれぞれの事情があり、妊娠に至る経緯もいろいろある。

ここで、妊娠中絶の善悪を言うつもりはない。

それよりも、”でき婚”が多い。ということに、感動する。ある意味、えらいと思う。

私の周りにも、いろいろなでき婚夫婦がいる。
あまり望んでいなかった妊娠でできた子供も多いのだろうが、愛しあって生まれた命、大事にすることは大切だし、えらい。授かった命を守り育てる母、それを見守る父、子どもができたことによってそういった自覚が芽生える。「もっと遊びたかった」などといって、ネグレクトする馬鹿な親もいるが、それはごくわずかだろう。

三年B組金八先生では、15歳の母を杉田かおるが演じていた。父親役の鶴見辰吾も15歳で一人の女性と結ばれ、最後は名門高校に合格していた。さすがに、それを見ていて男の人生としてのある種の終焉を感じたが、今にして思えば、それは間違いだったかもしれない。一生涯一人の女性と愛し合っていく、というのも大切な人生だ。結婚は人生の墓場、なんて、男の勝手な言い草に過ぎない。

それにしても、仮に私が15歳で子どもを持っていたとすると、息子は、今、32歳。うーん。
そんなモノかと思えば、そんなモノかもしれない。

男女間のこと、なにが、正しくて、こうあるべき、といったようなことは簡単には言えない。

難しいものだ。
なにはともあれ、でき婚カップル(もちろん赤ちゃんも含めて)に、幸せあれ。

冬が来た

2010年12月09日 | 通勤・交通・旅行
夜明け前の鎌倉駅前。人通りはまだ少ない。午後には観光客でいっぱいになるのだろうけど・・・

昨日あたりから、いよいよ冬本番という感じ。

自転車にも手袋無しでは乗れない。
と思っていたら、昨日の家族からの誕生日プレゼントは、駅前に先日できた「ザ・ノース・フェイス ヘリーハンセン 鎌倉店」で購入したと思われる手手袋、2双。早速今日から使った。

都内の下車駅でも降りたばかりの時はずいぶん寒い。
歩きはじめて15分くらいは手袋があると助かる。

自分が手袋をしていると、人も気になる。

すれ違う人の手に目がいく。
思っていたよりも、たくさんの人が手袋をしていて、少し意外。
皆さん、寒くなってきましたね。

チューバッカの手か?


にしむくさむらい

2010年12月08日 | 家族のこと
小学校一年のときの朝の全校集会。
校長先生のお話で、「十一月のことをなんと言うか、知っている人はいる?」

やめときゃいいのに、手を挙げた小学一年生の私。

当然、指名された。


「さむらい」

「え?」先生はわからない。しばしの沈黙の後、5年生だか6年生があっさり「霜月」とかいって、話は終わったように記憶している。

もう、40年前の話だ。
あの時のことは、今でもよく思い出すし、赤面してしまう

私も、
『ひと月の日数が30日以外の月、二月、四月、六月、九月と十一月のうち、十一月に武士の「士」をあてて、この「二四六九士」を「にしむくさむらい」と読むので、十一月は「さむらい」です』
なんて、言えなかった。

どうも、あのころから、うろ覚えの知識をひけらかすクセがあったように思う。
高校時代には、一部の級友から、知ったかぶりからとって「しったか」などというあだ名を付けられたこともあった。

一事が万事、裏付けの無い虚栄心が行動の基準となっていた。
恥と反省と後悔ばかりの未だ未熟な人生だが、それでもすこしずつ直して前に進んでいきたいものだ。

と常々思っているものの、一年前を振り返ってみても大して進歩していないのはなぜ?

今日は私の47歳の誕生日。人生長く生きていればいいというものでもないが、生きている以上はよりよく生きていかなくてはいけない。


通せん坊

2010年12月07日 | 通勤・交通・旅行

おお、道路が大きなトラックで塞がれている。
この四つ角、交通量が意外と多くて、お巡りさんが一人立ってくれているのだが、今日は5人くらい集まっている。

一方通行の急坂で、ここに逆向きで立ち往生。
まるでガメラが動けなくなっているような感じだ。
事故にはなっていないようだ。

運転手は、と思って中をのぞいたら、いない。

お巡りさんたち、途方に暮れている。

同じところを毎日歩いているだけだが、晴雨にしても、おっちょこちょいの人がやってしまったこんなことも同じで、少しずつ変化が起きる。

そう思うと、人生は楽しいものだ。


まあ、当事者は楽しいわけないが。




誕生日

2010年12月06日 | 家族のこと
先週、母が誕生日を迎えた。
まだ、60代だと思っていたら、70過ぎていた。
そりゃ、私もそろそろ50なので、考えてみれば当たり前だ。妻にあきれられてしまった。
そういえば、子供の頃、父が36歳、母が32歳という状態でしばらく止まっていた時期があった。あれに似たようなもので、一緒に年を取るぶん、そんな気になってしまうことがあるのかもしれない。

「年寄りには膝掛けがあるといいのよ」と、恩師の古希のお祝いをなんにしようと相談したとき、そんなことを言っていたので、母にもプレゼントすることにした。

妻と一緒に届けにいったら、とても喜んでくれた。

いまだ、頼りない息子だが、最近、多少は親孝行ができる様になった気はしている。


主夫(プチ)の仕事

2010年12月05日 | 家族のこと
今日は朝から、家の仕事。
娘と一緒に三銃士をみてから、みんなで朝食。昨晩、帰ってから作った鶏の丸焼きの残りでサンドイッチを作った。

朝食が終わると、試験勉強で子供たちは、各々図書館へ。同じ、鎌倉図書館に行くのだが、別々に行く。

私は、一昨日の大雨と、昨日の大風によって落ちた枯葉の掃き掃除。
裏庭から始まり、横のアプローチを掃いたら、あっという間に枯葉の山が4つもできた。
芝も少し刈って、熊手で集めて、枯葉と一緒にゴミ袋に。
ナイトの糞も片付ける。

あっという間に11時。妻が用事で出かけて、私一人になる。

ナイトが昨日去勢手術をしたので、そのお迎えに行く。
陰嚢のところに傷がある。
カラーを付けているのだが、傷まで舌がとどいてしまう。困ったものだ。

妻が干していった洗濯物を取り込み。
帰ったところで、アプローチの水洗い。
ケルヒャーを使って、カビを飛ばす。ちょっとうるさいのでご近所迷惑だったが・・・

タオル掛けを直して、やれやれと座ると、もう5時。
あたりはもう暗くなりかけている。


子供たちが帰ってきて、おかえりー、などと言っているうちに、今度は夕食の支度をしないといけない。かな?
なんて、思いながら、このブログを書いている。

これを主婦の仕事とすると、結構な量だ。
主婦って、すごい仕事量を毎日こなしているのだと、つくづく思い知らされた一日だった。

さて、次は風呂掃除だ。

勉強が仕事

2010年12月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
剖検があった。
ナイトくんのしつけの訓練中に、担当医からオンコール番の私に連絡があり、押っ取り刀で病院に駆けつけた。

患者さんは、私が初めて経験する疾患。
担当医はもちろんその道のスペシャリストなので、その病気のことをよく知っている。

一方、私は・・・
名前は知っている有名な疾患なのだが、病因も病態も実はあまり知らない。
念のため、断っておくが、もちろん、遺伝子異常の機序くらいは知っている。だが、不明な点が多い疾患なので、どこまで何が知られているかを知らない、ということだ。

もとい、私の病理医としての技量はさておき、私が病理を選んだ理由の一つが、勉強が仕事だから、というのがあった。そう考えると、こういう人生もありかと思う。
毎日、患者さんを通して勉強させていただく、そういう病理の仕事、私は好きだ。