病院に着く手前にある公園で、まだまだ寒いもの少しだけ温まった体で軽くストレッチをする。
又割で股関節を延ばしたり、アキレス腱や足首を延ばし、肩や体をぐるぐる回す。
そんなことをしながら、目の前のケヤキを体を横にした状態でぼんやりみていたら・・・
正確に言うと集合管だけであり、後腎組織由来である尿細管・糸球体は見えていないのだが、幹が腎盂、その先に無数に分岐する集合管。流れる方向は逆であるのだが・・・・
幹は気管、気管支に分岐し、一本一本の枝は終末細気管支。残念ながら、葉っぱがすべて落ちているので、残念ながら肺胞に相当する部分は冬の間は無い。
母なる大地は絨毛膜、幹から末梢へはそのまま幹絨毛から末梢絨毛となる。母体血液のながれる絨毛間腔は広大な空。
肺胞にしても、ネフロンにしても、絨毛にしても、末梢における外部との接触面を極端に増やす構造となっている。
これは、まったく木と一緒の構造。
気管支は゛枝゛と表現し、末梢に向かっては゛枝分かれ゛する。胎盤では、絨毛゛樹゛と表現する。
ごくごく、あたりまえのことなんだけど、自然の造形がいかに合理的にできているかをしみじみと感じた。
腎臓に関しては、機能から考えると川の流れに例えた方が良さそうだが、腎臓だけ仲間はずれではかわいそうなので、上述のままにしておく。
又割で股関節を延ばしたり、アキレス腱や足首を延ばし、肩や体をぐるぐる回す。
そんなことをしながら、目の前のケヤキを体を横にした状態でぼんやりみていたら・・・
正確に言うと集合管だけであり、後腎組織由来である尿細管・糸球体は見えていないのだが、幹が腎盂、その先に無数に分岐する集合管。流れる方向は逆であるのだが・・・・
幹は気管、気管支に分岐し、一本一本の枝は終末細気管支。残念ながら、葉っぱがすべて落ちているので、残念ながら肺胞に相当する部分は冬の間は無い。
母なる大地は絨毛膜、幹から末梢へはそのまま幹絨毛から末梢絨毛となる。母体血液のながれる絨毛間腔は広大な空。
肺胞にしても、ネフロンにしても、絨毛にしても、末梢における外部との接触面を極端に増やす構造となっている。
これは、まったく木と一緒の構造。
気管支は゛枝゛と表現し、末梢に向かっては゛枝分かれ゛する。胎盤では、絨毛゛樹゛と表現する。
ごくごく、あたりまえのことなんだけど、自然の造形がいかに合理的にできているかをしみじみと感じた。
腎臓に関しては、機能から考えると川の流れに例えた方が良さそうだが、腎臓だけ仲間はずれではかわいそうなので、上述のままにしておく。
独楽回しの裏技
冬になると、近くにあった大企業の社宅のコンクリ張りの広い駐車場でいつも独楽回しをした。なぜ、冬だけ独楽回しなのか今考えると不思議だが、冬の寒い午後、延々と独楽回しをやっていた記憶が今でも強く残っている。もしかしたら、お正月のお年玉で独楽を新規購入する子供が多かったからか。
大人になって、外を歩く時間が遅いせいか、そもそも子供が少ないせいか、いずれにしても独楽回しをしている子供をここ数十年みない。
かくいう私も息子と一緒に独楽回しをした覚えが無いし、息子に独楽回しを教えた覚えも無い。
息子が小学校の低学年くらいの頃、ベイブレードというのが流行ったが、あれは今も残っているのだろうか。
それはさておき、独楽回しの裏技。
独楽と一口にいっても、等級がある。
独楽を売っていたのは、文房具屋と駄菓子屋。あの文房具屋、事務用品店ではあったものの、学習ノート、鉛筆から軟球、独楽、たこ、子供が必要なものは何でも売っていた。ただ、駄菓子屋と違って、食品とか変なくじ引きは売っていなかった。
安い独楽はちゃちなブリキ製かプラスチック製のワクのないもので、すぐ壊れる。30円か50円くらいだったように思う。
一般的なのは100円くらいのでこれには、鉄の薄いワクがついていて、使い勝手は良かった。
鉄輪独楽
300円くらいになると高級品で、芯が太かったり、UFOみたいなでかいワクがついていたりした。100円のものの倍、50円の3倍くらいの重さがあった。
100円の独楽で300円の独楽に対抗しようと思ってもそう簡単には行かない。
300円の独楽を肩口の高さあたりから100円独楽の上に落とされたら、100円の独楽はひとたまりも無い。
はっきり言って、独楽回しの腕が同程度の人間同士であれば、安物の軽い独楽が300円の独楽に勝つ方法というのは無い。
だが、引き分けには持込めた。
裏技というか、300円の独楽を巻き込んで、独楽回しの紐でぐるぐる巻きにしてしまうという技があった。これだと、少なくとも引き分けには持ち込める。ただの特攻戦法であり、思い出すとあきれるばかりだが、あまりにも、強烈だったので、一度文章にしておきたかった。
だが・・・これをやると、一緒に遊んでくれるやつがいなくなり、2、3回はやっただけで、この技は消滅したような気がする。
山嵐だとか、綱渡りだとか、いろんな技があったが、こういう“素朴な”子供の遊び、というのはどんどん消えていくのだろう。
私たちの地区、ベーゴマは流行っていなかったので、やったことはほとんど無い。
冬になると、近くにあった大企業の社宅のコンクリ張りの広い駐車場でいつも独楽回しをした。なぜ、冬だけ独楽回しなのか今考えると不思議だが、冬の寒い午後、延々と独楽回しをやっていた記憶が今でも強く残っている。もしかしたら、お正月のお年玉で独楽を新規購入する子供が多かったからか。
大人になって、外を歩く時間が遅いせいか、そもそも子供が少ないせいか、いずれにしても独楽回しをしている子供をここ数十年みない。
かくいう私も息子と一緒に独楽回しをした覚えが無いし、息子に独楽回しを教えた覚えも無い。
息子が小学校の低学年くらいの頃、ベイブレードというのが流行ったが、あれは今も残っているのだろうか。
それはさておき、独楽回しの裏技。
独楽と一口にいっても、等級がある。
独楽を売っていたのは、文房具屋と駄菓子屋。あの文房具屋、事務用品店ではあったものの、学習ノート、鉛筆から軟球、独楽、たこ、子供が必要なものは何でも売っていた。ただ、駄菓子屋と違って、食品とか変なくじ引きは売っていなかった。
安い独楽はちゃちなブリキ製かプラスチック製のワクのないもので、すぐ壊れる。30円か50円くらいだったように思う。
一般的なのは100円くらいのでこれには、鉄の薄いワクがついていて、使い勝手は良かった。
鉄輪独楽
300円くらいになると高級品で、芯が太かったり、UFOみたいなでかいワクがついていたりした。100円のものの倍、50円の3倍くらいの重さがあった。
100円の独楽で300円の独楽に対抗しようと思ってもそう簡単には行かない。
300円の独楽を肩口の高さあたりから100円独楽の上に落とされたら、100円の独楽はひとたまりも無い。
はっきり言って、独楽回しの腕が同程度の人間同士であれば、安物の軽い独楽が300円の独楽に勝つ方法というのは無い。
だが、引き分けには持込めた。
裏技というか、300円の独楽を巻き込んで、独楽回しの紐でぐるぐる巻きにしてしまうという技があった。これだと、少なくとも引き分けには持ち込める。ただの特攻戦法であり、思い出すとあきれるばかりだが、あまりにも、強烈だったので、一度文章にしておきたかった。
だが・・・これをやると、一緒に遊んでくれるやつがいなくなり、2、3回はやっただけで、この技は消滅したような気がする。
山嵐だとか、綱渡りだとか、いろんな技があったが、こういう“素朴な”子供の遊び、というのはどんどん消えていくのだろう。
私たちの地区、ベーゴマは流行っていなかったので、やったことはほとんど無い。
朝の鎌倉駅、引き込み線に入っている湘南新宿ラインの車両の向こうに、夜明けまで30分以上ある空に輝く月が見える。少し欠けているのだろうか、輪郭が少し曲がっている。
今年は、天文イヤーだそうで、そのうち一つが金環日食(5月21日)、もう一つは金星が月を横切ってみえなくなる金星食(8月14日)だそうだ。木星食というのももあるらしい(7月15日)がこれは日中におこるらしく、素人にはあまり関係なさそう。
日食の思い出は小学校の頃。校庭に出てセロファンの下敷き越しに観察した微かな記憶がある。あの日、日食を見た私が、今、まだ生きていて、今度見ることができるかもしれない日食のことを考える。
今、私がこんなことを考えること。あの40年前だかの頃から決まっていたことなのだろうか、それとも私が切り開いてきた人生の結果なのだろうか。
太陽と地球と月の動きはずいぶん先までがわかっているようで、少なくとも私が生きているあいだは変わりそうにない。
スケールの問題かもしれないが、広大な宇宙の話と比べれば、私の戯れ言も、カエサルの名言も、いかほどの違いがあるだろう。それなのに、毎日自分なりにあれこれ悩む。
どこまでが必然であるのか。そしてどこからが私自身が切り開いていくことのできる、私だけの人生なのか。
・・・医療によって救われる命、救われない命。これらの命は、必然なのか、自分の人生なのか。
ならば、医療を行っているものの存在はなにか???
過去のある時点から現在を見ているつもりになると、現在がとてもバーチャルなものに感じられる。
結局のところ、現実に経験してきたものだけが事実であるが、同時にそれはすでに存在しない。
そして限りなく直近の直後の私に私は何か働きかけることができるだろうか。
私の人生。それぞれの人の人生。
今年は、天文イヤーだそうで、そのうち一つが金環日食(5月21日)、もう一つは金星が月を横切ってみえなくなる金星食(8月14日)だそうだ。木星食というのももあるらしい(7月15日)がこれは日中におこるらしく、素人にはあまり関係なさそう。
日食の思い出は小学校の頃。校庭に出てセロファンの下敷き越しに観察した微かな記憶がある。あの日、日食を見た私が、今、まだ生きていて、今度見ることができるかもしれない日食のことを考える。
今、私がこんなことを考えること。あの40年前だかの頃から決まっていたことなのだろうか、それとも私が切り開いてきた人生の結果なのだろうか。
太陽と地球と月の動きはずいぶん先までがわかっているようで、少なくとも私が生きているあいだは変わりそうにない。
スケールの問題かもしれないが、広大な宇宙の話と比べれば、私の戯れ言も、カエサルの名言も、いかほどの違いがあるだろう。それなのに、毎日自分なりにあれこれ悩む。
どこまでが必然であるのか。そしてどこからが私自身が切り開いていくことのできる、私だけの人生なのか。
・・・医療によって救われる命、救われない命。これらの命は、必然なのか、自分の人生なのか。
ならば、医療を行っているものの存在はなにか???
過去のある時点から現在を見ているつもりになると、現在がとてもバーチャルなものに感じられる。
結局のところ、現実に経験してきたものだけが事実であるが、同時にそれはすでに存在しない。
そして限りなく直近の直後の私に私は何か働きかけることができるだろうか。
私の人生。それぞれの人の人生。
ほぼ毎朝、通勤路にある交差点で交通整理してくれているお巡りさんがいる。住宅街の中の通学路を通勤路に使っているのだが、近くの幹線道路の抜け道に使う車のせいで、交通量がとても多い。スピードを出して走り抜ける車も多い。
学期初めの今日、いつものお巡りさんが、いつもの交差点に立ってくれた。
100メートルほど手前から、お巡りさんの姿は見えるので、なんと挨拶しようか考えた。
普段は、「おはようございます」だけで十分で、せいぜい、夏なら「暑いですね」、冬なら「寒いですね」と、時候の挨拶を組み合わせる。
だが、今日は、年明け初めてだ。なんと挨拶をしよう。いろいろ考えた・・・
そうこうするうちに、交差点。
出た言葉は、
「おはようございます、今年も交通整理、よろしくお願いします」
あれ?交通整理ではない。お巡りさんがしているのは、小中学生が横断歩道を渡るときの安全確保だ。
ああ、「寒いですね」も組み合わせたかったし、「毎年、お疲れ様です」とも言いたかった。
ホンのすれ違いの時の言葉だが、思っていることを上手に形にして、口に出して言うということは、とても難しい。
学期初めの今日、いつものお巡りさんが、いつもの交差点に立ってくれた。
100メートルほど手前から、お巡りさんの姿は見えるので、なんと挨拶しようか考えた。
普段は、「おはようございます」だけで十分で、せいぜい、夏なら「暑いですね」、冬なら「寒いですね」と、時候の挨拶を組み合わせる。
だが、今日は、年明け初めてだ。なんと挨拶をしよう。いろいろ考えた・・・
そうこうするうちに、交差点。
出た言葉は、
「おはようございます、今年も交通整理、よろしくお願いします」
あれ?交通整理ではない。お巡りさんがしているのは、小中学生が横断歩道を渡るときの安全確保だ。
ああ、「寒いですね」も組み合わせたかったし、「毎年、お疲れ様です」とも言いたかった。
ホンのすれ違いの時の言葉だが、思っていることを上手に形にして、口に出して言うということは、とても難しい。
成人の日の今日、鎌倉もとてもいい天候に恵まれた。
1月上旬の鎌倉は三が日を過ぎても初詣の人出が大変多い。不肖コロ健、昨日の出勤が意外と応えて気力ダウン。病院に顔を出せず、家で休むことに。
妻が、最近開発した(といっても、大昔からある)道を教えてくれるというので、フラットコーテッドレトリバーのナイトをともなって散歩に出かけた。
ネックウォーマーはまだ取れていない。
小町側から東勝寺橋を渡り、放置自転車保管所の方へは行かず、大町に抜ける道に入り、トンネルをくぐる手前で横にそれて祇園山のハイキングコースへ。ここはほとんど、けものみちで、結構きつい上り坂だ。
後ろを振り返ると鶴岡八幡宮がよく見える。今日も賑わってそうだ。
ハイキングコースをそのまま海のほうへ向かう。あいにく、富士山は見えなかったが、見晴らし台の上でカシャ。
逗子のほうを見やると、これから目指す鎌倉幼稚園が見える。
八雲神社におりて、名越の方へ向かう。
安養院の裏をぬけると、水仙畑。あたり一帯、いい香りに包まれている。
大町をどんどん奥に入ると、黄金やぐらがある。
ヒカリゴケが黄金色に光っていたとか。
さらに奥に進むと、200段くらいの階段が。この道、知らなかったなー。
とても気持ちがいい。
階段を上りきると、広場。かわいいお地蔵さんがいた。
大町から、ハイランドまでこんな近道があったとは、驚き。
娘の小学校のハイキングコースにも入っていない。
まあ、浄妙寺側から登ってハイランド突っ切れば、そのまま名越に着くわけだから、よく考えてみればそう驚くことでもないのだが…
さて、この先がすごい。
”巡礼古道”。雪ノ下には平成巡礼道というのの入り口があるが、巡礼古道とは。報国寺まで15分。エエッ?と目を疑う。そんなに近いの?
だって、明石橋から回ったら、30分はかかる。
ハイランド側の入り口。比較的わかりやすく書いてある。
なにはともあれ、入ってみる。巡礼古道というだけあって、庚申塔がたくさんある。
今日、庚申信仰はないが、歩くうち、昔の市井の人々の信仰の心がよみがえってくる。
このルート、一番の見どころは、報国寺に降りる手前の石仏。これは見ものだ。
ちょっときつめの坂を下りると、報国寺の裏に出る。
報国寺側から見た入口はここ。ここの表示もわかりやすい。
今日の裏山道歩き、初めてあるいた道が3つもあった。東勝寺橋の右奥から祇園山ハイキングコース、黄金やぐらから鎌倉幼稚園、そして巡礼古道。まだまだ、知らない道が多くある。あんまり、渋すぎるコースだったのだろう、晴れ着姿の新成人の姿を一人もみることができなかった(ちょっと残念)。
3時間ほどかかったが、久しぶりの鎌倉歩き。約7キロの行程で、とても気持ちがよかった。
1月上旬の鎌倉は三が日を過ぎても初詣の人出が大変多い。不肖コロ健、昨日の出勤が意外と応えて気力ダウン。病院に顔を出せず、家で休むことに。
妻が、最近開発した(といっても、大昔からある)道を教えてくれるというので、フラットコーテッドレトリバーのナイトをともなって散歩に出かけた。
ネックウォーマーはまだ取れていない。
小町側から東勝寺橋を渡り、放置自転車保管所の方へは行かず、大町に抜ける道に入り、トンネルをくぐる手前で横にそれて祇園山のハイキングコースへ。ここはほとんど、けものみちで、結構きつい上り坂だ。
後ろを振り返ると鶴岡八幡宮がよく見える。今日も賑わってそうだ。
ハイキングコースをそのまま海のほうへ向かう。あいにく、富士山は見えなかったが、見晴らし台の上でカシャ。
逗子のほうを見やると、これから目指す鎌倉幼稚園が見える。
八雲神社におりて、名越の方へ向かう。
安養院の裏をぬけると、水仙畑。あたり一帯、いい香りに包まれている。
大町をどんどん奥に入ると、黄金やぐらがある。
ヒカリゴケが黄金色に光っていたとか。
さらに奥に進むと、200段くらいの階段が。この道、知らなかったなー。
とても気持ちがいい。
階段を上りきると、広場。かわいいお地蔵さんがいた。
大町から、ハイランドまでこんな近道があったとは、驚き。
娘の小学校のハイキングコースにも入っていない。
まあ、浄妙寺側から登ってハイランド突っ切れば、そのまま名越に着くわけだから、よく考えてみればそう驚くことでもないのだが…
さて、この先がすごい。
”巡礼古道”。雪ノ下には平成巡礼道というのの入り口があるが、巡礼古道とは。報国寺まで15分。エエッ?と目を疑う。そんなに近いの?
だって、明石橋から回ったら、30分はかかる。
ハイランド側の入り口。比較的わかりやすく書いてある。
なにはともあれ、入ってみる。巡礼古道というだけあって、庚申塔がたくさんある。
今日、庚申信仰はないが、歩くうち、昔の市井の人々の信仰の心がよみがえってくる。
このルート、一番の見どころは、報国寺に降りる手前の石仏。これは見ものだ。
ちょっときつめの坂を下りると、報国寺の裏に出る。
報国寺側から見た入口はここ。ここの表示もわかりやすい。
今日の裏山道歩き、初めてあるいた道が3つもあった。東勝寺橋の右奥から祇園山ハイキングコース、黄金やぐらから鎌倉幼稚園、そして巡礼古道。まだまだ、知らない道が多くある。あんまり、渋すぎるコースだったのだろう、晴れ着姿の新成人の姿を一人もみることができなかった(ちょっと残念)。
3時間ほどかかったが、久しぶりの鎌倉歩き。約7キロの行程で、とても気持ちがよかった。
昨日、今日と、今年初めての学会。
学会といっても、今回は、普段勉強していないことを勉強し直すだけで、自身の発表も無く、大した労力を払うわけではない。
昨日は頑張って聞いていたのだが、二日目の朝一番、横須賀線を降りて地下鉄に乗り換えようとエスカレーターに乗ったところで、病院から呼び出し。
地下鉄に乗るところを山手線に乗り換えて病院へ。
今回の学会、今日がメインだったので少々残念だったが、仕方がない。
へとへとになってしまったが、夜、お世話になった方のお通夜があり、ボンヤリする暇もなく移動。
結局、今日も一日ばたばたして終わった。
ばたばたばたばた。落ち着く暇もない。
一体、人間、何のために生きているのだろう。と、考える。
飛躍しすぎかもしれないが、病理医として医療に携わっていても、医療とは一体なんなのか、わからない。
私が医師を目指した時の志の通りの職業であるか。
私が目指してきたものは、こういうものだったのだろうか。
50歳も近くなって、いまさらこんなことを言っているのも、まあ、どうかとも思うが。
学会といっても、今回は、普段勉強していないことを勉強し直すだけで、自身の発表も無く、大した労力を払うわけではない。
昨日は頑張って聞いていたのだが、二日目の朝一番、横須賀線を降りて地下鉄に乗り換えようとエスカレーターに乗ったところで、病院から呼び出し。
地下鉄に乗るところを山手線に乗り換えて病院へ。
今回の学会、今日がメインだったので少々残念だったが、仕方がない。
へとへとになってしまったが、夜、お世話になった方のお通夜があり、ボンヤリする暇もなく移動。
結局、今日も一日ばたばたして終わった。
ばたばたばたばた。落ち着く暇もない。
一体、人間、何のために生きているのだろう。と、考える。
飛躍しすぎかもしれないが、病理医として医療に携わっていても、医療とは一体なんなのか、わからない。
私が医師を目指した時の志の通りの職業であるか。
私が目指してきたものは、こういうものだったのだろうか。
50歳も近くなって、いまさらこんなことを言っているのも、まあ、どうかとも思うが。
(組織球腫と診断され、切除術を受けた)フラットコーテッドレトリバーのナイトの首の手術創を覆う包帯代わりの白いタオルが、黒毛のナイトには余りにも目立つということで、妻がネックウォーマーを編んでやった。毛糸は年末の大掃除で出てきた数十年前のものとのこと。
古い毛糸と言っても、もともといいものだったらしく、出来映えは上々で、
タオルが丁度よく隠れるものができた。
本人(犬)も満足しているようで、取ろうとしない。
゛手編みのセーター゛というと、彼女が彼のために夜なべして編むというイメージがある。今回出てきた毛糸、その昔、結婚前に妻が手編みのセーターを私にプレゼントしてくれたが、そのとき色々買ったものの余りだそうだ。
妻も、こんな形で我が家の三男(ナイト)の役に立つことになろうとは思いもよらなかっただろうが、大したアイデアだ。
当時、作ってもらったセーターは気恥ずかしくてあまり着ることがなかったが、いまだに捨ててはいない、今度着てみようと思うが、サイズが合うか、とても心配だ。
どうです、なかなか似合うでしょう?
人間、いくつまで同時に物事を考えることができるのだろう。
私は、「脳科学者」などという大それた者ではないので、脳の仕組みはほとんど知らない。
Brain cuttingはいまだに神経病理の先生にご指導していただいているし、脳腫瘍の迅速診断も得意ではない。
それでも、無い知恵絞って考えてみると、脳のやっていることがとてつもなく多いことが判る。
教室の先輩で、現在は某大学病理学教室の教授が、病理を始めたばかりの頃の私に、
「病理の診断というのは、一気にはできない、じっくり熟成するもんなんだよ」
と言ってくれたことがある。その時は、『病理の仕事なんてものは、のんびりゆっくりやりゃあいいんだ』というようなことかと思っていたら、そうではなかった。実際、標本が目の前にあっても、難しい症例は何日もかけて考えないと、答えは出ない。もちろん、たくさん調べもする。
病理のことは、それはそれとして置いておく。
今日私が考えているテーマは、あれはあれ、これはこれ。
そうやって、ずっと難しい症例のことをが頭の片隅にあっても、それは別の(比較的診断の容易な)症例の診断をしているときは、それはバックグラウンドモードで考えていることになる。
もちろん、その間、歩きもするし、食事もする。そういったことを考えながら、診断を考える。あれはあれ、これはこれ。そうやって、毎日脳は頑張っている。
聖徳太子になりたければ、訓練すれば10人くらいの人がいっぺんにいうことも聞けそうだ。
だが、身は一つ。やれることは限られている。
だから、脳は優先順位をつけるはず、なのだが、それがなかなかできない。
端的な例は、遊びたいけど遊べない。心は遊びのことばかり考えているのに、現実は仕事の山。妻子ある男性が、浮気をしたりしたときなんて、大変だ。妻子の前でいい夫父を演じつつ、浮気相手のことを考える。あっちとこっちで、食事を一日5食(朝朝、昼,夜夜)食べていたなんて、話を聞いたりすると、どちらがバックグラウンドモードになっているのだろう。
犬はどうだろう。おそらく、エサのことを考えているときは、エサ以外のことは、まず考えてはいないだろう。
でも、上記の浮気紳士などはおそらく家族との食事中、その味など、ほとんどわかっていないような気がする。
こういうことって、大昔からのことなのだろうが、誰も明確には説明できていないであろう。
私は、「脳科学者」などという大それた者ではないので、脳の仕組みはほとんど知らない。
Brain cuttingはいまだに神経病理の先生にご指導していただいているし、脳腫瘍の迅速診断も得意ではない。
それでも、無い知恵絞って考えてみると、脳のやっていることがとてつもなく多いことが判る。
教室の先輩で、現在は某大学病理学教室の教授が、病理を始めたばかりの頃の私に、
「病理の診断というのは、一気にはできない、じっくり熟成するもんなんだよ」
と言ってくれたことがある。その時は、『病理の仕事なんてものは、のんびりゆっくりやりゃあいいんだ』というようなことかと思っていたら、そうではなかった。実際、標本が目の前にあっても、難しい症例は何日もかけて考えないと、答えは出ない。もちろん、たくさん調べもする。
病理のことは、それはそれとして置いておく。
今日私が考えているテーマは、あれはあれ、これはこれ。
そうやって、ずっと難しい症例のことをが頭の片隅にあっても、それは別の(比較的診断の容易な)症例の診断をしているときは、それはバックグラウンドモードで考えていることになる。
もちろん、その間、歩きもするし、食事もする。そういったことを考えながら、診断を考える。あれはあれ、これはこれ。そうやって、毎日脳は頑張っている。
聖徳太子になりたければ、訓練すれば10人くらいの人がいっぺんにいうことも聞けそうだ。
だが、身は一つ。やれることは限られている。
だから、脳は優先順位をつけるはず、なのだが、それがなかなかできない。
端的な例は、遊びたいけど遊べない。心は遊びのことばかり考えているのに、現実は仕事の山。妻子ある男性が、浮気をしたりしたときなんて、大変だ。妻子の前でいい夫父を演じつつ、浮気相手のことを考える。あっちとこっちで、食事を一日5食(朝朝、昼,夜夜)食べていたなんて、話を聞いたりすると、どちらがバックグラウンドモードになっているのだろう。
犬はどうだろう。おそらく、エサのことを考えているときは、エサ以外のことは、まず考えてはいないだろう。
でも、上記の浮気紳士などはおそらく家族との食事中、その味など、ほとんどわかっていないような気がする。
こういうことって、大昔からのことなのだろうが、誰も明確には説明できていないであろう。
寒い。
朝、あまりにも寒くて、自転車に乗れず(軟弱)、妻に鎌倉駅まで車で送ってもらう。そのとき、自動車の温度計が指している温度は氷点下4度。鎌倉駅でも氷点下2度。
都内に入って、病院の近くまでたどり着く8時でも公園の水たまりのような池の氷は溶けていない。
帰り、病院を出るとすぐに鼻水が出始め、指先が冷たくなる。
歩かなければいい話だが、通勤経路として選んでいることなので仕方ない。
人間は恒温動物であり、寒くなってもこれに対応はできない。ではなぜこんな冬のある日本にいるのか。はたして、これほど寒い日本にいる必要があるか。
もちろん、日本語以外で生活するのが大変、というのが現実ではあるものの、時としてこの冬のために日本に住んでいるような気になる。
去年の今頃の記事だと1月7日に”厳寒”というタイトルで記事を書いていて、大寒まで、まだまだ、などと言っている。今年もこんなに寒いが、明日が小寒、寒の入り、大寒(21日)過ぎまでまだまだ寒い日が続く。
以前、ほんの少し、サンディエゴに留学していたとき、留学したっきり日本に帰る気が失せてしまった日本人のお医者さんが言っていた「ここ(サンディエゴ)って、いっつもこんな感じなんですよね。ずっと暖かくって。季節感が無くて、いつの間にか居着いちゃってます」。
サンディエゴの気温と降水量
たしかに、こういう天国のような土地があるのだな、とそのとき思った。
それにひきくらべ、鎌倉の山の上にしても東京の職場の辺りにしても、あんまり寒いので、新緑の木々や真夏に汗だくで歩いているとかの幻想までみてしまう。
横浜の気温と降水量
いっそのこと、冬など無ければいいのに、とさえ思う。
それでもこんなに寒い冬を毎年毎年やり過ごす。こんな日本が好きなのも、四季に応じての季節の移り変わりが体に染みついてしまっているからなのだろう。
季節の移り変わりを感じることができる民族、それが私たち日本人だ。
もちろん、日本以外にも四季を楽しむことのできる国はいくらでもあるが、日本の四季はそれらのなかでも、素晴らしいものの一つに数えられるだろう。
冬が無い国であったら、日本人の国民性はどんなになっていただろう。などと、ちぎれそうな耳をおさえつつ歩きながら考えてみると、これもまた、おもしろい。
朝、あまりにも寒くて、自転車に乗れず(軟弱)、妻に鎌倉駅まで車で送ってもらう。そのとき、自動車の温度計が指している温度は氷点下4度。鎌倉駅でも氷点下2度。
都内に入って、病院の近くまでたどり着く8時でも公園の水たまりのような池の氷は溶けていない。
帰り、病院を出るとすぐに鼻水が出始め、指先が冷たくなる。
歩かなければいい話だが、通勤経路として選んでいることなので仕方ない。
人間は恒温動物であり、寒くなってもこれに対応はできない。ではなぜこんな冬のある日本にいるのか。はたして、これほど寒い日本にいる必要があるか。
もちろん、日本語以外で生活するのが大変、というのが現実ではあるものの、時としてこの冬のために日本に住んでいるような気になる。
去年の今頃の記事だと1月7日に”厳寒”というタイトルで記事を書いていて、大寒まで、まだまだ、などと言っている。今年もこんなに寒いが、明日が小寒、寒の入り、大寒(21日)過ぎまでまだまだ寒い日が続く。
以前、ほんの少し、サンディエゴに留学していたとき、留学したっきり日本に帰る気が失せてしまった日本人のお医者さんが言っていた「ここ(サンディエゴ)って、いっつもこんな感じなんですよね。ずっと暖かくって。季節感が無くて、いつの間にか居着いちゃってます」。
サンディエゴの気温と降水量
たしかに、こういう天国のような土地があるのだな、とそのとき思った。
それにひきくらべ、鎌倉の山の上にしても東京の職場の辺りにしても、あんまり寒いので、新緑の木々や真夏に汗だくで歩いているとかの幻想までみてしまう。
横浜の気温と降水量
いっそのこと、冬など無ければいいのに、とさえ思う。
それでもこんなに寒い冬を毎年毎年やり過ごす。こんな日本が好きなのも、四季に応じての季節の移り変わりが体に染みついてしまっているからなのだろう。
季節の移り変わりを感じることができる民族、それが私たち日本人だ。
もちろん、日本以外にも四季を楽しむことのできる国はいくらでもあるが、日本の四季はそれらのなかでも、素晴らしいものの一つに数えられるだろう。
冬が無い国であったら、日本人の国民性はどんなになっていただろう。などと、ちぎれそうな耳をおさえつつ歩きながら考えてみると、これもまた、おもしろい。
ほぼ一週間ぶりに横須賀線に乗った。
正月休み、みなさんどう過ごしたのかな、と考える。
私は、大そうじ、年賀状、(ちょこっと)仕事、犬の散歩、初詣で、お年始、原稿書き等だった。でも、人様の休みの過ごし方なんて、国内外への旅行から寝正月、仕事詰め、正月など全く関係なく過ごす、等々・・・。わかるわけが無い。
でも、皆さん思い思いに正月休みを過ごされたものの、仕事始めの今日、ちょっと空き気味の横須賀線に私と一緒に乗っている。だいたいは、同じメンバー。明日になったら、学生さんを除けばほぼ出揃うだろうか。
袖触れ合うも他生の縁。ここでご一緒するのも、何かの巡り会わせ。そう思って、同乗者の顔を(チラッと)ながめてみる。
不意の事故、災害にあったら、ここにいる人たちと力を合わせて問題に対処しないといけない。これは、決して荒唐無稽な話ではない。地下鉄サリン事件にしても、先の大震災にしても、災厄はいつ襲ってくるか、わかりはしない。
通勤電車でなくても、たまに通勤で使う自動車にしてもそう、高速道路上で何かあったら、やはり助け合わなくてはならない。
そんなことをぼんやり考えながら歩き、途中の八幡さまで、今年一年の通勤の無事を祈って手を合わせた。
今年も嫌なことがあるかもしれないが、その嫌な相手でも、いざとなったら助け合わなくてはいけない。
そう思えば、通勤も、少しはおだやかな気持ちで乗り切れるだろう。
それにしても、今年の冬は寒いです。
マルチーズのコロもどうやら風邪をひいたようで、毛布にくるまったままです。
年末がオンコールだったが、病院からは連絡も入らず、大晦日にちょっと顔を出したただけで完全オフとなった。
鶴岡八幡宮への初詣は2日に行った。元日は両親とダウン症の弟とわが家とで虎ノ門の金比羅宮へ行った。
昨晩雨が降ったこともあるのか、八幡様心なしか、今年は人出が少ないような気がする。
さて、今年の抱負は減量だが、下位には一応仕事も入っているので、ぼちぼち始めることに。
といっても、標本を見るわけではなくて、原稿書き。
英文誌の査読が一本あったのを、悶絶しつつも英語で返事を書きあげ、ホッとしたところで、日本語の依頼原稿に着手。といっても、仕込みの論文読み(いい論文を読もう!って昨日言っていたのは誰?)。
今年も穏やかな三が日となって、のんびりしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。駅伝も観ちゃった(テレビ観戦)し…
なんてことしていても、明日からは仕事仕事。
平成24年の神宮館高島暦によると、今年の一白水星は評価運。49歳は「自分が描いた将来への設計図や事業の計画が実現できるかどうかを決める運命的第一歩の年回り」とか。そして、「言動不一致は禁物」。厳しい一年となるけれどやりがいのある年ともいえるんでしょうかね。
ナイトの散歩も日に3度行ったね(朝夕+年賀状出し)。
鶴岡八幡宮への初詣は2日に行った。元日は両親とダウン症の弟とわが家とで虎ノ門の金比羅宮へ行った。
昨晩雨が降ったこともあるのか、八幡様心なしか、今年は人出が少ないような気がする。
さて、今年の抱負は減量だが、下位には一応仕事も入っているので、ぼちぼち始めることに。
といっても、標本を見るわけではなくて、原稿書き。
英文誌の査読が一本あったのを、悶絶しつつも英語で返事を書きあげ、ホッとしたところで、日本語の依頼原稿に着手。といっても、仕込みの論文読み(いい論文を読もう!って昨日言っていたのは誰?)。
今年も穏やかな三が日となって、のんびりしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。駅伝も観ちゃった(テレビ観戦)し…
なんてことしていても、明日からは仕事仕事。
平成24年の神宮館高島暦によると、今年の一白水星は評価運。49歳は「自分が描いた将来への設計図や事業の計画が実現できるかどうかを決める運命的第一歩の年回り」とか。そして、「言動不一致は禁物」。厳しい一年となるけれどやりがいのある年ともいえるんでしょうかね。
ナイトの散歩も日に3度行ったね(朝夕+年賀状出し)。
先月もなかなか本が読めなかった。
原因の一つは、このブログ。最近、ブログの記事を書くことに気がいってしまい、通勤時間中、読書はおろか、仕事関係の論文読みもおろそかになっている。
自分でブログを書いたり、他人のブログを読んだりしていて、強く思うのは、「ブログを情報発信源とする」のは容易ではないということ。人に読んでいただくブログは、筆者の知性、感性があるべきものであり、ただの文章上手、写真上手、編集上手は、ひとり言、ドグマの垂れ流しに過ぎない。
私のブログ、ネタ切れ感を強く感じるようになってきた。良い小説や評論、論文を読んで、その向こうにある知性を仕入れることで、この こんきも ももっと良いブログになっていく。
もっと、いろんな文章にふれて、もっと私の知性を磨いていきたい。
読書は知性の出発点。
初詣の帰り、さっそく本を2冊買った。
今年も少しでも多くの良書、論文に出会いたいものだ。
12月の読書メーター読んだ本の数:3冊読んだページ数:698ページナイス数:22ナイス人生がときめく片づけの魔法こんまりさんの先輩という人から紹介されて読んだ。私の妻はなかなかの片づけ上手なのだが、いまいちだった。それは、順番だったということがわかって、目からうろこが落ちる思いがした。 でも、職場の片づけは”全捨て”とはいかなかった。何でもかんでも捨てていたら、途中で怖くなって、一気にはいきませんでした。読了日:12月24日 著者:近藤 麻理恵
ぼんやりの時間 (岩波新書)そりゃあ、まあ、一流のジャーナリストとして駆け抜け、悠々自適の今だからこそおっしゃれるお言葉。頭を休める暇の無い現役世代として救いを求めて読んだが、全く役にたたず。そりゃあそうですよ、でもね、どうすればボンヤリできるのか?子供の頃のように、口ぽかんでぼんやりするのは、もう無理ですかね?それに、ボンヤリというよりは、「思索の時間」という感じもするし。私もそういう老後を送るには、いろいろな意味で、ボンヤリしていてはダメなようですね。ガックリ。読了日:12月22日 著者:辰濃 和男
若者殺しの時代 (講談社現代新書)昭和30年代後半生まれの私たちこそが団塊の作ったシステムに乗らされた被害者世代と思っていたけど、それを存続維持したという点では同罪か。今の若い人を見ると私たちが居座っていて辛い思いをさせてしまっているようにも感じさせられるのもつらい。でも、この先さすがの団塊世代もよる年波には勝てず社会の表舞台からは消えていく。そこがチャンスかと思うが、彼彼女らの老後を支えるのも食い物にされた私達以後の世代。読了日:12月04日 著者:堀井 憲一郎
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