こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

私とコロの共通項(2/4)オヤジ犬

2016年05月16日 | 犬との暮らし

私も妻も、てっきりコロはその美女が抱いていたダックスフントに興味を持ったのだと思った。しかし今、コロはモデルの様に綺麗な彼女の足にまとわりつき、それでも飽き足らず、両足で立ってほぼ抱きつている。コロの視線の先には彼女に抱かれたダックスフントではなく、彼女の愛らしい笑顔しかないようだった。彼女も、そんなコロのことを可愛らしく思ったのか、頭を撫でてくれたので、コロの興奮度はますます上昇したようだった。 確かに客観的に見たらまっ白な被毛に被われ、小顔で目のクリッとしたコロ、マルチーズの中でも可愛らしい部類に入ると思うし、私も出会った時にはその愛らしさにイチコロだった。
ひとしきり遊んでもらったのを見計らってから、足元に引き戻したが、相変わらず尻尾ふりふり、お尻ふりふりは止まない。私も妻も恥ずかしくなるほどで、その尻を軽く叩いたが意に介さず。「コロ、止めなさい」「すみません、お恥ずかしい」などといいながら、私も妻も、開いた口が塞がらなかった。

私に絵心があったら、まったく最高のギャグ漫画が描けただろうと思えるほどの流れだった。

 

『オヤジ犬』


9月には10歳になる初老のマルチーズの姿を見た瞬間、私(コロ健)も妻もそんな言葉が頭をよぎった。

結局、5分ほど断続的に遊んでもらい、コロも落ち着いてきたところで先生に呼ばれた。まずはナイトを診ていただくことになり、コロはいったん待合室の元いたところに戻った。自分は難を免れたと思ったのか、採血されているナイトの悲鳴を壁越しに聞きながら、美女と私たちのところをしばらくの間行ったり来たりしていた。

妻とその美女は犬の病気談義をしばらくしていたが、彼女が会計に呼ばれたところでおしまいとなった。

オヤジ犬コロ、最後まで尻尾を振って、その美女を見送っていた。

そうこうするうちナイトの診察も終わり、次はコロの番となった。何もないだろうと思っていたら、待てど暮らせど終わらない。20分ほどかかっだろうか、診察がやっと終わって、先生からコロの状態について説明を受けることになった。なんとなく嫌な予感がした。(明日につづく)

 見た目は元気そうだけど

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私とコロの共通項(1/4)ダックスフントを抱いた美女

2016年05月15日 | 犬との暮らし

マルチーズのコロはもうすぐ10歳。最近の飼育環境の向上もあり、犬の平均余命もずいぶん長くなって、コロの年は人間でいえば50歳代半ばといったところだろう。飼い主である私コロ健とさほど変わらない。まあ、初老の入り口が見えてきたところといえる。

そのコロ、いろいろと病気持ち。数年前から膀胱結石だのクッシング症候群だのを患っていて、食事療法(pHコントロール食)とか、薬物療法をしている。心臓もあまりよくないといわれていたが、最近、調子がよけいに悪くなったのかおかしな咳をするようになった。肺水腫という、肺から心臓への血液の戻りが悪くなった病気でもではないかと心配になって犬猫病院に連れて行った。これはその日、私が発見した、飼い犬とその飼い主の偶然の一致の話。


待合室で待つこと10分。私と妻は、コロとまだ完調でなく少々心配だったので一緒に連れて行ったナイトを足下に待たせていた。始めはいい子にお座りして待っていたコロも次第にも飽きてきたようで、ふてくされた顔をして待合室の床にモップのようになってへばりついていた。何匹かの犬が前を通り過ぎるが、犬にも、またその飼い主にも全く興味を示すことはない。物憂げそうに待合室を見渡していた。コロはもともとほかの犬にあまり興味を持つことのない犬なので、変だとも思わず眺めていた。コロと違ってナイトは好きなタイプの犬がいると無性に遊びたくなってしまうので椅子の下で伏せさせておいた。待合室に面して、診察室のドアが3つあり、時々人と犬が出入りしていた。と、二匹が待ちくたびれてきた頃、私たちの座っていた椅子の前の診察室のドアが開き、中からダックスフントを抱いた女性が出てきた。一緒にいた妻も認める細身の美人で、裾の広い花柄のミニスカートからはほっそりした長い足がみえる。そんな彼女の姿を私と妻、そしてコロ、二人と一匹がドアの開いた瞬間、一斉に見たのだと思う。彼女も視線を感じたようで、その場に一瞬緊張(?)が走った。

私は目のやり場に困ってすぐにうつむき、妻もジロジロみては失礼だと思ったのだろう、彼女からすぐに目をそらした。ところが、私の目をそらした先にいたコロ、即座に立ち上がってちぎれんばかりに尻尾を振り、さらにはクンクンと鼻まで鳴らしている。リードを強く引っ張るので、飛びつくことにならないように気をつけながら、その女性のほうに近寄らせた。 (明日につづく)

 

 おいおい、心臓にさわるぞ

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心静かに、穏やかに

2016年05月14日 | 生き方について考える

病理学会明けで今日は仕事。この有り難い仕事があるということが日常なのか、それとも本質的に仕事とか、趣味とか、そういった具体的な言葉で示すことができることをどうとらえたらいいのか本当のところよくわからない。あまり深く考えても、学会で頭を使いすぎてまだ少々ふらふらするので、考えるのはよしておく。

その学会では例によって、嬉しくなること、心温まること、心がざわめくことなどいろいろあったが、結局私は私だったということに気が付くことができて面白かった。
社会に属することが生きていく上で、避けることのできない人間として、考えさせられることはたくさんあった。そういったことのすべてに、表裏があって、一喜一憂させられる。だけど結局、私は私であって、自分をみつめてさえいたらいいだけだった。

職場を変わったり、本を出版したり、そういったことは単純に嬉しい。だがこういったことは、人に助けられ、進んできたこと。そして一つ一つは私が生きてきたこと、仕事をしてきたことの延長上のものであって私の一部分に過ぎない。
どんなことも、私は私でしかない。そう自覚することが、自分を信じること、生きていくということなのだ。そして、こういうことは嫉妬の対象にもなる。直接でも間接的にでも悪口を言われたり、意地悪されたり、裏切られたりしても、結局、どれも私の生きてきた形であるということを自覚していたら、なにもこわくないし、恐れる必要もない。心静かに穏やかに生きて行きたい。

 

 自分は自分だということ

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病理解剖で思うこと(10/10)・・・病理学会にて

2016年05月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理学会は明日まであるけれど、さすがに3日も病院をあけるわけにはいかない。今夜には東京に帰って、明日は仕事。夜には研究の会議もある。

昨日、今日と二日しか出られなかったけど、得るものは多かった。もちろん、自分の仕事なのだから病理のことはまじめに考えている。医学の進歩は急激で、もう病理だ臨床だといっているような場合ではないかもしれない。

もちろん病理解剖について、考えることがたくさんあった。言うまでもないが、病理解剖というのは医者なら誰でもできるということではなくて、死体解剖資格という資格が必要で、医者になったあとしかるべき施設で指導を受けたのちにとることのできる資格だ。元病理医とか、病理学教室で一時期勉強していたことのある医師とかそう言った人を除くと、この資格を持っている人のほとんどが病理医だ。だから、このことについて、話すことができるのは病理医同士となる。そして、そのことについて、病理医仲間ともたくさん話すことができた。多くの病理医が病理解剖について、それぞれ真剣に取り組み、それぞれ真剣に悩んでいた。一言で片付けるならば、答えがないということ。それでも、意義を見いだし、人類の幸福にフィードバックしなくてはならない。

病理解剖を通して、技術、診断、研究、発表、様々なことをしなくてはいけない。それが医師としての病理医の責務だ。お金にならないからどうの、などという必要はない。病理解剖ができる病院というのはそれだけでランクが上であり、積極的に行う病院というのはすなわちアカデミックであるということだ。病理医は、その病院のみならず、日本の医療のアカデミズムのゲートキーパーとしてしっかりした仕事、すなわち病理解剖を行わなくてはならない。

 

 

このシリーズを書き出してから、ひと月以上たった。少々間延びしてしまった。病理解剖について考えてみようと思ったのは、自分の仕事に疑問や不満を持った訳ではない。ただ、せっかく行った仕事が徒労に終わらないよう、有意義なものとなるようにしたい、と考えただけだ。もし一つだけ言えることがあるとすれば、今の上司の仕事をみてのこと言えるかもしれない。

10回と決めて書き始め、まさか終わり(10/10)が病理学会の期間に重なるとは思ってもみなかった。病理学の神様がいるとしたら心から感謝したい。

病理解剖について考えるのは、今回これで終わりにしよう。次は、定年になった頃にしてみよう。理由付けをあれこれ考えるよりも、それぞれの症例に対して、真摯な気持ちで取り組むだけの話だ。

 今回も宮城観光はできず

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本の上梓(出版)

2016年05月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

去年、10月の読書記録でちょっと触れたことがあったが、書いていた学術書がやっと完成し、コロ健、生まれて初めて本を単著にて出版することができた。

つらかった時期に応援してくれた臨床の先生に監修していただき、こちらが勝手に盟友と思っている病理医に執筆に際してのアドバイスをいただき、それぞれ、監修、執筆協力として、表紙に名前を並べさせていただいた。

今回の病理学会にもギリギリ間に合い、書籍ブースに置いてもらうことができた。

相当、狭い領域のことなので内容は割愛するが、その領域について日本の診断水準を向上させるものになって欲しいとの願いを込めて書いた。

書物を書いて、出版した以上、私のこの本が日本の医療の向上に必ずつながると言おう。

病理医がこういったことをなすのは、たいした才能が必要ではない。

コツコツと、毎日毎日、丁寧に記録し、それを蓄積していくしかない。頑張ったのではない、毎日コツコツまじめに過ごしただけだった。

仲の良い病理医にそんなことを、「たいしたことしてないんですよね」といったら、「病理医は、それしかないでしょう」と言ってもらった。

私のような、普通の能力しか持ち合わせない人間でも、コツコツやれば必ず何かものになる。自分がやってきたことは間違っていなかった。

山を捨てた結果、そして、10年以上の山ごもりの結果。

 

 病理医、臨床医さらにはすべての関係者のお役に立てますよう

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病理医という仕事を新たな視点から考える機会に

2016年05月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

仕事をなんとか片付けて、東北新幹線に乗り込んだ。

明日から第105回日本病理学会総会。

一昨年から、仕事のこと、病理のこと、その他もろもろのことがあっていろんなことを考えさせられてきた。

 そして、今年職場をかわり、別の視点で病理学をみることとなった。そして、それから初めての病理学会総会。

 

これまでこもっていた山を出て初めての学会だ。

いろんなことが新鮮に感じられるだろうと思うと楽しみだ。

52歳にもなって、こういうことを考えるには遅きに失しているのかもしれないけど、人間スタートはいつも”今”。

今回の学会、病理医という仕事を、改めて考え直すチャンスにしたい。

 

 出番はいつものネタですが

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病理解剖で思うこと(9/10)・・・病理解剖の歴史と未来

2016年05月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

人体解剖という行為そのものの歴史は古く、アリストテレスの頃、すなわち紀元前からおこなわれている。死因を解明するための解剖としての病理解剖はずっと歴史を下って、12世紀頃から、そして病院究明の手段としての病理解剖は16世紀頃からとされている。人の体の仕組みを知ること、人が病を得る理由を知ること、そして病気で死ぬ理由を知ることというのは、死の本態が不明な文明では必要な作業だったし、時代が下ったところで、いまだ死の本態はわかっていない。

 

今の病理学、とくに外科病理学といわれる病理診断の多くは、放っておけば患者さんに害が生じることが予想されるから手術で切り取って、検査して診断をつけるという作業だ。そして、その病気の治癒にかかわらず患者さんが亡くなったときに、病理解剖を通じて生前の病気がどれほどのウェイトを占めるものだったのかを調べ、今生きている人の治療にフィードバックする、ということだ。人間が、ほかの動物と違うのは、この人の体を調べるために亡くなった人、すなわち遺体を調べようとすることかもしれない。そういう意味では病理解剖は人間の最も特異な行為であり、“診断と治療”が最大の目的である臨床医学とは次元の異なる医学だ。

 

病理解剖がどのようにして進歩してきたのかは、教科書や論文を読めばわかる。でも、それは科学的な観点からの話であって、人の死、とくに病死ということに対する人類の精神的な進歩というか考え方の変化を説明するものではない。病理解剖の未来といっても、病理解剖の意義を考える以前に、現状では解剖率の世界的な低下が問題となっているようではお話にならない。それでも、病理学に従事する病理医としては、その未来を有意義なものとしていくにはどうすればいいかを、常に考えていく必要がある。

明後日から日本病理学会

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いつもの電車が戻ってきた

2016年05月09日 | 通勤・交通・旅行

最長10日になった春の大型連休が明けた月曜日の朝。いつもよりちょっと早めにホームに着いたが、すでにたくさんの人が並んでいた。いつもの通勤電車が戻ってきた。盆暮れ3月に加えて、飛び石連休も通勤の穴場なのかなどと、ホテルニューカマクラの駐車場の木立のあたりから聞こえてくるシジュウカラの声を聞きながら思った。


この連休、暦通りにしか休めなかったし、休みが長いので自宅待機の日もあった。さらには締め切りすぎの原稿の仕上げをしたり、研究関連の会議があったりと、なんだか慌ただしかった。それでもそれなりに心身を休めることができた。4月に職場が変わったばかりの身としては何よりの休日だった。




休んだといっても、別に何をしたというわけでもない。犬の散歩、遅めの朝食、庭の手入れ。どれも頭を空っぽにしてできた。そうしながら自分の仕事とか、家族とか、人生とかをあれこれ思い浮かべ、かろうじて平穏に過ごしていられる今の自分に感謝する。そういえば、この休みにインスタグラムを始めた。




大地震に襲われた熊本、大分の方達は連休どころではなかっだろう。避難生活を送られている方達には連休も何もあったものではなかったかも知れない。遠くにいて私にできることは限られているが、一日も早い復興をお祈りする。また、幸いにも難を逃れている地域にいる人間は、常に災害に備えるよう心がけたい。

 母の日のプレゼントも渡せたし

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それぞれの記憶

2016年05月08日 | あの頃のこと…思い出話

高校の同窓会の準備ということで昨日集まりがあった。ただ集まって話し合うというわけがなく、一杯やりながらやっている。昨日も仕事帰りに参加したので、ビールが喉にしみたが、妻にはいつもただの飲み会ではないかと疑われている。それはさておき、今朝は二日酔いで少々頭が痛かった。それでも今日は研究関連の会議がある。なんとか起き出して、ナイトの散歩に行った。



話し合ううち、余興にでもならないかと、学生時代のトリビアを皆で出し合った。すると、意外と自分がいろんなことを間違って記憶していたのだということがわかる。「あの時は俺さぁー」と、話すのを聞くと、いかに自分が都合良く解釈していたかがわかる。さすがに、そう話すのを、「違うよ、それは」などとさえぎるようなことはせず、黙って話しを聞いていた。彼が言うのだからきっとそうだったのだろうし、例えそれがそうでなかったにしても私が困ることはない。


 母の日

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バラとインスタグラム

2016年05月07日 | ガーデニング・菜園・花・緑

庭のバラの花が次々と咲きだした。あまりの勢いに少々面食らっているほどだ。
バラを育てるということに私はずっと興味がなかったが、50の手習いというか、50になって初めて興味が湧いて始めた。妻はずっと前からあれこれやっていたのだが、それをずっと横目で見ていたことになる。一緒に住んでいても、興味の有る無しというだけでこれほど違うのかと思う。

興味といえば、インスタグラム。しばらく前に、そういうSNSがあるとは聞いていたがあまり興味も湧かずインストールしないでいたが、息子が「フェイスブックより今はインスタだよ」と言っていたのを急に思い出して、インストールしてみた。

インスタに関連しているのかわからないが、レイアウトという写真加工アプリがあり、これを使ってみたら、こんな写真をつくることができた。まあまあいい感じだったので、早速ブログにも使ってみた。使い勝手も良く、これはこれで面白そうだ。
インストールしたとたん息子から、やぶから棒に「お父さん、インスタ始めたんだね。でも、(フェイスブックと連動して自動的にフォローすることになった)僕のはフォローから外してね。」といわれた。もちろんすぐにそうした。私にしても息子の日常写真にそれほどの興味は無い。


 起承転結だと3枚

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ブログ記事をめぐるジレンマ

2016年05月06日 | 日々思うこと、考えること

夜中、ふとブログの記事についての考えが浮かぶことがある。大抵はよくよく考えてみれば他愛のないことなのだが、時々は実際に使えそうなものもあるような気がする。

そういう、記事に使うことができそうなものはできるかぎり覚えていたいのだが、いったん寝てしまうと、また起きたときには、あれは何だったっけということになる。思い出すのはよくてテーマぐらいまでで、洒落た書き出しなんかは全く思い出せず残念なこととなる。



そんなことならば、いいテーマとか文章を思いついたときには、これを書き留めておけばいいのかもしれないが、いちいちスマホを手にとるというのも気が引ける。自分自身それほど熱心なブロガーではないし、横で寝ている妻にも変な目で見られる。それにスマホの明るい液晶画面を見ると目が覚めてしまう。眠りが浅くなり、少しでも眠りたいと思うようになってきた身にはつらいことだ。それにいったん書き出したら、止まらなくなって2、30分あっという間にすぎる。
というようなことで、夜中、いい考えが浮かんでも、書くことはしない。今朝もいい書き出しが浮かんだのだが、結局思い出せず、この文章に姿を変えた。ブログネタで不眠になって仕事に差し障りが出てもこまる。そうすると、これはこれでいいのかもしれない。

 

 一旦眠ったらスマホは単なる目覚まし時計

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連休おしまい

2016年05月05日 | 日々思うこと、考えること

大型連休、今日でおしまい。 友人と旧交を温めた。年に1度か2度会うだけの仲だが、君子の交わりは淡きこと水の如しともいうぐらいだからこの程度でいいだろう。他人の人生にずかずか踏み込んで、関係をぶち壊しにしている人を何人も見てきただけに、そう思う。

明日から、またいつもの日が始まるが、仕事もブログもがんばってやっていこう。

 天候にもまずまず恵まれ

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気圧下がって血圧低下

2016年05月04日 | 日々思うこと、考えること

夜来の暴風雨。昨日植えた花に水をたっぷりやってくれた。

朝にはすっかりやんでいたが、風はまだまだ強い。散歩に出かけたら、嵐に洗われて山が美しい。だが、道にはたくさんの落ち葉が。

昨晩の低気圧、やって来たときは980ヘクトパスカル。台風のような低さで、頭が痛かった。気圧が下がるということは、体を圧迫している大気圧が下がるということで、血管が拡張して低血圧となる。そのため、頭が痛くなると考えられている。もともとコロ健、標高の高いところが苦手で1500メートルぐらいの標高でもうクラクラする。

低気圧と低血圧、似て非なるものだが密接に関係しているのが面白い。 

午前中、ずいぶん遅くに息子が「頭、いてー」などといいながら起きてきた。

夕方、一緒にドライブしたとき、フロントガラスが汚れているという話になって、「なんで、こんなによごれているの?」などといわれて驚いた。

ずいぶんな風雨だったのに気がつかなかったらしい。「風だけだとおもっていた」と言うのを聞いて、若いのはいいことだと感心した。

 明日は立夏

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これは貧乏性か

2016年05月03日 | 日々思うこと、考えること

せっかくの休みとなると、一日がもったいなく感じられる。

仕事のある日と同じ時間に起きても、損をした気にならない。やっぱり、土曜日にも仕事があるようになったのはずいぶんな変化だ。まあ、昔はみんな土曜日は半ドンで働いていたし、以外と学校もあったりしてどうと言うこともない。

ということで、三連休初日の朝、6時前に起きだして、犬の散歩に出かける。1時間ほど歩いて帰ったらまずまず汗ばむような季節になってきた。

朝の鎌倉はまだすいていて気持ちいい。

明日は大雨ということなので、庭いじりができるのは今日だけということで、午前中のうちに園芸店に行って土と鉢植えを買い、午後はずっと土いじり。

結局、一日あれこれしていて終わってしまった。

休みの日をもったいないと思うのは、貧乏性だろうか。

 写真を撮ろうと思っていたらいつの間にか真っ暗に

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医療技術の継承と拡散・・・2016年4月の読書記録

2016年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術

このブログで病理解剖のことを書いているということもあって、関連する本を読んだ。読みたかったのは主に病理解剖の歴史についてだったのだけど、実際の手技についても読んでみると今さらながらのように、気がつかないままできたことがたくさんあるということがわかる。

考えてみると、病理医になりたての頃は手技のことばかりを読んでいた。それぞれの病理学教室とか病院などで伝統的に独自の方法が継承されているが、これは病理に限らず、臨床各科・・・外科にしても内科にしても・・・も同じだろう。流派というか作法というようなものが厳然としてあって、それらを次の世代にも教える。医療技術というのはこれまでそうやって継承されてきた。

だが、そういったことも近年急速に薄れてきている。いろいろな情報が、いろいろな媒体に載ってきていて、いろいろなノウハウ本、ビデオ、CDが出版されている。NHKの医療番組『ドクターG』なんかもより良い医療技術の拡散につながっている。

というようなことで、病理医の技術も標準化されていくといいのだが、症例によって対応が異なるため、難しいところもある。

 さすが連休の谷間、今朝の電車はガラガラ

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病理と臨床 Vol.30 2012年臨時増刊号 病理解剖マニュアル
病理と臨床 Vol.30 2012年臨時増刊号 病理解剖マニュアル 

―目次―

特集 病理解剖マニュアル
第1部 病理解剖の進め方,切り出し方法など
 A.一般的な進め方,検査手技
 B.特殊な剖検

 C.特殊な部位,手技,検体保存
 D.死後画像
第2部 臓器肉眼所見の取り方
 A.奇形の見方
 B.中枢神経の所見の取り方
 C.肺
 D.循環器
 E.大血管
 F.肝 臓
第3部 一般的によく見られる組織病理
 A.MOF の病理
 B.薬剤障害
 C.感染症
第4部 報告書のまとめ方
 A.病理専門医試験問題より(1)
 B.病理専門医試験問題より(2)
 C.診療関連死
第5部 病理解剖をめぐって
 A.病理解剖の歴史
 B.日本の現状
 C.外国の状況
 D.剖検輯報データベース
 E.社会との関わり
第6部 病理解剖の前に
 A.法的な問題
 B.感染症,環境対策
第7部 データブック
 A.日本人小児~成人の平均身長と諸臓器平均重量
 B.法律編

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