こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

医学部入試の得点調整で考えること

2018年10月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

東京医科大学を端緒とした医学部入試での得点調整。今度は昭和大学でも同じようなことが行われていたことが公表され、記者会見が行われた。似たような事案はこのあともゾロゾロ出てくるだろう。男子の合格率が高かったというほかの医学部はどうなっているのだろう?ただ、私も男性医師、あまり調子のいいことを述べるのは控えたほうがいいだろう。

ところで、この問題が発覚してから、入学者の調整を行うのなら、”入試要項であらかじめ公表したらいいのに”という意見を散見する。どこまでそういう合格者の調整というのはできるのだろうか?

地方国立大学医学部でも入学定員の半分ぐらいしか全国枠としてとっていないところがある。そうでもしないと、地元に残ってくれる医学生がほとんどいないからで、仕方ないだろう。地元出身の人、地元に残ってくれる人、外科とか産婦人科に進んでくれる人、というような選別はすでに行われている。

性別、年齢もこのようにしてしまえばいいのだろうけど、これはそうはいかない。入学要綱に男子何人、女子何人とか何歳以下とかいう表記があったらどうだろうか。何れにしても男女で区別することは社会通念上難しい。ジェンダーによって、少なくとも資格のある職業を分けることにどれだけ意味があるかはわからない。では、年齢はどうか。防衛医大のように、入校時21歳以下と明記しているところもあるにはある。考えてみると、”あの大学は本当の意味で体力が必要だから”というのもなんとなくそうなだけで、現役生よりもよほど体力のある多浪生だっているはずだ。留年したらどうなるかということもある。いくつかの大学で行われている社会人入試は意味合いは違うが、年齢だけ見たら最初から多浪生ということになる。だから年齢による区別というのは根拠が薄い。

師弟枠というのはどうみても日本では受け入れられないだろう。でも、アメリカなどでは、多額の寄付金をすればそれだけで名門私立大学に入学できるというというのは特に問題なく受け入れられている。そういう多額の寄付のおかげで他の優秀な学生が勉学に勤しめるという考えもあるようだ。

いずれにしても今度のことで、日本の医学部入試は来年から大きく変わっていく。そして、30年後にはその答えが見えてくるはずだ。運よく、生き延びていたら私の寿命が尽きる頃だ。死ぬときは家の窓から夕焼け空でも眺めていたいので、できたら住んでいる地域にいい医者がいて欲しいとは思う。そうやって死ねたら、医者が年寄りだろうが、男女どちらであろうが関係ない。

医者は生老病死のお手伝いをするだけ

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秋の空に鳥の声、木々には塩害の痕

2018年10月15日 | 鎌倉暮らし

朝晩の気温がだいぶ低くなってきた。今朝の鎌倉は17度。布団から抜け出るのが少々億劫だ。あまりスッキリしない空だけど、秋らしいといえば秋らしい。今日からまた、忙しい一週間が始まる。

窓を開けるとガビチョウの大きな美しい声のさえずりが聞こえてくる。夏の間はあまり聞かれなかったが、涼しくなって元気が出てきたのだろうか。

この秋、立て続けに日本列島を襲った台風21号と24号による鎌倉の塩害も大変なものだ。家のソヨゴの葉っぱはほとんど落ちてしまったし、鶴岡八幡宮の段葛の桜の木の葉っぱはほとんど全て落ちてしまっている。そして街中の多くの木が、半分だけ、青い。立ち枯れなんてことにはならないだろうけど、痛々しい。

それでも北向きの斜面や、南に山のある場所は比較的被害は少なかったようだから、今年の鎌倉の紅葉はそんなところを探して歩くことになりそうだ。

笑顔で始めよう!

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犬たちとゴロゴロ

2018年10月14日 | 犬との暮らし

静養二日目。

抗ウイルス剤が終わったら痒みがぶり返してきた。うーん、ウイルスを叩ききれなかったかと心配になる。

明日から様子見だ。

そうはいってもやるとことは、静養。

朝から犬たちとゴロゴロしていた。犬というのは何もしないでいると、何もしないでいることができる。大したものだ。コロもナイトもずっと一緒にゴロゴロしていた。

朝と夕方にちょっと散歩にでかけただけで、1日終わり。

明日からの仕事に備えて早めに風呂に入って早く寝よう。

ではまた明日

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気に病むことが少ないと・・・

2018年10月13日 | 日々思うこと、考えること

昨晩、11時ごろ家に帰ったら、息子はすでに爆睡状態。妻と3人で夕食をと、起きていたそうなのだけど、妻が気が付いた時には眠り込んでいたとのこと。

昨日で全ての実習が終わったとかで、ホッとしたらしい。今朝起きてきたのは10時前。若いからという以上に、ホッとしたというのがあるのだろう。今の学生は実習期間が長くて1年半近くやっている。大学関連施設にもあちこちに行っていて忙しい。1、2週間でどんどん科が変わっていくが、若いから平気なんだと思っていたけど、やっぱりストレスになっていたのだろうか。それにしてもついこの前OSCE(オスキー)とかいうのが終わったばかりだったのに、あっという間だったように感じる。

私も、昨日のブログは帰りの電車の中で書き上げて、最後の夏季休暇を取理、今日は一日ぐったりするつもりで眠ったら朝まで起きないで眠ることができた。もちろん、いつもと同じ時間に目が覚めてはしまったけど、”今日は休んでいいのだ”と知ってすぐ2度寝したら、NHKの朝ドラまで眠ることができた。気に病むことが少ないと、ぐっすりと眠ることができる。

明日は日曜日で休み。今夜もぐっすり眠れたら、さすがの帯状疱疹も退散してくれるだろうか。

朝ドラ(まんぷく)を見た後、ナイトと散歩に出かけた。お陰様で、1回目の化学療法は大きな副作用は出ないで乗り切った。2回目は来週の火曜日だが、次も無事乗り切ってくれることを祈るばかりだ。病気だからと散歩の時に甘やかして歩いていると、道草を食うようになった。病気の前はスタスタ歩いていたけど、いまは厳しくしてもしょうがないと思って、のんびり歩いている。長い距離を歩くと疲れてしまうようだけど、何か面白そうなことがあってダッシュするときの力は病気の前と同じで強い。此の前など、油断していたら引っ張られて転んでしまったほどだった。

それにしても、今度の連続テレビ小説”まんぷく”の主演の安藤サクラさんは、上手だ。もうベテランだから若手女優の登竜門みたいになっていたところに、一流女優が出てきて、久しぶりに見応えがある。NHKは、まあ、大したものだと感心してしまう。そういえば、今度受信料を下げてくれるらしい。これはこれでとても助かる。

余計なことは考えない

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これで一息つけるかな?

2018年10月12日 | 日々思うこと、考えること

今日は50分ほどの講演があり、数日前から準備に追われて大変だった。というのもカンボジアから帰ってきて、体調を崩してしまった上に出張続きでへたっていたら帯状疱疹を発症してしまい、疲れの上に痛みと痒みが加わって完全に詰んでしまったようになってしまった。そして今日の講演。得意分野の話だったから、なんとか乗り切ったけと、本当に身体を壊してしまうのではないかと心配してしまった。というか、帯状疱疹だけでも、十分壊しているのだが。



帯状疱疹については抗ウイルス薬を飲んで、痛みは引いて大分調子が良くなってきたけど、これだけ忙しくしていては効果も2、3割目減りしてしまうのではないかと心配になる。シャレにもならないようなことを続けていても仕方がないので、最後まで残っていた夏期休暇の1日を明日取ることにした。この土日、ナイトとコロとうだうだしていることにした。やることは散歩と、ブログ書き。あとは、ゆっくりと眠りたい。

心も病んでしまわないように

 

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笑顔でいたら宝船に乗れるかも?

2018年10月11日 | 日々思うこと、考えること

最近、笑顔が少なかったこと、笑顔は作ってでも必要なものだということに気がついたところで、”では、いつまで作り笑いをしていなくてはいけないのか?”という疑問が頭をよぎった。

われながら呆れるほど心配性な話だ。杞憂とはまさにこのことで、こんなこと書いているとそのこと自体が滑稽で笑える。

”本当の笑顔”というのは何から生み出されるだろう?

笑顔の質を判断することは難しい。何が良い笑顔で、何が良くない笑顔かなんてことはわからない。

杞憂に陥っている自分自身を眺めている自分を見るだけでも浮かんでくる。自虐の笑いとでもいうのだろうか。先日はあるブログで、赤い羽根共同募金に駆り出され、街頭に立って大声をあげたという話を読んで、私がクールだと想像しているブログ主さんのなんとも言えない姿に思いを馳せたら笑みが浮かんだ。


見かけと行動の差、とてもいうのだろうか、おそらく多くの人の外見(他人が見ている自分)は、自分が思っている姿と大きくかけ離れていると思う。笑顔は往々にして人間の行動をみていると浮かんでくる。それぞれの人の行動は最大限自分のためになることだと思って生きているが、そこにあるその人の行動とその人の心の本質のギャップが笑顔を引き起こす。落語はその点をよくついて、笑いにする。


「エッ? 笑顔っていうのは心にも体にも良いっていうのかい? 作り笑いでも?

なら、ずっと笑い顔でいりゃあ、良いじゃねーか。

なにぃ?ずっと笑顔でいたら顔がそのままの形になっちまって元に戻らなくなったって?


いいじゃねーか、笑顔が板についたなら、七福神が乗ってるっていう宝船に潜り込んでもバレやしねーよ。

幸せもんだな、オイ!」


てな具合になるほど笑っていられるといい。

神様はみんな笑顔

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笑顔、忘れかけていた。

2018年10月10日 | 生き方について考える

笑顔は最高だ。何が良いかといえば身体に良い、自分にとって良いことがあると、周りの人も安心していられる。笑顔は伝染する。
笑うと、ナチュラルキラー細胞が活性化して免疫力がアップする。だから、病気にかかりにくくなる。少々の感染症には負けないし、癌と戦う助けにもなる。

私はここのところ笑顔を忘れていたのかもしれない。そして病気になった

私は、もともと明るい方、というか何も考えていない馬鹿だったので、若い頃はよくゲラゲラ笑っていた。くだらないことでもよく笑ってたが、年をとるにつれ笑顔が減った。”うつ”なんて知らなかったのに、社会で生きていると辛く思うことが少なくない。仕事はもちろん、職場の人間関係、交友関係でも色々悩むことが増えてその都度笑顔が削がれていった。

人生が大きなトンネルの中にある、という着想を得たのは8月23日(”人生”という大きくて長いトンネルの中で(1))。この考え方自体が悪いのはない。でも、そう考えていた頃、私は笑顔を忘れていなかったか?周りの人に不機嫌を伝染させていなかったか?少々不安になる。覆水盆に返らず、時間は取り戻せないから仕方がないけど、なんだか笑ってしまう。

笑顔はそれがたとえ無理に作ったものであっても、いいものだという。脳は、それが本当の笑顔なんだか、作り笑いなんだかなんてことまでは区別できないらしい。だから、辛いことがあったらその都度、その倍(のつもりで)笑顔を作ったらいい。

筋肉をジムで鍛えるのも良いけど、笑顔で免疫力を鍛えるのも良い。

スマイル

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無理しないように

2018年10月08日 | 日々思うこと、考えること

昨日今日と、おとなしくしていた。ナイトの散歩に15分ほど歩いたら、ナイトはゼイゼイ、私も少し疲れた。病人が病犬の散歩をするなんて洒落にもならないがナイトが私と出かけたいと寄ってくるので連れて出た。

当たり前だか、まだ、神経痛はするし、水疱のあったところは痒い。

この2日で、疲れがすっかりとれたとはとても言えないし、病気が快方に向かうかどうかよくわかりませんが、とりあえず明日は仕事。

今週いっぱい、せいぜい無理しないように気をつけます。

今日も早めに休みます。

これぞ不養生?

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年には勝てないとはこのこと

2018年10月06日 | 日々思うこと、考えること

先週、ジムに行ったあと、右胸だけが痛くなった。出張から帰ってきてやっと行ったところで、ベンチプレスをしたので、やはり体がなまったのだと思っていた。しばらく前から、右の背中に小さな水泡ができて少し痒かったのだが、虫刺されだろうと思って放っておいた。時々痒かったので、長いものさしを孫の手よろしく使っていたのだが、なかなか引かないで、しつこい虫刺されだと思っていた。

ここ1週間で、その”背中の虫刺され”が広がってきて、水疱形成とともに痛みが強くなってきた。いかにも”神経痛”というような感じで、仰向けでは眠れないほどになった。これは深部にまで炎症が波及したかと思い、これはさすがにまずいと、皮膚科を受診したら帯状疱疹(ヘルペス)の診断。典型的な臨床経過と症状でこれがわからなかったとはまったく笑ってしまう。それにしても、帯状疱疹を発症してしまうほど自分の免疫が低下しているとは思わなかった。


カンボジアから帰ってきたあたりから、疲れが取れないと思っていたのだがこれだったか。出張続きで、ナイトのことがあったりとか、その他もろもろストレスになることが重なったのも体力を奪っていたのだろう。そもそも、年には勝てないということか。

帯状疱疹の一番のクスリは安静。明日・明後日はゆっくり休もう。

調子に乗りすぎていたか

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私がお世話になった先生の訃報

2018年10月05日 | あの頃のこと…思い出話

Googleのトップページを開いたら、今日10月5日は”世界教師デーWorld teachers' day)”とあった。教師といっても、いろいろな教師がいる。

わたし的には、小、中、高等学校の教員を教師といって、大学の先生は教員、幼稚園の先生は先生と区別している。なぜなら”教師”というと、朝礼で出席をとってそれから板書しながら教えを施す、そんなイメージを持っているからだ。小学校時代、中学、高校時代それぞれにわたしが影響を受けた先生、教えを受けてありがたい先生は何人もいる。今でも同窓会などにお招きして昔話に花を咲かせることもある。だが、教師はもちろんそれだけではない。

先日、わたしが留学していた大学の先生の訃報を耳にした。その先生の教えを乞うてお願いしたら、幸運にも受け入れてくれた。期間中は日々、先生の病理診断を見学し、それ以外の時間は日本から持参していった先生の書かれた分厚い教科書を読み、わからないところを色々と教えていただいた。その時に学んだことは今でもわたしのスペシャリティーとなっている。

わたしも遅ればせながら、去年から大学教員になって、一病理医であることに加えて教師となった。毎日研修医や医学生が次々とやってくるが、そういった人たちに色々と教えなくてはいけない、というかそういう人たちの相手をしなくてはいけない。ただでさえ人一人を預かるのも大変なのに、英語が下手くそな日本人を預かり、先生はさぞかし大変だっただろう。わたしにとって大恩ある教師だった。Dr.B

のご冥福をお祈りする。

わたしもわたしなりに自分の持っているものを後進に伝えるつもりで、手を抜かないでやってやっていきたい。

師はいたるところに

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出張の時の一人飯

2018年10月04日 | 料理・グルメ

泊りがけの出張では一人で食事をとることが多い。

朝食はたいていの場合、宿の朝食会場で食べたいものをセルフサービスで選んでとる。

小さな町で、同じ宿に同じ学会とか研究会のメンバーが集中する場合は、一緒のテーブルで食べるが、起きる時間もまちまちで、相手が食べ終わり頃にこちらが食べ始めるタイミングで座るようなことになると悪いので、色々気を使う。

最近やっと、自分の食べ終わりに(気を利かせて)座ってきた相手に、適当なところで「お先に失礼します」と言えるようになってきた。

難しいのは夕飯だ。

知り合いが多く参加するような学会だったらあらかじめ食べる相手を確保しておき、一緒に食べる。

ところが、知り合いがいないような学会に一人で参加したような場合だと、一人飯となる。

一人飯の場合、定食屋とかラーメン屋、蕎麦屋あたり。

一人焼肉は周りが賑やかでよけいにこちらが寂しくなってしまうので行かない。

昨晩は、学会ではなかったけど出張で一人飯となった。

仕事の関係で、食べに出るのが遅くなり、チェーンの丼屋さんしか開いていなかった。

他にも何人か客がいたが、二人連れが1組いただけで、あとはみんな一人飯。

私と同じようにネクタイを外したワイシャツ姿のサラリーマン風の人や労務者風のおじさんが数人。

なんだか侘しいと思いながら、ビールで丼めしをかき込む。

そうはいっても、こういったチェーン店の食事は美味しいので、味わって食べたいのだけど、話し相手もいないような食事、やはりそそくさと食べることになる。

あとは、帰りの新幹線の中での食事というのも一人飯だ。

大阪、名古屋からの帰りの新幹線では弁当とビールをいただく。

たまに匂いの強い食材だったりすると、周りへの迷惑がきになるが、開けてしまったらあとは成り行きに任せるしかない。

車体が大きく揺れた時などは、ビールがこぼれてしまわないか心配になるが、幸い今まで、こぼしたことはない。

通路側にしか座れなかった場合、京都か名古屋を出たところで食べ始めないといけないので気を使う。

だから、なるべく窓側の席を選ぶが、夜の上り列車はしばしば混んでいて通路側になってしまうことも少なくない。

 

やっぱり一人というのはつまらない。

駅で売っているお弁当の場合お箸が短いのも困る。

この前、妻と青森にねぶた祭りを見に行ったときには珍しく二人で弁当を食べたが、おかずの交換などもできて楽しかった(今年の夏休みは(3)三内丸山遺跡と青森ねぶた 2018年08月06日)。

もちろん会話をしながらの食事は楽しい。

単身赴任にしてみれば

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無粋なJR東日本とそれを許す鎌倉市[訂正]

2018年10月03日 | 鎌倉暮らし

この記事の中で取り上げた二の鳥居前の松の木、この前は道を挟んでの正面から見ていたので気がつかなかったのだけど、横からみたらホテルが立つ土地の上にかかっている部分が切られていました。

ホテル側としては枝が出ていることは問題でしょうから、先端部分を鎌倉市に切らせたということでしょう。

きちんと検証せず、JR東日本と鎌倉市に対して非難がましい書き方をしていました。

訂正します。

 

<以下は最初の記事>

鶴岡八幡宮ニノ鳥居前の二本の松の木、決して立派とはいえないのだが、そこはかとなく風情があってとても気に入っていた。

月の綺麗な晩など、道路を挟んでユニオン鎌倉店の前から見上げると、松に月がかかっているのが美しかった。

また、犬の散歩で、若宮大路を海の方に歩いてくると、2本の松がひょろっと立っているのが何とも言えない佇まいで、私的には鎌倉駅前の名物の一つだった。

この松が植わっているところは以前、鎌倉警察があったところだが、跡地にはJR東日本がホテルを建てる。

先日発掘調査も終わりいよいよ重機が入って本格的な工事が始まった。

昨夜、帰りにここを通ったら、1本の松の木がおかしなことになっている。

どうやら先の方を切られてしまったようだ。

どうしてこうも無粋なことをするのだろう。

植物は一度切ったらおしまいなのに何も考えちゃいない。

工事に差し障りがあるのだろうけど、それは工事をしている人間優先で、ホテルありきの姿勢が見え見えだ。

鎌倉にも本格的なホテルができると内心喜んでいたが、こういう姿勢の企業では興ざめだ。

二の鳥居前の動物病院の桜の木が伐採されたショックからなかなか立ち直れないでいるのに、今度は松の木が傷つけられた。桜の木は個人所有の土地にあったものだから、まあ、勝手にしたらいいけど、松の木のある歩道は公道では?ということは、ホテルを建ててくれるJR東日本に鎌倉市が忖度して切ってしまうことを許したのだろうか。

こういう企業が鎌倉に乗り込んでくるのかと考えると、悲しい気持ちになってしまう。

調子に乗って、伐採なんてことにならないで欲しい。

一度切ったら戻らない

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免疫機構とT細胞とノーベル賞

2018年10月02日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今年のノーベル医学・生理学賞を京都大学の本庶佑先生が受賞した。私たち病理医の間でも、PD-L1免疫染色の判定がどうのこうのと、ここ数年で急速に研究成果が実臨床に応用されていることであり、ノーベル賞の受賞も間違いないと言われていた。ものすごく遠いところでのかすかなつながりであっても、ちょっとでも自分の仕事に関係する事がノーベル賞を受賞することはとても嬉しい。

免疫のことは私はあまり得意ではない。

免疫染色という細胞それぞれが持っている様々なタンパクを可視化する手法を用いて日常診断を行っているが、ことマクロファージとかリンパ球といった免疫細胞の”働き”となるとどうにも難しい。炎症巣にいるそれぞれの細胞を1個1個同定するのが大変なのだ。さらにその機能となるとなおさらで、B細胞のようにある程度進む方向が決まっている細胞ですらよくわからないのに、T細胞のようにより高度な機能を有する細胞となると頭がこんがらがってしまう。

今のところ、日常業務診断では悪性リンパ腫の診断を行うのが精一杯で、それぞれの癌細胞におけるPD-L1の染色評価を私はやっていない。乳がん・胃がんのHER2遺伝子発現の評価と同じで、何例も診たらそのうち慣れてやれるようになるだろうけど、今のところそういう立場になりし、がんの病理診断は私の主戦場ではない。

免疫機構は生体各所で重要な役割を果たしている。もちろん、体に対して何も悪いことが起きていなければ免疫細胞はおとなしくしているけど、一朝事が行った時には体中が反応して、体外からの侵略者に対抗する。(開店休業に近いが)不妊・不育の研究を行っている人間としては、妊娠というやはり体外からの受精卵の侵入が免疫学的に上手くいっていない可能性を可視化したいと考えている。マクロファージだけかと思っていたら、T細胞も関与しているという事がわかって、その機構の足がかりを掴みかけたところで、以前の職場を辞めることになったので、それっきりになってしまっている。あの辺りの研究は今、どの辺にあるのだろう。

研究は才能と努力でその活躍の場を勝ち取っていかなくてはいけない。急に裏切られたり、いつ梯子を外されたりするかなどわかったものではない。本庶先生が受賞の記者会見のコメントの中で、”幸運”という言葉を使っておられたが、その自覚を持つという謙虚さこそがこの偉大な研究成果に結びついたのだと思う。そのような意味で、とても印象深いコメントだった。

細々とでも諦めずに

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ダメな時はダメ、あきらめが肝心

2018年10月01日 | 自然災害・事故・感染症

台風一過、わが家の被害は、コナラを支えていた竹の支柱が折れてしまったのと、園芸道具を入れるボックス付きの室外機カバーが倒れてしまい、屋根に伏せておいてあった植木鉢が割れてしまったのと中のものが全部外に出てしまったということぐらいで済んだ。

あちらこちらで倒木だの看板が飛んだのの報道を見聞きすると、夜中のうちに大きな被害に見舞われなかったのは本当に幸運だったと思う。

逗子がひどい停電になっている影響があるらしく、横須賀線のうち大船から先が動いていない。私の住む鎌倉にも横須賀線はやってこない。都内に入ってさえしまえば乗り継ぎの私鉄は動いているからなんとかしたいと思うのだけど、周囲の交通状況も不明で、どうしようもない。動き出してから2、3本目の電車にでも乗ったらちょうどいいだろうと自宅待機。

テレビで台風情報をぼんやり見ていても仕方がないので、庭木や車についた塩水を流し、ベランダの掃き掃除などをしていたが、あまりの日差しと久しぶりの暑さで熱中症のようになってしまい頭が痛くなった。

そうこうするうちに大船東京間は動いているいうことで、バスで大船まで出て、東海道か横須賀線のどちらかに乗っていこうと思ったら小袋谷は大渋滞。これから江ノ電周り(鎌倉→江ノ電で江ノ島→モノレールで大船)というのも大変そう。ナイトが化学療法後1回目の受診なので、戸塚まで小袋谷を迂回して車で妻に送ってもらうことにした。朝比奈峠を越えたところで、京急本線が動いていることに気がついて京急の駅まで行ったら倒木で動いていないという。結局諦めてナイトの掛かりつけの動物病院の近くの駅まで行った。幸い、横須賀線も東海道も動いていて、出勤は無事できた。

昨晩、JR東日本が近郊線を大々的に運休にしてくれたのは良かった(JR首都圏在来線は午後8時からすべて運休 2018年09月30日 )。ダメな時はダメ、無理をしても仕方がないということを思い知らさせたような気がする。仕事に行ける人は行くし、行きたくても行けない人は行かない。

テレビでは新宿駅に人が溢れている映像が流されていたけど、こんな時は少しのんびりしていってもいいのじゃないかなと思った。まあ、私と同じ列車に乗っていた人たちは、そう考えている人が多いのではないかと思った。

帰りも同じような状態でいたら、京大の本所先生がノーベル賞医学・生理学賞を受賞したとのニュースを知り、元気が出た。

焦ったところで着く時間はたいして変わらない。

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