こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

お疲れ様でした。

2019年01月16日 | スポーツ・健康・ダイエット

横綱稀勢の里、私はキセノンキセノンと応援していたのだけど、初場所でいよいよ三敗を喫してしまった。さすがに、これ以上は横綱を続けるわけにはいかない。ついに今日、引退表明となった。かつては白鵬の天敵としても名勝負を演じていたけど、まともに組んでもらえなくなってからは勝てなくなったのも残念。でも、63連勝を止めたのは稀勢の里だった。それだけでも、相撲史に名を残したといえる。

稀勢の里3連敗 場内静まりかえる 横綱9連敗はワースト 栃煌山に寄り切られる

(デイリースポーツより)

稀勢の里のことを書いたのは、これまで5本あった。

ガンバレ!キセノン(稀勢の里) 2015年05月20日

大きなニュースが無いここ数日で思うこと 2016年09月12日

寒い1日だったけど・・・やったぜ!キセノン 2017年03月26日  この時のが、強行出場で優勝した時だった。

キセノン大丈夫かな⁉︎ 2017年05月15日  あとは、長い長いトンネルに入ってしまった。

 

踏ん張れキセノン 2018年11月13日  結局、復活することはなかった。

そして、今日のこの記事を入れると6本。

もう、怖い顔をしたり、相手にガンを飛ばすようなことをしたりしないでいいから、昔の優しい顔の稀勢の里に戻って相撲界の発展に関わっていって欲しい。

本当にお疲れさまでした

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SNSから距離を置く

2019年01月15日 | 電脳化社会

私はブログという電脳世界の片隅に、日々自分の思いを吐露している。自分の思ったこと、考えたことなんて自分の中で完結させてしまえばそれで済むことなのに、電脳社会に発信してしまうという私の動機はよくわからない。でも、人の世には古来、絵があり、歌があり、文章があったということは、人間というものが他者に対して自分の考えを伝えたいという本質的な欲求があったということを示しているのだろうと思う。というかそうすることで人々は生き延びてきたのだろう。

自分の考えを発信している上、私はSNSを通じて他人の考えにも触れている。どこからどこまでがSNSなのかわからないが、今主に利用しているのは、ブログ、Facebook、Twitter、読書メーターなどだ。このうち、FacebookとTwitterをスマホから一旦削除した。アカウントまでは削除していないので、いつでももとどおりにできるのだけど、とにかく少し距離を置くことにした。

ウィキペディアのSNSの解説にもあって驚いたが、うつ状態になるユーザーが少なくないようだ。私も、その一人だったようだった。というのもTwitter(Twitter社はSNSではないと主張しているらしいが、では一体あれはどんな範疇に入るのだろう)で、驚くほど多くの人の意見を読んでいると、今の社会があまりにも閉塞的であることに息が詰まってくる。世界平和・環境が脅かされていること、日本の政治・経済の先行きへの不安などが夜中に急に頭をもたげる。そしてまたそのコメントを読んでしまう。というようなことを繰り返すうち、いつの間にか取り込まれていた。Facebookにしても、知人の活躍を読んでいると、彼我の差に思いとらわれて、これまた暗くなってしまう。

いざ距離を置いてみると、SNSがなくても生きていられるということがわかった。では、ブログで私の思いを世の中に流すのもよせばいいのにということを言われかねないが、それはどうしようもないこと、読まないでいただくしかない。

取捨選択を上手にする

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富士山をご案内

2019年01月14日 | 鎌倉暮らし

中国、韓国からの病理医を交えての国際学会を無事終えて、今日は鎌倉観光にご案内。20人近くの方が参加してくれ、日本人の病理医とあわせて30人ほど、けっこうなツアーだ。
都内の宿からバスを仕立てて建長寺に。私はのんびりそこで待ち受けるつもりだったのだけど、あっという間に到着して、あわてて駆けつけた。

今日は富士山がよく見えるだろうと、半僧坊まで登るようにおすすめした。

思った通りで、富士山がよく見えてみなさん喜んでくれた。富士山をご案内、なんて書くと富士登山のようだけど、まあこれも、あながち嘘ではないだろう。

鶴岡八幡宮、小町通りを散策した後、大仏・長谷寺に行くという話だったのだけど、昨日までで随分疲れてしまっていたので、私は遠慮して手を振ってバスを見送った。

さあ、明日からまた

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日中韓で国際会議

2019年01月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

体調が下り気味なので、昨晩は一旦家に帰った。今回の研究会の会場は大学の施設を使っているので、いつもの通勤同様往復4時間かかる。主催者側なので、朝はいつもよりも1時間近く早く出ることになったけど、家で休んでやっぱり英気を養うことができた。

さて今日は、昨日のディープなディスカッションの続きになったのだけど、今日は日中韓での国際会議。国際会議での言葉は英語だけど、その英語がぞれぞれの母国語の影響を受けていて面白い。中国人の英語は、私が聴くといかにも英語で、韓国人の英語は日本語に少し近いような気がする。でも、どの先生も英語が堪能だ。

私は、こちらのセッションに演題を出していなかったので、まあ、良かった。

中韓の関係はいざ知らず、日中、日韓の国際関係はギクシャクしているけど、個人個人で対すればどの人も同じ病理医というか同じ人間、地球人。フレンドリーに話すことができるのだけど、国レベルになるとなかなかうまくいかないのはどういうものなんだろう。

明日は、鎌倉ツアー

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コロ健、大活躍(たまには自画自賛)

2019年01月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

たまには、自分で自分の仕事を褒めてもいいかと思う。

今日は、例年年明けに開催される比較的ディープな研究会。今回の研究会は自分たちの科が主催している。自施設からの演題がないのもどうかということで、身の程知らずではあったけど、一題発表を買って出た。買って出たは良かったのだが、やっぱり大変だった。ここ数日はあれこれあるなかでなんとか仕上げた。

昨日の昼の時点で6割程度しかできていなかったのを、恥を忍んで予演会を開いて科内の仲間に観てもらい、それから残り20時間でなんとか仕上げた。

おかげで、発表はそこそこ上手くいった。上手くいったというのは、手前味噌なのだけど、少なくとディスカッションが盛り上がったので、話題提供は目論見通りいったということになる。

で、私のお役はそれだけではない。続いて開催された懇親会の司会もあった。余興のようなものもなんとか無事こなして、われながら満足いく会ができた。

明日は、中国、韓国からの病理医を交えての国際会議となる。司会、というかchairが一つと、会議があるので、気楽だけど、まだ気が抜けない状況。病院の自分の部屋に泊まりこもうかと思ったけど、連泊となるので、今日は帰ることにした。

ちょっと左半身が痛い。帯状疱疹がぶり返したようだ。準備だの何やらで、ストレスがたまって、免疫能がまた落ちてしまったようだ。

少しリラックスしてやり過ごせるといいのだけどちょっと心配だ。

まあ、それもあって、自分で自分を褒めてあげようと。

誰かに褒めてもらえる年でもなし

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考えることの大きい小さい

2019年01月11日 | 日々思うこと、考えること

ここ数日、考え込んでいたことに一応の決着が見えたので、すこし心は落ち着いた。このことはこれで終わり。

根本的な方針が決まってしまえば、あとはなるようにしかならない。枝葉末節にこだわらずやっていく。

今度こそ、ウジウジしない

こんきも(このブログ)ではいろんなことをそれぞれのスケールで考え、セミクローズドな日記という形式で書いている。

書き物といえば、私、コロ健は病理医。病理医の仕事は可視化した病気の姿を、人間のわかる言語化して”病理組織診断書”を作成すること。だから、仕事として文章はほぼ毎日書いている。でも、仕事の内容はもちろん書かない。書いたところで、医学知識のない方が理解するのは難しい。

ブログにはあまたの種類がある。日記的な日々の出来事、もうちょっとおおきな生き方とかそんなこと、哲学的なこと。専門的なことだったら、コンピューターのこととか、株のこと、政治のことなんていうのがあるし、スポーツ、競馬のことなんていうのもある。アクセス数を上げるには、専門的なことに特化する方がいい、などということが書いてあるけど、それでは、このブログを定期的に読んでくださっている方に失礼だ。

家族との関係性について考えることから始まったこのブログの話がなぜあっちこっちに飛んでいくのかと考えると、”家族”というのが最小の社会単位であるからなのかもしれない。たった4人と2匹からなる小さな単位だけど、そんな中でも、これほど多くの出来事がある。それぞれは些細なことかもしれないが、それぞれのメンバーが家族以外の場面でせっする人たちと構成する社会に大なり小なり影響を与える。

人と人とのつながりというのは空間的、さらには時間的なひろがりをもって世界中に伝わっていく。

そんなことを考えたら、自分が今いると実感できる社会の中でよりよく生きようとすることが大切になる。

そんなことを書き連ねているからこそ、このブログが続いているのだろうと思う。

近視眼的にならない

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包み込むような温かい気持ちで

2019年01月10日 | 妻の名言

ここ数日来、煮詰まりつつあった考え事を妻に相談した。鏡を見て自分の仏頂面と対話しても妙案が浮かばず、精神的にも限界に近づいていた。

「健ちゃん、人と話す時にまた眉間にしわを寄せて深刻な顔をしているんじゃない?そんなんだったら、誰だってあなたと一緒に暗ーい気持ちになってしまうわよ。挙げ句の果てには、”この人大丈夫かな?”なんてことになりかねないわよ」

図星をつかれ、どぎまぎしていたら、

「あのね、人と話す時は、相手の人を柔らかい心で包み込むようにするの。そうしたら、相手の人も安心してあなたのいうことに耳を傾けてくれるわよ。」

そうか、もし自分がそうしてもらったら、わかってあげよう、力になってあげよう、そういう気持ちになるかもしれない。すくなくとも喧嘩腰、対立するような状態で話をしてもお互いいいことは何一つない。

イソップ物語の中に「北風と太陽」という話がある。あの話は、北風の冷たさと太陽の暑さの対比で、暑ければそりゃあ上着を脱ぎたくもなるというものだ。

妻が私に教えてくれたのは、そういうことではなくて、もっと相手を思い、ともに幸せになる、そういったアプローチのやり方だった。

人に動いてもらおう、そう考えたら相手をinvolve(巻き込む)しなくてはいけない。そのためには、どうしたらいいか。

必要なのは薄っぺらな笑顔ではないし、おためごかしの誘い文句でもない。ましてやお情けちょうだいの苦しい顔でもない。誰だって、子供だってついてきやしない。

相手を柔らかく優しく包み込む優しく温かい気持ちがあれば、笑顔があふれ、相手の目を見て、心のレベルで話すことができる。

そして私は救われた

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言葉にしてみることが大事

2019年01月09日 | 日々思うこと、考えること

悩み事、困ったことがあったら、自分は一体なにをどうしてそう感じているのか、具体的に言葉に表してみる。

いざそうしてみたら、案外大したことではなかったり、他人がそんなことを言ってきたら、大したことないじゃない、とかしょうがないよ、と答えられてしまうだろう。それでどうしろと言われることはないがあとは自分の思う通りに動かなくてはいけない。

それでも、解決できないようならば立場を変えて、自分自身と対話してみる。自分の最大の味方は自分自身であり、自分自身は最大のアドバイザーで、応援団。鏡を前にして、自問自答してみる。

頭の中でぐるぐる考えを巡らせているばかりでは何も答えは見つからない。まずはやってみよう。

人のために生きているのではない

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こんな時もある

2019年01月08日 | 生き方について考える

何をやっても何となくうまくいかない。
風向きがあまり良くないのだろう。

でも、風は吹いている。
今は風の吹いてくる方に歩いているというだけのこと。
人生、なるようにしかならない。

暗闇の中で、右往左往しているばかりだけど、なされるがままということにならないようにしっかりと周りを見ながら歩いていこう。

明るく楽しく

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それは私がすべきこと

2019年01月07日 | 家族のこと

ちょっとしたゴミ、例えば詰め替え用シャンプーの注ぎ口のチップとか、くずかごに投げ入れ損ねたちり紙とかが落ちているとき、誰かが拾って捨ててくれるだろうと思う瞬間がある。たまに台所に立って、レンジ周りを汚してしまったり、朝晩洗面台のまわりをぬらしてしまったりして、そのことに気がついてもそのままにしてしまうこともある。そんな、ちょっとしたことというのは、わが家では妻がカバーしてくれている。数年前に、こういったことが小さなストレスとなって蓄積する、というようなことを考えた(一手間かける人生 2016年10月07日 )。でも、それは自分のことしか考えていなかったことで、妻に不要な仕事を押し付けていたということまでに考えは至っていなかった。

主婦の仕事、というものを家事、という漠然とした24時間連続した業務と考えてなんでもかんでも押し付けるというのは主婦以外の家族の横暴だ。母の日にいくら手伝ったところで、その日1日だけでも主婦の仕事は全うできていない。主婦の仕事というのは大変なことであるのに、それを全うすることだけを要求して、自分は好きな仕事をさせてもらっているのに、散らかし放題というのでは道理に合わない。私がすべきことというのはたくさんある。ちなみに誰かがやってくれるだろう、という考え方は公共の場においても注意すべき発想であって、自らの生活態度を律するということはこういうことでもある。

少なくとも自分の身の回りぐらいは丁寧に始末して生活することが主婦である妻への愛情であり、敬意であると、今頃になって気がついている。そして、家族という小さな社会を真っ当にすることが、私の周りの社会を真っ当なものとし、ゆくゆくは社会全体を真っ当にするということにつながる。

小さな一歩から

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新春鎌倉(プチ)観光

2019年01月06日 | 鎌倉暮らし

たまには鎌倉を歩こうと、妻と銭洗弁天まで初詣に行くことに。

寿福寺の横から源氏山を登って抜けていくルート。普段お参りすることのできない寿福寺の仏殿のお釈迦様をお参りすることができた(特別公開中ということらしい)。ラッキーだった。

源氏山はナイトが元気だった頃はしょっちゅう来ていたのだけど、最近はそんなこともなくなってしまった(鎌倉ハイキング・・・大仏コース 2012年10月21日 )。中腹から我が家の方をみるが、附属と清泉は見えるけどあと少しというところで見えない。

今日は晴れて、部分日食も見えるという天気予報は見事に外れ。時折風花が舞うほどの寒さで、もちろん日食も見えなかった。

坂を登り切るとやがて源頼朝像が見えてくる。この時期源氏山公園を登ってくる人はあまり多くはなかった。頼朝像の周囲を子供が元気よく駆け回っていた。いつの時代も、子供は風の子であってほしい。

源氏山公園を抜け、100メートルほど坂を下りると銭洗弁天。トンネルを抜けて境内に入り、お参り。

もちろん、お札も洗いました。これで今年は金運アップとなってくれるといいのだが。

銭洗弁天のお参りを済ませてから、鎌倉最強のパワースポットと言われる佐助稲荷まで足を延ばす。

まずまずディープな鎌倉観光ができたと満足して、扇ケ谷のトンネルを抜けて街に下りる。最終目的地は納言志るこ店。

ちょうど何組か出て入れ替えのようになって並ばないで入ることができた。いただくのは正月限定のお雑煮。

妻が、「どこのお餅を使っているのか教えてほしい」という、美味しく柔らかいお餅を食べ、身も心も温まりました。

一日中、天気はすぐれなかったけど、リラックスして過ごすことができ、明日からの活力となった。

オンオフしっかり

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伝えたいこと→私の力量→要求内容

2019年01月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日、あんなに威勢のいいことを宣言したものの、ほぼ1週間でなまった体を6時前に寝床から引き剥がすのはなかなかむずかしい。土曜は乗り継ぎの関係で少しだけ遅く起きれるのだけど、それが予定していたよりも遅くなってしまう。そんなわけで、今朝もギリギリ電車に飛び乗った。

来週の講演のスライドがなかなかできない。”できない”というのは内容がまとまっていないということで、どうしたら自分で満足できるような話ができるかというのができていないということ。

講演をするとき大事なのは、自分が伝えたいこと、自分の知識量すなわちその分野での力量、聴衆がもとめていることすなわち要求内容、の3つのバランスだろう。

1。なにを伝えたいか、ということが最も大事なのは言うまでもない。これだけは聞いてほしい、わかってほしいということが明確ならば講演の8割ぐらいは成功している。講演の最後に"take home message"を出す人がいるが、あれは羨ましい。常に泥縄式で講演スライドを作っている私にはなかなかできない。”まとめ”というスライドを作ってはみるけど、せいぜいそれが関の山だ。

うーん、今回はやってみようか。「○○○性疾患のの病理組織学的鑑別には、免疫組織化学的解析を利用した検討が有用である」とかって、”○○○”にはなんでも当てはまるじゃない。これじゃダメだ。

2。自分の知識量、すなわち力量というのも当然のことながら大事。ポツポツではあるけれど、私に講演の話が舞い込んでくるのが不思議なのだけど、それはそれで人が知らないことを私が知っているのだろう。でも、今のインターネットでなんでもわかる世の中、知っていることというよりは、私の観点というか疾患に対する見方・考え方というのが大事なのだと思う。いずれにしても、”コロ健的”疾患の捉え方、というようなのを考えたい。もちろん、知ったかぶりは禁物だから、理論武装はちゃんとしておかなくてはいけない。

3。そして、最後は聴衆の要求内容。その会合で喋ることは何を要求されているか、ということをちゃんと把握していなくてはいけない。腎臓の話をしてくれと言われていて心臓の話をしても誰も喜ばない。一応それは、会の主催者から頼まれた時点でわかっているので、問題はないが、意図を完全に理解しているかは別。よく考えてスライド作りをしてみたい。

ここで1にもどり、そして2、3へとつづき、また1に。試行錯誤は講演の直前まで続く。

あと一息なんだけど

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その気になって、頑張ろう!

2019年01月04日 | 日々思うこと、考えること

通勤電車、今日はちょっと空いている。でも、いつもの時間に目覚め、いつもの電車に乗ると心身とも、休み前の状態へと急速に戻る。まるで、ぎゅうぎゅうにしていたスポンジのようだ。いつもの通勤と違っているのは、小学生の冬休みの宿題のように持ち帰った多量の資料があるだけだ。でも宿題に手をつけることはなく、この年末年始、仕事関連のことは何もしないで過ごした。メールも論文共著の確認メールがあっただけ。書類仕事がいくつか残ってしまった。その中の一つに、医師届出票というのがある。これは、2年に1度保健所に提出する書類で、医師としての自分がどこにいるかということを記載するもので、私の場合は従事しているのが病理診断科だとか専門医は病理専門医だとか、細胞診専門医であるということを記入する。ということも今日まで確認していなかった。あとは、ある研究会の会長選挙の投票用紙と、昔いた大学の医局からの現状調査書類。こんなもの、年賀状書きと一緒にやってしまえば、ほんの10分ほどでできることだったのに、できないでいた。

年賀状はいただいた方にだけ、お返事のような格好で書いている。裏面は写真入りで、コメントを書き添える。宛名は手書き。以前は宛名はみんな印字して、字を書くスペースもほとんどなかったのだけど、枚数的には何とかなる量なので、数年前からこのスタイルにしている。

 

どうしてだろうと考えてみると、ほんの書類仕事でも、精神的には相当なエネルギーを消費するということだ。”その気になる”ということはとても大変で、仕事というかそういったことに関するエネルギー準位は随分高いということになる。

今日からまた、”その気になって”頑張ろう。

病理診断の仕事は好きだし、研究も好きでやっていること、頑張らなくてはいけないがストレスはあまりない。そんな環境で仕事ができているということが幸せだということをよく自覚して、今年も笑顔で楽しくやっていこう。

次、ゆっくりできるのは夏休みかな

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おやすみ終わり

2019年01月03日 | 日々思うこと、考えること

今回の正月休み、オンコールで呼び出されることもなく、ずっと家にいた。明日から仕事かと思うと、ちょっと血圧が上がる。

研究会の準備をしようとあれこれ持ち帰ったが、結局何もできなかった。何もできなかったとはいっても、家のことは色々やった。ブログも何とか書いたし。

せっかくのお正月、ストレスなしで過ごすのも神様からの贈り物。人間、いつも頑張っていたらいいというものでもない。

さあ、明日から頑張ろう。

脱力できた

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お正月の風景

2019年01月02日 | 日々思うこと、考えること

目が覚めて、空を見たら夜明けの空が美しかった。月と星がくっきり見えたので、写真を撮ろうと外に出た。金色のひときわ輝く星があると思ったら、飛行機だった、というのはおまけだけど、夜空の写真を撮ったら三日月の横に小さく輝いている星があった。夜のニュースで知ったのだが、金星と月が大接近しているということで、月の横のイヤリングのようにあるのが金星で、金星だと思っていた星が”たぶん”木星。

日が高くなってからナイトの散歩に出かけたら、多くの早起きの参拝の方が来ていて驚いた。

午前中は箱根駅伝で神奈川県の大学(神大、東海)を応援しながら、妻の作ったおせち料理を息子と3人でいただき、その後東京の両親に挨拶に。首都高が事故渋滞だったが、正月早々お気の毒だ。

父が氏子をしていた神社にお参りし、近所のホテルのレストランで妹一家とちょっと遅めのお昼を食べた。ロビーで記念写真を撮った。

普段通りのお正月。

無事に

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