Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

楽天イーグルスの草創期

2010-09-12 15:52:57 | 他スポーツ
今や、「楽天」の名前がプロ野球速報にあるのは当たり前になりましたが、この楽天イーグルスができるまでにはかなりの紆余曲折がありました。2004年の「近鉄命名権売却」の話が却下されたことが始まりでした。その後、近鉄はオリックスとの合併を発表、パリーグが5球団になるという可能性が高くなりました。

プロ野球選手会は、この近鉄の抜けた穴に新球団を補充して、選手の職場を確保することを主張して、日本プロ野球初となるストライキを実行します。その結果、新規参入球団としてライブドアと楽天が手を挙げ、楽天が新規参入を認められます。しかし、ライブドアが先に仙台に本拠地を置くことを発表していたため、楽天の仙台本拠地化は「後出しじゃんけんのようなもの」という批判もありました。

しかし、楽天が球団運営を軌道に乗せるまでには時間がかかりました。現在は結構きれいな球場になったKスタ宮城も、楽天が来る前は老朽化が目立ち、急ごしらえで整備したり、スコアボードのスポンサーも急造で集めた、苦しい船出でした。

また、選手たちは近鉄とオリックスの合併に伴う、「分配ドラフト」で、新オリックスに行く選手と楽天に行く選手を分けて40人が楽天入りします。しかし、急造球団の使命で、どうしても他球団を自由契約になった選手を引っ張ってくる必要が生じ、楽天は最初の時点では寄せ集め軍団でした。

初年度となった2005年は、田尾監督が指揮を執りましたが、開幕前の不安は的中し、勝率2割台という惨敗を喫します。しかし、大ベテランの野村監督による采配で、昨年はクライマックスシリーズ出場を果たします。岩隈、田中将大の2枚看板も整い、これから育っていく可能性のあるチームだと思います。

今年は残念ながら最下位ですが、東北の地でプロ野球が見られることの意義は大きいと思います。球団経営も黒字化したという話で、かつてのプロ野球は親会社の宣伝広告費で赤字決算が当たり前でしたが、今となっては独立採算を目指す必要はあると思います。そんな楽天イーグルスは一度仙台に行ってみてみたいチームではあります。
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同時多発テロの日

2010-09-12 14:30:43 | 雑記
昨日は、アメリカの同時多発テロから9年の「追悼の日」でした。跡地のグラウンド・ゼロには新しい高層ビルが計画されているらしく、あの日の傷跡は少しずつ消えようとしています。しかし、この同時多発テロの日は、私にとっても忘れられない日でした。

あの当時、私はある重い病気で苦しんでいました。会社を休職して、本当に治るのか疑問を隠せぬまま、家に残って一人発作に苦しんでいた頃です。ちょうど、この同時多発テロの日が、病気が最悪の状態になった日でした。

まさか飛行機がぶつかってビルが崩れ落ちるとはという、ライブ映像への衝撃とともに、それによる精神的ショックもあったのか、夜ベッドに横たわってもすぐに目が覚めてしまいます。苦しいときに飲んでいい薬も、早々と使い果たし、この頃は休職しているから朝まで寝付けなくても仕方ないと覚悟を決めていましたが、午前3時ごろにようやく寝ることができたようです。

本当に苦しい思い出でした。今でも同時多発テロのことを聞くと、当時の苦しさを思い出します。あれから9年経ちました。病気も完全とはいきませんが、少しずつ治ってきています。同時多発テロでご家族を亡くされた方の悲しみに比べたら大したことではありませんが、自分にとっても忘れられない日になりました。

あの当時は、2002年W杯の前の年でした。その時点で、チケットが当選して埼玉スタジアムのスタンドに座れることは確定していました。W杯に行きたい、何とか世界の戦いをこの目で見たいという思いだけは常に持っていました。そんな思いが、自分を助けてくれたと思っています。

レッズも見てはいました。あの頃はちょうど味の素スタジアム(当時東京スタジアム)でのFC東京戦だったと記憶しています。試合はアマラオの2ゴールで負けたのですが、鈴木啓太のJリーグ初ゴールが見られたので、2-3の負けでしたが、それなりに楽しめたです。あの当時、電車で席が空くと、当時60歳近かった両親が、私の病気を考えて席を譲ってくれたことが今でも記憶にあります。ああ、申し訳なかったなと、今振り返っても思います。
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